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神道と本に関するkousyouのブックマーク (2)

  • 『吉田神道の四百年』 “神使い”の人びと - HONZ

    書は、室町時代後期より400年に渡り神道界に大きな影響を及ぼした “神使い” 吉田家の歴史を描いたものだ。吉田家は、亀卜を行う神職の家系卜部(うらべ)氏の系統で、『徒然草』の吉田兼好もこの一族になる。吉田神道は、京都の神主であった吉田兼倶(かねとも)によって構想された。「唯一神道」「卜部神道」とも言われる。 1468年、応仁の乱の戦火で吉田神社が焼け落ちた後、兼倶は動き出す。 まずは、自邸内にあった「斎場所」を吉田山に移転した。兼倶はこの斎場所を「日最上神祇斎場」と呼び、神武天皇が橿原に都して以来、代々日中の神を祭ってきた「神社の総山」であると宣言した。移転に際しては、後土御門天皇からは「日国中三千余座、天神地祇八百万神」と記した勅額を頂いた。 そんなことができたのは、兼倶が朝廷の祭祀を担う役所である「神祇管」の最高位の祭官(神祇管領長上)だったからだ。兼倶は、自らの神道を「元

    『吉田神道の四百年』 “神使い”の人びと - HONZ
  • システムとしての国家神道 - 美徳の不幸 part 2

    今日、恩師の新書を読了。 国家神道と日人 (岩波新書) 作者: 島薗進出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2010/07/22メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 3人 クリック: 63回この商品を含むブログ (24件) を見る先生のこの10年ほどの「国家神道論」を追っている僕からすれば、半ば復習のようなものだが、やはり強調するべきは、神社神道にだけ限定するような国家神道論はよろしくない、特に皇室神道・祭祀を抜きにした国家神道論はダメだということ。僕も先生の顰みに倣って、自分の論文では「国家神道システム」という用語を用いているのは、神職・神社神道の活動以外にも「国家神道」というのは浸透していたと捉えているからだ。具体的には、仏教各宗派や、新宗教も、キリスト教も、積極的に(ここが重要。下支えなくして、あそこまでの「猛威」は振るえない)このシステムに荷担したのである。勿論、教育現場にお

    kousyou
    kousyou 2010/07/30
    よみたい。
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