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神道と歴史に関するkousyouのブックマーク (12)

  • 『吉田神道の四百年』 “神使い”の人びと - HONZ

    書は、室町時代後期より400年に渡り神道界に大きな影響を及ぼした “神使い” 吉田家の歴史を描いたものだ。吉田家は、亀卜を行う神職の家系卜部(うらべ)氏の系統で、『徒然草』の吉田兼好もこの一族になる。吉田神道は、京都の神主であった吉田兼倶(かねとも)によって構想された。「唯一神道」「卜部神道」とも言われる。 1468年、応仁の乱の戦火で吉田神社が焼け落ちた後、兼倶は動き出す。 まずは、自邸内にあった「斎場所」を吉田山に移転した。兼倶はこの斎場所を「日最上神祇斎場」と呼び、神武天皇が橿原に都して以来、代々日中の神を祭ってきた「神社の総山」であると宣言した。移転に際しては、後土御門天皇からは「日国中三千余座、天神地祇八百万神」と記した勅額を頂いた。 そんなことができたのは、兼倶が朝廷の祭祀を担う役所である「神祇管」の最高位の祭官(神祇管領長上)だったからだ。兼倶は、自らの神道を「元

    『吉田神道の四百年』 “神使い”の人びと - HONZ
  • 紀元節復活の経緯と当社の紀元祭 - 西野神社 社務日誌

    平成21年2月10日付の記事で詳しく説明させて頂きましたように、2月11日は、皇紀元年に大和・橿原の地(現在の奈良県橿原市)で神武天皇が初代天皇として御即位されたと伝わる日で、日書紀に書かれている神武天皇御即位についての記述『辛酉年(かのとのとりのとし)の春正月の庚辰(かのえたつ)の朔(ついたちのひ)に、天皇(すめらみこと)、橿原宮に即帝(あまつひつぎ)位(しろしめ)す』を日という国の誕生の瞬間と捉え、その「辛酉年庚辰の朔」を西暦年に換算した紀元前660年(皇紀元年)2月11日を日の誕生日としてお祝いする祝日です。戦前・戦中は「紀元節」として、現在は「建国記念の日」という名前でお祝いされています。 以下は、昭和23年に一旦廃止された紀元節が、昭和41年に建国記念の日と名称を変えて復活した当時の、神社新報(12月17日発行、第981号)の論説からの転載で、紀元節復活の感激と、紀元節復活

    紀元節復活の経緯と当社の紀元祭 - 西野神社 社務日誌
    kousyou
    kousyou 2012/02/24
    昭和41年の「建国記念の日」復活経緯。神社新報記事ノリノリだ。
  • 出雲大社は怨霊の神社?

    神道が日全域へ浸透するように Uncategorized Hello world!Welcome to WordPress. This is your first 続きを読む… 投稿者:admin 投稿日時:2年前

  • 『国家神道と日本人』への批評について(2)――子安宣邦氏の再論に応答する | 島薗進・宗教学とその周辺

    10月10日に子安宣邦氏の「怒りを忘れた国家神道論――島薗進『国家神道と日人』」という論説(第1論説)が、「ちきゅう座」(http://chikyuza.net/n/archives/3705)というサイトに掲載され、私はそれに対する応答を「『国家神道と日人』への批評について――とくに子安宣邦氏の論説に応答する」と題して、私自身のこのブログ「宗教学とその周辺」に掲載した(第2論説)。これについて「ちきゅう座」から掲載の要請があり、私はそれに応じた。続いて、10月29日づけで「ちきゅう座」に子安氏の「イノセントな学者的欲求が犯す罪─「怒り」の理由」と題する島薗批判の再論が掲載された(第3論説)。この第3論説は私の論旨への誤解、無理解、および現在の国家神道をめぐる論争状況への誤解、無理解が顕著に見えるので、この論説で応答しておきたい。 子安氏は、「国家神道」概念の見直し論が問題なのだと書い

  • イノセントな学者的欲求が犯す罪─「怒り」の理由 - ちきゅう座

    <子安宣邦(こやすのぶくに):大阪大学名誉教授> 私の批判への島薗氏による卑小な反論に釣られて卑小な回答の言葉を連らねる愚を避けて、端的にまず私の「怒り」の理由をのべよう。 現在、「国家神道」をめぐる問題があるとすれば、「国家神道」概念の見直し論としてある。この見直し論とは、アメリカの対日占領政策にもとづくいわゆる神道指令が廃止を指示した国教としての神道、すなわち「国家神道」の定義の見直しを要求するものである。神道指令はこの「国家神道」を「非宗教的ナル国家的祭祀トシテ類別セラレタル神道の一派(国家神道或ハ神社神道)ヲ指スモノデアル」と規定している。したがって見直し論はこの規定中にある神社神道の側から、「国家神道」概念の見直すことの要求として出されてきた。 だがこの見直し論は、ただ「国家神道」概念の見直しを求めるだけのものではない。現行憲法を占領軍の押しつけとして、それを見直し、自主的な改訂

  • 『国家神道と日本人』への批評について――とくに子安宣邦氏の論説に応答する | 島薗進・宗教学とその周辺

    7月21日刊の奥付をもつ拙著、『国家神道と日人』(岩波新書)が刊行され、3ヶ月ほどがたった。まだまだ内容に立ち入った書評は少ないが、直接間接にさまざまな感想・批評に接し、大いに啓発されている。感想・批評をお寄せ下さった皆さんにあらためて謝意を表したい。 私が敬愛するある宗教哲学者は、「輻輳した歴史の現実態の中に分け入り、しかも山に入って山を見ずではなく、おのづから筋道があらわれて見えて来」、「私にとって最近にない良書」だったとおほめ下さった。私信では日近代史や日思想史の研究者からも概ね好意的な評価をいただいているが、ネットに現れた感想や批評の中に「自己中心的だ」とか「けしからん」とか「新書に合わない」という反応があったのにはやや驚いた。このは論争を踏まえた書物なので、これまでの議論の弱点について批判的に述べて新たな立場を鮮明に示そうとしており、いわば「革新的」な議論を多々提示をして

  • 「怒りを忘れた国家神道論」―島薗進『国家神道と日本人』批判 - ちきゅう座

    <子安宣邦(こやすのぶくに):大阪大学名誉教授:日思想史> 1 村上重良の怒り 村上重良は『国家神道』(岩波新書、1970)を激しい怒りをもって書いた。その怒りとは、日台湾・朝鮮をも含んだ)国民の肉体とともに精神を支配し、抑圧した〈戦争する日国家〉の原理であり、装置であるものに対してである。彼は国家神道こそが、1945年に至るまで国民を支配し、抑圧した国家的原理であり、装置であるとみなした。戦争の終結から四半世紀を経過した1970年に村上は、国家神道の復活の動きに接し、怒りを新たにする形で『国家神道』を書いたのである。私もまた度重なる小泉元首相の確信犯的な靖国参拝に対する怒りを『国家と祭祀―国家神道の現在』(青土社、2004)として表明した。私は村上の国家神道概念をそのまま継承することはなくとも、彼の怒りは正しく継承した。 国家神道批判は日国民のこの怒りに基づくものである。怒り

  • 社会科学者の時評: ■ 天皇・天皇制の歴史・存在・意義・限界 ■

    ◎ 近代明治に創られた天皇のしぐさ・天皇制のしくみ ◎  【山折哲雄『神と王権のコスモロジー』1993年の議論】  ① 天皇は神か?  山折哲雄『神と王権のコスモロジー』(対談者:小松和彦・赤坂憲雄・吉隆明,吉川弘文館,平成5〔1993〕年)という著作がある。書は,昨日〔12月17日〕にとりあげた吉隆明も対談者の1人に登場させている。それはともかく,カバーに書かれている要旨はつぎのようである。 日の王権=天皇制は,常に土俗的な宗教性を内面に抱えながら継承されてきた。書は,複雑な「カミ」概念に彩られた日王権の姿を,それをとりまく独特な宗教的世界を通して,思想の側面から照射する。闇の空間の中に「稲の王」=天皇の実像を浮かず上がらせ,諸外国の王権と対比しつつ,それを生み出した日人の心の深層にメスを入れる。 以下,同書に聞きながら議論をすすめ,天皇・天皇制に対する批判的な考察をお

  • kousyoublog.jp – このドメインはお名前.comで取得されています。

    このドメインは お名前.com から取得されました。 お名前.com は GMOインターネットグループ(株) が運営する国内シェアNo.1のドメイン登録サービスです。 ※表示価格は、全て税込です。 ※サービス品質維持のため、一時的に対象となる料金へ一定割合の「サービス維持調整費」を加算させていただきます。 ※1 「国内シェア」は、ICANN(インターネットのドメイン名などの資源を管理する非営利団体)の公表数値をもとに集計。gTLDが集計の対象。 日のドメイン登録業者(レジストラ)(「ICANNがレジストラとして認定した企業」一覧(InterNIC提供)内に「Japan」の記載があるもの)を対象。 レジストラ「GMO Internet Group, Inc. d/b/a Onamae.com」のシェア値を集計。 2023年5月時点の調査。

  • システムとしての国家神道 - 美徳の不幸 part 2

    今日、恩師の新書を読了。 国家神道と日人 (岩波新書) 作者: 島薗進出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2010/07/22メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 3人 クリック: 63回この商品を含むブログ (24件) を見る先生のこの10年ほどの「国家神道論」を追っている僕からすれば、半ば復習のようなものだが、やはり強調するべきは、神社神道にだけ限定するような国家神道論はよろしくない、特に皇室神道・祭祀を抜きにした国家神道論はダメだということ。僕も先生の顰みに倣って、自分の論文では「国家神道システム」という用語を用いているのは、神職・神社神道の活動以外にも「国家神道」というのは浸透していたと捉えているからだ。具体的には、仏教各宗派や、新宗教も、キリスト教も、積極的に(ここが重要。下支えなくして、あそこまでの「猛威」は振るえない)このシステムに荷担したのである。勿論、教育現場にお

    kousyou
    kousyou 2010/07/30
    よみたい。
  • 拍手が変えた日本の歴史〜道鏡を滅ぼした憎悪の正体 | Kousyoublog

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  • 本宗の定義 - 西野神社 社務日誌

    当社を始め、神社庁の包括下にある神社は、北海道から沖縄県に至るまで全国全ての神社が、伊勢の神宮を「宗」(ほんそう)として崇敬しています。そうであるからこそ、全国それぞれの神社で日々奉仕されている神職や総代、その他関係者の皆さん方は、自分達が神宮の職員や神宮の直接的な関係者では無いにも拘わらず、各家庭を訪問して神宮大麻(伊勢の神宮のおふだ)を頒布したり、神宮の式年遷宮に積極的に奉賛をするなどしているのです。 ちなみに、下の2枚の写真に写っているお宮が、一昨年の2月に神宮を参拝させて頂いた際に私が撮影してきた内宮(皇大神宮)で、内宮は、伊勢の神宮を構成している全125社のお宮の中でも最大の信仰の中心となっています。 伊勢の神宮が神社庁の「宗」である事は、神社庁が制定している各規程にも明確に定められています。例えば、神社庁憲章の第二条には、『神社庁は、神宮を宗と仰ぎ、奉賛の誠を捧

    本宗の定義 - 西野神社 社務日誌
    kousyou
    kousyou 2010/05/14
    伊勢神宮が神社オブ神社になった歴史的経緯。
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