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UKとフランスに関するkousyouのブックマーク (3)

  • 「アジャンクールの戦い(1415年10月25日)」イングランド軍、三倍のフランス軍に圧勝

    前史1392年、フランス王シャルル6世が狂気の発作に陥り統治能力を喪失すると、王弟オルレアン公ルイと前王の弟ブルゴーニュ公フィリップ豪胆公との間で主導権争いが激化。1407年、フィリップ豪胆公の後を継いだジャン無畏公によってオルレアン公ルイが暗殺され、オルレアン公遺臣と有力諸侯アルマニャック伯らからなるアルマニャック派とブルゴーニュ派との間で内戦状態となった。 1399年、イングランド王リチャード2世がランカスター公ジョン(リチャード2世の父エドワード黒太子の弟)の子ヘンリ・ボリングブロクにより廃位され、ヘンリ・ボリングブロクがヘンリ4世として即位(ランカスター朝)、ウェールズの反乱を鎮圧して1413年、ヘンリ4世の子ヘンリ5世が即位した。 ヘンリ5世については以下の記事でまとめている。

    「アジャンクールの戦い(1415年10月25日)」イングランド軍、三倍のフランス軍に圧勝
  • 「バイユーの綴織(タペストリ)を読む―中世のイングランドと環海峡世界」鶴島 博和 著

    1066年、ノルマンディー公ギヨーム2世がイングランド王位を狙って侵攻、ヘースティングズの戦いでハロルド2世を破り、イングランド王ウィリアム1世となった。いわゆるノルマン・コンクエスト(ノルマン人の征服)と呼ばれる事件を描いた長さ68.58メートルにもなる長大な綴織(タペストリ)のことだ。ノルマンディ地方バイユーのオドという司教によって作られたという説が有力なことから「バイユーのタペストリ」と呼ばれる。 書はその「バイユーのタペストリ」を徹底的に解説した決定版的な専門書である。 第1部「絵解き」ではこの長いタペストリを八幕に分けたうえで伝統的に番号が振られた1場~58場のシーンごとに同時代史料の該当箇所を参照しつつ逐次解説を加えている。主要史料として使われているのは以下の8点。 1) ウィリアム・ジェミエージュ「ノルマン人の諸公の事績録」(1070年頃) 2) アミアン司教ギー「ヘイステ

    「バイユーの綴織(タペストリ)を読む―中世のイングランドと環海峡世界」鶴島 博和 著
    kousyou
    kousyou 2018/07/30
    高校生のとき覚えた記憶があったけど、世界史用語集確認したら記載なくて、今教えてないのか、それとも当時の先生が特別だったのか、ジェネレーションギャップを感じつつ、何かしら訂正しておきます
  • 「ワーテルローの戦い」200周年記念の芳ばしさ: 極東ブログ

    世界史は高校でいちおう必修科目だし、中学校でも教えているかもしれないが、昔むかし、「ワーテルローの戦い」というのがありました。どのくらい昔かというと、200年前。1815年6月18日である。おっと、昨日がちょうど200年目だった。 というわけで、記念行事が芳しく展開されていた。ちなみに、「マグナ・カルタ」が制定されたのは1215年6月15日ということで、先日は400年記念祭があって、日でも憲法が大切だということで話題とかになった。まあ、そういう文脈があるとわかりやすいよね。 で、こっち「ワーテルローの戦い」とは何だったか。200年記念で日でどう報道されたか。ちょっと調べてみた。無難に共同あたりから。「ワーテルローで記念式典 世紀の戦いから200年」(参照)より。 【ブリュッセル共同】フランス皇帝ナポレオンが大敗し、歴史の転換点となったワーテルローの戦いから200年を迎え、ベルギーの首都

    kousyou
    kousyou 2015/06/19
    イギリスは百年戦争の「戦勝」を祝っちゃうあたりも可愛いと思います
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