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文化と宗教に関するkousyouのブックマーク (124)

  • 「潜伏キリシタン」世界遺産へ…日本人がしがちな誤解を解いておこう(堀井 憲一郎) @gendai_biz

    大浦天主堂を建てたのは誰か? 「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の世界遺産への登録が決定された。 ニュース映像では、たびたび教会の映像が流れていた。大浦天主堂や黒島天主堂である。 見逃しそうなところだけれど、しかし考えてみると、奇妙な取り合わせである。 「潜伏キリシタン」はキリスト教徒であることを隠し、「潜伏」していたから(表面上は仏教徒であったから)潜伏(隠れ)キリシタンなのであって、その文化に「どこから見てもキリスト教の象徴」である教会は存在しないはずだ。 日独自の文化である潜伏キリシタンと、大浦天主堂は、来は直接関係がない。大浦天主堂は潜伏キリシタンが建てたものではない。 しかしニュース映像では、教会を映したいのだろう。日人が見たときに、あ、キリスト教徒の文化が登録されるのだ、とわかりやすい。 大浦天主堂は、フランス人が自分たちのために長崎に建てた教会堂である。 建てら

    「潜伏キリシタン」世界遺産へ…日本人がしがちな誤解を解いておこう(堀井 憲一郎) @gendai_biz
  • 「社にほへと」開発を中止した神社の擬人化ゲームは何が問題だったのか。 - すうけいの神社崇敬会ブログ

    社にほへとは何が問題だったのか。神社崇敬会ブログ 2017.09.14-読みにくい部分の修正、追記しました。 神社崇敬会の秀島です。 みなさんは「社にほへと」をご存知でしょうか。 「社にほへと」とは、実在する神社を擬人化した社巫娘(しゃみこ)と共に、妖化(あやかし)が蔓延(はびこ)る穢れきった日を救うというゲームなんですが、先日、この「社にほへと」の開発が中止になったというニュースが発表されました。今回はこの件について詳しく解説してみようと思います。 スマホからお祓いするようなサービスをやっておいて「お前が言うな」と言われてしまうかもしれませんが、ネットと神社、神社に限らず今回のようなIP(知的財産 Intellectual Property)を活用したコンテンツ開発において、何が問題となり、どういう影響が起きるのか。私自身はIT系でもなく、知財の専門家でもありませんが、神社に関係してい

    「社にほへと」開発を中止した神社の擬人化ゲームは何が問題だったのか。 - すうけいの神社崇敬会ブログ
  • フランス人写真家が捕らえた「YOKAI」が教えてくれる、異世界と「共存」するということ|WIRED.jp

  • 「神宿る」沖ノ島を公開=祭祀遺跡、世界遺産目指す-福岡・玄界灘:時事ドットコム

    「神宿る」沖ノ島を公開=祭祀遺跡、世界遺産目指す-福岡・玄界灘 世界文化遺産登録を目指す宗像大社の沖津宮を参拝する報道関係者ら=9月30日午後、福岡県宗像市の沖ノ島 2017年の世界文化遺産登録を目指す福岡県の「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」の中心となる沖ノ島(同県宗像市)が1日までに、報道陣に公開された。島全体が信仰の対象で上陸は厳しく制限されているが、古代祭祀(さいし)の遺跡が手つかずで残る神秘の島の素晴らしさを知ってもらおうと宗像大社が許可した。  沖ノ島は宗像市から約60キロ沖の玄界灘に浮かぶ。4~9世紀までの500年間にわたり、形態を変えながら国家的な祭祀が行われ、これまで22カ所の祭祀遺跡が確認されている。出土した勾玉(まがたま)や金製指輪など約8万点が国宝に指定され、「海の正倉院」とも呼ばれる。  女人禁制のため、約40人の報道陣はすべて男性。おきてに従い、海に裸で入

    「神宿る」沖ノ島を公開=祭祀遺跡、世界遺産目指す-福岡・玄界灘:時事ドットコム
  • ここは世界遺産か、それとも「聖なるスーパー銭湯」か~あまりにも残念な「熊野古道」の現状(岡本 亮輔) @gendai_biz

    ここは世界遺産か、それとも「聖なるスーパー銭湯」か~あまりにも残念な「熊野古道」の現状 歴史的知識への無関心が悲劇を招く 文/岡亮輔(北海道大学准教授) 世界遺産「ブランド化」の弊害 トルコのイスタンブールで開かれていた世界遺産委員会が閉幕した。 クーデター未遂事件の中、21件が新たに世界遺産に登録された。台東区上野の国立西洋美術館を含む「ル・コルビュジエの建築作品」が登録され、さっそく開館前から行列ができている。 一方、あまり話題となっていないのが「紀伊山地の霊場と参詣道」の追加登録の見送りだ。高野山や熊野を中心とするこの物件は、2004年7月に世界文化遺産に登録されている。 今回、熊野三山の別宮・闘鶏神社(田辺市)、高野山参詣道の女人道(高野町)などの追加登録を目指していた。熊野古道などを中心に、もともと、総延長307.6kmの参詣道が登録されていたが、さらに40km以上が追加される

    ここは世界遺産か、それとも「聖なるスーパー銭湯」か~あまりにも残念な「熊野古道」の現状(岡本 亮輔) @gendai_biz
  • 神社にお金を洗いに行く

    神社の中には、境内でお金を洗うと効果がある神社というものが、複数存在するということをご存じだろうか。私は全然知らなかった。 というのも、私が幼少から過ごす神奈川には鎌倉の「銭洗弁財天(宇賀福神社 )」という、有名な銭洗い神社が存在する。そしてその銭洗弁財天の存在が逆に「お金を洗えるのは鎌倉の『銭洗弁財天』だけなのでは」という狭い思考を生み出していた。 世界は広い。神社にお金を洗いに行こう。

    神社にお金を洗いに行く
  • 47NEWS(よんななニュース)

    取り調べは「拷問」、裁判長は勘違い、エリート調査官も「誤り」 「袴田事件」の経過を改めてたどって判明した、刑事司法のずさんな実態(後編)

    47NEWS(よんななニュース)
  • 「オカルトの帝国―1970年代の日本を読む」一柳 廣孝 編著 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    映画、TV、小説、アニメ、マンガ、ゲームなどのサブカルチャーから宗教・思想さらには日常生活の隅々までオカルトは薄く広く拡散している。日におけるオカルトの広がりのルーツを辿ると1970年代に行き着く。では、現代日という「オカルトの帝国」の原風景といえる1970年代のオカルトの大流行はどのようなものであったのだろうか。「閉ざされた知であるオカルトが白日の下にさらされた1970年代」を描く論文集である。 ただし、絶版。ひと通りネット書店を見て回っても購入することは出来ないようなので、興味がある方は図書館か古書店で。 目次 第一部 オカルトの日 第一章 オカルト・ジャパン・シンドローム――裏から見た高度成長 第二章 小松左京『日沈没』の意味 第三章 ディスカバージャパンと横溝正史ブーム 第二部 メディアのなかのオカルト 第四章 エクソシスト・ショック――三十年目の真実 第五章 「ノストラダ

    「オカルトの帝国―1970年代の日本を読む」一柳 廣孝 編著 | Call of History ー歴史の呼び声ー
  • 女人禁制「沖ノ島」が世界遺産候補に 「島に入りたい」女性の主張は認められるか? - 弁護士ドットコムニュース

    女人禁制「沖ノ島」が世界遺産候補に 「島に入りたい」女性の主張は認められるか? - 弁護士ドットコムニュース
  • 新大久保にある「イスラム横丁」に行ってみた

    グーグルマップで検索すると、一発で表示される「イスラム横丁」。カレーやスパイス好きの間ではよく知られた、半径30メートルほどの半円にほぼすっぽり収まる街の一角がこう呼ばれている。 JR新大久保駅の改札を出て、右に曲がるとコリアタウン、左に曲がると中国系のお店が多いというのは有名だ。だが、改札を出て、左前方に見えるマツモトキヨシの店を右手に曲がり、百人町文化通りを50メートルほど進むと、道の左側にハラル品などを扱う店が点在している。 「ハラル」とはイスラム教の教えに従った戒律で、「合法の」「許された」との意味を持つ。これに対し、非合法なものを「ハラム」という。なかでも豚肉とアルコール、血液は禁忌の最たるものとなる。ポークエキス、豚由来のゼラチン、豚脂などを原材料に含む加工品や化粧品などもべられないし、使うことができない。さらに、羊や牛、鶏といった肉類は、イスラム教の儀式にのっとってお祈り

    新大久保にある「イスラム横丁」に行ってみた
  • 専門家に聞く、「イスラム国」遺跡破壊のねらいは?

    ISはイラクの文化遺産の一つ、古代ニムルドの遺跡を爆破する動画をインターネット上に公開した。(Photograph by AFP/Getty) 4月11日、ある動画がソーシャルメディアに投稿されると、ニュースは瞬く間に世界中へ配信され、国際社会から非難が集まった。だがこれは、過激派組織「イスラム国」(IS=Islamic State)がねらった通りの展開と言っていい。 約7分間の動画には、ISの戦闘員がハンマーやブルドーザー、爆発物で古代遺跡を破壊する様子が映っている。専門家らはこの遺跡を、アッシリア王が紀元前9世紀に古代都市ニムルドに建てた北西宮殿と特定した。 ISがハンマーやブルドーザー、爆薬を使ってイラクの古代都市、ニムルド遺跡を破壊する様子を映した動画。インターネット上で公開された。 今回の動画に映っている破壊行為があったのは、おそらく3月中旬から4月初旬の間と考えられる。動画では

    専門家に聞く、「イスラム国」遺跡破壊のねらいは?
  • 「シャーマニズム(「知の再発見」双書)」C・ステパノフ&T・サルコンヌ著

    シャーマニズムがよくわからない。いくつかの宗教学の入門書の知識と、例えば琉球・南西諸島のユタ、東北のイタコ、卑弥呼などに代表されるような古代の巫女、アメリカ・インディアン、アフリカの呪術師、アボリジニ、ブードゥーなどを想起した一般的なイメージを持っている程度なので、最近(2014年)出たばかりのコンパクトなシャルル・ステパノフ&ティエリー・サルコンヌ著「シャーマニズム(「知の再発見」双書)」というを読んでみたが、よりわからなくなった。 シャーマニズムとはなにか。「平凡社 世界宗教大事典(1991年)」にはこうある。 『通常、トランスのような異常心理状態において超自然的存在(神霊、精霊、死霊など)と直接に接触・交流し、この間に予言、託宣、卜占、治病、祭儀などを行う人物(シャーマン)を中心とする呪術・宗教的形態である。』(P851) もう少し端的な説明として、脇平也著「講談社学術文庫 宗教

    「シャーマニズム(「知の再発見」双書)」C・ステパノフ&T・サルコンヌ著
  • ISISが古代アッシリア遺跡を破壊 イラク

    (CNN) イスラム過激派「イラク・シリア・イスラム国(ISIS)」が同国北部にある古代アッシリアのニムルド遺跡を重機で破壊したことがわかった。イラク国営メディアが5日に伝えた。 ニムルドは紀元前900~612年ごろ栄えたアッシリア王国の都市で、ISISが支配するイラク北部の都市モスルの南郊にある。破壊の規模はまだ分かっていないという。 文化遺産の保護団体であるワールド・モニュメント財団によれば、ニムルドには紀元前9世紀のアッシリア王アッシュールナジルパル2世の宮殿があり、城壁には戦勝を記録するレリーフが残されている。 同財団のウェブサイトによれば、この宮殿は近郊のニネベにある紀元前8~7世紀ごろのセンナケリブ王の宮殿と並び、現存する数少ないアッシリアの宮殿で、「アッシリアの政治的、文化的、芸術的繁栄を今に伝えている」という。 ISISは1週間前、ニムルドの北にあるモスルの博物館で貴重な彫

    ISISが古代アッシリア遺跡を破壊 イラク
  • 「許す」と「赦す」 ―― 「シャルリー・エブド」誌が示す文化翻訳の問題/関口涼子 - SYNODOS

    「シャルリー・エブド」誌襲撃事件の後、フランスと日のメディアによる報道を追っていて、この事件への反応や解釈が両国でまったく異なっていることに気がついた。 大まかに言えば、フランスの場合は、「シャルリー・エブド」の編集方針に賛成でない人、あるいは同誌を読んだことがない人でもほぼ全員が、同誌への抗議の手段として殺人という最大の暴力が行使されたことに激しく怒りを覚えたのに対し、日の場合には、「テロは良くないが」というただし書き付きで、「でも表現の自由と騒ぐのは西欧中心主義ではないか。表現の自由にも、他者の尊厳という制限が設けられるべきでは」と表明することが少なからず存在した。 ここではその点については触れない。それとは別に、取り急ぎ指摘するべき問題が一つあるからだ。 1月13日付読売新聞の夕刊、国際欄に出ていた記事のことだ。今日14日水曜日、襲撃事件後初めて発行される「シャルリー・エブド」最

    「許す」と「赦す」 ―― 「シャルリー・エブド」誌が示す文化翻訳の問題/関口涼子 - SYNODOS
  • アメリカ第二の内戦「文化戦争"Culture War"」 | Kousyoublog

    1960年代以降、アメリカでは伝統文化擁護派の宗教的な保守主義者とカウンターカルチャー推進派の自由主義的な世俗主義者との間での対立抗争が激化し、政治、社会を巻き込み、時に軍事的な衝突の様相すら呈すほどに激しさを増しているという。この両者の対立をアメリカの宗教社会学者ジェイムズ・D・ハンターは「文化戦争”Culture war”」と呼んだ。今まさにアメリカはこの第二の内戦の真っ最中とも言えるようだ。 蓮見博昭著「宗教に揺れるアメリカ」ではハンターによる文化戦争の要旨を以下の通りまとめている。 1)アメリカは、道徳の理解に関する異なるシステムに根差す政治的・社会的対立抗争の真っ只中にある。それらは結局、自分たちの住むこの世界について、何が根的に正しく、何が間違っているのか、自分たちの共同体において、何が究極的に善であり、何が最終的に容認できないのかをめぐる論争である。 2)それらは、「外部の

    アメリカ第二の内戦「文化戦争"Culture War"」 | Kousyoublog
    kousyou
    kousyou 2015/01/09
    ブログの過去記事(2010年)です。
  • 我々イスラム教徒は「シャルリー・エブド」を支持する

    People hold placards reading in French 'I am Charlie' during a gathering in front of the prefecture in Lille, northern France, on January 7, 2015, following an attack by unknown gunmen on the offices of satirical weekly Charlie Hebdo. Heavily armed men shouting 'Allahu Akbar' stormed the Paris headquarters of a satirical weekly on January 7, killing 12 people in cold blood in the worst attack in F

    我々イスラム教徒は「シャルリー・エブド」を支持する
  • 「心霊の文化史ースピリチュアルな英国近代」吉村 正和 著 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    十九世紀半ばから二十世紀初頭にかけて英米を中心に隆盛を迎えたのが心霊主義(スピリチュアリズム)である。近代的な思想運動として始まった心霊主義は第二次大戦後衰退するものの、60年代のニューエイジ、70年代のオカルトブーム、80年代以降の新宗教運動などを始めとして文化、学問、思想など現代社会の隅々に大きな影響を残している。その心霊主義はどのような過程で広がっていったのか、十九世紀の心霊主義進展の見取り図を描く一冊である。 心霊主義の見取り図といっても、その範囲はあまりに広く、その思想は限りなく深く難解だ。様々な研究書・概説書が出ており、そのアプローチは多様である。書では心霊主義を『合理主義という時代環境の中で誕生史、成長し、変容していった<自己>宗教の一つ』(P9)と捉え、『心霊主義の社会精神史的な意義を(ⅰ)骨相メスメリズム、(ⅱ)社会改革、(ⅲ)神智学(ⅳ)心理学(ⅴ)田園都市という五つ

    「心霊の文化史ースピリチュアルな英国近代」吉村 正和 著 | Call of History ー歴史の呼び声ー
    kousyou
    kousyou 2014/11/12
    ブログ更新しています。
  • お地蔵さんを背負って町内をまわる!? 江戸時代から伝わる風習「廻り地蔵」ってなに? - はまれぽ.com 神奈川県の地域情報サイト

    ココがキニナル! お地蔵さんを町内で回してゆく、「まわし地蔵」という民間信仰が泉区と港北区にあるそう。どんな風習なのか、くわしく知りたい!(紀洲の哲ちゃんさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 廻り地蔵は江戸時代からの風習で、30kgのお地蔵さんが入っている背負い式お堂を子どもの成長を祈願し、地域の家を順番に廻すもの。 お地蔵さんというのは、道端に立っているものだとばかり思っていた。「まわし地蔵」というのは、その常識をひっくり返すもので、全く想像がつかないのだが・・・。 インターネットで少し調べてみると、「廻り地蔵」という呼び方が一般的なようで、2013(平成25)年、横浜市無形民俗文化財に指定されていることが分かった。 この風習、一体どのようなものなのだろう。町内でまわす地蔵というのは、どんな形、どのくらいの大きさ? その目的は?・・・疑問は尽きない。 そこで、この風習に詳しい泉区下飯田町

    お地蔵さんを背負って町内をまわる!? 江戸時代から伝わる風習「廻り地蔵」ってなに? - はまれぽ.com 神奈川県の地域情報サイト
  • 火と穢(ケガレ)

    古来より、日では火事は宗教的犯罪の結果とみなされてきた。なんらかの罪がケガレを生み、ケガレが火災を生むという因果関係が信じられており、火はそのケガレを浄化するものと見なされていたが、一方で、火災を起こした当事者は放火であれば重大な罪を犯したと、失火であればケガレの状態に陥るとされてきた。 波平美恵子「ケガレ」によると日社会においては『火というもの、あるいは火の制御、制御の失敗ということを次のように認識してきた』(波平P198)という。 (1)火の制御(コントロール)に失敗すると、社会的かつ文化的な秩序を乱すこととみなされ、社会的に大きな犯罪を犯したことにもなるが、また当事者はケガレの状態に陥り、火事の現場や周囲もケガレの状態になる。 (2)放火によって人や器物、建物や動物を破壊し害することが許されているのは、天皇のような絶対的権力者が、自らの権威(それは神聖視されている)を脅かそうとす

    kousyou
    kousyou 2014/08/30
    blogの過去記事(2012年6月)です。
  • 若き米国人女性宣教師マーガレット・バラが見た幕末日本

    神奈川県の歴史について色々調べている過程で、図書館で幕末に日を訪れた女性宣教師の手紙をまとめたを見掛け、読んでみたら結構面白かったので軽く紹介してみる。まぁ、20年以上前ので絶版のようだし、amazon見てもランキング115万位でレビューも無し、google検索結果も約 1,950 件(うち関係するのは三ページ目までで、しかもほぼ全てネット書店)、著者マーガレット・T・K・バラについての日wikipediaページも無し、と殆ど注目されていないものなので興味がある方は図書館なり古書店なりで探してみてください。まぁ版元の有隣堂も神奈川ローカルの出版社なので、他の地域で手に入るかは不明ですが。(注1) 著者のマーガレット・テイト・キンニア・バラ(1840-1909)が夫で同じくプロテスタント宣教師のジェイムズ・ハミルトン・バラとともにアメリカから船旅で日を訪れたのは1861年11月、

    若き米国人女性宣教師マーガレット・バラが見た幕末日本
    kousyou
    kousyou 2014/08/12
    ブログの過去記事(2013年12月)です。