タグ

経済と近世に関するkousyouのブックマーク (5)

  • 近世身分制社会の社会的権力と身分的中間層 | Kousyoublog

    「重層と複合」、「分節構造」 江戸の身分制社会を解き明かす上で、その分析方法として注目されるのが身分的周縁論をリードする塚田孝氏の「重層と複合」論である。同氏は近世社会が「武士の家、百姓の村、町人の町、職人の共同組織、賤民の共同組織など」(吉田伸之2009 P12)の重層と複合から構成されているとする。「重層」とは「村々が組合村を形成したり、町々が組合町をつくったりという基礎的な社会集団が二次的三次的に集団を形成して行くような関係」であり、「複合」とは武士と町人、町人と賤民などの「異種の社会集団間の交流・関係」のことである。「近世の社会は、支配者から賤民までに及ぶ多数の社会集団が、相互に取り結ぶ無数の関係構造として全体の社会が形成される」(吉田伸之2009 P13) この塚田の「重層と複合」論を社会集団の関係構造を理解する基礎とし、吉田伸之はそこにもう一つの視点として権力秩序の「分節構造」

    近世身分制社会の社会的権力と身分的中間層 | Kousyoublog
  • 醤油の歴史 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    古代日の調味料奈良時代から平安時代にかけて、貴族たちのあいだで儀式料理として唐の饗応料理の影響を受けた大饗(饗膳)料理とよばれる事様式が形成されるが、これはたくさんの料理を並べて好みに応じて調味料をつけてべるもので、使われた調味料は塩・酢・酒・醤(ひしお)であったという。 醤とは材を塩漬けにして発酵させたもので、動物性の魚醤・肉醤と植物性の草醤・穀醤とに大別される。魚醤は魚の内蔵を塩蔵したもので後に塩辛に、草醤は野菜・果物を塩漬けにしたもので後に漬物に、穀醤は米・麦・豆などの穀類に塩を加えて発酵させるもので後に味噌・醤油へと発展した。日へはまず草醤が最初に伝わったと考えられており、記録に残る古いものとして、孝謙上皇の女官から平城宮の料担当者にあてた請求書の文面として醤・酢・末醤(みそ)が挙げられている西暦763年頃と推定される木簡や万葉集にもいくつか醤や酢が詠みこまれた歌もある

    醤油の歴史 | Call of History ー歴史の呼び声ー
  • 河村瑞賢~近世日本の大海運網を確立させた強欲商人

    序章近世の日経済史を語る上で必ず画期となされるのが、東廻り海運、西廻り海運という航路の確立である。両航路が開かれたことで「天下の台所」大阪、大消費都市江戸の繁栄を支える大物流網が整備されることになり、江戸経済繁栄の礎となった。 この両航路を開いたのが豪商・河村瑞賢である。江戸時代の商人というと近江商人などのように高い理念や思想性が話題になるが、瑞賢は全く正反対、強欲さと野心、手段を選ばぬ利潤追求の人であった。 瑞賢は元和二年(一六一八)、伊勢国度会郡東宮村(現在の三重県度会郡南伊勢町)の百姓太兵衛の長男として生まれた。河村家は自称藤原秀郷の後裔で頼朝の奥州征伐で軍功を挙げ戦国時代には北畠氏に仕えたと言うが、おそらく作り話であろう。太兵衛には男だけで九人の子があり、自ずと生計を外に求めざるを得ない貧農であった。後の瑞賢、河村十右衛門は十五歳になると江戸に出て、まず車力(大八車で荷を運ぶ運送

    kousyou
    kousyou 2014/11/19
    blogの過去記事です。豪商河村瑞賢の生涯から十七世紀の物流網の成立と市場経済の発展の歴史を俯瞰した内容です。
  • 幕末の人口統計「空白の四半世紀」に何故人口は増加に転じたのか?

    前回の記事「歴史人口学から見た江戸時代農村の結婚について」が好評だったので引き続き歴史人口学のネタを。 幕末から明治初期にかけて、人口統計資料が残っていない空白の四半世紀がある。 徳川吉宗によって1721年から6年間隔で行われるようになった全国人口調査「子午改め」は1846年を最後に打ち切りとなっており、以降江戸時代には人口調査は行われていない。1852年の調査は行われたものの1853年ペリー来航、13代将軍家慶死去など大事件が相次ぎ集計作業が中止、以後幕末の動乱へ突入したことで1858、1864は実施されたかどうかも不明であるという。次に全国調査が行われたのが明治維新政府成立後の1872年「壬申戸籍」の集計だが、この72年のデータは多くの脱漏があるなど信頼性が低く、1881年の統計まで待たねばならない。 この統計資料が無い空白の26年(35年)間は、非常に重要である。なぜなら長い停滞期に

    kousyou
    kousyou 2014/10/03
    ブログの過去記事です。
  • 「田沼意次―御不審を蒙ること、身に覚えなし」藤田 覚 著 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    十八世紀後半、江戸幕府の権力を掌握して様々な政策を断行し、通称田沼時代と呼ばれる一時代を築いた老中田沼意次(1719-1788)の評伝である。意次失脚後から現代まで脈々と続く悪徳政治家のイメージや、近年そのイメージへのカウンターとして登場した清廉な政治家としてのイメージのいずれからも距離を置いた、十八世紀後半という時代背景の中で生き、また時代をつくった田沼意次像を描いている。 田沼は、すくなくとも賄賂を受けいれている例もあり清廉潔白とは言い難いし、脇の甘さも目立つようだが、当時の多くの政治家たちも同様でもあり、特段悪質という訳ではないようだ。清廉潔白と呼ばれているような人――たとえばザ・清廉潔白な松平定信も――でも、大なり小なり贈収賄的なやりとりを行っている。そして、田沼の人柄の指摘が面白い。 当時の権力者たちに通じる特徴として、「権勢を誇らず」という点があるらしい。意次に限らず、当時の権

    「田沼意次―御不審を蒙ること、身に覚えなし」藤田 覚 著 | Call of History ー歴史の呼び声ー
    kousyou
    kousyou 2014/06/30
    blog更新。田沼意次の評伝の紹介です
  • 1