車田先生自身が「最大のスランプ」とする阿修羅編。その後半では早く次のプロ編を描きたかったのか、伏線と思われる箇所が散見されます。例えば剣崎と阿修羅の闇法師との一戦、剣崎は「来年は世界チャンピオンになる」と具体的な時期にまで言及していますし、闇法師も「プロのライセンスも取得していない・・・」などと、闘いの最中にもかかわらず、妙に現実的な話をしています。
共産党が“国辱”の烙印を押した70万円のゲーム、生ゴミ臭い『E.T.』など──小説家・赤野工作の「低評価ゲームコレクション」はビデオゲームの“裏・歴史博物館”だった 電ファミニコゲーマーでは、渡辺浩弐氏とメタフィクションについての対談をしたり、中国のゲームショウChinaJoyのリアルな姿をレポートするなど、たびたび記事に登場しては強烈なインパクトを残していく小説家、赤野工作氏(@KgPravda)。 【対談:「ゲームキッズ」渡辺浩弐×赤野工作】「そのゲームが面白くないなら、遊んでるヤツがつまらない」ゲームレビューの文学性とメタフィクションの可能性とは? その彼の小説『ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム』が6月末に発売されて久しいが、その発売記念イベントが3ヵ月後に大阪で密かに開催されていたのだ。 『ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム』は、100年後の未来から、この先100年のあい
中国では『スーパーマリオ』からマリオが消える!? パチモノゲーム界の雄・麟閣氏が目撃したアジア禁断の模倣品文化と驚愕の現地エピソード「後頭部に銃を突きつけられた」 去る9月某日、大阪のとある場所で、いかがわしさに満ちあふれたゲーム系の催しが開かれていた。その名も“麟閣的家庭用電子遊戯活動!(超級)”。 この“麟閣”というのは、この日のナビゲーターにして、日本屈指のパチモノ(模造品)ハンター・麟閣氏(@rinkaku89)のこと。じつはこの催しは、(あまり一般的には褒められたものでない)ビデオゲームのパチモノを愛でる人々が集う場だったのだ。 イベントの模様 パチモノはおもに中国などで違法に製造され、でたらめなパッケージや、でたらめな改変をくり返されて流通する。過去に中国デベロッパーへのインタビュー記事などで名前が登場しているパチモノファミコン小覇王はまさにその一例で、中国では正規にファミコン
現在、日本で流通しているアダルトビデオの数は、年間約2万タイトル。王道の美少女ものから、ひと昔前までは限られたマニアショップでしか手に入らなかった盗撮やシーメール等の極北ジャンルまで、多種多様な作品が日々生み出されており、日本は世界でも有数のポルノ大国となった。 そんな中、人知れずこの世から消えていく作品が存在することをご存知だろうか? 少し前に発売された『封印されたアダルトビデオ』(井川楊枝/彩図社)では、様々な理由でお蔵入りとなった作品が関係者の証言を交えながら紹介されている。 もちろん、多いのは15歳の少女に過激なTバックを着せ、水着越しの局部に電マを押し当てた児童ポルノや、親の承諾なしに未成年を起用した作品など、「発売禁止は当然」という封印作品だが、しかし、もっと奇妙な理由で封印された作品も多数紹介されている。 中でも凄いのが、『全裸のランチ』だ。こちらの作品は2部構成となっており
日本プロレス史上、一番はじめに入場テーマ曲を使ったのは、どの団体でしょう? 古舘伊知郎さんが、プロレス実況アナウンサーとしてはじめて入場テーマ曲を歌っています。それは誰の入場に使われたのでしょう? 1987年2月20日、中野サンプラザで行われた〈突然卍がためLIVE〉でマサ斎藤が乱入したのは何曲目のあとだったでしょうか? このような謎がすべて解決できるが、これらを知ったところで何になるのか? プロレスファンですら疑問を抱く、もっと言えばプロレスレコードに興味がない人には、何のための本であるか、さっぱりわからないだろう『1000のプロレスレコードを持つ男 清野茂樹のプロレス音楽館』(立東舎 )がリリースされた。 果たして、この本には、どのような本質が隠されているのか?著者であり、1000のプロレスレコードを持つフリーアナウンサー、清野茂樹に、その想いの丈を語ってもらった。 プロレスにまつわる
あなたは変態と呼ばれる日本酒があることを知っているだろうか?。 自分が変態系と言われる日本酒に遭遇したのは、このブログを初めて間もないころなので、随分前から存在していたのかもしれない。定義というものがあるわけではないが、概ね下記のいずれかに該当する日本酒は変態系と呼ばれるようだ。 1.酸度・アミノ酸度が変態的に高い。 2.変態的な精米歩合。 3.変態的な熟成香を伴う。 ここで注意してもらいたいのは、変態だから「まずい」と言っているわけでは決してない。むしろこの個性の虜になると、これ以外は考えられなくなるほどの圧倒的なパワーに、その日本酒の信者になってしまうほどだ。 発酵学は奥が深い。「くさいはうまい」のである。by小泉武夫先生。 画像から先生の書籍が購入できます。 さあ、あなたも変態の世界へ足を踏み入れてみましょう。 変態の世界へようこそ。
2014/02/0901:06 カテゴリ河本おさむ 河本おさむ●けちんぼ太平記 発行:昭和32年9月25日 きんらん社 なかよしまんが物語 B6判 128頁 けちんぼがテーマになっているなかなか面白い作品だ。絵は1950年代の丸っこいものだが、線に伸びが感じられていい。 きん子の兄・万吉は貧乏で死んでしまった父の遺言を守り、けちんぼうに徹する。短くなるまで使った鉛筆の芯がおれたら、もとのあなへいれてさらに使う。きん子をしかろうと手をあげたが、けがでもしたら医者代がもったいない。あげた手はさげるのがもったいないので、その手を使う仕事があるまでおろさない。この時は客が店にきて棚のかつおぶしをとる用事ができるまでおろさなかった。 きん子にとって一番つらいのは、ごはんをいっぱい食べさせてくれないことだ。運動会、得意な百メートル走は二等だった。一等だと鉛筆三本もらえるのにと万吉はきん子をしかる。私は
2024.03.10 音楽グルメという流儀 カテゴリ:音楽グルメという流儀 音楽グルメという流儀 1.音楽グルメという流儀 音楽における美食家又はグルメに相当する言葉は何だろうか?グルメ漫画「美味しんぼ」における海原雄山のように、私は長年至極の音楽を愛好し求めて止みませんが、それを指す良い言葉が浮かびません。音楽通という言葉は、幅広く深い知識の持ち主という感じだし、音楽愛好家だと意味が広すぎて散漫過ぎる。コレクターは意味も志向も違う、至極の音楽の求道者だとプレイヤーを指す感じ。「至極の音楽を愛好し、求めて止まない」この流儀は、ちょっと言葉の響きはいまいちですが『音楽グルメ』と呼ぶのが一番しっくりくる気がします。料理や食事の楽しみ方が人それぞれであるのと同様、音楽の楽しみ方も人それぞれです。そこで『音楽グルメ』などと言うと、心温かい良心的な、あるいは一般の音楽ファンからは相当嫌われそうですね
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。 エーリヒ・フォン・マンシュタイン著の「マンシュタイン元帥自伝 一軍人の生涯より」を読破しました。 この1年半の間にマンシュタイン本が2冊も出版されるという異常事態。 ひとつは上下巻の伝記である「ヒトラーの元帥 マンシュタイン」、 もう一冊が1ヶ月ほど前に出た560ページの回想録です。 マンシュタインの回想録といえば「失われた勝利」がよく知られていますが、 あちらは1939年のポーランド戦から、すなわち第2次大戦に特化した回想録であり、 こちらはそれ以前、生い立ち~第2次大戦前まで・・というわけですね。 陸軍参謀本部でNo.2となり、また同僚らから「傲慢な性格」といった評価もあるなど、 特に平時の参謀本部の様子、有名軍人らの軋轢が赤裸々に・・、 なんてのをついつい期待してしまいます。 「序章」は生い立ちから。 1887年11月24日、エドゥアルト・フォン・
2020年04月14日22:38 カテゴリ読んだ本 「最後の読書」Tweet 以下は、2016年に週刊朝日の書評欄コラム「最後の読書」に寄稿した文章。 「最後の読書」はタイトル通り「人生の最後に読みたい本」をめぐるエッセイで、本を選び、なぜその本なのかについて書く、というものだった。 なかなかおもしろい依頼だったで、熱を入れて書いたんだけど、凝りすぎて「エッセイ」ではなくなってしまった(そのせいで、あまり評判が良くなかった)。 ともあれ、自分では気に入っているのでここに載せておこう。出だしの一文、9文字だけで、ぼくが選んだ最後の一冊が何か分かる人もいるだろう。 ノックの音がした。 はじめそれをノックだとは思わなかった。ふつう訪問者はチャイムを鳴らす。もう一回こんどははっきりと扉を叩く音がして、はて、と思いながらドアスコープを覗いた。そこには父が立っていた。 どうしたの急に、とドアを開けると
ちびまる子ちゃんマンホールです。 2023年度には、他にも市内にいくつものちびまる子ちゃん マンホールが設置されました。
1978年2月28日、3月1日の公演が正式に録音されたテープからレコードが発売されるなんて、21世紀も捨てたもんじゃありません。(似たようなリリースがあるたびにそう思います) 初来日公演は、フルートぴろぴろのアレンジがロックファン一般に気に入られなかったか、年越し前に正式なライヴ・アルバムがリリースされたためか、いろんな理由があったと思うのですが、アナログ時代には日本公演のブートレッグは皆無でした。西新宿にあったあのKINNIEもボブのブートは作りませんでした。海外では3月のオーストラリア公演、6月のロス公演、6~7月のヨーロッパ公演が、その思い出が消えないうちにいくつもリリースされているんですけどね。 日本公演からは、ただ、2/28の〈Reposession Blues〉のみ、1983年にリリースされた《Nearer To The Fire》と、1985年にリリースされた《Don't S
色:白(ワッカ部分)、グレー(ストラップ部分)形状:丸長さ:短い状態:かなりの使用感。コメント:極めてスタンダードなつり革。そのぶん安心感があります。2017年頃撮影。ミカミ11車両 モハ415-122大分駅。...
以前に取り上げたasayamは勢いがあったのか、一年後に女の子向けのストリートファッション誌を発行したようです。 「ようです」と頼りない言い方をしているのは、そのデビュー号を持ってた割には、あまり購入したときのことを覚えていないのからなのです。 あ、ちなみに「asayan 創刊号」オークションhttp://www.guruguru.net/auction/shop/taikendon/を通じて購入いただきました。ありがとうございます。 で、その当時の「今、いちばん熱い女の子のためのストリートマガジン」が、この「Style On the Stree」。略してS.O.S.ですよ。 かっこいいネーミングセンスだと思います。 パラパラとめくるとよくできてるんですよ、これが、サーフン、クラブ、ストリートとラフな感じだけどバランスの良い、不良感薄めな良い温度感で眺めてられるウですよね。 1995年の夏
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