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プロレスに関するakihiko810のブックマーク (503)

  • 町山智浩『アイアンクロー』を語る

    町山智浩さんが2024年4月2日放送のTBSラジオ『こねくと』の中で映画『アイアンクロー』について、話していました。 (町山智浩)まあ、そういう、いろいろ考えさせられるる恋愛映画が『パスト ライブス/再会』なんですけど。もう1は全然違う映画で。『アイアンクロー』というプロレス映画です。はい。 (曲が流れる) (町山智浩)もう曲の雰囲気も全然違うんですけども。これね、『アイアンクロー』っていうのは「鉄の爪」っていう意味なんですよ。で、これはフリッツ・フォン・エリックという往年の、第二次世界大戦ぐらいからずっとやっていたレスラーがいまして。日にも来て、ジャイアント馬場さんと戦ってたりしているんですが。この人の必殺技がアイアンクローなんですね。この人、フリッツ・フォン・エリックっていう人はものすごく体でかくて。2mぐらいあって。で、手がでかくて、握力がすごくて。リンゴを握りつぶしたり、電話帳

    町山智浩『アイアンクロー』を語る
  • 「あんなに元気だった子が、なんで…って」練習中に同期選手が急逝…元女子プロレスラー・西脇充子が明かす「22歳で引退を決意した理由」(伊藤雅奈子)

    クラッシュ・ギャルズ(長与千種&ライオネス飛鳥)やダンプ松を中心とした極悪同盟で、女子プロレスが社会現象と呼ばれる大ブームを起こしていた1985年。西脇充子は、その年に全日女子プロレス興業(以下、全女)のオーディションに一発合格した。同期は宇野久子(のちの北斗晶)、現役続行の通算キャリアとしては女子マット界最長となる堀田祐美子など、15人もいた。 現在は、浅香山部屋の女将さん。親方で夫、元大関・魁皇の浅香山博之さんとともに弟子を育てて、部屋を切り盛りする。美人女将が振り返る、女子プロ黄金期とは。《NumberWebインタビュー全3回の初回》 ◆◆◆ 西脇 いい時代にプロレスをやらせてもらいましたよ。あの時代が、今の私を生かしているって感じ。ひと握りの人しか女子プロレスラーになれない時代でね。私の代で3000人以上の書類審査からオーディションに受かったのは10人。その後の補欠合格で、最終

    「あんなに元気だった子が、なんで…って」練習中に同期選手が急逝…元女子プロレスラー・西脇充子が明かす「22歳で引退を決意した理由」(伊藤雅奈子)
  • 「ボノちゃん」から電流爆破マッチまで…横綱・曙はなぜリングに上がり続けたのか? カメラマンが見た“心やさしい愛妻家”のプロレス時代(原悦生)

    曙太郎はニコッと笑って、ビールが注がれた大きなジョッキの中に小さなグラスをポトンと落とすと、一気に飲み干した。小さなグラスの中には眞露が入っていた。 それを見ていたスポーツ紙の記者が「ボクも」と近寄って横綱に挑んできた。「止めとけばいいのに」と思った。体の大きさは3倍以上も違う。勝てるはずもない。一緒に飲んでみたかっただけなのだろうけど。

    「ボノちゃん」から電流爆破マッチまで…横綱・曙はなぜリングに上がり続けたのか? カメラマンが見た“心やさしい愛妻家”のプロレス時代(原悦生)
  • 「なにをコラァ、お前っ」前田日明ブチギレ“伝説の控え室ボコボコ事件”…29年前のあの日、何が起きたのか? 坂田亘の対戦相手が証言する真相(細田昌志)

    「なにをコラァ、お前っ」プロレスラー前田日明が殴る蹴るの鉄拳制裁……ネット上で有名になった“伝説の控え室ボコボコ事件”。29年前のあの日、何があったのか? ボコボコにされた坂田亘はどんな試合をしたのか? 坂田の対戦相手だった鶴巻伸洋が証言する、あの日の真相。そして、あの日を迎えるまでの波乱万丈の人生。【全3回の第1回/第2回、第3回も公開中】 ◆◆◆ 「有名動画」という言葉がある。SNSなどを通じて広く拡散された動画のことだが、芸能人やアスリート、ユーチューバーに負けじとプロレス・格闘技におけるそれも、なかなか豊富である。修斗創始者・佐山聡の合宿での例の動画や、長州力と橋真也の「タココラ問答」がそれに該当するが、衝撃の大きさだけで言えば、前田日明の「坂田亘暴行動画」が一番かもしれない。マニア以外でも一度は目にしたことがあるのではないか。 前田日明、人に聞いた真相 1995年5月20日、

    「なにをコラァ、お前っ」前田日明ブチギレ“伝説の控え室ボコボコ事件”…29年前のあの日、何が起きたのか? 坂田亘の対戦相手が証言する真相(細田昌志)
  • 曙の本当の全盛期をあなたは知らない|伊野尾宏之

    曙太郎が亡くなった。54歳だった。ずっと前から闘病生活していると聞いていたが、報道によれば7年だったという。 人も、周りもずっと大変だったと思う。 曙といえば大相撲、横綱のイメージだろう。 日の伝統的な、縦社会の格闘技ともスポーツとも神事とも違う独自の競技に異国のハワイからやってきて入団、横綱(第64代)に登り詰めた。 引退後は曙親方として後進の指導に当たっていたが、K-1石井館長の説得で総合格闘技に転身。 2003年大晦日に当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったボブ・サップと格闘技ルールで対戦して、KO負けしたのを覚えておられる方も多いだろう。 その後しばらく格闘技をやったものの結果が出ず、2005年にプロレスデビュー。 以後全日、新日、ハッスルなど各団体に出場した。 けれど大半の人には「曙、そういえばプロレスもやってたよね」くらいの認識しかされていないと思う。 今回、曙が亡くなったので、

    曙の本当の全盛期をあなたは知らない|伊野尾宏之
    akihiko810
    akihiko810 2024/04/15
    曙の全盛期は、2013年ごろから2015年くらいにかけての全日本プロレス時代
  • アントニオ猪木と倍賞美津子 1億円の結婚式、借金、浮気、離婚……ビッグカップルの仰天エピソード

    2022年10月13日、アントニオ猪木の通夜が行われた。戒名は「闘覚院機魂寛道居士(とうがくいんきこんかんどうこじ)」。猪木の代名詞でもある「闘魂」や名の「寛至」などが刻まれた猪木らしい戒名である。 アントニオ猪木死去が報じられたとき、悲嘆に暮れる中でふと頭によぎったのは、ミッコこと、女優・倍賞美津子のことだった。プロレスファンであれば今さら説明するまでもないが、猪木の元である。 古今東西、アスリートと女優のビッグカップルは数あれど、アントン&ミッコほど華があってお似合いの夫婦は他にいないと思っている。 倍賞は、猪木のことをアントンと呼んでいた。アントン&ミッコのエピソードはどれも素敵で、我がことのように嬉しい気持ちになったものだ。 倍賞美津子なくして、黎明期の新日プロレスは存続しえない 1960年代後半、ジャンルは違うものの若手の有望株として注目されていた2人。1971年3月26日

    アントニオ猪木と倍賞美津子 1億円の結婚式、借金、浮気、離婚……ビッグカップルの仰天エピソード
  • 「あんなに元気だった子が、なんで…って」練習中に同期選手が急逝…元女子プロレスラー・西脇充子が明かす「22歳で引退を決意した理由」(伊藤雅奈子)

    クラッシュ・ギャルズ(長与千種&ライオネス飛鳥)やダンプ松を中心とした極悪同盟で、女子プロレスが社会現象と呼ばれる大ブームを起こしていた1985年。西脇充子は、その年に全日女子プロレス興業(以下、全女)のオーディションに一発合格した。同期は宇野久子(のちの北斗晶)、現役続行の通算キャリアとしては女子マット界最長となる堀田祐美子など、15人もいた。 現在は、浅香山部屋の女将さん。親方で夫、元大関・魁皇の浅香山博之さんとともに弟子を育てて、部屋を切り盛りする。美人女将が振り返る、女子プロ黄金期とは。《NumberWebインタビュー全3回の初回》 ◆◆◆ 西脇 いい時代にプロレスをやらせてもらいましたよ。あの時代が、今の私を生かしているって感じ。ひと握りの人しか女子プロレスラーになれない時代でね。私の代で3000人以上の書類審査からオーディションに受かったのは10人。その後の補欠合格で、最終

    「あんなに元気だった子が、なんで…って」練習中に同期選手が急逝…元女子プロレスラー・西脇充子が明かす「22歳で引退を決意した理由」(伊藤雅奈子)
  • 毒家族に生まれて 映画『アイアンクロー』“男らしさ”が奪った息子たちの命|エスクァイア日本版

    akihiko810
    akihiko810 2024/04/06
    映画『アイアンクロー』“男らしさ”にこだわる毒親が奪った息子たちの命
  • 映画『アイアンクロー』公開!〝鉄の爪王国〟の生き証人、ザ・グレート・カブキが語る「呪われた一家」の真実 - スポーツ - ニュース

    週プレNEWS TOPニューススポーツ映画『アイアンクロー』公開!〝鉄の爪王国〟の生き証人、ザ・グレート・カブキが語る「呪われた一家」の真実 80年代初頭、フリッツ・フォン・エリック率いるテキサス州ダラスのWCCWでペイントレスラーになり大ブレイクしたザ・グレート・カブキ 日でも活躍したプロレスラー、〝鉄の爪〟フリッツ・フォン・エリックとその息子たちの実話を基にした映画『アイアンクロー』が、4月5日からTOHOシネマズ日比谷ほかで全国公開される。 フリッツ・フォン・エリックといえば、必殺技アイアンクローを武器に、1960年代から70年代にかけて全盛期のジャイアント馬場らと名勝負を展開した名レスラー。アメリカ・テキサス州ダラスでは自身の団体WCCW(ワールド・クラス・チャンピオンシップ・レスリング)も運営。80年代前半には、次男ケビン、三男デビッド、四男ケリーらの活躍もあって全米屈指の人気

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  • プロレスTODAY | 楽しめるプロレスニュースサイト

    ストロングスタイルプロレス(SSPW)は12月7日(木)、東京・後楽園ホールにて『初代タイガーマスク ストロングスタイルプロレスVol.27 ―力道山先生没60年追悼興行―』を開催した。 『初代タイガーマスク ストロング...

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  • “邪道姫”工藤めぐみのプロレス人生 | プロレスTODAY

    【WEEKEND女子プロレス♯4】 写真:新井宏 “邪道姫”のニックネームでプロレス界に絶大なインパクトを残した工藤めぐみ。しかし、意外にもレスラーとしての実働期間は10年にも満たない。1986年8月に全日女子プロレスでデビューし一度はプロレス界から去ったものの、FMWで復活を遂げてからは日で初めての男女混合試合をおこない、対抗戦時代には団体の看板を背負い、女子レスラーとして初めての有刺鉄線デスマッチにも進出、引退試合では電流爆破デスマッチで壮絶な最後を飾った。大仁田厚の団体で活躍しただけに復帰してもよさそうなものだが、彼女は一度もリングに戻ることなく、それでいて大好きなプロレスとは関わり続け、現在はZERO1のGMを務めている。引退からもすぐ27年という工藤に、現役生活を振り返ってもらった。 「プロレスラーになろうと思ったきっかけは、クラッシュギャルズのブームがきたときですね。子ども

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  • 東京でブーイングを浴び続けたプロレスラーが、「社長」というビッグカムバックを果たすまで|棚橋弘至さん【上京物語】 - SUUMOタウン

    インタビューと文章: 榎並紀行(やじろべえ) 写真: 小野奈那子 進学、就職、結婚、憧れ、変化の追求、夢の実現――。上京する理由は人それぞれで、きっとその一つひとつにドラマがあるはず。地方から東京に住まいを移した人たちにスポットライトを当てたインタビュー企画「上京物語」をお届けします。 ◆ ◆ ◆ 今回の「上京物語」に登場いただくのは、プロレスラーの棚橋弘至さんです。 2023年12月、新日プロレスリングの11代目代表取締役社長に就任した棚橋選手。創設者のアントニオ猪木さん、二代目の坂口征二さん、三代目の藤波辰爾さん以来、19年ぶりの「プロレスラー社長」として話題を集めています。 プロレスと出合ったのは、岐阜県大垣市で過ごしていた中学時代。大学で学生プロレスにのめり込み、ついには上京して、世田谷区野毛にある新日プロレスの門をたたきます。 「上京してから辛いこともたくさんあった」という棚

    東京でブーイングを浴び続けたプロレスラーが、「社長」というビッグカムバックを果たすまで|棚橋弘至さん【上京物語】 - SUUMOタウン
  • 昭和の巌流島が21世紀にもたらした新たなる名著「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」 - 挑戦者ストロング

    クソ忙しい中、寝る間を削って増田俊也さんの「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」を読んだ。ゴン格連載時からちょくちょく読んではおったのだが、単行で通して読んでみるとこれはやはり堂々たる大著であり、今後柔道史・総合格闘技史を語る上での基準となるべき、極めて重要な書物であった。要するにクソ面白いのである。 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか 作者:増田 俊也新潮社Amazon 柔道史に関して高専柔道と大日武徳会を大きくとりあげ、講道館中心史観を覆す柔道観を、総合格闘技隆盛の現代からの視点で提示しているのが素晴らしい。しかしこういうことを書いたは他にもあって、たとえば真神博という人の書いた「ヘーシンクを育てた男」は武専出身の気骨あふれる柔道家、道上伯の生涯を描いて鮮やかだ。「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」が面白かったという人には、是非読んでほしい名著である。読んだ当時の感

    昭和の巌流島が21世紀にもたらした新たなる名著「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」 - 挑戦者ストロング
  • ミスター珍と、力道山 - 挑戦者ストロング

    1994年刊ミスター珍が亡くなる前年に刊行された著書、「万病息災 糖尿地獄からの生還」を読む。こんなが出ていたことは全然話題にならなかったし、こんなを読んだのは流智美と吉田豪とGスピ編集部ぐらいなんじゃないかと思う。タイトル通りミスター珍の長年にわたる闘病の記録であり、しかし日プロレスや国際プロレスの貴重な記録、歴史の証言でもある。正直言ってこのはメチャクチャ面白かった。君たちも探して読みたまえ。 ミスター珍については、一度ここに書いたことがある。 pencroft.hatenablog.com 今回はこのから、珍さんと力道山の出会いについて紹介したい。これでさえ、このの面白さの100分の1にすぎないのであるが。 リキさんは、プロレスラーにショー的な要素だけではなく、物の強さを要求する人でした。それが形になって現れたのが昭和31年に東京・人形町の日プロレスセンター、通称”力

    ミスター珍と、力道山 - 挑戦者ストロング
  • 『エリック一家を描いた『アイアンクロー』がドキュメンタリーではなく映画である理由』

    BGM:Survivor『Eye Of The Tiger』 昨年の『アントニオ猪木をさがして』、現在公開中の『無理しない ケガしない 明日も仕事! 新根室プロレス物語』に続き4月5日よりプロレスを題材とした作品『アイアンクロー/原題:THE IRON CLAW』が全国ロードショー封切りとなる。12月22日より北米2774館で公開されるや3日間で505万ドル(約7億4200万円)のゲートをはじき出し、初登場で興行ランキング6位に。観客の満足度も96%と高評価された実績を引っさげて“来日”を果たす。 熱心なプロレスファンでなくともアイアンクロー(鉄の爪)がフリッツ・フォン・エリック、あるいはその家族を表す技名であるのは知っているだろう。この一家の歴史については、日人が想像する以上にアメリカ国民の中へ深く刻まれた80年代の出来事なのだと、前述した数字を見るにつけ推測できる。 スポーツエンタ

    『エリック一家を描いた『アイアンクロー』がドキュメンタリーではなく映画である理由』
  • 「新幹線プロレス」の次は、渋谷のスクランブル交差点!?  高木三四郎が明かす実現までの裏側「動画や画像でのプレゼンから始めた」

    webスポルティーバその他競技格闘技プロレス「新幹線プロレス」の次は、渋谷のスクランブル交差点!?  高木三四郎が明かす実現までの裏側「動画や画像でのプレゼンから始めた」 サイバーファイト代表取締役社長 高木三四郎インタビュー 前編 9月18日、東京から名古屋に向かう新幹線のぞみ号(16両目)でプロレスの試合が行なわれた。その名も「新幹線プロレス」――。このニュースは日テレビ各局だけでなく、『ABC』や『BBC』など海外のメディアに大きく取り上げられ、世界中を賑わせた。 新幹線の車内で闘った高木三四郎(右)と鈴木みのる(写真提供/DDTプロレスリング)この記事に関連する写真を見る 仕掛け人は、サイバーファイト代表取締役社長であり、現役レスラーでもある高木三四郎。JR東海とJTBが展開している「貸切車両パッケージ」のニュースを見た高木は、すぐさま新幹線プロレスの企画を提案。「走行中に座席

    「新幹線プロレス」の次は、渋谷のスクランブル交差点!?  高木三四郎が明かす実現までの裏側「動画や画像でのプレゼンから始めた」
  • アントニオ猪木vs“熊殺し”ウィリーの異種格闘技戦は“大乱闘寸前”の決闘に…舞台裏では「反則負けでいいから、腕でもヘシ折ってやれ!」(堀江ガンツ)

    10月1日に逝去した名レスラー、アントニオ猪木。1970年代、新日プロレスと空手の極真会館の“二大勢力”によって牽引された格闘技ブームは、猪木出場の“ある試合”によってフィナーレを迎えた。『闘魂と王道 昭和プロレスの16年戦争』(ワニブックス刊)より、「1980 昭和格闘技ブームのクライマックス 殺気に満ちた猪木vs熊殺しウィリー」の章を抜粋して掲載する。“最強”同士が激突した一戦は、いかにして実現したのか――。《全2回の前編/後編につづく》 2000年代、日で格闘技ブームが巻き起こった。K-1やPRIDEが人気を博し、大晦日には紅白の向こうを張って、民放テレビ局がこぞって格闘技番組を放送していた。しかし70年代後半、それよりも遥かに殺気に満ちた格闘技ブームがあったことを、昭和のプロレスファンなら覚えていることだろう。 その70年代格闘技ブームの牽引したのが、“燃える闘魂”アントニオ猪

    アントニオ猪木vs“熊殺し”ウィリーの異種格闘技戦は“大乱闘寸前”の決闘に…舞台裏では「反則負けでいいから、腕でもヘシ折ってやれ!」(堀江ガンツ)
  • 「おい、張本おれへんのか」“大阪で一番ケンカが強い”張本勲との決闘未遂…大阪のヤンチャな高校生がアントニオ猪木と同門レスラーになった日(細田昌志)

    この頃「大阪で一番喧嘩が強い」と呼ばれたのが、浪華商業高校の野球部で名を馳せていた張勲(現・野球解説者)だった。梅田の駅前で浪商の生徒を見かけると「おい、張はおれへんのか」と片っ端から声をかけた。

    「おい、張本おれへんのか」“大阪で一番ケンカが強い”張本勲との決闘未遂…大阪のヤンチャな高校生がアントニオ猪木と同門レスラーになった日(細田昌志)
    akihiko810
    akihiko810 2023/12/31
    力道山の直弟子で存命なのは、実際は直弟子はもう一人いる。プロレスラーではない。元プロボクサー「琴音竜」こと琴音隆裕(82歳)である。
  • 「オカダ戦でケガをしてなかったら、辞めていた」生存率18%からの復帰、柴田勝頼が“心の師”天龍源一郎に明かした闘病後の本音《対談実現》(堀江ガンツ)

    柴田勝頼にとって天龍源一郎は「心の師」でもある。両者の関係は、2004年に天龍が外敵として新日プロレスに参戦した際、まだキャリア5年の柴田とシングルで対戦した時にさかのぼり、天龍は当時をこう振り返る。 「デビューしてまだ数年のアンちゃんが、俺の顔面を蹴り上げて、グーパンチ入れて来たから、頭にきてビール瓶で頭をかち割ってやったんだよ。それでもあいつは平然と向かって来たから、その時、『この野郎、いい根性してるな』と思ってね。そこから柴田という選手に対して、俺自身興味を持つようになったんだ」 天龍vs柴田のシングルは、’04年だけで3度実現。この闘いの中で、「新日所属ではない天龍さんから、プロレスのなんたるかを教えてもらった」という柴田は、新日の外にも闘いを求めるようになり、翌’05年に退団。フリーを経て総合格闘技にも参戦後、’12年8月に新日に復帰すると、団体創業者アントニオ猪木流の「

    「オカダ戦でケガをしてなかったら、辞めていた」生存率18%からの復帰、柴田勝頼が“心の師”天龍源一郎に明かした闘病後の本音《対談実現》(堀江ガンツ)
  • 町山智浩『カサンドロ リング上のドラァグクイーン』を語る

    町山智浩さんが2023年9月19日放送のTBSラジオ『こねくと』の中で実在のルチャリブレのレスラー、カサンドロの生涯を描いた映画『カサンドロ リング上のドラァグクイーン』を紹介していました。 (町山智浩)ということで今日はね、やっぱり差別についての話ではあるんですけれども。プロレス映画のお話をします。これから、Amazon Primeの方で22日から配信が始まって日でも見れるようになる『カサンドロ』というタイトルのプロレス映画について、紹介します。 (でか美ちゃん)ああ、この曲は……。 (町山智浩)はい。これ、そのプロレスラーのカサンドロさんのリングに入る時のテーマソングとして使われてる『Call me』なんですけれどね。これ、実話の映画化ですね。メキシコのプロレスラーでカサンドロという人がいて。この人はゲイのプロレスラーとして、初めてメキシコでチャンピオンになった人なんです。で、実はそ

    町山智浩『カサンドロ リング上のドラァグクイーン』を語る