ローリング・ストーンズの“忘れられた”リーダーの悲劇「俺のバンドを取られちまった」――『ROLLING STONE ブライアン・ジョーンズの生と死』 相澤冬樹のドキュメンタリー・シアター
ミック・ジャガーとキース・リチャーズが初めて出会ったのは、1950年代初頭のウェントワース小学校だった。当時、彼らは大の仲良しではなかったが、歴史上最も偉大なソングライティングの相棒の一組となる種は蒔かれていた。それから早60年、グリマー・ツインズは新たなアルバムをリリースしている。ここでは絶対に外すことのできない10曲の名曲を御紹介する。 10位 “Loving Cup” ザ・ローリング・ストーンズがカントリー、ソウル、ブルースをブレンドして新しい独自のサウンドにしてしまう好例と言える名作だろう。ニッキー・ホプキンスによる陽気なピアノのイントロは間違いなくハイライトだが、生々しく感情の入ったミック・ジャガーのリード・ヴォーカルも最高の部類だ。マーティン・スコセッシが手掛けたライヴ映像作品『シャイン・ア・ライト』よりジャック・ホワイトとのデュエットを観てほしい。 9位 “All Down
ザ・ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)が、18年ぶりとなる新作スタジオ・アルバム『Hackney Diamonds』を2023年10月20日に発売することを発表した。 この発売を記念して彼らの過去の名曲を振り返る記事を連続して掲載。 <関連記事> ・ストーンズ、18年振りのスタジオアルバム『Hackney Diamonds』を10月に発売 ・ザ・ローリング・ストーンズが18年振りの新作発表会見で語ったこと 未発表音源を拾い上げたアルバム 1981年の終わりにワールド・ツアーを控えていたザ・ローリング・ストーンズは、スタジアム級の会場ばかりを回る同ツアーを宣伝するためにも、新たなアルバムの制作を進めていた。だが、そのとき企画されていた新作は彼ら史上初めて、新曲が一つもないスタジオ・アルバムだった。彼らは過去のテープを掘り起こし、忘れられていた楽曲の数々を蘇らせよう
ザ・ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)が、18年ぶりとなる新作スタジオ・アルバム『Hackney Diamonds』を2023年10月20日に発売することを発表した。 この発売を記念して彼らの過去の名曲を振り返る記事を連続して掲載。 <関連記事> ・ストーンズ、18年振りのスタジオアルバム『Hackney Diamonds』を10月に発売 ・ザ・ローリング・ストーンズが18年振りの新作発表会見で語ったこと 1960年代前半のザ・ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)の作品に政治色はあまり感じられなかった。その時期に発表された数々のアルバムやシングルは、心と身体、そして魂について歌ったものがほとんどだった。 だが1968年にミック・ジャガーがロンドンでのベトナム戦争反対デモに参加し、アメリカやフランスでも同様の反対運動が起きているのを見た頃
ザ・ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)が、18年ぶりとなる新作スタジオ・アルバム『Hackney Diamonds』を2023年10月20日に発売することを発表した。 この発売を記念して彼らの過去の名曲を振り返る記事を連続して掲載。 <関連記事> ・ストーンズ、18年振りのスタジオアルバム『Hackney Diamonds』を10月に発売 ・ザ・ローリング・ストーンズが18年振りの新作発表会見で語ったこと ブライアン・ジョーンズの死 ザ・ローリング・ストーンズはそれまで6年間にわたってスキャンダルと賛否両論の渦の中にあった。それでもなお、1969年は彼らにとって過去最高にドラマチックな年だったと言って間違いない。 やがて『Let It Bleed』のタイトルでリリースされるアルバムのレコーディング・セッションは既に始まっていたが、ほとんどのセッションに、ギタリス
ザ・ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)が、18年ぶりとなる新作スタジオ・アルバム『Hackney Diamonds』を2023年10月20日に発売することを発表した。 この発売を記念して彼らの過去の名曲を振り返る記事を連続して掲載。 <関連記事> ・ストーンズ、18年振りのスタジオアルバム『Hackney Diamonds』を10月に発売 ・ザ・ローリング・ストーンズが18年振りの新作発表会見で語ったこと ・ピート・タウンゼントによる“ロックの殿堂”紹介スピーチ掲載 1年という期間があれば、さまざまなことが起こるものだ。1967年、“サマー・オブ・ラヴ”が色鮮やかに花開くと、万華鏡のように目くるめく楽曲の数々がその文化を彩った。そしてそういった楽曲群は、複雑なサウンドと現実離れした世界観によって、五感を刺激するドラッグの幻覚状態を再現していた。 この年、ジェファ
映画『ワン・プラス・ワン』は、ローリング・ストーンズのレコーディング風景を捉えた1968年の音楽ドキュメンタリーだ。((C) CUPID Productions Ltd. 1970) 巨匠ジャン=リュック・ゴダール監督が、ザ・ローリング・ストーンズのレコーディング風景を捉えた1968年の音楽ドキュメンタリー映画『ワン・プラス・ワン』が、大島依提亜によるデザインの新規仕様(7インチサイズのレコード風ジャケット)でBlu-rayリリースされる。特典として禁断の改編版『Sympathy For The Devil』本編映像、貴重な非売品ポスターを封入。本作の見どころを、荒野政寿(「クロスビート」元編集長/シンコーミュージック書籍編集部)に解説してもらった。 今回Blu-ray化されたジャン=リュック・ゴダール監督の『ワン・プラス・ワン』は、音楽ファンにはザ・ローリング・ストーンズの名曲「悪魔を憐
1967年にザ・ローリング・ストーンズの『Their Satanic Majesties Request』をクリスマス・プレゼントとしてもらったファンの多くは、このアルバムを聴いてショックを受けたに違いない。制作中は『Cosmic Christmas』という仮のタイトルが付けられていたこのアルバムは、彼らを世界的に有名にした1964年のデビュー作のブルース風ロックとはまるで違う作品だった。 『Their Satanic Majesties Request』は1967年12月8日にリリースされ、20枚以上あるザ・ローリング・ストーンズのスタジオ・アルバムの中でも珍しく、50年経った今でも最も賛否両論がある作品と言えるかもしれない。 <関連記事> ・ローリング・ストーンズ『Tattoo You (刺青の男)』40周年記念盤発売 ・チャーリー・ワッツが80歳で逝去。その功績を辿る ・米編集盤『H
<不朽のストーンズの不動のメンバー、チャーリー・ワッツが80歳で死去。唯一無二のドラマーに捧げる別れの歌> 「テクニックで世界一のドラマー」に選ばれるはずのない男――8月24日に80歳で死去したローリング・ストーンズのかけがえのないメンバー、チャーリー・ワッツはそんなミュージシャンだった。 ドラム技術は第一級ながら平凡で、テンポ感はメトロノームの正確さとは程遠かった。だが音楽、特にロックンロールは不思議なもの。客観的には欠点でしかない特徴が、ワッツの偉大さを形作る上で不可欠の要素になったのだから。 ワッツは音楽性全体が各部の総和をはるかに超えるドラマーで、世界で最も偉大なロックバンドの魂を構成する並外れた一部だった。 ストーンズが初めてシングルを発表したのは1963年。当時、ロックンロールとリズム・アンド・ブルース(R&B)は音楽的観点から言えば、ほぼ未分化だった。ジャズから音楽の道に入っ
チャーリー・ワッツ、2013年撮影(Photo by Andy Sheppard/Redferns/Getty Images) 8月24日に亡くなったチャーリー・ワッツを追悼。ジャズからの影響と尊敬するドラマー、史上最長クラスのキャリア、ミック・ジャガーやキース・リチャーズへの信頼などについて語った2013年の秘蔵インタビューを公開する。 【画像を見る】ローリング・ストーンズ、ビル・ワイマンが撮った知られざる素顔(写真ギャラリー) 2013年、ローリング・ストーンズが50周年記念ツアーの再開に備えていた頃、筆者は本誌記者として彼らを取材した。ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、ロン・ウッドには過去にインタビューしていたが、チャーリー・ワッツと腰を据えて話したことはなかった。長い間、彼とジャズについてじっくりと語ってみたいと思っていた筆者にとって、これは願ってもない機会だった。しかし、筆者
ブライアン・ジョーンズがもしまだ生きていたならば、2022年2月28日で80才になることになる。1969年7月3日に彼は27才という若さで亡くなってしまった。彼はザ・ローリング・ストーンズの初期の7年間バンドに在籍し、彼のバンドにおける重要性は過小評価することはできない。困難な人生ではあったものの、彼は常に革新者であり、音楽に対する彼の影響は認めざるを得ないのである。 ブライアン・ジョーンズは英国で初めてスライド・ギターを演奏した1人であり、ザ・ローリング・ストーンズ結成時の彼とバンド・メンバーは、心からブルースを愛していた。特にバンド結成初期における彼のミュージシャンシップ、ファッション・センスやヘアスタイルは男女を問わず大西洋を挟んで両側の国のバンド達にコピーされていた。 本名ルイス・ブライアン・ポプキン・ジョーンズは1942年2月28日にグロスタシャー州、チェルトナムのパーク・ナーシ
『オン・エア』発売記念企画 年代別ストーンズLIVEの目撃者たち ストーンズ初のBBC音源作品『オン・エア』の発売を記念して1962年にバンドを結成して以来、2017年の現在に至るまでライヴ活動を続けているストーンズのLIVEの魅力を実際に見ている方々の言葉で語っていただく本企画。 総括編その2。 元レコード・コレクターズ編集長であり、ストーンズ研究の第一人者である寺田正典氏が語る、世界最高のロック・バンド、ザ・ローリング・ストーンズのライヴ変遷のその2。 お楽しみください。 寺田正典(総括編) 世界最高のロック・バンド、ザ・ローリング・ストーンズのライヴ変遷(その2) 1970年代前半(1971~1973年) ~ギター・バンドとしてのストーンズ・サウンドの確立~ すでに70年ツアーから元デラニー&ボニーのホーン・セクション、ボビー・キーズ(sax)、ジム・プライス(tp)を加えてライヴを
『オン・エア』発売記念企画 年代別ストーンズLIVEの目撃者たち ストーンズ初のBBC音源作品『オン・エア』の発売を記念して1962年にバンドを結成して以来、2017年の現在に至るまでライヴ活動を続けているストーンズのLIVEの魅力を実際に見ている方々の言葉で語っていただく本企画。 第3回目は池田祐司氏。 現在、日本ローリング・ストーンズ・ファンクラブ会長を務める池田氏が目撃した1973年に行われたヨーロピアン・ツアーのロンドン公演。 お楽しみください。 池田祐司(1973) 来日中止を受けてヨーロピアン・ツアーに参戦 ―1973年のヨーロピアン・ツアーがストーンズのライヴ初体験でいらっしゃるんですね。 そうですね。私は当初、ファンクラブの会員でした。72年11月に来日公演(1月28日~31日、2月1日)が決まって日本中が大騒ぎになったんです。でも、年が明けて73年に、ミック・ジャガーの過
キース・リチャーズ(Keith Richards)と1970年代 キース・リチャーズにとって1970年代のある時期は、音楽よりもドラッグが中心の生活だったに違いない。 ローリング・ストーンズが70年代に発表したスタジオアルバムがすべてチャートの1位を記録したことも凄いが、9日間一睡もしなかったというコカイン最長覚醒記録や、ニュー・ミュージカル・エクスプレス誌の「次に死にそうなロックスター」ランキングで10年連続1位という大記録も所持している。トップから落ちた時はがっかりして本人はこんなジョークを飛ばした。「しまいには9位まで落ちた。何てこった、もう死にたくなったぜ」 キースのドラッグ生活は、警察との闘いの日々でもあった。キース自身の言葉を借りるなら、それは「権力vs庶民」ということになる。ロックスターのイメージを創った男としての責任感だろう。彼は世界中のファンの「行け! キース!!」的な期
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