「ゼビウス 1000万点への解法」から40年。マトリックス代表・大堀氏とベーマガ創刊編集長・大橋氏が黎明期のゲーム業界を語る ライター:箭本進一 カメラマン:佐々木秀二 伝説の同人誌「ゼビウス 1000万点への解法」の著者として知られるマトリックス代表取締役・大堀康祐氏と,「マイコンBASICマガジン」(以下,ベーマガ)創刊編集長・大橋太郎氏による対談記事をお届けする。 1983年にアーケードでの稼働を開始し,洗練されたグラフィックスと世界観で高い評価を獲得したシューティングゲーム「ゼビウス」。その攻略本である「ゼビウス 1000万点への解法」は,ごく普通の高校生が手がけた同人誌でありながら,情報に飢えた当時のゲーマー達の間で話題を呼び,今に語り継がれる大ヒットとなった。 その高校生――ペンネーム“うる星あんず”こと大堀康祐氏は,その後ベーマガ創刊編集長である大橋氏のスカウトを受け,同誌の
『フランケンシュタインの男』 かつて、「ひばり書房」という出版社がありました。一部マニアを除いてその名が忘れられて久しいですが、ホラー漫画というジャンルの歴史を語る上で最も重要な出版社です。終戦後まもない47年に創業し、赤本漫画〜貸本漫画という分野で様々な作品を出版、58年からは日本初のホラーコミックアンソロジーシリーズ『怪談』を100冊以上刊行し、70年代以降は新書判の描き下ろしホラーを中心とした単行本(初期の、俗に「黒枠」と呼ばれるシリーズと、後期の「ひばりヒットコミックス」というレーベルがメインです。描き下ろしホラーが100%だったわけではなく、他者の雑誌掲載作や、スポーツ漫画や少女漫画なども出しています)の販売にシフト、88年まで漫画を出し続けました(なお、ここで倒産したという誤解が一部で見られますが、会社は04年に閉業するまで存続しています)。このひばりヒットコミックス、同じ本を
お見事! 中村鴈治郎 (二代目・がんじろう 1902-1983) ♥️ フリークの私としては眼福の86分間でした。黒澤明や小津安二郎作品にも欠かせない彼の名人芸の数々、ただしそれらの多くは脇役としてのものであり、今回あくまでもスタアは 市川雷蔵 (1931-196 ... 大傑作。 前作から 3年、愛称・ゴジこと、長谷川和彦 (1946-) 監督が放った、あまりにも過激で破天荒でいて、しかし決してエキセントリックになりすぎず、説得力あるエンタメ感、疾走感に包まれた極上の150分、痺れました、うなりました。 当時ぼくは中学3年生、 ... div align="center"> 傑作。 公開当時、ぼくは11~12歳。話題になった記憶はあるし、すでにテレビドラマで活躍していた主演の 水谷豊 (1952-) は大好きだったので、鑑賞していてもおかしくなかったはずだけど、その後すぐにぼくは洋画の
かなりご無沙汰しておりますけど.... メガドラミニ2に「ああ播磨灘」が収録されると発表が 有ったので、その記念にとっておきの開発裏話でも 書くとします。この話は完全初公開です ゲーム開発当初のああ播磨灘は火閻張り手とか、大噴火投げ とか必殺技は、まったく無くて普通の?相撲ゲームでした しかも相撲パートの担当はボクじゃなくてMTJなる人物が 担当していました どのような経緯でMTJが担当する事になったのか? それはボクには分かりません 気が付いた時には、いつのまにか社長が彼を連れてきたのです では相撲パートは、どんな内容だったか?と言うとMTJ曰く 「力士のオブジェクトを頭、上胴体、下胴体、上腕、下腕、上脚、 下脚に分けて、それぞれ小兵力士、中型力士、大型力士の 3体を作って動かします」 っていう訳ですよ 「ボクがそれ無理でしょう!容量16メガですよ!分かってます?」 と言うとMTJが連れ
「たけしの挑戦状」を作った男,福津 浩氏が追い続けた新世界(後編)たけしさんとの仕事と,幻の続編 「ビデオゲームの語り部たち」:第30部 ライター:大陸新秩序 ライター:黒川文雄 カメラマン:愛甲武司 今回の「ビデオゲームの語り部たち」では,前回に引き続き,福津 浩氏の足跡を振り返る。 前回は,プログラミングとジャズに傾倒した青春時代や,光栄マイコンシステム(社名は当時。以下,光栄)時代の奮闘ぶりをうかがった。ビデオゲーム黎明期における開発事情をはじめとした,貴重な証言を得られたと感じている。 今回はいよいよ“本題”である「たけしの挑戦状」の開発エピソードへと入っていく。 同作については,本連載の第26部で,当時タイトーの営業担当だった中村 栄氏にも話を聞いたが,開発現場にいた福津氏の視点からは,また違った景色が見えていたことが分かった。長らく取材を続けてきた筆者としては,埋もれていた“宝
» 『鬼滅の刃』で話題も、全国で消えゆく遊郭建築…これが現存する大正時代の遊廓だ! 保存修復クラファン実施中 特集 ご存じ、大人気アニメ『鬼滅の刃』の第2期・遊郭編が制作されている。多くのファンを喜ばせている一方、「子どもに見せられない」と、ちょっとした論争も巻き起こった。 是非はともかくとして、かつて日本に遊郭という公娼制度があったのは事実。豪華絢爛な内装や、遊女が格子から姿を見せる張見世(はりみせ)、回廊のような渡り廊下など、独特の建築様式が発展した。 しかし老朽化や、イメージの問題から現存する建物は少なく、全国的に消えゆく運命に。文化消滅のピンチに、大阪・飛田新地の有名物件がクラウドファンディングに乗り出した。 ・「鯛よし百番」 「飛田百番」こと「鯛よし百番」は、大正時代の遊郭建築でありながら、現役の料亭。そもそも飛田新地は、かつて飛田遊廓(遊郭)と呼ばれたエリアで、第2次大戦前の最
マンガ家、ジョージ秋山が2020年5月12日に逝去いたしました。新型コロナもあるので、告別式は家族にて行いました。創作意欲が満タンの中での出来事に本人が一番無念と思います。これまでの作品を再び、不変のメッセージとして残していきます。引き続きよろしくお願い申し上げます。長男 秋山命 — ジョージ秋山 (@georgeakiyama) June 1, 2020 それで、6月1日からずーっと、ジョージ秋山先生のことを考えていました。 魂の巨匠について、私などがいまさら言えることもないのですけど、少しだけ、ジョージ先生の思い出話をさせていただきます。 ※以下、ジョージ秋山先生の漫画『銭ゲバ』『アシュラ』『告白』『ばらの坂道』『ザ・ムーン』『日本列島蝦蟇蛙』『浮浪雲』『銭豚』『耳鳴りのする朝』『戦えナム』『俺の青春』『ギャラ』『SEXドクター尖三郎』『シャカの息子』『海人ゴンズイ』『ラブリン・モンロ
上村 糸井さん、今日はお越しいただいて ありがとうございます。 糸井 こちらこそ、ありがとうございます。 今日は客層がバラエティに富んでいますね(笑)。 上村 たくさんの方にお越しいただきましたが、 会場の皆さんの中にも、 「上村一夫展でなぜ糸井さん?」とお思いの方が いるかもしれないので、経緯からお話ししましょう。 上村一夫の没後30年という節目に 弥生美術館さんで回顧展を開催することになり、 ゲストの方をお招きしようとなりまして。 「誰にしようかな」と話していたところ、 糸井さんが「ほぼ日」で、父のことを 折にふれて思い出してくださっていたのが、 とても印象的だったんです。 糸井 上村さんの周りにはいつも、 世代の近い方がたくさんいらっしゃって、 ぼくは10歳ぐらい年下だったんですよね。 しかも上村さんは年寄りぶる人だったので、 なおさら年上のような存在でしたから。 「享年45」を数字
今回は前後編に分けてお話します。前編では作者のプロフィールと「悪の華」の内容についてお話し、後半ではとある漫画作品との共通点について紹介します! それでは先ず作者のプロフィールを紹介しましょう。 1943年山形県出身、漫画原作者以外にも編集者やフリーライターとして活躍しています。主に上村一夫とタッグを組んで作品を発表していますが、ふくしま政美にも原作を提供しているのも特筆すべき点ですね。ふくしま政美についてはいつか取り上げさせていただきます。上村一夫とは本作の「悪の華」以外に「夢師アリス」や「しなの川」などを発表しています。 1940年神奈川県出身、漫画家、イラストレータとして活躍。60年代から70年代にかけて劇画ブームをけん引した一人です。代表作は「同棲時代」と「修羅雪姫」で、前者はドラマ化され世間一般に「同棲」ブームを起こしました。後者はクエンティン・タランティーノ監督作品「Kill
せいだんしゃ/紙媒体、WEBメディアの企画、編集、原稿執筆などを手がける編集プロダクション。特徴はオフィスに猫が4匹いること。http://seidansha.com News&Analysis 刻々と動く、国内外の経済動向・業界情報・政治や時事など、注目のテーマを徹底取材し、独自に分析。内外のネットワークを駆使し、「今」を伝えるニュース&解説コーナー。 バックナンバー一覧 「昭和レトロブーム」が何かと話題となっている。2020年にオープンした「渋谷横丁」をはじめ、ノスタルジーをモチーフにした施設が続々と建てられ、アナログレコードやインスタントカメラといったレトログッズの再評価も著しい。そこで、昭和の面影を残す建築物(純喫茶や食堂、商店街や街並みなど)を紹介する人気ブログ「昭和スポット巡り」が、『昭和遺産へ、巡礼1703景』のタイトルで書籍化された平山雄氏に、昭和スポットの魅力と、著書に込
発掘,史上初の純国産ビデオゲーム! HITAC 10で開発され,1973年にお披露目されたゲームと,それが後年に与えた影響とは ライター:hally 12→ 1973年7月,一般的に“日本初のビデオゲーム”とされるタイトーの「エレポン」や,セガ・エンタープライゼスの「ポントロン」が発売された。しかし,これらはあくまでAtariの「PONG」をコピーしたものであり,開発の面からすれば本当の意味で“日本初”であるとは言い難い。 では“日本人が自ら考案・設計した最初のビデオゲーム”とは,いったい何なのだろうか? その答えが,意外なところで見つかった。調査によって,1973年の11月に,岩手大学の大学祭で「電子パチンコ」および「電子ボーリング」なるビデオゲームが,学術用ミニコンピュータ・HITAC 10をプラットフォームとして公開されていたことが明らかになったのだ。現在探しうるうちでは,これが恐ら
本記事は2022年12月時点のTime & Spaceの内容となります 最新の記事に関してはKDDIトビラをご確認ください。 こんにちは、ライターのギャラクシーです。 今 僕は、往年の名作ゲーム『いっき』をスマホでプレイしています。auスマートパスプレミアム会員の特典のひとつとして、他にも色んなゲームが遊べるんです。 『いっき』は1985年に発売されたゲームですが、その特殊な難易度のせいで、僕の学校では「何なんだよこのゲームは!???」とさじを投げた子がほとんどでした。しかし大人になった今なら、35年前のシンプルなゲームなんて― 余裕でクリアできるわけですよ!!! 嘘よね~ん いや無理! 何年経とうが難しいものは難しい。クリアできる人いるのこれ? ほんと、何なんだよこのゲームは!? というわけで、作った人に直接「何なんですか?」と聞くために、サン電子株式会社にやってきました。自社のゲームブ
藤子不二雄や赤塚不二夫、石ノ森章太郎にも影響をあたえた 手塚治虫の「新宝島」は、赤本マンガです。 赤本マンガは、東京と大阪で違いがありました。 竹内オサムの「戦後マンガ50年史」に記載があります。 1949年の「週刊朝日」に、取次業をやっている「沢田」という人が 登場し、赤本業界について語っています。 大阪の赤本マンガは、 「造本・内容ともに東京と比べると粗悪」 でした。 東京と大阪の比較について、沢田の証言をまとめます。 目次紙について 内容について 売れた赤本 【紙について】大阪が東京とくらべて「粗悪」と言われた理由は、 紙不足時代だったため、その用紙の割り当てにあります。 出版文化普及協会が割り当てをしていましたが、 大阪の出版社には割り当てが少なかったのです。 それでも紙が必要なので、 大阪の版元は「紙質の悪い一種の再生紙である仙花紙」を つかったのです。 【内容について】東京の赤
正直、スペースが足りません! 現代日本漫画の礎となった「貸本漫画」のストリーム。さまざまな評論家・研究家・オタクの皆さんも語られていますが、そのあたりの情報を全てコンプリート。且つ事実と異なる知識は修正しつつ、さらに知られざるエピソードも盛り込んだ 「完全版・日本貸本漫画史」 ......の省略版を、ここに発表したいと思います。解説をしてくださるのは、"生ける漫画のグーグル先生"(勝手に命名)こと、漫画家のみなもと太郎先生。7時間に及ぶインタビューから得られた貴重な情報の数々から、貸本漫画・激動の歴史を描き出します。 ※以下、敬称略 漫画を読むと馬鹿になる!? ▲みなもと太郎先生の書庫には、古今東西の漫画がぎっしり! ──貸本屋ブームはいつ頃から始まったのですか? みなもと:貸本屋は赤本(書籍の流通ルートに乗らない少年本)が衰退した昭和20年代終わり頃から、突如全国に広がりました。当時の娯
リンク note(ノート) 自販機本のつげ義春? 室井至誠作品一覧|ナンブ寛永|note 古物市場で自販機本や実話誌を150冊ほど購入。おそらく同じ出どころで、これほどの量を買えたのは初めてだった。検品をしていくと、アリス出版(豊島区東池袋1-22-5 サンケエビル2F)、Do企画(千代田区神田駿河台2-1)、八月書房(新宿区高田馬場1-1-15)の自販機本のに室井至誠作品の掲載を確認できたので、ついでに記録も残しておこうと思う。 室井至誠に関しては2018年にアリス出版の自販機本(季節風Vol.3)で掲載を確認したのが初めての遭遇だった。単なるエロ写真ばかり掲載されている自販機本に、突如とし 1 user
とみさわ昭仁 @hitoqui_ponko マンガ家本人が歌唱しているレコード(7インチ限定)をいまから連投します。収集対象の情報を人からもらうのは好きじゃないと常に公言しているぼくですが、現物のコレクションはその存在を知らなきゃ集められないので、もしぼくが知らないものがあったら教えてください。 #マンガ家本人歌唱レコード 2019-11-02 11:26:28 とみさわ昭仁 @hitoqui_ponko 01/15『人気まんが家DJレコード』(一条ゆかり/井出ちかえ/もりたじゅん)1971年りぼん5月号付録。当時大人気だった3人によるソノシート。姐御口調の一条、大女優感ある井出、いかにもDJ風なおしゃべりのもりたと、三者三様の味わい。中古レコ屋ではまだよく見かける。 #マンガ家本人歌唱レコード pic.twitter.com/p57xMCZsfI 2019-11-02 11:27:58
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