現在、文春オンラインで『きょうも厄日です』を好評連載中の山本さほ。幼なじみの親友との思い出を描いた自伝的作品『岡崎に捧ぐ』など、自分の身のまわりで起きた出来事をこれまで作品に描いてきたエッセイマンガ家である。 著作からはゲーム好きの一面はうかがい知ることができるが、自身のマンガ遍歴について語ることはこれまで多くなかった。山本さほがどのようなマンガを読んできたのか、どのようにして現在の作風を築いてきたのかを紐解いていく。
1980年のデビュー以来、『天才 柳沢教授の生活』や『不思議な少年』『ランド』(いずれも講談社)といったヒット作品を世に送り出してきた漫画家の山下和美さん。現在もコミック誌「モーニング」で『ツイステッド・シスターズ』を連載しています。 そんな輝かしいキャリアの陰で、山下さんは21歳のときに発症した脳梗塞の後遺症による“視野欠損”をはじめ、不整脈、逆流性食道炎、膀胱炎……と人知れず多くの病気と闘ってきました。 健康に気を使えなかった20代、さまざまな不調に見舞われた30代を経て、40代でようやく体との付き合い方が分かるようになったそうです。現在は健康を気遣いながら、生活や仕事をコントロールしているといいます。 これまでを振り返ってもらいながら、病気との向き合い方、自分の体について知ることで病気を予防していく大切さについてお話を伺いました。 フォーネスライフが提供する疾病リスク予測サービス「フ
少年ジャンプ+で今年1月から連載が始まり、最新話更新時にはXでトレンド入りするなど、話題沸騰中の『ふつうの軽音部』。 本日4月4日にコミックス1巻が発売されるのを記念し、原作者のクワハリ先生に緊急インタビューを実施! 知る人ぞ知る(!?)ジャンプルーキー!投稿時代のことから、創作論まで、たっぷり話を伺いました。 少年ジャンプ+で読む 『ふつうの軽音部』(原作:クワハリ/漫画:出内テツオ) ちょっと渋めの邦ロックを愛する新高校1年生・鳩野ちひろが、大阪にある高校の軽音部に入部し、日々の部活動や人間関係に奮闘する様子を追った青春ドラマ。実在の楽曲を使用した歌唱シーンや、リアルで等身大なキャラクター描写、予測不可能な展開で、注目度急上昇中の本作は、原作担当クワハリ氏が2023年1月〜9月にジャンプルーキー!で連載しSNS等で話題を呼んでいた『ふつうの軽音部』をベースに作られている。 *****
ナタリー コミック 特集・インタビュー 「正反対な君と僕」「氷の城壁」の阿賀沢紅茶とお友達になりたい! マンガ大好き芸人・吉川きっちょむのマンガ家交友録 コミックシーモア PR 2024年3月29日 マンガ好きとして知られるお笑い芸人・吉川きっちょむ。さまざまなテレビやラジオ番組、雑誌などに出演し、よしもと漫画研究部では部長を務めている。そんな彼にお友達になりたいマンガ家を尋ねたところ、縦スクロールマンガ「氷の城壁」にてデビューし、「正反対な君と僕」が「マンガ大賞2023」第3位やコミックシーモア主催「みんなが選ぶ!!電子コミック大賞2024」男性部門賞を獲得するなど数々の賞を受賞している阿賀沢紅茶という回答を得た。 そこでコミックナタリーは「マンガ大好き芸人・吉川きっちょむのマンガ家交友録」と銘打った企画を実施。吉川にインタビュアーを務めてもらい、自身に考えてもらった質問を携えて阿賀沢を
3月10日に、いのまたむつみさんが亡くなりました。 まあ最近は、色々な理由で、なかなか会う機会も無く疎遠になっていましたが、元々は、自分が葦プロに入った1〜2ヶ月後に葦プロに見学者としてきて、そのまま仕事するという、今では考えられないようなデビューの方法だったのですが、当時は本当にアバウトで、アニメーターやりたいの?やれば?…的な事でなれたことも多々ありました。 自分もそうですからねww。 その事は、昔アニメージュで連載していた自分の漫画にも描かれております。 その時の葦プロダクションは、井荻と上井草の間くらいにあった広めの一軒家を使っていました。 1階の6畳と4.5畳の部屋が作画部屋で5人ほどのメンバーでした。 しばらくして、バルディオスの制作が始まると共に、葦プロは上井草に引っ越しました。 そこも普通の一軒家で、二階が作画室でした。 今はもう建物もありませんが、このような外観でした。
日本の漫画が人気なフランスだが、いわゆる少女漫画の作品はまだあまり知られていない。そんななか、フランスで1月末に開催されたアングレーム国際漫画祭に合わせ、大規模な萩尾望都回顧展がアングレーム市美術館で開催された(2024年3月17日まで)。これを受け、仏紙「ル・モンド」がオンラインで萩尾にインタビューをしている。 戦後日本の漫画界の立役者 萩尾望都の50年以上に及ぶ創作活動から生まれた作品の数々に目を通すと、痛感することがある。それは、フランスが世界有数の日本漫画消費国を自負するわりに、日本の漫画の受容においてすっぽりと抜け落ちてしまっている部分があることだ。 これは萩尾だけに限った話ではないが、フランスでは、日本の著名女性漫画家の作品の多くが出版されていないのだ。1972~76年に描かれた萩尾の初期の名作『ポーの一族』のフランス語版が出版されたのは、2023年に過ぎない。 1949年生ま
初代アシスタントのひすわし君につぎ、二代目アシスタントをさせていただいたのは40年も前の話なのですが、偉大な漫画家さんのお手伝いをさせていただき光栄でした。 「Dr.SLUMP」の連載が少年ジャンプに掲載された頃、その画力にショックを受け大ファンになりました。 まもなく日本デザイナー学院の友人の伝手で、ご本人に会える事になり数人で自宅に伺いました。 その頃、自分はタミヤ模型の「人形改造コンテスト」で何度か受賞をしていたので、模型好きの鳥山さんから「おーっ!君かよ」って言ってもらい感激しました。 その後、自分ひとりで遊びに行くようになった頃に「田中久志くん(ひすわし)が漫画家デビューで辞めるので、良かったらうちに来てくれないかな」と白羽の矢が立ち、もちろん二つ返事で引き受けました。 クルマ、バイク、映画、模型制作と共通の趣味だったので、仕事以外にも楽しい時間を過ごした事を思いだします。 とに
鳥嶋和彦さんと桂正和さんが2023年7月31日放送のJ-WAVE『TOKYO M.A.A.D SPIN』の中で「プロの漫画家」に向いている人について、話していました。 (Naz Chris)桂先生、でも鳥嶋さんが10代だった少年の漫画家の卵の実家まで行って、親御さんに頼んだっていう。これは後にも先に、鳥嶋さんにとって桂さんだけっていうのは? (桂正和)ああ、それは本当にありがたかったですね。 (Naz Chris)それは千葉のご実家で行われたんですか? (桂正和)そうです、そうです。うちまで来てくれました。 (Naz Chris)その時、どんな感じだったんですか? (鳥嶋和彦)あなたも同席してた? (桂正和)してない気がするんですよ。 (Naz Chris)してないんですか? (鳥嶋和彦)ということは、ご両親と僕だけだよね? (桂正和)たぶん。なんか記憶にないんですよ。 (Naz Chri
『刃牙』シリーズなどの作者・板垣恵介さんが2024年1月31日放送のニッポン放送『ナイツ ザ・ラジオショー』に出演。自衛隊の第1空挺部団に所属していた時代から、漫画家としてデビューするまでを話していました。 (塙宣之)先生自体はハタチから20歳から自衛隊をやって。第1空挺団で。習志野の。 (板垣恵介)そうよ。 (塙宣之)だって、なんだっけ? むちゃくちゃ重い小銃とかを持ちながら訓練を……。 (板垣恵介)いや、小銃はそんな重たくないんだけど。俺、機関銃だったんで。機関銃はね、12キロぐらいあるのかな? で、弾薬がたくさん……もう数が違うじゃない? 重いのよ。 (塙宣之)それを持ちながら、走ったりとか? (板垣恵介)もう、何でもやらされた。 (土屋伸之)第1空挺団って、超エリートですよね? 超エリートの第1空挺団 (板垣恵介)あそこはね、給料が違うからね。俺がいた時代でね、5万ぐらい違ってたか
「なんとなく、自分は漫画家になれると思っていた」 –––まず『ラーメン赤猫』のアニメ化決定、おめでとうございます。 アンギャマン(以下同) ありがとうございます。 –––アニメ化が決まったときの率直な感想を教えてください。 うれしいと思うより前に、びっくりしました。自分の漫画がアニメになるとは想像もしていなかったので。今は少しずつ監修の仕事が回ってきたりして、徐々に実感が湧いてきています。シンプルにやったー!という感じですね。 2024年7月からTBS系28局で放映されるテレビアニメ『ラーメン赤猫』 –––先生が漫画家になるまでのヒストリーを教えてください。いつごろから漫画を描き始めたのでしょうか。 漫画は、本当に自然に描き始めたんです。そもそも、小さいときから絵を描くことは自分にとって当たり前のことで。一番古い記憶だと、実家にあった大きなテーブルの裏にクレヨンで落書きしていたり…。 ––
『鉄コン筋クリート』『ピンポン』『Sunny』『ルーヴルの猫』など数々の名作を世に送り出し、多くの漫画家やクリエイターに影響も与えてきた松本大洋。そんな松本の最新作『東京ヒゴロ』が、2023年10月発売の第3巻で完結を迎えた。主人公である50代の漫画編集者を中心に、創作への葛藤や情熱を抱えたさまざまな漫画家と編集者の「漫画愛」「創作の哲学」を描いた本作。 松本大洋は、なぜいま、漫画家として35年以上ものキャリアを重ねてきたなかで、自身の本職である「漫画」を真正面から題材に選んだのだろうか。本作に通じる松本自身の「漫画」に対する愛情・創作論・哲学……なども探りたく、メールで取材を依頼したところ、12個の質問に対してテキストで想いを綴ってくれた。 「漫画を好きかどうかもわからなくなりそうで、つらかった時期もあった」と明かしてくれた松本が、それでも漫画の創作を続けられた理由とは? 本稿では、松本
漫画、小説、映画やドラマ──さまざまな「物語」が私たちの日常を彩り、ときに新たな気づきを与えてくれたり、ときに怒りの原動力となったり、その存在は多くの人にとって欠かせないだろう。 現代日本文学を中心に、クィア批評とトラウマ研究をしている岩川ありささん。2022年に刊行した『物語とトラウマ: クィア・フェミニズム批評の可能性』(青土社)で「トラウマ的な出来事を経験した人びとにとって、文学や文化は生きのびるための表現となりうるのか」という問いから現代小説を丁寧に読み解き、物語の必要性について切実な言葉で語る。 「物語に居場所を見つける」「物語に救われる」という感覚──ヤマシタトモコさんによる漫画『違国日記』(FEEL COMICS swing、祥伝社)でも、物語の力を信じる少女小説家と彼女らから言葉を受け取る少女たちが描かれる。 今回はそんなふたりを迎えて「物語が持つ力」をテーマに対談を実施。
作品のほとんどがフランス語訳され、国内外の漫画界から高い評価を受ける日本人漫画家、高浜寛(たかはま・かん)。仏高級紙「ル・モンド」のインタビューで彼女は、自身の作風を「天草人」としてのDNAと紐付けて語った。 漫画家、高浜寛の軽快な笑いに包まれながら話をしていると、彼女と、彼女の作品に出てくるヒロインたちの共通点が見えてくる。 『ニュクスの角灯(ランタン)』に登場する、触れた物の過去がわかるみなしごの美世や、『扇島歳時記』(ともにリイド社)の禿(かむろ)のたまをからは静かなメランコリー、もしくは諦観に近いものを感じる。 「そういった傾向は私も含め、日本人にはよくあるものです」。「もし誰かに『あなたは今日死ぬでしょう』と言われたら、きっと私はそれを受け入れるのだと思います」。10月、パリを訪れた彼女は、出版社のオフィスで少し冗談っぽく、そう言った。 高浜寛の描くヒロインたちはしばしば世間知ら
39歳でマンガ家デビューを勝ち取った男、中丸雄一。月刊アフタヌーン(講談社)での短期集中連載を経て、デビュー作「山田君のざわめく時間」の単行本が2024年1月23日に発売される。中丸の人知れぬ努力と執念が夢を引き寄せたと同時に、背景には編集者たちの奮闘があった。今回コミックナタリーでは、担当編集の助宗佑美氏と、掲載誌である月刊アフタヌーンの編集長・金井暁氏にインタビュー。マンガ家・中丸雄一が誕生するまでの舞台裏を振り返ってもらった。まるで編集者たちから中丸に宛てたラブレター、ここに詳報したい。 中丸の希望で“巨大な壁” アフタヌーンに挑む 芸能人の担当編集になるということ 金井編集長が見た風景/アドバイス 編集長の前では、「猫背の小さい男の子」 芸能界で培った鋼の精神力 アフタヌーンという雑誌/本当は、マンガはこんなに必要ない アフタヌーンで起こる、出会いの連鎖 サービス精神がものを言う
いらはいませ。まず、吾妻ひでお先生関連のXポストが3本あってこんな感じでした。 昔同人誌に幼女が巨大化する漫画を寄せたら「田中さんのはちょっと違うな」と言われて。ロリの人から排除されるのって喜んでいいのか分からないけど、当時はそう言われて寂しかった。でもその漫画見て吾妻さんがアシスタントにしてくれて。このマニアと作家のすれ違いが面白い。分かりますかね(笑) — 田中雅人 (@tanamach) November 27, 2023 んで吾妻先生が失踪して無職になり仕方なく白泉社で漫画描いてたら(アシスタントの方が気が楽だった)突然先生から電話がかかってきて「今月号の短編面白かったよ!」というので「ど、どこにいるんですか?!」と聞いても教えてくれなかった。これにもいろいろ経緯あって字数 — 田中雅人 (@tanamach) November 27, 2023 本当に白泉社では仕方なくデビューし
始めるに当たって断り書きですが、前回のかがみさんの時もそうですが、話は盛っていません。だから事実だけであまり面白くないかも知れません。ただその時感じた自分の印象はそのまま書いていきます。 ・吾妻ひでお先生のアシスタントになるまで まず、当時のマイナー業界でロリコンブームがあって、吾妻先生はそのレジェンドであり、急先鋒でもありました。自分は当時でいうロリコンカテゴリ系の人間では無かったということは十分承知していて、美少女は描いても性的対象としては描かなかったことで排除された気分になっていました。性的傾向を漫画に持ち込む素養がもともと無かったといった方が正しいかもしれません。逆にそのことでおたくの仲間に入れないことで悩みさえしました。なにせロリコン系作家であった方がマイナー業界では仕事があった時代でしたから。 今じゃ考えられませんよね。 話は前後しますが1983年(昭和58年)に遡ります。電研
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