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お笑い芸人とTVに関するakihiko810のブックマーク (3)

  • 初期の「爆笑オンエアバトル」にあった東西の溝 - 笑いの飛距離

    大阪芸人は東京がイヤだった」。 「爆笑オンエアバトル」の歴史を振り返る番組で、このようにコメントしていた陣内智則さん。それを受けて、ますだおかだ岡田さんも「オンバトの収録だけは気が重かった」と答えています。この2組は初期の「オンバト」で大活躍しました。にもかかわらず気が重かったのは、楽屋に東西の溝があったから。 「爆笑オンエアバトル」は、1999年3月からNHKで始まったネタ見せ番組です。客の投票で上位になった組だけ放送されるシビアなシステムが話題になりました。NHKは全国放送ですから、ここでの活躍が地方の営業の仕事につながっていたそうです。 若手芸人がテレビでネタをする場がほとんどなかった時代に誕生した「オンバト」。この番組のおかげで今があるという芸人がたくさんいます。しかし、そんな貴重なネタ見せ番組も、2014年3月をもって終了。15年の歴史に幕を閉じました。 他事務所とも仲が良い東

    初期の「爆笑オンエアバトル」にあった東西の溝 - 笑いの飛距離
  • 「一発屋」から「世渡り上手の毒舌芸人」に―ネットで辿る芸人・有吉弘行 - はてなニュース

    90年代にユーラシア大陸横断で大ブレイク、一躍時の人となった元・猿岩石の有吉弘行を、最近テレビやネットでよく見かける。一度は表舞台から姿を消した彼が、一体、どのような経緯で再び表に出てきたのだろうか。ネットで辿れる言説から、彼のブレイク当時から現在までの歩みを追ってみることにする。 ユーラシア大陸横断から一転、受難の時期 有吉弘行 - Wikipedia 90年代のある時期、有吉は『猿岩石』というお笑いコンビの片割れとして日中知らない人がいないほどの有名人であった。日テレビのバラエティ番組「進め!電波少年」で、お笑いコンビ猿岩石として「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」に挑戦したことが話題を呼び、帰国後には一躍時の人となったのである。ヒッチハイクからの帰国時には西武球場で凱旋ライブが行われ、旅行記「猿岩石日記」がシリーズ累計250万部、CD 「白い雲のように」が130万枚を超える売り上げ

    「一発屋」から「世渡り上手の毒舌芸人」に―ネットで辿る芸人・有吉弘行 - はてなニュース
  • ナンシー関が着目していた有吉弘行のふてぶてしさ - テレビの土踏まず

    この写真をテレビで使うのはそろそろきつい 「このところ有吉ネタ多すぎだろ」という自粛ムードがセルフ蔓延中といえ、テレビで有吉弘行がナンシー関の名前を出していたので、さすがに取り上げざるを得なくなりました。松村邦洋の復活が心底よかったねという昨日に続いてまたもや太田プロ芸人ネタです。 3 日にテレ朝系で放送された今田耕司 MC の特番「お笑いエピソード GP THE 芸人伝説」は、たくさんのお笑い芸人をひな壇に集めて主に楽屋裏話みたいなもんを暴露しあうというありがちな内容でしたが、いわゆる「 21 時またぎ」くらいの時間に有吉タイムがありました。 「同じ広島県出身の後輩芸人アンガールズと反目しあっている」「猿岩石がまだ売れる前に TKO 木下に世話になったにも関わらずヒッチハイクから帰ってきたら木下のことを忘れていた」などのような、有吉の人間としての器がちっちゃいんだよ、というエピソードが繰

    ナンシー関が着目していた有吉弘行のふてぶてしさ - テレビの土踏まず
    akihiko810
    akihiko810 2009/04/05
    ナンシー関の亡霊に絡め取られてます…。いや、しょうがないんですけどね。
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