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個人blog記事と仏教に関するakihiko810のブックマーク (9)

  • 「ブッダ伝」 目次           : 「ブッダ伝」<お坊さんや仏教学者が教えてくれないお釈迦さまの一生> 

    7月1 「ブッダ伝」 目次 <青字クリックで文へアクセス> 第 1 章  ルンビニーで出生 第 2 章  天上天下唯我独尊 第 3 章  盗用だった「天上天下唯我独尊」 第 4 章   母は7日後に死去 第 5 章  アシタ仙人の予言 第 6 章  異名が80も 第 7 章  諸説ある生没年 第 8 章  誕生日は4月8日 番外編① インド神話と阿修羅 第 9 章  四門遊観 第10章  出家を決意 第11章  怒り狂う 第12章  バラモンの世界 第13章  古代インドの宗教書 第14章  ヴァルナで束縛 第15章  アーラーラ仙人に会う 第16章  ビンビサーラ王の眼力 第17章  ウッダカ仙人にも学ぶ 番外編② 帝釈天と阿修羅 第18章  苦行をやめる 第19章  悟りを開く 第20章  仏陀になる 第21章  十二因縁 第22章  四諦と八正道 第23章  5人に初説法 第24

  • 【インタビュー】彼岸寺に期待を寄せるタイの日本人僧侶、プラユキ・ナラテボーさん - 原始仏教ガール’s日記

    今回皆さんにご紹介するのは、タイのお寺で出家した、日人僧侶のプラユキ・ナラテボーさん(名、坂秀幸さん)。プラユキさんは上智大学文学部哲学科を卒業されたあと、NGOの活動に関わりながら、タイのチュラロンコン大学・大学院に進学。大学院在学中に、タイの開発僧※1に関する学問的な興味から、タイのお寺で出家をされました。 皆さんご存知のとおり、仏教発祥の地はインド。その後、長い年月をかけて、北は中国韓国、日へ。南はスリランカから東南アジアへと、仏教は広範囲に伝えられ、グローバルな教えとなりました。北側ルートを通って伝えられた仏教は、いわゆる大乗仏教と呼ばれているもの。一方、南側のルートを通って伝えられた仏教は、上座仏教、テーラワーダ仏教などと呼ばれているもの。黄土色やオレンジ、小豆色の衣を着ていらっしゃる上座仏教のお坊さんの姿を、写真などで見たことがある方もいらっしゃるかもしれません。 黄

    【インタビュー】彼岸寺に期待を寄せるタイの日本人僧侶、プラユキ・ナラテボーさん - 原始仏教ガール’s日記
  • ブッダ「世界は美しい」は後世の捏造。 - Customer Confused Death

    2013-11-03 ブッダ「世界は美しい」は後世の捏造。 仏教 ブッダ「この世界は美しい。人間のいのちは甘美なものだ」 最近、瞑想会とか個人のブログとかで話題になっているので気になったのですが。 実は、このセリフ、パーリ経典を探しても、どこにも書いてないのです。 つまり、「ブッダはそんなこと言ってない!!!」のです。 でも、これの元ネタはあります。 長部経典16の『大般涅槃経』です。これは中村元先生の『ブッダ最後の旅』として岩波文庫から出ています。 ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経 (岩波文庫) 作者: 中村元 出版社/メーカー: 岩波書店 発売日: 1980/06/16 メディア: 文庫 購入: 2人 クリック: 35回 この商品を含むブログ (29件) を見る では、実際には、なんと言っているかというと、 「アーナンダよ。ヴェーサリーは美しい。ウデーナ霊地は美しい。ゴータマカ霊地は

  • 『なんで人は「真理」が好きなのか』

    禅僧・南直哉さんの講座「仏教私流」を拝聴してきた。 今回のテーマは、あまり評判のよろしくない(?)天台覚思想。 いや~~、いつも面白いけど、今回はますます面白かった。 南さんは、当に頭のいい人だと思った。 一番覚えておきたいところだけを、ちょこっとメモします。 (自分流メモなので、間違いがあっても南さんのせいじゃありません) 「何かがもともと『ある』ってのはおかしくないか? 『ない』ってところから(仏教は)始まったんじゃないのか?」 これは、南さんが口を酸っぱくして常々言ってることで、 私も積年の疑問だった。 何かしらの「質」があって、それが現象している…。 たとえば、こんな感じだ。 「みなさん、来は仏なんです。 でも今は煩悩によって覆われているから、それが見えないだけ。 煩悩という汚れを取り払えば、来の仏性が現われてくるんです」 こういう考えの是非は置いておいて、 人類がとって

    『なんで人は「真理」が好きなのか』
    akihiko810
    akihiko810 2015/03/13
    禅僧・南直哉さんの講座「仏教私流」 天台本覚思想
  • ミャンマーお寺生活記 | インド大好き!ティラキタブロ グ

    ティラキタをはじめたのが2001年の初め。今が2012年ですから、あっという間に11年が経ちました。初めはと2人でやっていたのですが、そのうち手伝ってくれる人に来てもらうことになり、今では10人を抱える所帯になっています。 ティラキタは日で一番インドの香りがするお店をモットーにしていますので、ティラキタに働きに来てくれる人もまた、個性の強い人が多いのが特徴です。サンスクリット語が読める人、バックパッカーだった人、野外フェスが好きな人、音楽が好きで毎週2回もコンサートに行っている人などなど…普通の会社ではお目にかかれない面白い人たちがティラキタを作っています。 つい先日、ティラキタで一番最初に働いてくれていたうめぽんさんが「俺はミャンマーで出家する!」と言いながら、旅立って行きました。 旅立つ前に彼に会った時… 「え? ミャンマーにいくの? なにしに?」 「修行ですよ。瞑想の。」 「マジ

    ミャンマーお寺生活記 | インド大好き!ティラキタブロ グ
    akihiko810
    akihiko810 2015/03/04
    ミャンマーで出家体験>東南アジアで主流を占める上座部仏教の国々は「戒律のタイ」「学問のスリランカ」「瞑想のミャンマー」と
  • 「「私」という苦しみ」 南直哉(みなみじきさい)講師の講義感想

    「ケアする人のケア」第4回目、南直哉(みなみじきさい)講師を拝聴してきた。 自転車で信号も入れて3分の距離で、帰ってきて直ぐに書き出している。感謝の念もあるが、先ず要点から。 ①「自分が自分である事は他人を込めなければならない」 :自己決定や自己責任とは根では出来ない。なぜなら、人は自己決定で産まれてこないから ②「母親の愛:あなたのことは全て判って上げる とは深い所では支配である。敬意とは相手が自分と違うものがあることを認めること。仏教では愛は言わない。敬意である」 ③「人間の最も深い欲望は自己承認である」 リストカット、ニート、引き篭もりの相談の8割5部は親子関係が取引になっている。無力な自分をただただ肯定してくれない事に疲れている。 正直に言うと、私が今この肉体を通して考えていることだった。それはまだまだ知識として知っている、あるいは言われて分析できる、つまり分かる、でしかないもの

    「「私」という苦しみ」 南直哉(みなみじきさい)講師の講義感想
    akihiko810
    akihiko810 2015/02/22
    自分とは絶対に違う何かを持っている他者を認めること=敬意/ この社会の中では「自分」でなければならない。けれども、それには他人が含まれている。
  • 「善勇猛般若経」を読む (1) 〔はじめに〕  - 八正道

    Unknown (kounit) 2008-02-03 19:09:12 「自らの心の修養レベルに応じた解釈」確かにそのとおりですね。漱石が禅寺を訪れたときに、釜戸の火明かりで碧巌録を読んでいた若い僧にこれと同意味の言葉でたしなめられています。私は、それは読書の神髄であると信じて来ました。そうであればこそ読書の醍醐味もあると言えるでしょう。次に続く「その教えを役立てることができる」という貴兄の言葉は非常に大切だと思います。そこからが修行というものであるように自分には思われます。でないと思考の遊びに終わってしまうように思います。今の自分がそのいい例であります。 感謝します (zazen256) 2008-02-05 04:59:38 コメントをありがとうございました。 人生経験豊かなkounit先生が私と同じ考え方をしておられることは、非常に力づけられました。ありがとうございます。 私はこれ

    「善勇猛般若経」を読む (1) 〔はじめに〕  - 八正道
    akihiko810
    akihiko810 2015/02/11
    宮崎哲弥がすすめてた「善勇猛般若経」   http://9oo.jp/KLRS26
  • 無宗教で弔うこと - ohnosakiko’s blog

    国や地域や宗教によって、さまざまなかたちを取るお葬式。日では仏教形式で行われることが多い。これまで私が参列した葬儀は9割方、仏式だった。あとはキリスト教。亡き伯父と伯母がクリスチャンだったからだが、では仏式で弔われた人々は皆仏教徒だったのかと言えば、おそらくそうではないだろう。 年輩者で定期的にお寺参りに行ったりお坊さんの説教を聞きに行ったりする人はいたかもしれないし、そこまでではない人もお盆で先祖の墓参りくらいはしたかもしれない。しかしほとんどの人は、「うちは◯◯宗らしいな」くらいのことはわかっていても、仏教とは無縁の生活を送っていたと思う。多くの人の日常において、特定の宗教の匂いは薄い。 だからいざ身内が死んで通夜だ葬儀だとなると、まず何をどうしていいかまごつくことがある。伊丹十三の映画『お葬式』では、遺族がビデオで仏式葬儀のあらましを学習するシーンがあった。他人の葬儀で何となく勝手

    無宗教で弔うこと - ohnosakiko’s blog
  • 仏教徒はなぜ「修行する」のか?(上)

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    akihiko810
    akihiko810 2013/06/02
    わかりやすい
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