御前田あなたさんのブログテーマ、「脱線する歌集・句集感想文」の記事一覧ページです。
のまちゃんです。 今すぐにキャラメルコーン買ってきて そうじゃなければ妻と別れて 佐藤真由美「プライベート」より まずはこの歌に対してさまざまな解釈を寄せていただいてありがとうございました。 返歌までつくってくださった方がいて感涙です。 この歌に出会ったのはもう6~8年くらい前です。 それほど前の歌でも古くならずにこうやって複数の人の心を動かす客観性とドラマをもっている歌なんだなあ、そして私やっぱり短歌好きなんだなあ、と改めて感じた次第です。 で、もしかしたらこの歌を目にした方のなかに「短歌やってみよっかな」と思うかたもいらっしゃるかもしれません。 きょうは短歌が俄然おもしろくなるたったひとつの最初のルールをログしておこうと思います。 そのルールとは、「31文字の文字制限を守る」という大前提、たったこれだけです。 このルールは私が24、5歳の頃、素人の短歌コミュニティにて、ある歌人さんから
photo by gabriellaraujo 今すぐにキャラメルコーン買ってきて そうじゃなければ妻と別れて 佐藤真由美「プライベート」より プライベート (集英社文庫) 作者: 佐藤真由美出版社/メーカー: 集英社発売日: 2005/10/20メディア: 文庫購入: 4人 クリック: 20回この商品を含むブログ (19件) を見る昨日この短歌をTwitterのタイムラインで見かけてそのつぶやき主である卯野抹茶さんにメンションを飛ばしました。 その結果卯野さんはご自身のブログに記事として取り上げてくれたのですが、それを読んでやはりちょっと言い足りなかったという思いがムクムクと湧き出てまいりましたので、Twitterでは足りなかった部分の補足をしたいと思います。 短歌と解釈「今すぐにキャラメルコーン買ってきて そうじゃなければ妻と別れて」 - nerumae @4leafclover7 @
August 31, 200915:37 カテゴリ心ときめくもの美しいもの 〜夏みかん酢つぱしいまさら純潔など〜 鈴木しづ子 こんな夏もあったし、 こんな夏もあったけれど、 秋が始まりつつあります。 東京で編集者に連れて行ってもらったアンチヘブリンガン。インテリアも書棚もゆる〜く、心地よく、お料理もおいしくて、素晴しく私好みのお店でした。 『鈴木しづ子』(KAWADE 道の手帖) 1500円+税 夏みかん酢つぱしいまさら純潔など 『鈴木しづ子』(KAWADE 道の手帖)の表紙に印刷されたこの句を見た瞬間、クラクラッと来た。ドスン、とこの一句がからだの中になだれ落ちて来た。 実は、この雑誌を手に取るまで、鈴木しづ子という俳人について、私は全く知らなかった。冒頭の金子兜太氏のエッセイによると「鈴木しづ子は敗戦直後の十年間に、句集二冊を出して消えた」とある。私はこの「消えた」という表現に驚き、彼
穂村弘の『シンジケート』と『ドライ ドライ アイス』の新装版が図書館の書架に並んでいた。 とくに『シンジケート』はなかなかオシャレである。装釘は藤林省三。 穂村の歌は、ブーフーウーとか、降りますランプとか、ゆひらとさわぐとかは、するすると口をついて暗唱できるが、よく考えたらどれも現代短歌のアンソロジーなどから、ノートに抜き書きして憶えたもので、歌集として読んだことはこれまでなかった。だって、図書館などにも置いてなかったもんね。 この新装版は、どちらも2006年に沖積社から出たものだが、こうして歌集として再度、一般の読者の手にとれるかたちで流通するのはとてもうれしいことであります。 「酔ってるの?あたしが誰かわかってる?」「ブーフーウーのウーじゃないかな」 終バスにふたりは眠る紫の〈降りますランプ〉に取り囲まれて 体温計くわえて窓に額つけ「ゆひら」とさわぐ雪のことかよ 「キバ」「キバ」とふた
穂村弘の『短歌という爆弾』という本がブックオフで105円で売っていたので、買ってきて読んでみました。じつはあまり期待していなかったのですが、これはおもしろかったです。しかしそれは短歌の入門書としておもしろいというのではなく、穂村弘という奇妙な人間を描いた診断書みたいなおもしろさをかんじたのです。 以前、ネットで短歌関係のサイトをあちこちいいかげんにサーフィンしているとき、たしか藤原龍一郎さんが(間違っていたらすいません)こんな批判をしているのを読みました。それは「穂村弘の短歌はすべて既成の元ネタがあり、自分はその元ネタがすべてわかる。そういう目でみると穂村弘の短歌はたんにその既成の元ネタを短歌の定型にあてはめただけのものにすぎず、オリジナルの部分がまるでない。自分はそのような作品とも呼べないようなものを評価することはできない」というような内容だったとおもいます。 ぼくとしては世代が違うせい
子供よりシンジケートをつくろうよ「壁に向かって手をあげなさい」 1990年に歌集『シンジケート』を上梓した穂村弘は、2000年あたりからこっち、短歌の実作のほかに『世界音痴』や『もうおうちへかえりましょう』などとしてまとめられるエッセイをいろんな媒体で書くようになった。そしてその一方、おもに短歌の専門誌で歌論を書き継いでいたのである。 「である」と言いつつ、私は知らなかった。エッセイばかり読んでいた。そんな歌論・歌人論をあつめたのが本書『短歌の友人』である。この本のカバーは本当に固い。 穂村弘は、同世代の短歌を読み、前の世代の短歌を読み、自分より若い世代の短歌を読んでいく。その読み方は丁寧で論理的、何より親切このうえない(『短歌という爆弾』も、たしかにそういう本だった)。 現代の歌人をほとんど知らない私には、短歌というのは、言葉が使われる全領域のなかでも、あからさまに特殊な部分を占める表現
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