タグ

宗教と社会学に関するakihiko810のブックマーク (2)

  • ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を解読する

    マックス・ヴェーバー 『プロテスタンティズムの倫理と資主義の精神』は、社会学者マックス・ヴェーバー(1864年~1920年)の代表作だ。1905年に発表された。ヴェーバーには多くの著作があるが、ヴェーバーといったらコレ!というくらい知名度は高い。 『プロテスタンティズムの倫理と資主義の精神』のテーマは、近代資主義の起源だ。なぜ中国や日ではなく、また古代メソポタミアやギリシアではなく、ヨーロッパ近代において資主義が成立するに至ったのか。またその条件は何か。これが書のメインテーマだ。 「プロテスタンティズムが資主義の質だ」とは言っていない 先入観をもっていたり膨大な知識に圧倒されたりすると、しばしば私たちはそれらの内容を細かく吟味せず、雑に受け取ってしまうことがある。 書に関して言えば、「ヴェーバーはプロテスタンティズムが資主義の中心にあると考えた」と解釈されることがとても

    ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を解読する
  • マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読む - 宇宙、日本、練馬

    今日の未明、どうにも眠れる気がしなかったんでなんとなくマックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資主義の精神』をぺらぺらめくってたんですが、いや何故か妙に引き込まれて、結局今日一日で通読してしまいました。以前に頁を最後までめくってみたときは、それほど熱心に読めなかったんですが、いや今回はめちゃくちゃ惹かれるものがあったというか、頭に入ってくる感じがあったんですよね。苦悶の叫びをあげながら頭を抱えて読み進めている『古代ユダヤ教』より全然頭に入ってきた感じがある。せっかくなので要約チックなものを書き留めておこうかなと思います。 第1章 問題 1 信仰と社会層分化 プロテスタントの経済的成功 第1章第1節の導入部分で提起されるのが、「近代経済においてプロテスタントが上の方の地位を占めてないか?」という疑問。そこから踏み込んで、なぜプロテスタントが資主義に適合的なのか?という問いが提出

    マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読む - 宇宙、日本、練馬
  • 1