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dramaと戦争に関するakihiko810のブックマーク (1)

  • 私たちは「善良」だったか? 『エール』の終戦が“被害者意識”の日本人に突きつけるもの | 文春オンライン

    戦争が憎い」という言葉は、これまで何度も朝ドラの中で発せられてきた。戦争は自由を抑圧し、表現を検閲し、主人公の夢を阻むものとして描かれ、終戦の玉音放送はその抑圧からの解放として、美しい青空とともに描かれるのが定番だ。 だが『エール』では「僕は音楽が憎い」という言葉が象徴するように、戦争は主人公の夢の達成そのものが招き、実現したはずの夢が悪夢に変わる光景に主人公は立ち尽くす。 これまでの朝ドラが「表現の自由」を戦争の反対側に置いてきたとしたら、『エール』は戦争に加担した側のクリエイターの『表現の責任』について、この時代の自分たちへの問いかけとして置いているように見える。 『二十四の瞳』に対する大島渚の激しい批判 1954年に公開された『二十四の瞳』という美しい反戦映画がある。1928年、瀬戸内海の小さな島に赴任した新しい時代の価値観を持つ若い女教師が、12人の子どもたちに「おなご先生」と慕

    私たちは「善良」だったか? 『エール』の終戦が“被害者意識”の日本人に突きつけるもの | 文春オンライン
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