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明治と政治に関するkousyouのブックマーク (13)

  • 初代群馬県令楫取素彦(2015年大河ドラマ「花燃ゆ」主人公の夫)について | Kousyoublog

    幕末~明治維新の産業史を少しずつ調べていく中で、富岡製糸場関連の書籍を読んでいて、来年2015年大河ドラマ「花燃ゆ」の主人公の二度目の夫、初代群馬県令楫取素彦についてもその事跡がわかってきたので簡単にまとめ。 明治政府発足直後の上州(群馬県)は二つの面で非常に重要な地域だった。一つには官軍には属していたものの元々が徳川家と関係が深い譜代大名の集合体であり、また幕末には無政府状態となって打ちこわしなどの住民反乱(上州世直し一揆)が頻発、これに対抗して領主・役人たちは弾圧政策で臨み、慶応四年(1868)年四月から十一月にかけて次々と農民たちが逮捕され処刑が相次ぎ一時騒乱と恐怖政治下にあった余波で不安定な情勢が続くなど東京に近い関東の中でも特に統治が難しい地域であったこと。もう一つが、当時最大の輸出品であった生糸の最大の生産・供給地であったことである。この重要地域の統治を任されたのが楫取素彦で、

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    kousyou 2014/09/26
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  • 伊藤博文の「皇太子は操り人形」発言と明治国家の儀礼の創造 | Kousyoublog

    先日の記事「近代日、海水浴の誕生」で明治時代に日の医療制度の確立に多大な影響を与えたドイツ人医師エルウィン・フォン・ベルツについて紹介したが、そのベルツの日記に、彼が侍医を務めた皇太子嘉仁(後の大正天皇)の結婚に関するエピソードとして、伊藤博文の発言が紹介されている。明治三十三(1900)年五月九日の日記より。皇太子の結婚は翌日五月十日のこと。 『一昨日、有栖川宮邸で東宮成婚に関して、またもや会議。その席上、伊藤の大胆な放言には自分も驚かされた。半ば有栖川宮の方を向いて、伊藤のいわく「皇太子に生れるのは、全く不運なことだ。生れるが早いか、到るところで礼式(エチケット)の鎖にしばられ、大きくなれば、側近者の吹く笛に踊らされねばならない」と。そういいながら伊藤は、操り人形を糸で躍らせるような身振りをして見せたのである。――こんな事情をなんとかしようと思えば、至極簡単なはずだが。皇太子を事実

    伊藤博文の「皇太子は操り人形」発言と明治国家の儀礼の創造 | Kousyoublog
    kousyou
    kousyou 2014/05/09
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  • 「桂太郎 ー 外に帝国主義、内に立憲主義」千葉 功 著

    前回の記事『「明治国家の終焉 1900年体制の崩壊」坂野 潤治 著』で桂園時代と大正政変を巡る政局について簡単に紹介したが、その主人公と言うべき人物が桂太郎である。 現代人の間の、明治時代の政治家の知名度でいうと、桂太郎はその事跡に反してかなり低い方ではないだろうか。大久保利通、西郷隆盛、木戸孝允(桂小五郎)、伊藤博文、板垣退助あたりがほぼみんな知っているビッグネームで、次いで岩倉具視、山縣有朋、大隈重信、井上馨、松方正義、三条実美、黒田清隆、大山巌など、ほぼ明治維新第一世代に集中しているだろう。あとは日清・日露戦争で活躍した軍人たちが並ぶ感じか。 日近代史上、桂太郎は非常に重要な人物である。明治維新が目指した体制の完成者であり、上記のビッグネームたちとの熾烈な政争を勝ち抜き、あるいは巧みに操縦して、一時は元老たちすら凌駕して天皇の名の下に絶大な権力を振るい、そして民衆の騒乱の中で権力を

    「桂太郎 ー 外に帝国主義、内に立憲主義」千葉 功 著
  • 「選挙違反の歴史―ウラからみた日本の一〇〇年」季武 嘉也 著

    「或る地位に就くべき人」を定める方法としては、古来から合議と多数決という二つの方法があった。社会の対立を前提として、そこから「全体的に説得的な結論」を導いて社会の統一をもたらすために、合議は対立の解決より共同体の維持を優先することを「全体的に説得的な結論」とし、多数決は多数が支持していることをもって「全体的に説得的な結論」として対立から統一へと進める。この両方の手法を補い合う形で近代の「選挙」は発展してきた。 江戸時代まで村落の代表者を初めとして地位ある人の選出手法は合議(神判など含め)中心であった日でも近代化の過程で選挙制度が導入されていくことになるが、選挙制度の導入の歴史は裏を返せば選挙違反の歴史ともなる。書は選挙違反の歴史を通して近代日社会の変容を俯瞰する一冊である。 衆議院議員選挙の違反者数の推移の変化を元に、書では以下の五つの時期に分類している。 一期:第一~九回(189

    「選挙違反の歴史―ウラからみた日本の一〇〇年」季武 嘉也 著
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    kousyou
    kousyou 2013/08/28
    ブコメの指摘通り日本特有の事例ではなく最初からそれを示す趣旨で関連エントリの一番上に19世紀欧州で類似の展開を辿って民主主義が形作られた過程を紹介した記事を挙げていました
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    kousyou
    kousyou 2013/08/25
    記事冒頭にも挙げたひとつ前の記事とあわせてお読みいただけると良いと思います。
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  • 桂 太郎 千葉功著 - 日本経済新聞

    桂太郎の再評価が目覚ましい。宇野俊一、小林道彦という大家による評伝(それぞれ吉川弘文館「人物叢書(そうしょ)」、ミネルヴァ書房「ミネルヴァ日評伝選」)や関係書簡を包括した資料集(『桂太郎関係文書』、『桂太郎発書翰(しょかん)集』。ともに東京大学出版会)の刊行が相次いでいる。書は、その資料集を単独で編纂(へんさん)し、桂再評価の一翼を担ってきた気鋭の若手研究者による待望の評伝である。書にお

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  • 河野広中 - Wikipedia

    河野広中 河野 広中(こうの ひろなか、1849年8月24日(嘉永2年7月7日) - 1923年(大正12年)12月29日[1])は、日武士(三春藩士)、政治家。第11代衆議院議長。磐州と号した。福島県庁前に「河野磐州翁」の銅像が立っている。 生涯[編集] 生い立ち[編集] 嘉永2年7月7日(1849年8月24日)、陸奥国三春藩郷士・河野広可と・リヨ子の三男として生まれる。河野家は100石を給せられる他、呉服商・酒造業・魚問屋などを手広く営んでいた。川前紫渓に儒学を学び、その影響で尊皇攘夷論を唱えるようになった。 決死の覚悟で会見[編集] 戊辰戦争にあたっては、三春藩は当初、奥羽越列藩同盟に加担していたが、尊皇を奉じる河野らはこれに反対。兄・河野広胖らと共に明治政府への帰順を思案し、美正貫一郎の仲介を経て東山道総督府軍先鋒の参謀であった板垣退助に決死の覚悟で会見した。三春藩の帰順が認

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  • 痩我慢合戦 - 内田樹の研究室

    麻生内閣の支持率が11%まで落ちたと毎日新聞が報じている。 でも、首相は恋々として政権にしがみついている。 恋々というのも正確ではない。 おそらく、「やめどき」を逸したせいで、やめようがなくなって、困惑し果てているのだろう。 舞台に出たはいいが、退場のきっかけがわからず、観客から「ひっこめ」とトマトとかバナナの皮とか投げつけられてるのだけれど「ひっこむタイミングがわかんないんです」と半べそをかいているへぼ役者のようである。 気の毒である。 政治家の出処進退はまことにむずかしい。 「行蔵は我に存す。毀誉は他人の主張」 これは勝海舟の言葉である。 出処進退の決定については私には私なりの基準がある。それは公言して、他人の承認を求める筋のものでもない。毀誉褒貶は所詮他人ごとである。オレは知らんよ。 もちろん勝海舟だって、できることなら「勝先生は実に出処進退が鮮やかですなあ」とほめられたかった。 で

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