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社会と学問に関するkousyouのブックマーク (25)

  • 「世代」の概念はいつ作られたのか? | Kousyoublog

    ジャック・ル・ゴフ「中世とは何か」に「世代」という観念が1968年のパリ五月革命に意味を持たせるために革命に関った人々によって作られたという記述があったので、一応参考として引用しておく。 一応の文脈として、古代・中世・近代など歴史上の時代区分が現在に近くなればなるほど短く・細かくなるという指摘に対してル・ゴフは逆説的だといい、「世代」という概念についてこう言っている。ちなみに、ジャック・ル・ゴフ(1924~)はフランス・アナール学派のリーダーで西洋中世史の権威中の権威のような人。 『今は「世代」という疑わしい概念が好まれる傾向にありますね。戦争世代――と言えば暗黙のうちに第二次世界大戦です――、「ベビーブーム世代」、一九六八年世代……。世代はだいたい二十年から二十五年の幅の時代を表しています。こうしていわゆる「加速する歴史」に対応しているというわけです。 一見するとこの手段にはメリットが

  • kousyoublog.jp – このドメインはお名前.comで取得されています。

    このドメインは お名前.com から取得されました。 お名前.com は GMOインターネットグループ(株) が運営する国内シェアNo.1のドメイン登録サービスです。 ※表示価格は、全て税込です。 ※サービス品質維持のため、一時的に対象となる料金へ一定割合の「サービス維持調整費」を加算させていただきます。 ※1 「国内シェア」は、ICANN(インターネットのドメイン名などの資源を管理する非営利団体)の公表数値をもとに集計。gTLDが集計の対象。 日のドメイン登録業者(レジストラ)(「ICANNがレジストラとして認定した企業」一覧(InterNIC提供)内に「Japan」の記載があるもの)を対象。 レジストラ「GMO Internet Group, Inc. d/b/a Onamae.com」のシェア値を集計。 2023年5月時点の調査。

  • 凡庸なるロマン主義者(!?)中沢新一氏・内田樹氏への果てしなき疑問

    ■前編、中編はこちらから オウム騒動の渦中にいた宗教学者と、ポスト・オウム世代ともいえる気鋭の宗教学者が交錯した初めての対談の最終編。前回は、東大を中心とした宗教学とオウムとのかかわりに話が及んだが、その文脈からは外すことができない、東大宗教学が生んだ、もうひとりの花形宗教学者・中沢新一氏への言及も行われた。大田氏は自著『オウム真理教の精神史』(春秋社)の中で、中沢氏批判も展開しているが、島田氏も2007年に『中沢新一批判、あるいは宗教的テロリズムについて』(亜紀書房)という著書を著している。オウムに関しては沈黙を守り続ける中沢氏を、大学の後輩にあたる2人はどうみているのか? ――島田さんと同世代の宗教学者といえば、中沢新一さんです。彼の著作『虹の階梯 チベット密教の瞑想修行』(平河出版社)はオウムのネタですし、事件当時、雑誌のインタビューでは「信者を引き受ける」と言ったりしています。大

    凡庸なるロマン主義者(!?)中沢新一氏・内田樹氏への果てしなき疑問
    kousyou
    kousyou 2012/12/30
    "多くの研究者は、表面的には実直なアカデミシャンとして振る舞っていますが、根っこの部分では「素朴なオカルティスト」という人が少なくない。"
  • 「島田さんがオウム擁護派と見なされたのには、4つの理由があった」

    ■前編はこちらから オウム騒動の渦中にいた宗教学者と、ポスト・オウム世代ともいえる気鋭の宗教学者が交錯した初めての対談。第2回は、日で最も有名な宗教学者といっていい、「島田裕巳」という存在をテーマに語り合ったパートをお届けする。 島田氏は、地下鉄サリン事件当時、オウム真理教を擁護しているとしてマスコミからバッシングを受けた。日刊スポーツには「島田氏がオウム真理教から幹部用の教団名、ホーリーネームを授かっており、学生をオウムに勧誘した」などと報道される。その他一部でも、島田氏はオウム擁護派のレッテルを貼られ、最終的には勤めていた大学を辞職するまで追い込まれた。その後、日刊スポーツの報道については、名誉毀損による賠償請求を提訴し、全面勝訴している。今回は、そんな過去を持つ島田氏に対して、大田氏があらためてオウム真理教との関係について問う。 大田 今日は島田さんと話ができる貴重な機会なので、や

    「島田さんがオウム擁護派と見なされたのには、4つの理由があった」
  •  與那覇潤『中国化する日本』 - 西東京日記 IN はてな

    話題の。面白いとは思います。そして著者の煽りを煽りをきちんと受け止めてスルーした上で第10章をきちんと読み込むことが出来るならば、世間で通用している日史とは別の日史の読み方を提示したとして有益な面もあるかもしれない。 が、同時に歴史学という学問のいい加減さを露呈させているでもあり、史学科の日史学専攻出身の人間としては非常に複雑な気持ちで読みました。 書の内容は「中国化」と「(再)江戸時代化」というキーワードで平安後期から現代に至る日史を斬るというものです。 10世紀に中国では宋が誕生します。東洋史家の内藤湖南はこの宋の成立をもって「近世」が成立したと述べていますが、それほどこの宋の制度というのは画期的なものでした。 この宋の画期性を著者は内藤湖南の言葉を借りて次のように整理しています(31p) 1、貴族制度を全廃して皇帝独裁政治を始めたこと 2、経済や社会の制度を徹底的に自

     與那覇潤『中国化する日本』 - 西東京日記 IN はてな
  • 社会学を志望しようかなと思っている大学受験生のために(2011年度版) - shinichiroinaba's blog

    今年も模擬講義の季節がやってまいりました。 とりあえず埼玉県立越谷北高校の皆さん、お約束のバージョンアップ版です。 再来週は都立三田高校に参ります。 ========================== 社会学は経済学政治学と並んで「社会科学」の仲間とされていますが、日の大学では大体社会学科は(もちろん、社会学部のないところでは、ですが国公立大学にはほとんど社会学部はありません)文学部に配置されています。なぜこうなっているのかといえば、社会学部は他の社会科学と比べて「主観」、人間の主観的な意識、心をその焦点とするからです。 経済学をはじめとして他の社会科学は「客観」的現実に照準を合わせますが、社会学はこれを無視するわけではないにせよ、人間がそうした「客観」的現実をどう「主観」的に経験し、その経験から「客観」的現実にはたらきかけていくか、を主題とします。その意味で人間の「主観」に照準する

  • 社会システム理論入門: コミュニケーションの連鎖としての社会

    kousyou
    kousyou 2011/11/21
    "システムとして社会を捉えるということは、社会を、「実体」として存在しているもの(being)ではなく、絶えず「生成」されているもの(becoming)として捉えるということである。"
  • 社会システム理論入門: ルーマンの社会システム理論の魅力

    Tuesday, November 3, 2009 ルーマンの社会システム理論の魅力 ニクラス・ルーマンは、「社会とはコミュニケーションの生成・連鎖のことである」という革新的な社会理論を構築した。ルーマンの社会システム理論がもたらした最大の貢献は、「コミュニケーション」の観点から社会を捉えるという視点の転換にある。ルーマンは、社会システムの要素は「コミュニケーション」であると捉えた。この捉え方は、社会の要素を「主体」もしくはその「行為」であるとする従来の社会理論と全く異なる視点であるといえる。 ルーマンの社会システム理論の魅力は、(1)社会という事態がいかにして可能なのかを根から問い、(2)社会のミクロからマクロまでをつなぐ一貫した理論体系をつくり、(3)社会における物事の境界線の引き方を厳密に突き詰めた、という点にあると私は考えている。まだ社会システム理論の中身を説明していないので、

  • そーゆーことは法社会学でやってくれ(意訳)@金子良事 - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

    金子さんからの一連の拙著書評の最後のメッセージ。 http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-220.html(労働法規範理論と社会科学としての法) 一言でいうと、これですね。 >濱口さんは今回のを労働法と労使関係論を繋ぎ合わせる必要があるという問題意識で書かれたわけですが、以上のような前提を踏まえて言えば、それも全部トータルで法学でやってください、と思わなくもない。 実をいえば、それができるような状況ではないから、労使関係論や社会政策の蓄積をそのまま流用するような形でしか、この分野が書けないのです。 >法社会学をベースにした労働法をしっかり確立させるということでしょう(もちろん、末弘厳太郎以下、これが豊富な研究蓄積を残しているわけですが)。ただ、労働に関する法社会学が独立した成果を持っているかどうかというと、私の知る限りでは少し心許ないとい

    そーゆーことは法社会学でやってくれ(意訳)@金子良事 - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)
  • 社会政策・労働問題研究の歴史分析、メモ帳 労働法規範理論と社会科学としての法

    社会政策・労働問題研究について歴史的なアプローチで研究しています。ここではそのアイディアやご迷惑にならない範囲で身近な方をご紹介したいと考えています。 濱口先生からお答えをいただいていたのですが、週末から今週は風邪を引いてしまい、ブログを更新できませんでした。申し訳ないです。 今回のやりとりで私が勉強になったのは、この理念型が単純な社会学的(社会科学的といってもいいですが)観察によって形成されるものと、法における規範を組み込んだ規範理論の二種類があるということです。私の場合、これをほとんど同一視していたのは、私自身の感覚がコモンローをバックグラウンドにしているためだと思います。古い古い自然法を前提に法の発見をしていくシステムであるところのコモンローでは、法=規範そのものであり、かつそれは神様によって作られている、ないし神様そのものなので、それ自体は争う余地がなく、あとは人間がそれを発掘して

    kousyou
    kousyou 2011/10/20
    "もっとも優秀な理論家は、自分と違う情報ソースを持つベタな事実をたくさん知っている調査研究者や歴史研究者と容易に対話し、そこから新しい刺激を受けて自分の理論を深めていかれるように思います"
  • 社会学における「理論の実証」 - 社会学者の研究メモ

    (以下は二〜三カ月前に書いたメモですが、寝かせておいてもあまり意味がなさそうだし、稲葉先生もシノドスの論考を公開されたのでいいタイミングだと思うのもあり、ちょっと手を入れた上で公開します。) 社会学の問いの特徴 私は、学部のゼミでは(大学院でも基的にはそうだが)、いわゆる「標準的な研究プロセス」に従って個人研究をするように指導している。標準的な研究プロセスとは、問いを立て、それに対する理論仮説をデータ(質的・量的)で検証するという手続である。 その際、しばしば「社会学的な問いの立て方」というものを説明する必要が出てくることがある。学生は基的に社会学の授業をいくつか受けているので、そうしたほうが効率がよいからである。それに、意外に「社会学的な問いの立て方」を説明するのは簡単なのだ。 それは、「注目する現象/人間行動が、性別、年齢、学歴で違いを持つかどうかをまず考えてみたら?」というもので

    社会学における「理論の実証」 - 社会学者の研究メモ
  • SYNODOS JOURNAL : 斜めからみる「日本のポストモダン教育学」 稲葉振一郎

    2011/8/1215:0 斜めからみる「日のポストモダン教育学」 稲葉振一郎 撮影:鈴木理策 日の人文社会科学における「ポストモダニズム」の格的受容はいつごろはじまったのであろうか? 80年代初頭の浅田彰の華々しい活躍はとりわけ印象深かったが、もちろんそれに先立つ1970年代に、「1968年」の余燼冷めやらぬなか、フランス文学出自の書き手を中心に、雑誌『現代思想』や『エピステーメー』などを拠点としてジャック・デリダやミシェル・フーコーらの紹介が精力的になされてきた。 さて、そのような状況に、日教育学はどう対応していたのだろうか? 日教育学における近代批判は、内発的にはたとえば、やはりポスト「1968年」の一環としての反差別運動に呼応するかたちで現われ、すでに70年代に、障害者教育や発達心理学の内在的批判から立ち上がった反発達論(先駆的には山下恒男『反発達論』現代書館、197

  • オーギュスト・コントと社会学の誕生

    オーギュスト・コント (Comte, Augste, 1798-1857) は1798年に南フランスのモンペリエで生まれた。父は公務員だから中産階級の出身。子供のころから秀才で1814年(コント16歳)でエコール・ポリテクニク*という,ナポレオンが創設した超エリート校に入学した。ところが,1816年に,コントは退学処分になる。コントが入学したのはナポレオンが失脚し,第一次王政復古があった年である。その翌年に,ナポレオンがエルバ島から復帰,ルイ 18 世は再び亡命。けれども,ナポレオンはワーテルローの戦いに破れ,第二次王政復古となる。このとき,コントが第二次王政復古に反対する学生運動に加わったことが退学の理由とされる**。 * École polytechnique(理工科大学校):ナポレオンが軍事技師を養成するためにつくった学校。今日でも国防省に属し,学生は国から給費を受け,制服を支給され

  • 社会学と「民間学」(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again

    東京大学出版会のPR雑誌『UP』(456)に斎藤兆史「『英仏文学戦記』後記――イギリスで読み直すイギリス小説」(pp.1-5)という文章あり。斎藤兆史、野崎歓『英仏文学戦記 もっと愉しむための名作案内』というを読んでもいないし、買ってもいないので、何とも言えない。ただこの文章の内容は面白い。小見出しだけ掲げておくと、 イギリスの自然は身近でありながら意外と過酷である イギリスでは子供の位置が確保されている イギリス人の家に対する思い入れは尋常ではない イギリスは激しい異文化接触を経験してきた国であるまた、奥井智之「社会学の履歴書――『社会学の歴史』刊行に寄せて」(pp.6-11)。 奥井氏の『社会学の歴史』も読んでいないのだが。この文章の中で、社会学とその隣接領域*1にユダヤ人が多いことが指摘されている。ユダヤ人として名前が挙げられているのは、 マルクス フロイト ジンメル デュルケーム

    社会学と「民間学」(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again
    kousyou
    kousyou 2010/10/28
    "重要なのは社会学の創生に際して、民間学者が大きな役割を果たしたことである"
  • 2010年7月14日(水)一橋大学 見田宗介講演会

    h @_h_japan 昨日の見田宗介(真木悠介)講演会。 聴いてよかったと思えたポイントをメモっておこう。 「社会(科)学の研究をする際には、自分が(現代社会を)生きていく上で最も切実な問題(つまり、それが解決されなければ自分は生きていけないところの問題)としての『原問題』を、決して忘れてはならない」 2010-07-15 11:45:13 h @_h_japan 「原問題は、それ自体はナイーブで、研究するには大きすぎる問題である。なので、それを他人に話すと、学界では『ナイーブすぎる』『大きすぎる』とされ、評価されない。しかし、原問題に関する先行研究を網羅的に勉強していけば、その勉強は必ず自分の人生の糧になる。決して無駄にはならない。」 2010-07-15 11:49:15 h @_h_japan 「原問題に関する先行研究を網羅的に勉強し、その中でいまだ解決されていない点を見つけ出し、

    2010年7月14日(水)一橋大学 見田宗介講演会
    kousyou
    kousyou 2010/07/18
    見田先生は著書の「社会学入門」でも原問題の重要性について"問題意識を禁欲しないこと"と書いてたな。そこは読んでてかなり共感した。
  • 社会学にとって理論とは何か - 社会学者の研究メモ

    「理論と実証」について考えるときに、しばしば忘れられてしまうのは、理論と実証以前に、その両者に意味を与えるもっと大事なことがある、ということです。それは「問題関心」です。そして多くの実証研究は、この問題関心から出発しています。階層研究であれは公平性、都市研究であればコミュニティの価値、などが一例になるでしょう。そういった(根的には日常の社会生活に根ざしている)問題関心があるからこそ、それに関わる問を立て、答えていくという研究活動が成立するわけです。ほとんどの実証研究はこの枠組みに沿って行われているはずです。(そうではないものはちょっと想像しにくい。) 要するに、研究は実証するために行うものではありません。理論を構築するために行うものでもありません。理論を実証するために行うものでもありません。特定の問題関心から発する問いに、説得力をもって答えるために行うものです。(だから、日常的なコミュニ

    社会学にとって理論とは何か - 社会学者の研究メモ
  • 社会学に何を求めるか? - himaginary’s diary

    というブログエントリがあったので、以下に訳してみる(Economist's View経由)。 このブログで何回も論じたように、反実証主義の立場を我々が取り入れたものとしよう。つまり、社会学は自然科学をモデルとすべきではないし、社会現象には自然現象に特徴的な均一性や一貫性を期待すべきではないし、社会の法則を発見すると期待すべきではない、ということだ。その場合、ポスト実証主義的社会学にはどんな知的課題が残されているだろうか? 我々は社会学に何を求めるのだろうか? 以下は、幾つかの重要かつ実行可能なテーマである。 社会の動き/集団行動/よくある政策 の記述および理論 ファシズム、植民地主義、財政制度といった大規模な歴史的かつ社会政治的構成物の比較研究 社会的不平等(人種、性、階級、民族)とそのメカニズムの記述的分析 主要な社会制度(企業、組合、大学、政府、宗教、家族)の記述的ならびに理論的な説明

    社会学に何を求めるか? - himaginary’s diary
  • プロ倫は実証的に見ればゴミですよ - finalventの日記

    池信先生⇒Twitter / 池田信夫: いまだに「プロ倫」を学生に勧める先生が多いみたいだけ ... いまだに「プロ倫」を学生に勧める先生が多いみたいだけど、あれはウェーバーの作り話 プロ倫は実証的に見ればゴミですよ。その点ではレヴィストロースがトンデモさんというのとあまり変わらない。 じゃなぜプロ倫かというと、人間行動における合目的性の概念にあって、それが理解社会学となるのだけど、この内面の「理解」を、いわゆる文学的な人間の内面ではなく、モデル的に、つまり理念型的に取り出したところがポイント。だからこの先にパーソンズの構造機能分析が出てくる。だからプロ倫が基礎とも言える。 ただ、これもちょっと特異な発想で、現代知性にとって重要かというとちょっと微妙かもしれない。 あと ⇒[書評]プロテスタンティズムの倫理と資主義の精神(マックス・ヴェーバー): 極東ブログ ⇒[書評]マックス・ヴェー

    プロ倫は実証的に見ればゴミですよ - finalventの日記
  • (学生向け)面白い論文の書き方(その二) - 社会学者の研究メモ

    おかげさまで前回のエントリは好評でした(2100ほどアクセスがありました)。引き続き、「ひと味違う論文作成方法」を試みます。 データ収集 さて、検証の目的から確認しておきましょう。検証の目的は、データを集めることではありません。論文を読む人(や報告を聞く人)を納得させることです。「そんな相対的な基準でいいわけ?」と思う人もいるでしょう。いいんです。アカデミックな世界も基は同じ学者仲間からの評価が基準になっています(こういうシステムをピア・レビューといいます)。学生であれば、指導教官を納得させるのが目的になります。 納得させるための手段にはいろんなものがありますが、どういうときに人は納得すると思いますか? 2つあります。 データで納得させる。 実証ってやつです。数字は強力です。きちんとしたかたちで提示すれば、まず反論されません。 理屈で納得させる。 論証ってやつですね。 つまり、場合によっ

    (学生向け)面白い論文の書き方(その二) - 社会学者の研究メモ
  • 面白い論文の書き方(その一) - 社会学者の研究メモ

    今回も教科書ネタ。 学生の論文には、読んでいて面白いものと、苦痛なもの指導しがいのあるものがあります。後者のような論文を書く学生は、論文についてこう考えていることが多いです。 興味のあることを見つけて、それについて文献を読み、それをまとめて、最後に自分の意見を書く。 こういう指導をされている先生方は意外に多いのではないかと思います(自分も昔はそうでした)。指導がラクだし。しかしこれは論文を書くときの方針にはなりませんし、してはダメです。 論文とは「研究成果」のアウトプットの1つです。少なくとも社会学における研究とは、解かれていない謎や決着のついていない問いを自分で見つけ出し、データ等の証拠を使ってそれに答えることです。(それ以外の論文もありますが、まず基を抑えないとダメです。)上記のダメ方針は、研究と単なる勉強を取り違えているのです。 研究の手順は標準的に教えられているもので十分です。

    面白い論文の書き方(その一) - 社会学者の研究メモ