0.1 ごあいさつ 立命館大学文学部では、2012年に教育カリキュラムを再編し、日本文学専攻は、日本文学学域のもと、日本文学専攻と日本文化情報学専攻の2専攻にわかれました。日本文化情報学専攻は、日本語圏の中の言語活動、芸術・文化、そしてそれらの活動によって創出されるさまざまな文化資源が活用されて、蓄積(アーカイブ)されていく過程を学ぶ、実践的学問を目指して設立した新しい専攻です。この専攻では、とくに演劇や絵画などの芸術と文学が交差する領域を学ぶ芸術ゼミが本年度からスタートしました。本展覧会は、芸術ゼミの第1期生の企画による展覧会です。 展覧会のテーマは、「忠臣蔵」です。「忠臣蔵」は、1702年に起きた赤穂藩の旧志士による吉良邸討入り事件を1748年に劇化し、大坂道頓堀の人形浄瑠璃の劇場で上演された「仮名手本忠臣蔵」のタイトルの一部分ですが、「仮名手本忠臣蔵」という戯曲作品の世界を越えて、日
「おお!できたねえ。前の建築とそっくりだ。」と建築家の東郷さん。 「よかったわ。どこか変えられちゃうんじゃないかと心配してたんです。」恵美ちゃんはさっそく自慢のミラーレスカメラを取り出している。 「前の建築をどこまで復元するのか、それを確かめたかったんだけど、建築家隈研吾はあっさり前作を踏襲したみたいだなあ。」 「復元という感じですねえ。」と恵美ちゃん。 すると宮武先生が割って入った。 「ちょっと待った。今日、ぼくは二枚の写真を持ってきました。これを見てください。」とカバンから古い写真を取り出した。 「えーっ!これ、似てますけど、ちょっと違いますね。両方とも歌舞伎座ですか?」恵美ちゃんが撮影の手を止めて覗きこんだ。 「そうなんですよ。古い方が、1924年(大正13)岡田信一郎が設計してできたもの。もう一枚は、それが戦災で半壊したのを戦後、1950年(昭和25)吉田五十八が設計して再建したも
ぽちゃ婚 やっぱり、志ん生。 志ん朝もね。 『昭和元禄落語心中』が終わってしまいました。毎週ささやかなお楽しみだったので、ちょっとさびしいです。これを機会に、三遊亭円朝のことをもう少し知ってみたい心持ちです。 空前絶後の落語ブームの火付け役といわれていますが、なによりも、落語にひそむ、あやうくてあやしくて、はかない世界をあぶり出している稀有な傑作です。落語にはそんな雰囲気が何気なく漂っているものなんです。各回に登場する噺を「千字寄席」とリンクしてみました。 『落語心中』に登場するはなし、円朝作が多いのに気づきます。「鰍沢」「芝浜」「死神」「黄金餅」……。孤立、夢、死、葬といったものがベースの、きわめて映像的で幻想性の押し出されたはなしばかりです。落語が背負う、もうひとつの不気味な顔ですね。 アニメ版では、主題歌は椎名林檎の「薄ら氷心中」と「今際の死神」。林原めぐみがうたってます。どっち
というお題での寄稿を「観世」から頂いた。 書いてはみたけれど、ぜんぜん世阿弥の身体論が出てこない文章になってしまった・・・ 観世流の広報誌という一般の方が読む機会のない媒体なので、ブログに転載して、ご高覧に供したい。 「いつもの、あの話」ですので、あまり期待しないように。 世阿弥の身体論 平安末期から室町時代にかけて能楽と武芸と鎌倉仏教が完成した。それらは日本列島でその時期に起きたパラダイムシフトの相異なる三つ相であるという仮説を私にはしばらく前から取り憑かれている。そういうときには「同じ話」をあちこちで角度を変え、切り口を変えながら繰り返すことになる。今回は能楽の専門誌から「世阿弥の身体論」というお題を頂いたことを奇貨として、「同じ話」を能楽に引き寄せて論じてみたい。 武道と能楽と鎌倉仏教を同列に論ずる人が私の他にいるかどうか知らない。たぶんいないと思う。私の鎌倉仏教についての理解はほと
2023/12≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031 ≫2024/02 作品紹介→軽妙で濃密…落語界を舞台に描く人情落とし噺:雲田はるこ「昭和元禄 落語心中」 2巻レビュー→なおも濃く、深く、小気味よく…:雲田はるこ「昭和元禄落語心中」2巻 3巻レビュー→菊比古にとっての“落語”:雲田はるこ「昭和元禄落語心中」3巻 作者他作品→気になる相手は子持ちのバツイチ…けれども守ってあげたい:雲田はるこ「野ばら」 雲田はるこ「昭和元禄落語心中」(4) これがアタシの 心底欲した孤独 ■4巻発売しました。 ついに助六、破門となった。落語を辞めるな、師匠に詫びろ、必死にくどく菊比古に、それでも耳を貸しちゃくれねぇ。あげくに身重のみよ吉と、手に手を取っての道行きだ。独り落語に打ち込む菊比古に、七代目がついに明かした「八雲」と「助六」の
平家物語の音楽その1 ─平安・鎌倉時代の雅楽はこんな曲!? ─ 本稿は、2012年京都市立芸術大学音楽学部オープンスクールで催された日本伝統音楽特別講座(10月13日、於大学講堂)の講演内容に一部加筆して掲載するものです。2011年オープンスクールでの「源氏物語の音楽」に引き続き、本年度(2012)は平家物語に描かれる雅楽の演奏シーンを取り上げました。曲目は平家物語の小督局(こごうのつぼね)が弾く〈想夫恋(そうふれん)〉と、平重衡が奏でた〈皇麞急(おうじょうのきゅう)〉です。レクチャーに加えて、京都市立芸術大学大学院音楽研究科博士後期課程在学生有志と京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター教職員有志による平安末期・鎌倉期の雅楽譜にもとづく再現演奏も行いました。 プログラム 想夫恋(そうふれん) ~こんにちのスタイルによる~(拍子二まで) 想夫恋(そうふれん) ~平安時代末期・鎌倉時代の古
相撲甚句とは何か相撲甚句は地方の神前相撲やお祭りの相撲大会から大相撲まで、その開催時に唄われる甚句(七七七五調の俗謡の一種)で「一つ拍子」と「三つ拍子」があり、地方の神社などで行われる祭礼では唄にあわせて踊り(相撲踊り)が行われるのが普通である。 相撲甚句の動画 「甚句」とは何かその発生には諸説あるが、有力なのは十八世紀初頭、安永から享保にかけての時期(1704~36)に関西地方で流行した「兵庫口説」のなかの長崎の呉服商ゑびや甚九郎の物語をうたった「ゑびや甚九」という叙事歌謡が「甚九郎節」として瀬戸内海沿岸から日本海沿岸に広まり、やがて北前船の船乗りを通じて東北から日本全国に広まるなかで、盆踊り唄の一種としての「甚句」へと発展したという。(山田P106-107)「口説(くどき)」は同じことを”くどい”ほど繰り返す意味で、短い節回しに歌曲の一節を何度も繰り返して唄われる。要するに十八世紀の流
落語立川流は故・立川談志が1983年に創設した団体だ。落語界初の上納金制度(現在は廃止)、前座から二つ目への昇進に落語50席(真打ちは100席)に歌舞音曲の習熟という明確な基準を設けて明文化するなど、他の団体にはない要素を打ち出したが、談志の厳しい方針は多くの脱落者をも生み出した。 ここに2人の立川流真打がいる。 立川生志。前座名、笑志。1988年入門、1997年二つ目昇進、2008年真打昇進。 立川談慶。前座名、ワコール。 1991年入門、2000年二つ目昇進、2005年真打昇進。 2013年にはそれぞれが、生志『ひとりブタ 談志と生きた二十五年』、談慶『大事なことはすべて立川談志【ししょう】に教わった』という初の著書を刊行した。生志20年、談慶14年。両人ともに会社勤めを経験してからの入門である。長い修業期間に2人が師匠・談志とどう接してきたのか。一門にしかわからない立川流の素顔を対談
竹生島(第三回淡海能 一期生R.M訳) 作者:不明 能柄:脇能物・荒神物・太鼓物 人物:前シテ・漁翁 後シテ・龍神 前ツレ・浦の女 後ツレ・弁才天 ワキ・朝臣 ワキツレ・従臣 アイ・竹生島明神の社人 小鍛冶(第四回淡海能 二期生C.U訳) 作者:不明 能柄:五番目物・霊験物・太鼓物 人物:前シテ・童子 後シテ・霊狐 ワキ・小鍛冶宗近 ワキツレ・勅使 アイ・末社の神または宗近の下人
11月歌舞伎座昼の部で「井伊大老」。 吉右衛門さんの直弼に、芝雀さんのお静の方。菊之助が昌子の方。 やっぱりこの方は名優だ……と惚れ惚れとした。意識と感情がぐわっと持っていかれた。人間国宝に向かって、そしてかれこれ数年、播磨屋さんを観てきて、なにもいまさら「名優だ」もないけど、でも今日も改めてそう思ったのだから仕方がない。 吉右衛門さんの「井伊大老」(北条秀司作) . . . Read more 岡本綺堂の「番町皿屋敷」、8年前に初めて観て、その近代的な心理描写の面白さにかなり衝撃を受けた。当時ここで感想を書き連ねてる。 関ヶ原の戦いからまだそうはたっていない17世紀半ば。戦国の世でなくなり戦場を失くした男たちが、熱の冷めやらぬエネルギーを喧嘩騒ぎに注ぎ込むしかなかった、ワサワサした時代。町奴と旗本奴の争いが物語の背景にあって、それは歌舞伎の「極付幡随長兵衛」でも描かれている。「幡随長兵
世界中から依頼が殺到する建築家の著者は、悩みつつも挑戦し続ける。 ──建て替えで話題の歌舞伎座は4月にこけら落とし興行ですね。 その設計をしていて気づいたのは、昔の人が築いたものをうまく使うと、自分一人ではできないことができるようになることだ。20世紀の近代建築以降の建築家は、個人の創造性ばかりが評価されるが、ヘリテージ(遺産)とも「チームワーク」がありうることがわかった。 僕が手掛けているのは歌舞伎座第五期。1889(明治22)年に第一期ができ、二期、三期、四期と、それぞれの建築家がいた。その人たちが積み上げてきたものの上に僕たちがいて、その積み上げてきたものをうまく使って造り上げた。これは、戦後流の見方からすれば過去に縛られているとなるが、そうはいえない。その人たちと一緒にできると考えると、むしろそれは感謝すべきことで、得したという感じがする。 ──ただのヘリテージではないわけです。
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