1999年に『REALTOKYO』(以下、RT)を創刊して以来、常に感じていたのは競合者あるいは併走者の不在だった。RTをつくった動機についてはこの連載の第1回を読んでもらいたいが、要は「これだけ国と国とのあいだの敷居が低くなり、国境を越えたつきあいがたやすくなった時代に、距離を超えて同じ話題を共有すること。それも、株価や不動産の話じゃなくて、映画や音楽やアートやパフォーミング・アーツの話題を中心に情報を交換し合うこと。文化的な『鎖国』とはほど遠いセンスを持つ個人が集まって、世界のおいしいものについて語り合える場をつくること」に尽きる。そういう場はたくさんあればあるほど良いに決まっているけれど、なかなか追随者は現れない。うれしかったのはバイリンガルウェブマガジン『Tokyo Art Beat』の創刊(2004年10月)だが、このサイトは名前でわかるとおり、アート情報に特化している。 無料の
意見は人それぞれでしょうけれど、僕は日本人は日本人らしいアートを作った方がいいし、さらに、東京に暮してる人は東京らしいアートを作った方がいいと思うんですよね、単純に。 ま、いんですよ。国籍とか住んでる街とか、そんなみみっちいことを感じさせない、普遍とかユニバーサルとか目指すものもあって。でも、それはあるでしょ、すでに十分に。不足してるのは、絶対に「東京らしいアート」の方ですよ。 例えば今年僕はムサ美に教えに行ってますけど、「これぞ東京!」って感じの学生の作品にはほとんど出会えません。技術的なレベルは高いんですけどね。あそこは東京郊外の、雑木林とか畑の残ったのんびりした所にあるけど、作品の雰囲気も全体的にそんなトロい感じで、いまいちピリッとしてない。東京芸大も、都心にあるといっても、時間が止まったような上野だしねえ。東京って街は世界的にもっと尖った、変な、狂った街なはずだけど、それがアー
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