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ブックマーク / frasco-htn.com (8)

  • 【エブエブ解説】なぜ靴を左右反対に履くのか?:規範を破って獲得する自己同一性 | 映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』評 | フラスコ飯店

    (C)2022 A24 Distribution, LLC. All Rights Reserved. 複雑な映画だった。だから『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』にはいろんな読解 / 解釈 がある。 しかし、こういうのはどうだろう。これは自己同一性の映画だ。 そう考えると、「なぜを反対に履くのか」「なぜベーグルなのか」の理由が見えてくる気がします。「なぜクィアな人たちばかりにスポットライトが当たるのか」の説明も、多分これでなんとかなると思います。 ちなみに、難解でお馴染みのテレビエヴァンゲリオンの「おめでとう」や “スタンドアロン・コンプレックス” の意味も、この記事で少しは掴めたかもしれません。 mokuji 我々は “バースジャンプ” をどう解釈するか “バースジャンプ” には引き金が必要 快楽:あったかもしれない自己像の妄想 自分を保てない不安と苦しみ あらゆ

    【エブエブ解説】なぜ靴を左右反対に履くのか?:規範を破って獲得する自己同一性 | 映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』評 | フラスコ飯店
  • どうしても比べてしまうわたしたちの、これからの選択 |映画『あのこは貴族』|フラスコ飯店

    「あのこ」が誰なのか、映画がはじまるや否やわたしたちはすぐに察する。元旦の東京をタクシーで移動する彼女の身なり、運転手のどうでもいい話に返事をせず、かといって流れる夜景にも関心を示さない物憂げな表情。そして立派なホテルで豪華な事を楽しむ彼女の家族を見て「このこが貴族」だと確信する。じゃあわたし(たち)はなんだろう。 映画『あのこは貴族』はあらゆる「対比」が散りばめられた作品であり、その対比はタイトルから既にはじまっている。家族との優雅な会とそこでの話題、「おばあちゃま」呼びなどなど、わたしたち観客は華子との生まれ育ちの比較をせずにはいられない。 →読む前に『あのこは貴族』をもう一度観る 視覚的に描かれた “映画的対比” 華子は自己主張がなく流れに逆らわない人物に見える。その性格は彼女のファッションにも表れている(服装やヘアメイクで人の内面をアレコレ推測するのは失礼だけど、映画なので!)

    どうしても比べてしまうわたしたちの、これからの選択 |映画『あのこは貴族』|フラスコ飯店
  • それでも、言葉を尽くして生きなければならない | 映画評『ドライブ・マイ・カー』 | フラスコ飯店

    (C)2021「ドライブ・マイ・カー」製作委員会 言葉とは何だろう。言葉が通じるとは、話をするとは、どういうことだろう。言葉を使うことは否応なく、言葉を使わなければ出会うことのなかった深い深い孤独と対面することでもある。同時に、言葉がなければ見ることのできない祝福の光を浴びることでもある。そのような孤独の暗闇と、トンネルの先にある朝の海のような眩しい光とのあわいを、一台の赤い車が走ってゆく。 『ドライブ・マイ・カー』という映画について語る時、まず僕はこういった抽象的なイメージを語らなければならない。すぐさま細部を語るには、あまりにこの映画の引力が強すぎる。 文・すなば 1991年生まれ。会社員として働く傍ら文筆家として活動。海とシティが好き。2021年10月に初の単著『さよならシティボーイ』(トーキョーブンミャク)刊行。 →『さよならシティボーイ』について詳しくはコチラ 当は誰も、同じ言

    それでも、言葉を尽くして生きなければならない | 映画評『ドライブ・マイ・カー』 | フラスコ飯店
  • 正直これは……『竜とそばかすの姫』 映画評レビュー(酷評?) | フラスコ飯店 【考察】

    細田守を応援してるけど、正直これは「全部どうでもいい話」かも。| 『竜とそばかすの姫』 | 映画評レビュー (C)2021 スタジオ地図 涙が出た。あくびで。毒舌の苦手な鈴ちゃんのために控えめに言ったとしても、最悪だ。なにこれ。僕は細田守のつくる映画が好きだ。好きだった。だからこそ、なおさらなのかもしれません。 (C)2021 スタジオ地図 スタンディングオベーションさながらの大喝采から、僕のようなネガティブな意見まで賛否両論。しかし否定的な観客も「絵と音は綺麗で荘厳だった」という部分には合意しています。けれど僕はそれすらも疑問です。 絵は綺麗。歌、魔力的。 しかしそれぞれがセパレートして味がバラバラ。 極上の刺身と、程よい温度のシャリを交互にべているような感覚です。胃の中でいつか寿司になるのを待ってはみたけど、やっぱり肩透かしの空論でした。 シンガーの中村佳穂が演じるベルの歌唱は申し分

  • 映画評『花束みたいな恋をした』| 感想考察レビュー| 花束みたいな恋を「させられている」のではないか| フラスコ飯店

    ジャックパーセルなんか、二度と履いてやるかと心に誓った。 エンドロールが終わり、立ち上がることができない。正直に打ち明けるならば、最初のモノローグの時点で、こうなることは分かっていたけれども。 たしかにこれは「良い映画」なのだろうと直感でそう思いました。が、しかしこの映画が僕に与える感情はいったい何だったのか、僕にはわかりませんでした。絶対故障だ。処理できない。けれど喪失感に似た得も言われぬ疲労が下腹にどんよりと残る。論より証拠。そうなってしまったのだから仕方ない。 (C)2021「花束みたいな恋をした」製作委員 非常識なくらい辛すぎる麻婆豆腐をべたときのような、あるいは度を越えるほど甘ったるいチャイを飲んだときのようなーー。たしかに強烈な味がそこにあることはわかるけれど、具体的に詳細に述べることは困難で、とにかく今は水を求め喉をリセットしたい。たべるのがおそいせいかお腹がもういっぱいだ

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  • 岸政彦『図書室』書評 —思い出すこと/思い出せないこと/思い出さないこと— | フラスコ飯店

    社会学者が「小説」を書いたらどうなるのか。他者との交わりと自己への内省が同居するこの岸政彦の小説を、自身も社会学を学んでいるライターの安尾日向が語ります。 思い出すこと 自分の一番古い記憶ってなんだろう、と考えてみる。 4歳のとき、もうすぐ生まれてくる妹を、わくわくしながら待っていた病院の廊下の景色だろうか。それともそのもう少し前、幼稚園の入園式の日に、制服を着るのが急に嫌になって、押入れの一番上に登って籠城したときの、少し高いところから見下ろした居間の景色だろうか。 どちらのイメージも、思い出した端から綻びていく淡いものだ。これらは記憶と呼べるのだろうか? 自分が当にこの目で見たものだという自信は少しもない。印象的なこれらのシーンは、あとになってから家族に聞かされた話を、頭のなかで想像し、再現したイメージに過ぎないのかもしれない。 http://sociologbook.net/wp-

    岸政彦『図書室』書評 —思い出すこと/思い出せないこと/思い出さないこと— | フラスコ飯店
  • 2020年、激動の BUMP OF CHICKEN への信頼を問い直す| 彼らの振る舞いと不倫報道へのステートメントを読んでわかること | フラスコ飯店

    2020年、激動の BUMP OF CHICKEN への信頼を問い直す| 彼らの振る舞いと不倫報道へのステートメントを読んでわかること |連載:わた藤 番外編 あなたにとって、2020年はどんな年だっただろうか。突然猛威を振るった新型コロナ感染症に東京オリンピックの延期、外出自粛の日々。思うところはいろいろあるけれど、わたしにとって外せない2020年の象徴は「BUMP OF CHICKEN」だった。 世間を、特に BUMP OF CHICKEN ファンを騒がせたニュースが2つある。 1つは、Vo.Gt. 藤原基央の結婚発表。バンドのレギュラーラジオである『PONTSUKA!!』 内で自身の口から公表し、インターネット上では祝福や驚き、ショックの声など、様々な反応が見られた。 2つめは、Ba. 直井由文の不倫スキャンダル。結婚を隠して女性と交際していたことが元交際相手の女性によって週刊誌にリ

    2020年、激動の BUMP OF CHICKEN への信頼を問い直す| 彼らの振る舞いと不倫報道へのステートメントを読んでわかること | フラスコ飯店
  • 【書評】簡単に「共感」してくれるな | 又吉直樹 小説『劇場』|レビュー/感想/考察 | フラスコ飯店

    ——あなたなら、①と②のどちらを選ぶだろうか? 僕は①の「だけど」を選ぶ人のほうが多いと予想する。 どうして「②だから」ではなく「①だけど」が入ったほうが自然な文に思えてしまうのか。この記事のテーマはまさにこの疑問にある。 「共感」と「おもしろいかどうか」。2つの間に結ばれた関係はどのようなものか。小説「劇場」を通して考えてみよう。 劇作家・永田が見る世界 又吉直樹(以下敬称略)の小説第2作「劇場」は、演劇を志す永田が金もなくボロボロの状態で東京の街をうろうろと歩き回る描写から始まる。誰もが永田に嫌な視線を投げつけてくる。しかし、永田がとある画廊の窓を覗いているとき、となりに1人の女性が現れる。その女性は自分と同じように窓のなかを覗いていた。それが沙希との出会いだった——。 作者の又吉はこう語る。 「劇場」という小説は、恋愛というものの構造がほとんど理解できていない人間が書いた恋愛小説です

    【書評】簡単に「共感」してくれるな | 又吉直樹 小説『劇場』|レビュー/感想/考察 | フラスコ飯店
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