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フランスに関するkousyouのブックマーク (179)

  • ノルマン朝(アングロ=ノルマン王国、1066~1154)の歴史まとめ

    ウィリアム1世のノルマンディー公位継承時からフランス王、アンジュー伯が介入して三つ巴の争いが展開され、北海を挟んで北欧ではデンマーク、ノルウェー、さらにイングランドまでを支配下においたクヌート大王による北海帝国の圧力が強まっていた。クヌート大王死後北海帝国は空中分解してイングランドはエドワード証聖王のアングロ・サクソン政権に戻っていたが彼には後継者が無く、イングランド王位は地域の覇権を狙う上で誰もが欲しい地位であった。 1060年代、ノルマンディー公ギヨーム2世はノルマンディの内紛を制し、ちょうどタイミングよくフランス王アンリ1世が没して幼年のフィリップ1世が即位し、アンジュー伯家でも後継者争いが勃発していた。ノルマン・コンクエストの結果、イングランド王ハロルド2世、デンマーク王ハーラルらを退けてノルマンディー公家がイングランド王位を獲得したことで地域で最大の勢力になったのである。このとき

    ノルマン朝(アングロ=ノルマン王国、1066~1154)の歴史まとめ
    kousyou
    kousyou 2019/01/28
    ノルマン朝王家略系図と略年表付きである程度わかりやくまとめました。
  • 百年戦争の猛将、傭兵ラ・イルことエティエンヌ・ド・ヴィニョルの生涯 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    少年時代から戦いに明け暮れていたというが、彼の軍歴としてはっきりわかるのは1418年、同郷の戦友ジャン・ポトン・ド・ザントライユとともに王太子シャルル派の軍に参加して、クーシー城を占領したのが最初である。このとき、『王に非ず公に非ず、候にも非ず伯にも非ず、われはクーシー城主なり』(注2)と語ったという。 以後バール枢機卿に雇われてザントライユとともにヴェルマンドワ、ラン、ロレーヌを転戦、1421年ボージェの戦いに参加した。この頃、宿に宿泊していた際に暖炉が崩れ落ちて右足を骨折、以後その後遺症で右足を引きずって歩くようになったが、戦いに支障が出るほどではなかった。(注3) 1423年、シャロン=シュル=マルヌ(現シャロン=アン=シャンパーニュ)を攻撃し、続いてルクセンブルク公領へと侵攻、1424年メーヌ地方へと転戦した。その後、バタール・ドルレアン(ジャン・ド・デュノワ)に雇われ、1427年

    百年戦争の猛将、傭兵ラ・イルことエティエンヌ・ド・ヴィニョルの生涯 | Call of History ー歴史の呼び声ー
  • 偽ジャンヌ・ダルク事件~中世フランス「自称乙女」騒動の顛末 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    ジャンヌ・ダルクの家族 ジャック・ダルク ジャンヌ・ダルクの父。ジャンヌが生まれ育ったドンレミ村の名士であった。1420年頃、旧領主ブールレモン家の邸宅を村の倉庫兼避難所として使えるよう賃借契約を結んだ記録や、23年に、野武士ロベール・... クロード・デュ・リスと名乗った自称ジャンヌ・ラ・ピュセルは実際のジャンヌ・ダルクとよく似た容姿であったらしい。ジャンヌ・ダルクの事績をよく調べていたし、体も鍛えていて武器の扱いや乗馬技術などにも長け、すぐに乙女の復活と話題になった。オルレアンでも話題となり、使者を派遣して真偽を調査させている。 メスのサン=ティボー教会の主席司祭はこう書き残している。 『この年ラ・ピュセル・ド・フランスと名乗る若い娘が現れ、その人物になりきっていたので、だまされた人も数多かった。特に身分のある人々がそうであった。』(注5) 翻弄される人々自称ジャンヌは、メスの貴族や有

    偽ジャンヌ・ダルク事件~中世フランス「自称乙女」騒動の顛末 | Call of History ー歴史の呼び声ー
    kousyou
    kousyou 2019/01/20
    ジャンヌを騙った当人と言いみんないいかげんですごく好きな事件です。色々調べながらこの事件、いいコメディ映画のネタになりそうだなあと思ってはいました。
  • ブーサック元帥ジャン・ド・ブロス~ジャンヌ・ダルクと常に共にあった老将 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    記録に残る彼の軍歴の初出は1423年3月31日、48歳のとき、サンセール伯の指揮下での戦闘である。もちろんそれ以前、若い頃から経験を重ねていただろう。その後リッシュモン伯アルテュールの下で功を重ね、その忠実な奉仕が認められて、1426年7月14日、元帥に叙された(注3)。リッシュモンがクーデターによって宮廷を追われてからは、ラ=ファイエット元帥ジルベール・モティエ(注4)、リュー元帥ピエール・ド・ロシュフォールとの元帥三人体制で、シャルル7世の軍事面を支えている。なおラ=ファイエット元帥はフランス軍司令の名で史料に登場し国王顧問会議への出席(注5)もある点などを踏まえると、ブーサックは次席の元帥であったと思われる。 1428年10月イングランド軍がオルレアンの包囲を開始すると同25日、バタール・ドルレアンらとともにオルレアンに入り、以後イングランド軍の攻囲に対抗している。1429年2月12

    ブーサック元帥ジャン・ド・ブロス~ジャンヌ・ダルクと常に共にあった老将 | Call of History ー歴史の呼び声ー
    kousyou
    kousyou 2019/01/17
    ジャンヌ・ダルクの主要な戦いすべてに参加していた武将です。常にジャンヌとともにあり、ジャンヌ処刑後雪辱を果たして、後を追うように亡くなりました。
  • フランス王アンリ1世(在位1031-1060)~弱小王権は生き残れるか

    誕生から即位まで1008年5月4日、カペー朝第二代フランス王ロベール2世敬虔王と王妃コンスタンス・ダルルの次男として生まれた。1016年、ロベール2世がブルゴーニュ公領の継承権を獲得すると、アンリはブルゴーニュ公領の統治権が与えられる。1017年、父王ロベール2世は長男ユーグを共同王として戴冠させたが、1025年、ユーグが亡くなり、ロベール2世はアンリを後継としようとしたが、王妃コンスタンス・ダルルは三男ロベールの後継を望んで対立、1027年、ロベール2世の意思が通ってアンリが共同王として戴冠した。1030年、アンリとロベールの兄弟は母コンスタンスに促されて父王に反逆、ロベール2世は王子たちの反乱を受けてボージャンシー城に籠城を続け、1031年7月20日、城内で亡くなり、アンリ1世の統治が始まった。 在位中の事績 1030年のフランス諸侯(パリ周辺の水色の地域がフランス王領、その東西を挟む

    フランス王アンリ1世(在位1031-1060)~弱小王権は生き残れるか
    kousyou
    kousyou 2019/01/12
    強大な諸侯が台頭し、その狭間でなんとか生き残りを図ったカペー家三代目です。
  • ジャンヌ・ダルク書簡まとめ~書状でみるジャンヌ・ダルク

    ジャンヌ・ダルクの書簡は直筆署名付きの三通の書簡と口述した手紙の原六通、その他写で文面のみ残っているものが多数ある。十九世紀に歴史学者ジュール・キシュラ(1814~82)によってジャンヌ・ダルクの裁判記録、年代記、書簡、会計簿等史料がまとめられ、ジャンヌ・ダルク研究が大きく進展した。 この記事ではレジーヌ・ペルヌー、マリ=ヴェロニック・クラン著(福直之訳)『ジャンヌ・ダルク』(東京書籍,1992年,原著1986年)の「ジャンヌ・ダルクの書簡」に掲載されている福直之訳の11通の書簡の文面を一部改変して引用、紹介する。古文・漢文にも造詣が深い福先生ゆえ、いくつかの訳文は格調高く文語体で翻訳されているが、漢文調の箇所「認之(これをしたたむ)」「無之候(これなくそうろう)」などは「これを認む」「これ無く候」と書き下し文に開いた。またイギリスはイングランドへ、ブルゴーニュ候・ベッドフォード

    ジャンヌ・ダルク書簡まとめ~書状でみるジャンヌ・ダルク
    kousyou
    kousyou 2019/01/07
    ジャンヌ・ダルクの主な書簡と、それらが書かれた背景となる百年戦争の動向などをまとめました。イングランドへの撤退勧告、物資補給の依頼、諸都市の慰撫、フス派への書状などなどです。
  • 八代《タカ》隆司 on Twitter: "「へ〜お前フランス人よりもフランスのこと知ってたりするんだな、外国人のくせに」と斜め視線でたっぷりの皮肉を言ってくるフランス人のフランス語程読めないものはありません。加えてそういう輩は大概ルイ14世、15世、16世の違いを認識せず… https://t.co/fgmmMnJFtL"

    「へ〜お前フランス人よりもフランスのこと知ってたりするんだな、外国人のくせに」と斜め視線でたっぷりの皮肉を言ってくるフランス人のフランス語程読めないものはありません。加えてそういう輩は大概ルイ14世、15世、16世の違いを認識せず… https://t.co/fgmmMnJFtL

    八代《タカ》隆司 on Twitter: "「へ〜お前フランス人よりもフランスのこと知ってたりするんだな、外国人のくせに」と斜め視線でたっぷりの皮肉を言ってくるフランス人のフランス語程読めないものはありません。加えてそういう輩は大概ルイ14世、15世、16世の違いを認識せず… https://t.co/fgmmMnJFtL"
    kousyou
    kousyou 2019/01/06
    もしかしてフィリップ2世と4世と6世の区別も(1世3世5世はしょうがない)シャルル5世と6世と7世と8世の区別もアンリ2世と3世と4世の区別もついていないんですか・・・
  • ベリー公ジャン1世の生涯と「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    ベリー公ジャンはフランス王ジャン2世の第三王子で、父王が1356年ポワティエの戦いで捕虜となり、兄の王太子シャルル(後のシャルル5世)が摂政となると、第二王子アンジュー公ルイ1世、第四王子ブルゴーニュ公フィリップ2世豪胆公ら兄弟とともに兄を支えて対イングランド戦争に活躍した。特に1358年以降、「国王代行官([羅] locumtenens regis / [仏] lieutenant du roi )」(佐藤猛,2012年, 93頁)に任じられて西フランス一帯を統治、ロワール川以南について全権を与えられ、エドワード黒太子が統治するアキテーヌ公領に隣接するオーヴェルニュやリムーザンなどをその支配下に置いて(佐藤猛,2012年,104頁)、イングランド軍の脅威に対する備えとなっていた。 1380年、シャルル5世が没し、シャルル6世が即位すると国王代行官としてラングドックほか南フランス一帯の地方

    ベリー公ジャン1世の生涯と「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」 | Call of History ー歴史の呼び声ー
  • ジャンヌ・ダルクの家族と友人~残された人々はどう生きたか

    ジャック・ダルクジャンヌ・ダルクの父。ジャンヌが生まれ育ったドンレミ村の名士であった。1420年頃、旧領主ブールレモン家の邸宅を村の倉庫兼避難所として使えるよう賃借契約を結んだ記録や、23年に、野武士ロベール・ド・サルブリュックと交渉して村を荒らさないよう取り決めを結んだ記録があり、1425~27年には村の取りまとめ役を務め、村を代表して何度もヴォークルール城主ロベール・ド・ボードリクールへの代訴人となったこともある。(コレット・ボーヌ「幻想のジャンヌ・ダルク」P57-58) 彼がジャネット(ジャンヌの故郷での呼び名)のことを非常に溺愛していたことは多くの証言からうかがわれる。ジャンヌ・ダルク処刑裁判での三月十二日のジャンヌの証言によると、「父が娘のジャンヌが兵隊達と連れだって家を出てしまう夢を見た」として、父母がジャンヌを厳しく監視するようになり、あわせて母から「儂がジャンヌのことで夢に

    ジャンヌ・ダルクの家族と友人~残された人々はどう生きたか
    kousyou
    kousyou 2018/12/14
    "ここで紹介したように、家族や故郷の人々にとって、彼女の死は終わりではなくこれから生涯を通して向かい合い続けていかなければならない、大きな喪失であったのだ。"
  • 仏大統領、最低賃金引き上げを発表 デモ収束目指し演説 写真15枚 国際ニュース:AFPBB News

    フランス首都パリにある大統領府で行われたエマニュエル・マクロン大統領のテレビ演説の様子(2018年12月10日撮影)。(c)Olivier MORIN / AFP 【12月11日 AFP】(更新)フランスのエマニュエル・マクロン(Emmanuel Macron)大統領は10日、国民向け演説を行い、最低賃金を来年から月額100ユーロ(約1万3000円)引き上げると発表した。同国を揺るがした「ジレ・ジョーヌ(黄色いベスト、gilets jaunes)」運動のデモを受け、大きな譲歩案を示した形だ。 今年の最低賃金は、税引き前で月1498ユーロ(約19万3000円)、税引き後で1185ユーロ(約15万2000円)と設定されていた。マクロン大統領は、賃金引き上げに必要な資金を負担するのは企業ではないと説明。また、自らの政府が導入し批判を集めた定年退職者らに対する増税策の大部分を撤回した。 マクロン大

    仏大統領、最低賃金引き上げを発表 デモ収束目指し演説 写真15枚 国際ニュース:AFPBB News
  • 仏政府、燃料税引き上げ延期を発表へ 抗議デモ広がりを受け 写真3枚 国際ニュース:AFPBB News

    フランス・パリの凱旋門で、抗議活動中に機動隊と衝突する人々(2018年12月1日撮影)。(c)Abdulmonam EASSA / AFP 【12月4日 AFP】(更新)フランス全土で燃料税引き上げに対する抗議デモが広がりを見せる中、エドゥアール・フィリップ(Edouard Philippe)首相が4日、来年1月1日に予定していた同税の引き上げの延期を発表する。政府筋が明らかにした。 黄色いベストを着用した人々による、2週間に及ぶ抗議デモの鎮静化を狙った措置で、その他の対応策も発表するという。 今回のデモは先月、政府が環境汚染対策の財源とする燃料税への抗議行動として始まった。しかし先週末には、首都パリの路上における衝突や破壊行為に発展した。 今年の燃料費の急騰に端を発したデモは、エマニュエル・マクロン(Emmanuel Macron)大統領に対するより広範な反発へと急速に膨らんだ。マクロン

    仏政府、燃料税引き上げ延期を発表へ 抗議デモ広がりを受け 写真3枚 国際ニュース:AFPBB News
  • 「エリートが地球の終わりを語る時、僕たちは月末に苦しんでいる」仏・黄色ベストは何に怒っているのか(木村正人) - 個人 - Yahoo!ニュース

    80歳おばあちゃん巻き添え死、死者計4人燃料税引き上げに対する抗議デモが暴徒化しているフランスの南部マルセイユで、80歳のおばあちゃんが窓の覆いを閉めようとして催涙ガス缶の直撃を受け、亡くなりました。11月17日に始まったこの抗議デモは「黄色ベスト(イエロージャケット)運動」と呼ばれていますが、死者はこれで4人目です。 仏内務省によると、12月2日の日曜日には蛍光色の安全ベストを着用した13万6000人がフランス全土で抗議デモに参加しました。彼らは地球温暖化対策のため、燃料税をどんどん引き上げるエマニュエル・マクロン大統領の辞任を要求しています。発端はディーゼル車やガソリン車を使う運転手の生活困窮です。 3日、マクロン大統領は緊急会議を開き、非常事態宣言を除く、すべての対応を協議しました。極右政党「国民連合(旧国民戦線)」のマリーヌ・ルペン党首は「マクロンはこの半世紀で自国民に対し発砲する

    「エリートが地球の終わりを語る時、僕たちは月末に苦しんでいる」仏・黄色ベストは何に怒っているのか(木村正人) - 個人 - Yahoo!ニュース
  • デモ激化の仏、燃料増税凍結へ マクロン氏、初の妥協:朝日新聞デジタル

    フランスのフィリップ首相は4日、全土で反政府デモが広がるきっかけとなった燃料税の引き上げを凍結すると発表した。改革派を自任するマクロン大統領にとっては主要政策で初めての妥協だが、デモ参加者の不満は政権自体に向いており、デモが沈静化に向かうかは見通せない状況だ。 フィリップ首相は同日の国民向けテレビ演説で、来年1月に予定していた増税を6カ月間凍結すると述べた。首相は、デモを念頭に「これまで沈黙していた何万人もの人々の怒りが全国で表明されている」と理由を説明。電気とガス料金の値上げもこの冬は凍結するとも表明した。AFP通信によると、首相とマクロン氏が3日夜に大統領府で協議して決めたという。 燃料税の引き上げは、政権が重視する環境政策の一環で、ガソリン税を1リットル当たり約4円、軽油税を約8円引き上げる予定だった。影響は公共交通機関が乏しい郊外や地方ほど大きく、とりわけ中低所得者層が反発。政権は

    デモ激化の仏、燃料増税凍結へ マクロン氏、初の妥協:朝日新聞デジタル
  • 仏抗議デモ全土拡大、マクロン政権最大の危機に 写真12枚 国際ニュース:AFPBB News

    仏パリ北郊で、エマニュエル・マクロン政権に抗議する高校生らによるデモで放火された車両(2018年12月3日撮影)。(c)Thomas SAMSON / AFP 【12月4日 AFP】フランス全土に燃料税引き上げへの抗議デモが広がり、エマニュエル・マクロン(Emmanuel Macron)大統領(40)は就任以来、最大の危機に直面している。警察当局によると、ここ数十年で最悪規模の被害をもたらした1日の首都パリのデモでは412人が拘束され、現在も363人が勾留されている。 【写真特集】フランス全土に広がるデモ、「黄色いベスト」運動 マクロン氏は地球温暖化対策であるとして燃料税引き上げを撤回する考えがないことを強調している一方、抗議デモが地方都市や郊外を中心に広がったことから、3日になって政府は妥協策提案の可能性を示唆。エドゥアール・フィリップ(Edouard Philippe)首相は閣僚や主要

    仏抗議デモ全土拡大、マクロン政権最大の危機に 写真12枚 国際ニュース:AFPBB News
  • 右派でも左派でもないことの限界―イエローベストに揺れるフランス(六辻彰二) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    フランスのマクロン大統領はビジネス界向けの改革を推し進め、企業経営者からは高く評価されてきた。しかし、それ以外からは不満が相次ぎ、右派と左派の垣根を超えた大規模なデモ、イエローベスト運動を招いた。マクロン政権の窮地とイエローベストの台頭は、特定の勢力に偏りすぎた政治の危うさを物語る。 「右派でも左派でもない」と強調し、政治への信頼を回復すると叫んで2017年に就任したマクロン大統領は、3週間続けてパリで発生した数十万人規模のデモとその暴徒化によって窮地に立たされている。この背景にはビジネス志向の急速な経済改革への不満があり、これは結果的に右派と左派の連携を生んでいる。 「革命とデモの国」の動揺 「芸術と美の国」であるフランスは「革命とデモの国」でもある。どちらも既成概念に囚われず、自らのセンスと意志で新たな境地を切り拓こうとする点で共通するが、11月半ばから毎週末発生してきた大規模デモは

    右派でも左派でもないことの限界―イエローベストに揺れるフランス(六辻彰二) - エキスパート - Yahoo!ニュース
  • アンジュー伯家の帝国建設(929年-1154年)

    アンジュー伯家はフランスの諸侯である。十世紀から十二世紀にかけて台頭し、1154年、ノルマン朝にかわってイングランド王位を含めたブリテン島南部からノルマンディ、メーヌ、アンジュー、ポワトゥー、アキテーヌ、ブルターニュなどフランスの過半を支配下におく通称アンジュー帝国を築いた。獲得していた称号としてはイングランド王位が最高位ではあったが、イングランド王位は数ある称号の一つにすぎず、あくまでアンジュー伯家として諸侯の連合体の上に君主として君臨していた点に特徴がある。十三世紀にアキテーヌを除く大陸領土を失ったあとはプランタジネット家として十四世紀末までイングランドの王位を継承していった。ここでは1154年、アンジュー伯家の家長アンリ・プランタジュネ(イングランド王としてはヘンリ2世)のイングランド王位獲得までのアンジュー伯家の歴史をまとめる。 アンジュー伯の台頭860年、ユーグ・カペー(フランス

    アンジュー伯家の帝国建設(929年-1154年)
  • シャンゼリゼ通りをデモ隊が占拠 警察と衝突 フランス | NHKニュース

    フランス パリで、政府による燃料税引き上げに抗議するデモ隊が観光名所のシャンゼリゼ通りを占拠して、排除に乗り出した警察と衝突しました。パリにある日大使館は現地に住む日人や観光客に外出を控えるよう呼びかけています。 デモ隊はシンボルとなっている作業員用の黄色いベストを着て、バリケードなどを築いたうえ、一部が資材などに火をつけたり警察官に石を投げたりしたため、警察が催涙弾や放水車を使って排除に乗り出して衝突しました。 フランス首相府や地元メディアによりますと、これまでに107人が拘束され、デモの参加者と警察官双方にけが人が出ているということです。 これを受け、パリにある日大使館は現地に住む日人や観光客に対し、これらの場所には近づかず不要不急の外出を控えるよう、注意を呼びかけています。 シャンゼリゼ通りでは、先週もデモ隊の一部が暴徒化し警察が鎮圧していますが、マクロン大統領は燃料税の引き

    シャンゼリゼ通りをデモ隊が占拠 警察と衝突 フランス | NHKニュース
  • ギリシャ神話の怪物ミノタウロスと巨大クモ、仏南部に襲来? 写真24枚 国際ニュース:AFPBB News

    フランス南部トゥールーズ中心部を練り歩く、機械仕掛けの巨大ミノタウロス「アステリオン」(2018年11月2日撮影)。(c)ERIC CABANIS / AFP 【11月4日 AFP】フランス南部トゥールーズ(Toulouse)で2日、牛の頭と人の体を持つギリシャ神話の怪物ミノタウロス「アステリオン(Asterion)」と、巨大なクモの「アリアーヌ(Ariane)」(ギリシャ神話の「アリアドネ」)が市庁舎前広場に現れた。 機械仕掛けで動く巨大アステリオンとアリアーヌは、街頭演劇グループ「ラ・マシーヌ(La Machine)」によるショー「神殿の守護者」の一環として登場。市内を練り歩いて市民を興奮させた。(c)AFP

    ギリシャ神話の怪物ミノタウロスと巨大クモ、仏南部に襲来? 写真24枚 国際ニュース:AFPBB News
  • デュノワ伯ジャン~ジャンヌ・ダルクの戦友から百年戦争の名将へ

    デュノワ伯ジャンあるいはオルレアン私生児ジャン(ジャン・ル・バタール・ドルレアン)は百年戦争後期のフランス王シャルル7世の股肱の臣であり、ジャンヌ・ダルクが活躍したオルレアンの戦いでのオルレアン防衛の総司令官として知られ、後にノルマンディ地方の奪還やアキテーヌ地方の首府ボルドー攻略など百年戦争におけるフランス勝利の立役者となった。オルレアン=ロングヴィル家開祖。1403年頃生~1468年11月24日没。 1403年、フランス王シャルル6世の弟オルレアン公ルイと愛妾マリエット・ダンギャンの間に庶子として生まれる。十歳になるまで同年生まれの王子シャルル(のちのシャルル7世)とともに養育された。(レジーヌ・ペルヌー、マリ=ヴェロニック・クラン著,1992年,324頁)庶子ゆえオルレアン庶子ジャン(ジャン・ル・バタール・ドルレアン)、愛称としてバタールと呼ばれる。 1407年11月23日、父オルレ

    デュノワ伯ジャン~ジャンヌ・ダルクの戦友から百年戦争の名将へ
  • 「百年戦争―中世末期の英仏関係 (刀水歴史全書)」城戸 毅 著

    百年戦争を理解する上で最も重要な一冊である。百年戦争の終結までに中世の主役だったフランス諸侯の領邦国家はことごとく姿を消し、騎士階級に代わって職業軍人・傭兵が戦争の中心へと躍り出て、イングランドとフランスという二大王権は百年戦争とその後の変革の過程で国制を大きく転換させ、封建制国家からやがて登場する絶対王政国家への第一歩を標した。 百年戦争をいかに理解するべきか。著者は書において「戦史ではなく、戦争政治的環境の解明をめざし」(4頁)、従来「フランス史の文脈で説かれるのが通例」(4頁)だった百年戦争史を「イギリス側からみるとどう見えたか、この戦争のイギリスへの影響」(4頁)という観点から「海峡を挟んだイングランドとフランスおよびフランス領邦君主諸侯の間の関係史」(4頁)として描く。ゆえに「百年戦争史叙述の定番ともいうべきジャンヌ・ダルクやベルトラン・デュ・ゲクランの活躍、勅令軍隊の創設な

    「百年戦争―中世末期の英仏関係 (刀水歴史全書)」城戸 毅 著
    kousyou
    kousyou 2018/09/27
    “現代の歴史学では、百年戦争という表現はかならずしも歓迎されてはいない。”