ウィリアム1世のノルマンディー公位継承時からフランス王、アンジュー伯が介入して三つ巴の争いが展開され、北海を挟んで北欧ではデンマーク、ノルウェー、さらにイングランドまでを支配下においたクヌート大王による北海帝国の圧力が強まっていた。クヌート大王死後北海帝国は空中分解してイングランドはエドワード証聖王のアングロ・サクソン政権に戻っていたが彼には後継者が無く、イングランド王位は地域の覇権を狙う上で誰もが欲しい地位であった。 1060年代、ノルマンディー公ギヨーム2世はノルマンディの内紛を制し、ちょうどタイミングよくフランス王アンリ1世が没して幼年のフィリップ1世が即位し、アンジュー伯家でも後継者争いが勃発していた。ノルマン・コンクエストの結果、イングランド王ハロルド2世、デンマーク王ハーラルらを退けてノルマンディー公家がイングランド王位を獲得したことで地域で最大の勢力になったのである。このとき