タグ

食と歴史に関するkousyouのブックマーク (38)

  • 「本醸造の醤油が当たり前になったのはここ20年ぐらい」と言っていいのは今から30年前 - 醤油手帖

    ※現在は修正が入りました! 迅速な対応に感謝します(2020/10/06追記) 醤油が大好きな人としては歴史改ざんなんてされてはたまらないという事例がありました。2020年9月30日に朝日新聞のサイトで公開されたこちらの記事です。 www.asahi.com 10月3日にはYahoo!に掲載されて、より多くの人が読むようになりました。そこで「当なの?」と問い合わせがきてとんでもない記事に気がついた次第です。 news.yahoo.co.jp 一体何が問題なのか。 それは最初の章の以下の部分です。 戦時中に大豆の供給が逼迫(ひっぱく)して、その代替品としてカイコのさなぎ、しかも油を採取したあとの搾り粕(かす)から醬油(しょうゆ)が作られたことを知ったときは衝撃でした。さらにその後、アミノ酸液に味つけしただけの化学的な『アミノ酸醬油』が出回るようになり、醬油が来の味を取り戻すには長い時間が

    「本醸造の醤油が当たり前になったのはここ20年ぐらい」と言っていいのは今から30年前 - 醤油手帖
  • 好きなブルボン総選挙2019

    ブルボンのルマンドシリーズ、7種類を集めると願いが叶うという…。 というのはウソだが、おなじみブルボンのルマンドシリーズ(以下、ブルボン)は、7種類ある。 7種類あるということは、誰しも心の中には密かに推すブルボンがあるはずだ。 いまこそその心のブルボン愛をぶちまけようではないか! 1971年東京生まれ。イラストレーター。ドクロ服、ドクロ雑貨集めに情熱を燃やしすぎている。ほかにはワニ、ウツボ、ハダカデバネズミなど毛の生えていない動物も好む。著書に「しろねこくん」、「ココロミくん」、「ひとみしり道」、「ばかスイーツ」などがある。(動画インタビュー) 前の記事:私たちは小野妹子へ寄せ書きが書けるか とはいえ、正直1位はルマンドがぶっちぎりだと思う。 だってスーパーにもコンビニにもぜったいにあって、手に入りやすさが他と段違いだから。 でも、でもそれ以外のブルボン(ブルボンのサイトによると、袋ビス

    好きなブルボン総選挙2019
    kousyou
    kousyou 2019/10/20
    ブルボン公ルイ2世かヴァンドーム伯ルイ1世かブルボン大元帥か大コンデかアンリ4世かで悩むが、ここは王道のルマンドで。チョコリエールって食べたことない。
  • 『ジャガイモのきた道―文明・飢饉・戦争 (岩波新書)』山本紀夫 著

    南米アンデス地方で栽培され、大航海時代にヨーロッパにわたり、そこから世界中へ広がって、今や全世界の卓に並ぶ、日でも肉じゃが、カレー、コロッケ、フライドポテトなどなどなど今や生活に欠かせないジャガイモの歴史を辿る一冊。2008年の発売以来、売れ続けるロングセラーで最早名著としての評価は揺るぎないように見える。 実際、全世界的に広まった物をテーマにして世界史を一望するというのは良いが出やすい。栽培した人々、彼らをとりまく社会状況、流通させるシステム、商取引と経済、拡大した要因、伝播の過程、流入先に及ぼした影響、文化の変容や現代社会におけるその物の位置づけ・・・などなど多面的に描きやすく、その分析手法としても様々な選択肢があるからだ。同様の良書として、例えば川北稔著『砂糖の世界史』が名高い。 1996年の発売以来売れ続けている世界史入門定番の一冊。砂糖の広がりを通じて様々な地域が

    『ジャガイモのきた道―文明・飢饉・戦争 (岩波新書)』山本紀夫 著
    kousyou
    kousyou 2019/05/28
    更新しました。有毒な野生のジャガイモがアンデス地方で保存のきく食料として栽培され十六世紀にヨーロッパへ渡り世界中へ伝播していく過程を追ったお勧めの一冊です。
  • 『幕末単身赴任 下級武士の食日記 増補版 (ちくま文庫)』青木直己 著

    日記の主である紀州和歌山藩士酒井伴四郎は万延元年(1860)当時28歳、25石の下級武士で、上司にあたる叔父・宇治田平三、同僚の大石直助らとともに、装束に関する着用の指導にあたる衣紋方として同年から一年七カ月の江戸勤務についた。日記は万延元年(1860)五月十一日から十一月三十日までの約七カ月である。 直前に大老井伊直弼は暗殺されるわ、紀州藩内も政争で重臣が失脚するわ、アメリカ公使ハリスらをはじめ外国人が来日しはじめるわ、攘夷の嵐が吹き荒れるわで、幕末の江戸は大わらわ・・・なはずだが、下級武士の彼にはそんな激動は特に関係なく、毎日の生活とか、倹約生活とか、江戸観光でどこ行ったとかの話で占められているのが、実に等身大という感じで面白い。 書で紹介されるのも大半が彼らが何ったかである。紀州から江戸への道中だけでもあんころだうなぎだわらびだ柏だ葛だ栗だ力だとばっかりだけど道中

    『幕末単身赴任 下級武士の食日記 増補版 (ちくま文庫)』青木直己 著
  • 大谷哲「タキトゥス『ゲルマニア』の「品のない(?)」お酒」 - 白水社

    マルクス・アウレリウスの円柱に刻まれた ゲルマン人の会議とされている場面 (出典:Wikimedia Commons) ビールの話である。それこそビールでも飲みながら、どうかお気楽にお読みいただきたい。ローマ時代の歴史家コルネリウス・タキトゥスは、それ以降のローマの歴史家たちが手とし目標とし原点とした偉大なる人物である。そんな彼の著作のうち、いにしえのゲルマン人社会についての貴重な史料だとされてきた『ゲルマニア』二十三章に、ビールについての一節がある。「飲料には、大麦または小麦より醸造(つく)られ、いくらか葡萄酒に似て品位の下がる液がある。」(泉井久之助訳『タキトゥス ゲルマーニア』岩波文庫一九七九年一〇八〜九頁) 引用した『ゲルマニア』の訳者泉井先生は、ここに注釈をうち「ビールの類である」とし、いくつかの知見を加えているが、その中にこんな一文がある。「タキトゥスはここに、ビールについて

    大谷哲「タキトゥス『ゲルマニア』の「品のない(?)」お酒」 - 白水社
    kousyou
    kousyou 2019/03/03
    “タキトゥスはこのcorruptus に、やはり何か否定的なニュアンスを込めていることは多くの研究者が認めるところである。タキトゥスはこの直前に、ゲルマン人たちが酔いつぶれるまで飲む習慣を記している。”
  • 近代食文化研究会さんによる、チキンラーメンが語らないインスタントラーメンの黎明史

    近代文化研究会@新刊『串かつの戦前史』発売中 @ksk18681912 野嶋剛さんの素晴らしい記事”チキンラーメン当に「発明」なのか”、ぜひ読んでください。 bit.ly/2G4ffWb bit.ly/2G3WRg4 私も安藤百福について長年調査してきましたが、知らないことばかりです。脱帽です。 2019-02-02 03:09:04 リンク 新潮社 Foresight(フォーサイト) 【番外編】NHK『まんぷく』チキンラーメン当に「発明」なのか(上):野嶋剛 | 世界漫遊「考学」の旅 | 新潮社 Foresight(フォーサイト) | 会員制国際情報サイト 台南市「西市場」の名物「阿瑞意麺」(筆者撮影、以下同) 日清品創業者の安藤百福と、その・仁子をモデルにしたNHK連続テレビ小説『まんぷく』。好評のまま、物語は佳境を迎えつつあるが、終盤の山場は… 254 users 1

    近代食文化研究会さんによる、チキンラーメンが語らないインスタントラーメンの黎明史
  • 『ひどいねつ造番組でした』「近代食文化研究会」さんが、NHK「歴史秘話ヒストリア」のラーメン特集を徹底批判(その1)

    「近代文化研究会」さんが「歴史秘話ヒストリア」を批判。「その1」としたのは、この後も点検作業を続けるとされているためです。

    『ひどいねつ造番組でした』「近代食文化研究会」さんが、NHK「歴史秘話ヒストリア」のラーメン特集を徹底批判(その1)
  • 江戸時代の食生活の変化、書物の紙に混ざった毛髪で判明:朝日新聞デジタル

    江戸時代の書物の紙に含まれていた毛髪を分析したところ、当時の庶民の生活が見えてきた――。そんな研究結果を14日、龍谷大などの研究チームが発表した。時代が進むにつれて、海産魚をよくべるようになったことなどが、元素の分析から推定されるという。 龍谷大の丸山敦准教授(生態学)によると、江戸時代の都市では出版ブームが起こり、たくさんの書籍が発刊された。大量の紙が必要なことから、古紙の回収や再生紙づくりも盛んになり、この過程で毛髪が紙に埋め込まれた。これらの毛髪は、たまたま混入した可能性のほか、耐久性を上げるための材料として、意図的に混ぜられたとする説もあるという。 チームは、江戸時代に作られた書物から、130サンプルの毛髪を採取。炭素や窒素の同位体の割合を分析し、生活を調べた。 その結果、1700年以降の200年間に、海産魚をべる割合が徐々に増加していったことが裏付けられた。漁業技術が発達

    江戸時代の食生活の変化、書物の紙に混ざった毛髪で判明:朝日新聞デジタル
  • なぜ明太子が博多名物なのか、ふくやの社長に聞いてみた

    福岡出身の友人に「明太子ってなんで博多の名物なの?原料のタラって北の魚だから九州じゃ獲れないでしょ」というような話をしたところ、「じゃあ同級生の川原君が詳しいから、取材してきなよ~」という流れになった。 明太子が博多名物たる所以、一生知らなくても困らないような気もしたのだが、もしかしたらクイズ番組に出て答えることがあるかもしれない。せっかくなので川原君に話を伺ってくることにした。

    なぜ明太子が博多名物なのか、ふくやの社長に聞いてみた
    kousyou
    kousyou 2018/04/02
    元福岡市民的感想として、ゴマサバ超食べたくなってきた・・・
  • 木村屋のあゆみ | 株式会社木村屋總本店

    明治8年4月4日。東京向島の水戸藩下屋敷を行幸された明治天皇に初めて酒種桜あんぱんを献上した日。 木村屋初代当主 安兵衛、二代目 英三郎 それにのちに三代目を継ぐ弟の儀四郎らは2週間程前から酒種の仕込みに余念がなかった。 4月4日、あんぱんのへそに奈良の吉野山から取り寄せた八重桜の花びらの塩漬けが埋め込まれ、季節感をたっぷり盛って焼き上げられたあんぱんは水戸藩下屋敷に届けられた。 あんぱんは明治天皇のお気に召し、ことのほか皇后陛下(昭憲皇太后)のお口にあった。 そして「引き続き納めるように」と両陛下のお言葉を頂いた。 献上の世話役、鉄舟こと山岡鉄太郎侍従の表情もゆるんだという。 安兵衛、英三郎、儀四郎親子に早速、上首尾であったことが伝えられ、その夜、安堵と喜びに包まれた銀座煉瓦街の木村屋は夜遅くまで華やぎ、ガス灯のあかりが揺れながらのんびり店前を照らしていた。 このことから明治天皇に献上さ

    木村屋のあゆみ | 株式会社木村屋總本店
    kousyou
    kousyou 2017/03/25
    “あんぱんは明治天皇のお気に召し、ことのほか皇后陛下(昭憲皇太后)のお口にあった。 そして「引き続き納めるように」と両陛下のお言葉を頂いた。”
  • 日本ではなぜ、ぶたさんが家畜として広まらなかったのか?

    「ぶた」はお隣の中国などであれだけ一般的だったのに、日ではかなりの間、飼育されることがあまりなく、明治になってようやく広がりました。 「仏教で、肉の習慣がなかったから」で説明がつくっちゃつくのですが、それだけでしょうか?「アヒル」や「羊」などの雑談を含め、そんな話を。

    日本ではなぜ、ぶたさんが家畜として広まらなかったのか?
    kousyou
    kousyou 2016/04/08
    幕末維新期の養豚業起業ブーム調べると面白いよ。昔書いた、維新直後の養豚で無償の学校運営しようとした例を紹介した記事→ http://kousyou.cc/archives/3918
  • 「アイスクリームの歴史物語 (お菓子の図書館)」ローラ・ワイス 著

    みんな大好きアイスクリームの一七世紀欧州から現代までの歴史の流れを簡単に押さえた一冊。意外とアイスクリームの歴史は古い、ということを知らなかったので楽しく、興味深く読んだ。 古代から氷は糧保存に大いに活用されていたが、やがて中国の唐王朝の頃に凍った乳で作った氷菓を皇帝がしていたという。中世、中東でさくらんぼやザクロ、マルメロなどの果実で味付けした冷たい飲み物である「シャーベット」(アラビア語でシャラブ、またはシャルバート)が好んでされるようになり、これがヨーロッパに伝わって特にイタリアで主に上流階級の人びと向けの氷菓子の製造技術が発展した。 一七世紀半ば、氷や雪に砂糖とストロベリーやレモンなどのフレーバーを加えた「ソルベット」という氷菓がイタリアで作られ、フランスではカフェ文化が花開く中でイタリアのソルベットの技法に倣って「フロマージュ」と呼ばれる氷菓を生み出す。このような様々な氷菓

    「アイスクリームの歴史物語 (お菓子の図書館)」ローラ・ワイス 著
  • スイカ、知られざる5000年の歴史

    スイカは昔から数多くの芸術作品に描かれてきた。画像はジュゼッペ・レッコ(1634〜1695年)の『果物のある静物』。ヨーロッパで最初に色付きで描かれた赤いスイカの図は、中世の書物『健康全書』に見られる。(Photograph by DEA, A. Dagli Orti/DeAgostini/ Getty) スイカを「天使のべもの」だと言ったのは作家のマーク・トウェインだが、スイカの祖先にあたる果物を口にしたなら、天使もすぐに吐き出したに違いない。スイカはもともと固くて苦い、薄緑色の果物だったという。イスラエルにある農業研究機構の園芸学者ハリー・パリス氏は長年の研究の末、5000年におよぶスイカの歴史を解き明かした。(参考記事:「ルイ14世を魅了したエンドウマメの歴史」) 祖先はどこに スイカの祖先にあたる植物がアフリカで生まれ、やがて地中海から欧州各地に広まったことは、専門家らの一致した

    スイカ、知られざる5000年の歴史
  • 江戸の大食い・大酒飲み大会の記録 | Kousyoublog

    以前、「『居酒屋の誕生: 江戸の呑みだおれ文化』飯野 亮一 著」という記事で紹介したが、居酒屋文化とともに料理文化が芽生えたのも江戸時代のことだった。特に文化化政期(1804~30年)は江戸の料理文化の爛熟期といえる。そんな江戸の文化で興味深いのが大酒大大会の開催である。色々記録が残っていて、これが面白い。 酒合戦という酒の飲み比べは古くは慶安二年(1649)、江戸大塚の酒豪・茨木春朔樽次と武州橘樹郡大師河原村の池上太郎左衛門行種との間で行われたものがあり、これが江戸時代を通じて語り継がれた。 千住酒合戦 1815年(文化十二年)10月21日、日光街道千住宿の中屋六右衛門が自らの還暦を祝って開催した酒合戦は江戸の代表的な文人・大田南畝によって観戦記録が著されている。江戸文化史に名高い千住酒合戦である。参加者それぞれの酒量に応じ、江ノ島盆(五合)、鎌倉盆(七合)、万寿無量盆(一升五

    江戸の大食い・大酒飲み大会の記録 | Kousyoublog
  • 江戸のグルメ

    太田記念美術館にて2012年3月1日~3月24日に開催された「江戸っ子味めぐり」展の際に執筆したツイートをまとめました。 現在作品は展示していないため、ご観覧できません。また展覧会図録も作成しておりません。

    江戸のグルメ
  • 幕府代表とペリー艦隊の飲みニケーション全5回まとめ

    先日の記事「「居酒屋の誕生: 江戸の呑みだおれ文化」飯野 亮一 著」にいくつか、ペリー艦隊来航時の日人代表も泥酔していたことを思い出した、といった趣旨のコメントがついていて、そうそうあの酔っぱらいエピソードも面白いんだよね、ということで幕府代表団とペリー艦隊との飲みニケーションエピソードを「ペリー艦隊日遠征記(上)(下)」から紹介しよう。酒を飲むことでのコミュニケーションが相互理解と親睦、異文化交流に大いに役立ち、日米和親条約締結に大きな影響を及ぼしたのだ。両者の酒宴はあわせて五回あった。 1853年7月12日1853年7月8日、ペリー艦隊は浦賀沖に姿をあらわし、米フィルモア大統領から将軍に宛てた親書の受け取りを求めた。これに対し日側は、かねてから黒船来航の情報を元に準備していた通り浦賀での受け取りを拒否、長崎への移動を求めるが、ペリーはこれを拒否して、現在地浦賀での授受を求めた。そ

    幕府代表とペリー艦隊の飲みニケーション全5回まとめ
    kousyou
    kousyou 2015/06/11
    アメリカ人が下品だから日本料理が理解できないというブコメに関し日本側が「神奈川では最高の品を手に入れるのが困難なので、食事がみすぼらしいものになってしまったと陳謝」(下P221)したことも付け加えておきます
  • 江戸の庶民の味「天麩羅(てんぷら)」誕生の歴史 | Kousyoublog

    江戸を代表する料理として挙げられるのが「てんぷら」である。「てんぷら」がいつどのように誕生したのか、必ずしも定かではないが、「東京天ぷら料理会 東天会 天ぷらの起源と語源」によれば、「『料理道記』(1669)の「てんふら 小鳥たたきて鎌倉、えび、くるみ、くずたまり」が初出とされ」、「衣揚げの記述は「どじょうくだのごとくきり、くずのこたまこを入、くるみ・あふらにてあげる『料理献立集』(1671)」が最初」だという。一方、原田信男編「江戸の文化」では「寛延元年(1748)の『料理歌仙の組糸』に、「てんふらは何魚にても饂飩の粉まぶして油にて揚げる也」とあるのが天ぷらの文献上の初出」(P132)とされる。前者は言葉だけ、後者はてんぷらそのものを表しているという違いであろうか。 明暦の大火(1657)後の復興過程で、江戸の町には様々な屋台が登場した。特に防災都市化する過程で各地に設けられた火除地

  • 「居酒屋の誕生: 江戸の呑みだおれ文化」飯野 亮一 著

    幕末に日を訪れた外国人が驚いたことの一つに、日人がひどく酒癖が悪いというものがある。例えばヘボン式ローマ字で知られるヘボン(日在住1859~92)は昼間っから酒を飲んで酔いつぶれ、あるいは大暴れしている人びとの多さに驚き、また酔って仕事もままならなくなる日人家事使用人たちに悩まされている。せめて仕事中ぐらいは酒を飲まない労働者を雇えないかと日人商人に尋ねるが、そんな日人を見つけるのは難しいと言われて途方に暮れていた。他の外国人もすっかり出来上がった武士の姿に恐怖を感じている。昼間っから刀持った酔っぱらいが歩いているんだからそりゃ怖い。ヘボンに遡ること三百年、ルイス・フロイスも戦国時代の日人の酒癖の悪さを書き留めていて、もちろん欧米でも酔っぱらいは多かったものの、西洋人からは日人の酔い方は度を越して酷いと見られていた。 武士も町人も昼間っから酒を飲んで仕事もそこそこに、そこら

    「居酒屋の誕生: 江戸の呑みだおれ文化」飯野 亮一 著
  • 世界と人々の暮らしを激変させたコーヒーの1000年の歴史 | Kousyoublog

    インド出身のジャーナリスト、ナヤン・チャンダ氏が書いたグローバリゼーションというはおよそ五万年前に人類がアフリカから世界へと第一歩を踏み出してから現代まで結びつきを強めて行く過程を様々な視点から描いた傑作なのですが、その上巻にコーヒーがいかにして広がっていったかが描かれていてとても面白かったので、それを参考にしつつ、コーヒー歴史を簡単にまとめてみます。 1)コーヒーの伝説 コーヒーがいつごろから飲まれるようになったかは定かではないが、伝説によると、エチオピアのカッファ地方のあるヤギ飼いの少年に始まるという。 昔々、アフリカ東部のエチオピア南西部カッファ地方にカルディというヤギ飼いの少年がいた。 ある日のこと、放牧していたヤギたちが、飛び跳ね、角をぶつけ合い異常に興奮しているのを見つけ、カルディは驚く。そして、ヤギたちがべていた赤い木の実を口に入れてみたところ、身体がぞくぞくするよ

    世界と人々の暮らしを激変させたコーヒーの1000年の歴史 | Kousyoublog
    kousyou
    kousyou 2015/05/01
    過去記事です。コーヒーの歴史についてはあらためて奴隷制との絡みで書き直したいところです。
  • 「かつお節と日本人」宮内 泰介、藤林 泰 著

    お吸い物、麺類のスープの調味料として出汁をとったり、料理に混ぜたり、サラダなどのトッピングにしたりと、現代日生活に欠かせないかつお節だが、この誕生から一般化の過程は、日、沖縄、そしてインドネシアやミクロネシア連邦に至る広大なかつお節ネットワークの形成を特徴としている。 現在のかつお節の原型が誕生した江戸時代中期から現在までの三百年、日から東南アジア諸地域までの四千キロに及ぶかつお節ネットワークはどのようにして形作られてきたのか、かつお節生産に携わった様々な人びとのオーラルヒストリーを丁寧に集めつつ、その緩やかなグローバル化の過程を鮮やかに描いた一冊である。新書ながらなかなか読み応えあって面白かった。 干物や燻製などのかつお節の原型はかなり古くから存在していたが、現在のようなかつお節が生まれたのは江戸時代中期、十七世紀末の土佐だったと言われている。土佐から紀州へと製造法が伝わり、大

    「かつお節と日本人」宮内 泰介、藤林 泰 著