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近代に関するkousyouのブックマーク (106)

  • 「江戸の読書会 会読の思想史」前田 勉 著

    読書というのは孤独な営みであり、孤独な愉しみである。そんな読書観は実は新しいものだ。欧州では読書は黙読ではなく音読が主流であり、近世には読書グループが次々と形成されて、それがブルジョワ階級の勃興と対をなしていた。日ではどうか?江戸時代、漢詩人江村北海(1713-88)は欧州と同じく音読と黙読どちらがいいか、という問いに続けて、「書ヲヨムニ、我独リ読ムガヨキカ、人ト共ニヨミテ、世ニイフ会読スルガヨキヤト問人アリ」と書いているという。 江戸時代、読書の主流となっていたのは「会読」と呼ばれる『定期的に集まって、複数の参加者があらかじめ決めておいた一冊のテキストを、討論しながら読み合う共同読書の方法』(P12)であった。その会読はどのように始まり、どのように廃れていったのか、また会読が与えた影響の大きさについて、近世思想史を概観しつつ、江戸の儒学・蘭学・国学から幕末の思想家たち、明治の自由民権運

    「江戸の読書会 会読の思想史」前田 勉 著
    kousyou
    kousyou 2014/07/04
    ブログ更新しました。江戸時代の読書として主流だった共同読書「会読」についてまとまった本の紹介です。
  • サラエボ事件から100年 第1次世界大戦のきっかけ:朝日新聞デジタル

    1914年6月28日、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボで、当時のボスニアを領有していたオーストリア・ハンガリー二重帝国の皇太子が暗殺され、第1次世界大戦が勃発するきっかけとなった「サラエボ事件」が起きてから、28日で100年が経過した。 暗殺実行犯のセルビア人青年が、市内を流れるミリャツカ川ぞいの通りを走っていた専用車に向かって銃弾を放った「ラテン橋」たもとの現場には、朝から観光客を中心に多くの人が訪れた。人々は、1千万人ともいう犠牲を出した歴史の原点に見入っていた。 現在のボスニア・ヘルツェゴビナの首都でオーストリア皇太子が暗殺され、第1次世界大戦勃発の引き金となった「サラエボ事件」から28日で100年を迎えた。暗殺犯はテロリストなのか英雄なのか、隣国セルビアとの間で1990年代の紛争ともからんで論争が蒸し返されるなど、和解がなお進まない現状が際だつ一日となった。 第1次大戦は、毒

    サラエボ事件から100年 第1次世界大戦のきっかけ:朝日新聞デジタル
    kousyou
    kousyou 2014/06/29
    「はじまったな」「ああ」
  • 明治政府のフーコー的臣民観 | Kousyoublog

    ちょっと引用中心のメモ。 『明治の指導者たちは、人々を単なる支配の対象(object)ではなく、知識をもった自己規律的・自律的な主体(subject)として、つまり、フーコーのいう二重の意味での主体――「支配と依存」に服従させられた臣民(subject)であると同時に、「良識と自意識」によって自身のアイデンティティをもった存在としての主体(subject)――へとつくりかえてゆこうとしていたといえるのである。 この支配に関する新しい考え方こそが、高度に規律化された国民共同体と、統合的・全体包括的な国民文化へと一般民衆をとりこんでゆくことをねらった様々な政策を生み出したのであった。国家当局者の手によって正しい信仰のありかたが教示されるいっぽうで、地方の神社を破壊・統制したり、シャーマンや祈祷師やいわゆる淫祠などを迷信のたぐいとして規制し、民族宗教を攻撃するといった、啓蒙という名の一種の文化

    明治政府のフーコー的臣民観 | Kousyoublog
    kousyou
    kousyou 2014/06/02
    ブログ更新しています。ちょっとメモ的な記事です。
  • 技術史からみた西南戦争 | Kousyoublog

    中岡哲郎「近代技術の日的展開 蘭癖大名から豊田喜一郎まで (朝日選書)」に日近代技術史から見た西南戦争について端的にまとめられていて面白かったので、簡単に紹介しておきたい。同書については同じく中岡哲郎「日近代技術の形成―“伝統”と“近代”のダイナミクス (朝日選書)」、石井寛治「日の産業革命――日清・日露戦争から考える (講談社学術文庫)」とともに日近代の持続的経済成長(いわゆる「日の産業革命」あるいは「後発工業化」と呼ばれる)の過程についてなんらかまとめたいと思っているので後日がっつり紹介するつもり。戊辰戦争が終わり、明治新政府は富国強兵のスローガンの下、士族の解体から徴兵制の施行に至る国民軍の形成過程を突き進むことになるが、同時に各地に兵器工場の開設が計画された。明治三年(1870)に開設された大阪砲兵工廠もその一つで、後に東京砲兵工廠と並ぶ二大砲兵工廠へ発展していく。さて

    kousyou
    kousyou 2014/05/28
    ブログ更新しました。がっつりしたものではなく軽いメモ的な記事です。
  • 近代日本、海水浴誕生の歴史 | Kousyoublog

    明治以前の海水浴海水浴が始まるまで、日では海は行楽の対象ではなかった。唯一の海での遊びとしては「潮干狩り」があったが、基的に海は漁民たちの生活の場であり、江戸時代には鎖国政策もあって海は近寄りがたいものとする風潮が強かった。海に入る行為としては穢れを清める儀式としての「水垢離」や祭礼の一環として神輿を担いで海に入る「海上渡御」などの宗教的儀式としてのものか、海水が健康増進・病気療養によいとする言い伝えから、病気予防のため、あるいは病気の者が海水を浴びて治療をしようと試みる「汐湯治」など医療目的のもので、行楽として海に入る行為は見られなかった。また、水泳は武芸として武士階級で広く行われていたが、川泳ぎが中心であった。 欧州では十八世紀の中頃から海岸周辺での保養・療養の重要性が語られるようになり、1740年のイングランド北東部スカーバラに開かれた海水浴場を嚆矢として、1754年ブライトンに

    近代日本、海水浴誕生の歴史 | Kousyoublog
    kousyou
    kousyou 2014/05/02
    ブログ更新しています。海水浴の歴史を簡単にまとめています。
  • 富岡日記

    右は一人にて二十五釜受持、繭えり場・糸揚場見廻りもこの内。 日婦人中廻り 尾高 勇   この方は尾高様の令嬢、只今は渋沢男御子息の令夫人の筈に有之。 青木 けい  総取締青木たい様の御孫 森村 時 (武州)  畑銀 (七日市) 太田たい (武州)  笠間愛 (武州) 轟 とね (武州)  若林若(高崎) 磯貝某 (上州小幡) その他の姓名忘れました。 右は五十釜に三人、二十五釜に一人ずつ。一人は二時間ごと位に交代。一釜を三人で代る代る に糸をとって居ります。男女二人二十五釜の前を行き来して、糸のむらになりませんように見て 歩きまして、太過ぎても細過ぎても切れてしまいます。湯かげん、しけの出し方、蛹(さなぎ)の出し方等 やかましく申されます。それで聞きませんと叱られます。その上西洋人が見廻りまして、目に止 りますと中々厳しく申します。これは直に工女中の評判になりますから、如何なる者も恥かし

  • 十八世紀プロイセンの特徴 | Kousyoublog

    セバスチァン・ハフナー著「プロイセンの歴史 伝説からの解放」では十八世紀のプロイセンの特徴について、「シュレジエンのドイツ学者でありスラヴ学者であるアルノ・ロボスの著作『ドイツ人とスラヴ人』(一九七四年)」(P64:同書は未邦訳)から引用して、『これ以上的確に要約することはできない』(P65)と評している。 プロイセンは当時、規律、服従、軍事教練、非の打ちどころなき官僚制、忠実な貴族階級、厳格で啓蒙的で人道的な司法、差別無き理性、完璧な行政機構、禁欲を奨励し、カルヴァン派とプロテスタント派の刻印を刻んだピューリタニズム、さらにコスモポリタン的で宗派に拘泥しない自由思想的傾向において、きわだった国家であった。それぞれまったく異なる四人の君主によって作られた多様な理念の一大集合体が、王冠と領土という観念のもとに一体となって出現した。プロイセンの特徴は、民族によって結ばれた国々とは対照的に、自ら

    kousyou
    kousyou 2014/04/18
    ブログ更新しています。プロイセンはほんとおもしろいんだよなー
  • 「大学教育について (岩波文庫)」ジョン・スチュアート・ミル 著

    近代自由主義思想に多大な影響を与えたジョン・スチュアート・ミルが1865年にスコットランドのセントアンドリューズ大学名誉学長に就任したとき大学教育の普遍性・重要性について長々と語った就任演説の翻訳。なんでも二時間(または三時間という説も)語り続けたというから、お疲れ様である。しかし、このスピーチの草稿執筆のために就任を一年延ばしただけあって、当時の大学教育、とくに一般教養を学ぶ意義について、時代を越えて響いてくる内容になっている。 とはいえ、150年前のこと、当時と現代とでは大学の置かれた状況は大幅に違うし、各種学問分野も比べ物にならないほど格段の進歩があり、「大学教育について」というよりは「学ぶことについて」あるいは「教養について」という方が的確かもしれない。しかし、確かに個別的に各学問について語った内容は時代性を反映しているものの、そのスピーチの質は今でも普遍性を持っていると思う。

    「大学教育について (岩波文庫)」ジョン・スチュアート・ミル 著
  • 「桂太郎 ー 外に帝国主義、内に立憲主義」千葉 功 著

    前回の記事『「明治国家の終焉 1900年体制の崩壊」坂野 潤治 著』で桂園時代と大正政変を巡る政局について簡単に紹介したが、その主人公と言うべき人物が桂太郎である。 現代人の間の、明治時代の政治家の知名度でいうと、桂太郎はその事跡に反してかなり低い方ではないだろうか。大久保利通、西郷隆盛、木戸孝允(桂小五郎)、伊藤博文、板垣退助あたりがほぼみんな知っているビッグネームで、次いで岩倉具視、山縣有朋、大隈重信、井上馨、松方正義、三条実美、黒田清隆、大山巌など、ほぼ明治維新第一世代に集中しているだろう。あとは日清・日露戦争で活躍した軍人たちが並ぶ感じか。 日近代史上、桂太郎は非常に重要な人物である。明治維新が目指した体制の完成者であり、上記のビッグネームたちとの熾烈な政争を勝ち抜き、あるいは巧みに操縦して、一時は元老たちすら凌駕して天皇の名の下に絶大な権力を振るい、そして民衆の騒乱の中で権力を

    「桂太郎 ー 外に帝国主義、内に立憲主義」千葉 功 著
  • 1920-30年代日本の失業問題と失業対策を断固拒否した財界人の意見まとめ | Kousyoublog

    公開日: 2013/08/16 : 最終更新日:2014/02/13 カテゴリー:歴史・宗教 タグ:世界恐慌, 労働, 吉川弘文館, 大正, 日史, 昭和, 第一次世界大戦, 経済, 近代, 関東大震災 最近読んだ加瀬和俊著「失業と救済の近代史」で、1920~30年代に社会問題化した失業問題についての当時の財界を代表する人々の発言がとても興味深かった。まずは背景として1900年~1930年ごろの日経済情勢概観を簡単に。(参考書籍は記事下の加瀬、浜野、伊藤、松元著)政府財政は発足時から慢性的な財政赤字を抱えており、1895年の日清戦争の賠償金で一息ついたものの、1899年の恐慌、1900年の金融危機、日露戦争の戦費負担、輸入超過による正貨流出問題、地方振興・インフラ整備のための財政支出の拡大など構造的問題をいくつも抱えており、文字通り財政危機にあった。と、ここで山積する諸問題に一つ一つ

  • 「ヒトラーを支持したドイツ国民」ロバート・ジェラテリー 著

    アドルフ・ヒトラー率いるナチス第三帝国はその十二年の統治の間、ドイツ国民の支持を広範囲に得て味方につけ、その維持に力を注いだ。ほとんどの場合、ドイツ国民は自らの意思で、積極的に、戦局が悪化して体制崩壊寸前となってもなお独裁体制を支持し続けた。メディアを積極的に活用したヒトラー政権はさまざまな残虐行為を隠すよりも公開して、その意義を訴える一方で、巧みに情報統制を行い、国民もそれに同意したのである。 『第三帝国の歴史では一貫して、同意と強制とはもつれ合っている。その理由の一部は、国民がほとんど好意を抱いていなかった特定の個人、少数派、社会集団を狙って強制と恐怖の手段が行使されたからだ。』(P2) このでは、そのヒトラー政権を支持し続けた国民たちの姿が当時の公文書や新聞、メディア、その他さまざまな文書を元に生々しく描き出されている。上下二段組み全324ページの大著である。 ワイマール(ヴァイマ

    「ヒトラーを支持したドイツ国民」ロバート・ジェラテリー 著
  • 「労働を通じての絶滅」~第二次大戦中ドイツ産業での囚人労働力の酷使 | Kousyoublog

    公開日: 2013/08/03 : 最終更新日:2014/02/07 カテゴリー:歴史・宗教 タグ:ドイツ, ナチズム, 世界史, 労働, 差別, 社会, 第二次世界大戦, 経済, 近代 先日紹介したロバート・ジェラテリー著「ヒトラーを支持したドイツ国民」で特に興味深かったのが、強制収容所の囚人を企業や、市民たちが労働力として活用していたということだった。収容所についてのナチの方針は「労働を通じての絶滅」という『イデオロギーと経済観念が混然となった』(P250)思想であった。アウシュヴィッツ収容所に掲げられた「働けば自由になれる」というスローガンを思い起こすならば、そのスローガンが示す真意はあきらかだろう。強制収容所は当初共産党員やユダヤ人、各種刑法犯の収容を目的としていたが、やがて非社会的分子とされる様々な社会的アウトサイダー(乞、浮浪者(ジプシー)、売春婦、同性愛者など)の収容に向

  • 政治指導者の「決断」と「喝采」-カール・シュミット理論の再来 - 夜明け前の独り言 弁護士 水口洋介

  • シェーネラーとルエーガー~ヒトラーが範とした二人の反ユダヤ主義者

    アドルフ・ヒトラーは「わが闘争」で強く影響を受けた人物として二人の政治家の名を挙げている。ゲオルク・フォン・シェーネラー(1842 – 1921)とカール・ルエーガー(1844 – 1910)はともに十九世紀末のオーストリアの政治家で、反ユダヤ主義の代表的な人物であった。 オーストリア=ハンガリー二重帝国1848年にパリで起こった革命はすぐに欧州中に波及してナポレオン戦争後の「ウィーン体制」を崩壊させる。オーストリアでも宰相メッテルニヒが追放され、自由主義派が政権を握るが先鋭化して混乱、やがて新皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の下で絶対主義体制が再建されるが自由主義派も強い影響力を持ち、両者の駆け引きの中で漸進的な自由主義的施策が打ち出されていく。 立憲主義体制への移行と自由主義化の契機となったのは「普墺戦争」(1866)の敗北である。ドイツの大半を失い、それまで主流派であったドイツ人が少数派に

    シェーネラーとルエーガー~ヒトラーが範とした二人の反ユダヤ主義者
  • 「選挙違反の歴史―ウラからみた日本の一〇〇年」季武 嘉也 著

    「或る地位に就くべき人」を定める方法としては、古来から合議と多数決という二つの方法があった。社会の対立を前提として、そこから「全体的に説得的な結論」を導いて社会の統一をもたらすために、合議は対立の解決より共同体の維持を優先することを「全体的に説得的な結論」とし、多数決は多数が支持していることをもって「全体的に説得的な結論」として対立から統一へと進める。この両方の手法を補い合う形で近代の「選挙」は発展してきた。 江戸時代まで村落の代表者を初めとして地位ある人の選出手法は合議(神判など含め)中心であった日でも近代化の過程で選挙制度が導入されていくことになるが、選挙制度の導入の歴史は裏を返せば選挙違反の歴史ともなる。書は選挙違反の歴史を通して近代日社会の変容を俯瞰する一冊である。 衆議院議員選挙の違反者数の推移の変化を元に、書では以下の五つの時期に分類している。 一期:第一~九回(189

    「選挙違反の歴史―ウラからみた日本の一〇〇年」季武 嘉也 著
  • 大日本帝国憲法審議での伊藤博文と森有礼の「臣民の権利義務」論争

    大日帝国憲法を巡る議論は新設の枢密院で明治二十一年四月から翌二十二年一月まで集中審議された。枢密院会議議事録第一巻(P217-219)から、伊藤博文と森有礼の論戦を引用してみる。憲法史で有名な伊藤-森論争である。 憲法草案第二章「臣民権利義務」に森が異を唱える。権利義務ではなく「臣民の分際」と改めるべきではないか?と。分際とは「レスポンシビリテー」即ち責任であるという。対する伊藤博文の反論。 『十四番(森)ノ説ハ、憲法学及国法学ニ退去ヲ命シタルノ説ト云フヘシ。抑憲法を創設スルノ精神ハ、第一君権ヲ制限シ、第二臣民ノ権利ヲ保護スルニアリ。故ニ若シ憲法ニ於テ臣民の権利ヲ列記セス、只責任ノミヲ記載セハ、憲法ヲ設クルノ必要ナシ。又如何ナル国ト雖モ臣民ノ権利ヲ保護セス又君主権ヲ制限セサルトキニハ、臣民ニハ無限ノ責任アリ、君主ニハ無限ノ権力アリ、是レ之ヲ称シテ君主専制国ト云フ。故ニ君主権ヲ制限シ、又臣

    大日本帝国憲法審議での伊藤博文と森有礼の「臣民の権利義務」論争
    kousyou
    kousyou 2014/02/01
    この論争の先にあるのが、伊藤の憲法構想の帰結として森有礼が教育勅語を考案し、臣民の思想統制へと利用されていくというアイロニー。
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    このドメインは お名前.com から取得されました。 お名前.com は GMOインターネットグループ(株) が運営する国内シェアNo.1のドメイン登録サービスです。 ※表示価格は、全て税込です。 ※サービス品質維持のため、一時的に対象となる料金へ一定割合の「サービス維持調整費」を加算させていただきます。 ※1 「国内シェア」は、ICANN(インターネットのドメイン名などの資源を管理する非営利団体)の公表数値をもとに集計。gTLDが集計の対象。 日のドメイン登録業者(レジストラ)(「ICANNがレジストラとして認定した企業」一覧(InterNIC提供)内に「Japan」の記載があるもの)を対象。 レジストラ「GMO Internet Group, Inc. d/b/a Onamae.com」のシェア値を集計。 2023年5月時点の調査。

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  • 『「大東亜共栄圏」と日本企業』小林英夫(社会評論社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 書は、序章と7章からなり、書き下ろしの序章と補足した第七章を除いて、大幅な書き換えをおこなっていない論文集である。著者、小林英夫は、書の目的を、つぎのように説明している。「一八九五年の日清戦争後に台湾を領有して以降、一九四五年にアジア太平洋戦争に敗北するまでの約半世紀間、日は東アジア植民地帝国として、この地域の政治・経済・社会生活に大きな影響を与えてきた。書の目的は、植民帝国として活動した約半世紀間の日植民地(朝鮮・台湾)、占領地域(満洲国・中国・南方地域)の経営史を総括することにある」。 著者は、「約五〇年間にわたり東アジア地域を植民地化してきた日帝国の歴史を振り返るとき、以下の二つの問題をまず考えたい」という。「一つは、日帝国の植民地支配を可能にし、かつ一九四五年までその支配を継続させたその条件は一体何か。二つには、その間、日帝国は、いかな

    『「大東亜共栄圏」と日本企業』小林英夫(社会評論社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
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    kousyou
    kousyou 2013/08/28
    ブコメの指摘通り日本特有の事例ではなく最初からそれを示す趣旨で関連エントリの一番上に19世紀欧州で類似の展開を辿って民主主義が形作られた過程を紹介した記事を挙げていました
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    kousyou
    kousyou 2013/08/25
    記事冒頭にも挙げたひとつ前の記事とあわせてお読みいただけると良いと思います。