邪馬台国の最有力候補地とされる纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)で見つかった、女王卑弥呼(ひみこ)が活躍した3世紀前半の大型建物跡は、邪馬台国について記した魏志倭人伝(ぎしわじんでん)に出てくる「宮室」(宮殿)との可能性が指摘される。この中枢建物跡は大和説をどのように強めるのか。東西方向の同一直線上で南北対称になる前例のない建物群が論争に与える影響と邪馬台国と確定させるためのハードルを探った。【大森顕浩】 ◇中枢に計画性、裏付け 纒向遺跡は「庄内式」と呼ばれる土器が使い始められた時期に、奈良盆地東南部の三輪山のふもとに突如として現れた。その年代は、卑弥呼が女王になったとみられる西暦190年ごろに近い。 周辺では、後に全国で造られるようになった前方後円墳が早くから築かれた。大型建物跡の南約800メートルにある箸墓(はしはか)古墳は、全長約280メートルの巨大前方後円墳で、それ以前の墳丘墓や