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歴史認識と中国に関するnozomi_privateのブックマーク (6)

  • 河村市長「南京大虐殺なかった」…中国訪問団に (読売新聞) - Yahoo!ニュース

    名古屋市の河村たかし市長は20日、中国・南京市の共産党市委員会常務委員ら8人に対し、南京大虐殺について、「戦闘行為があって多くの方は亡くなったが、いわゆる虐殺はなかった」と持論を展開した。 同日の記者会見で明らかにした。 一行は友好都市である名古屋市の河村市長を表敬訪問。劉志偉常務委員らに対し、河村市長は「亡くなった父が1945年の終戦時に南京にいた時、地元住人にやさしくしてもらった。虐殺のようなことがあれば、対応が違っていたはず」などとして、南京市で討論会を開くことを提案した。 河村市長は2009年9月の市議会で、中国が南京大虐殺の被害者を30万人としていることに対し「深い疑問がある。誤解されて伝わっているのではないか」と一般質問に答えた。名古屋市市長室国際交流課によると、河村市長は昨年12月5日、名古屋市役所を訪れた南京市の李(リ)副市長に対しても、大虐殺はなかったとする趣旨のこ

    nozomi_private
    nozomi_private 2012/02/21
    この人は政治家なので、虐殺の真偽よりこの時期にこういう発言をしたという事実の方が大きい。地方自治体の首長が国の行為である外交行為を行おうとしているかどうかも含め/「日本の残虐な行為」とはベイツ教授の言
  • <倭寇>中国にも同じ図柄の絵巻…共同研究で謎解明へ (毎日新聞) - Yahoo!ニュース

    「倭寇(わこう)の姿を伝える唯一の画像資料」とされてきた東京大学史料編纂(へんさん)所所蔵の「倭寇図巻」と同じ図柄の絵巻を、中国国家博物館(北京市)が所蔵していることが分かった。双方の絵の中に日の年号が記されていることも判明。11月12日には日中合同研究会が編纂所で開かれる予定で、関係者は「いまだに謎が多い倭寇の研究が進むのでは」と期待している。【栗原俊雄】 中国で「抗倭図巻」と呼ばれる絵巻は縦32センチ、横5メートル22センチ。編纂所が古典籍の店で入手(記録上、入手時期は1923年以前)した「倭寇図巻」とほぼ同じ大きさ。日人の海賊と明軍の争いが描かれている。船の位置関係など、一部に違いはあるが、全体的にはほぼ同じ図柄だ。編纂所の保谷徹副所長は「17世紀ごろに中国の同じ工房で制作されたのではないか」とみている。 07年に来日した中国の研究者がシンポジウムで、倭寇の絵巻が中国にもある

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    nozomi_private 2010/10/25
    「「明軍の台湾遠征を描いたもの」などという異説もあったが一連の調査で日本人による「倭寇」であることが裏付けられた」同じ工房でいくつも作られたのはなぜだろう。官庁提出物?/倭寇研究は日中どちらもまだ浅い
  • 日中歴史共同研究の意義は? - あれこれ随想記 

    日中歴史共同研究にはどんな意義があるのでしょうか。 そもも、歴史というのは、話し合いで決めるのものではないと思います。 日中歴史共同研究の報告書要旨<1>…満州事変まで(読売新聞) 日中歴史共同研究の報告書要旨<2>…南京事件など(読売新聞) 日中両国の主張を読むと、考え方の基に大きな違いがあるように思えます。 日は、純粋に「研究」として、両国の立場を斟酌しながら、真摯に進めているように見えます。 ただ、見方によっては、「進歩的」で「自虐的」な面が強い気もしますが。 中国は、歴史研究というより、明らかに政治的な主張です。 どうして歴史を作っていくかという意図を感じます。 こういう違いの中で、歩み寄るというのは、日が一方的に「政治」として敗北することを意味するのでしょう。 この共同研究は、とても「歴史」の研究と呼べるものではないと思います。 歩み寄る必要性を感じま

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    nozomi_private 2010/02/01
    歴史は話し合いではないけれど双方の立場による視点の違いを認識し、欠落しているところを自覚したり豊かになったりの利点はある。中国の研究もすべて中央がコントロールしているわけでもない
  • 特集:日中歴史共同研究報告書(要旨) - 毎日jp(毎日新聞)

    ◆第1部第3章 日の大陸拡張政策と中国国民革命運動 ◇日側 第一次世界大戦勃発(ぼっぱつ)に際し駐日英国大使は中国近海のドイツ仮装巡洋艦を攻撃するため日に支援を求めた。日海軍は膠州湾を封鎖した。日中国に対して21カ条の要求を行った。力点は満蒙に置かれ、既得権益の存続に対して条約的根拠を与えることにあった。 1922年に山東懸案細目協定や鉄道細目協定を結んだ。中国では国権回収運動が高まりつつあった。日中国に対し「対支文化事業」という文化的アプローチを打ち出していた。中国側の意向をかなり反映し、名称も「東方文化事業」と改められた。にもかかわらず東方文化事業は文化的侵略だとの批判が中国側から相次ぎ、済南事件以後、中国の委員が脱退するに至った。 田中義一内閣が発足し、居留民保護のため山東出兵を行った。田中内閣は東方会議を開催し、「対支政策綱領」を訓示した。田中にとって理想的なのは、

    nozomi_private
    nozomi_private 2010/02/01
    慰安婦、強制連行、三光作戦について日本側が記述/こういう共同研究は学問以外のことが損ばかりかと思うけれど無駄ではない。(むしろ国内に)無闇な批判はあるかもだが学問の厚みを増す批判であってほしい
  • 特集:日中歴史共同研究報告書(要旨) 加藤陽子・東大大学院教授の話 - 毎日jp(毎日新聞)

    nozomi_private
    nozomi_private 2010/02/01
    非常によいコメント。国家によるお膳立てである以上政治からは逃れにくいが日中ともに学問的に成熟してきているように思える。確かに経済史的視点は重要。今後充実していくことを期待。
  • 殴った者と殴られた者 - Arisanのノート

    特集:日中歴史共同研究報告書(要旨) http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100201ddm010010012000c.html 両国の研究者といっても、色々な意見の人がいるはずだから(中国でも近年、そうした自由な研究の雰囲気が出てきたと高名な研究者から聞いたこともあるし)、この内容の隔たりは、あくまで両国の「公式的な見解や歴史観の相違」ということだろう。 それが日の報道を見ると、中国側の「公式見解」と称するものの政治性(政治的な縛り)ばかりが指摘されている。笑止である。 なるほど、一見すると中国側の見解が政府や党の「公式」の見解に沿って、日の侵略の意図とか被害の大きさを強調する頑なな主張を貫いているように思えるのに比べ、日側の文面は、「さまざまな意見がある」ということを述べたり、事実を特定の視点に縛られることなく、できるだけ「客観的」に把握

    殴った者と殴られた者 - Arisanのノート
    nozomi_private
    nozomi_private 2010/02/01
    微妙。中国の歴史研究の姿勢は確かに日本と違う向きもあるのだが今回は双方かなり実証的・誠実に研究を照らし合わせているように見える。「感情」を問題にすることそのものが学究的態度ではなく政治的かと思う
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