1950(昭和25)年の新聞紙上に、「農村の立体的生活」という見出しで、「主食米に依存するな」との持論に基づきパンや肉類、スープを積極的に食生活に取り入れる淡谷悠蔵夫妻の実践が取り上げられています。 戦後、衣食住の改善や保健衛生の向上、因習の打破などによる生活の合理化を求める自主的な動きが戦前に増して更に活発になりました。食生活に関しては、米食中心の「ばっかり食」による栄養の偏りを改善するために、勉強会や料理講習会が開かれ、小麦を利用したパン作りや、油脂や動物性たんぱく質の摂取が推奨されました。 この気運にみごとにマッチしたのが、日本食生活協会が米国の支援を受けて実現した栄養指導車「キッチンカー」でした。車内に調理機器や冷蔵庫を備えるキッチンカーは、音楽を流しながら全国津々浦々を巡り、マスコミの宣伝も手伝って各地で話題を呼びました。 集まった人々を前にして、小麦粉や油、肉などを用いた目新し