1964年の東京五輪を機に返還された東京都渋谷区の米軍の居住エリア「ワシントンハイツ」。住宅は選手村として利用された。後方に完成間近の代々木競技場が見える=1964年7月、本社ヘリから撮影 終戦翌月の1945年9月、米軍が首都・東京に進駐し、建物や土地を次々と接収した。それから78年たつ今も手放さないのが、ヘリポートを備えた六本木の「赤坂プレスセンター」だ。都心の一等地にありながら存在があまり知られていないこの基地の歴史には意外なエピソードも多い。その一つが、現在プレスセンターがある六本木の地に放送拠点ができるはずだった幻のNHK計画だ。 【過去の写真】ヘリポート反対のビラや当時の東京の風景は プレスセンターの敷地は東京ドームの半分ほどにあたる約2万7000平方メートルに上る。終戦前まで旧日本軍の駐屯地になっていた一画だった。1952年にサンフランシスコ講和条約が発効して日本の主権が回復す