4月26日夜。国会正門前に、軽快なリズムのコールが響く。「#さようなら自民党政治」と題したデモ。自民派閥の裏金問題が表面化した昨年末から、交流サイト(SNS)などを通じて集まった若者たちが毎月数回、政治に対する怒りの声を上げている。
皆さんと違って私が歩いてきた道は、名門高校から東大に一直線に進むようなエリートの人生ではなく、たいへんな回り道でした。しかし、その回り道人生から得られた教訓は、人間の可能性は本当に無限だということです。 私が生まれた所は、熊本県の小さな村です。昔は稲田村と言っておりましたから、村の風景が想像できると思います。私は高校を卒業するまで一度も勉強した思い出がありません。全然勉強をしないものですから、高校時代は大変な落ちこぼれで、同級生220人中200番台の成績でした。私の高校時代の姿から、誰も私が東大教授になるとは思わなかったでしょう。 勉強はしませんでしたが、本は誰よりたくさん読みました。これが後になって私の人生に影響を与えたように思います。自分の経験していないこと、知らない世界を本によって想像する。それがいつしか自分の夢につながっていったのではないかと思います。 少年時代は3つの夢を持ってい
「野球をやっていたことを知らない人が9割なので」 まだ桜がつぼみのまま閉じこもろうとしていた3月中旬、神戸の生田神社の近くにあるカフェで、ある翻訳家と話す機会があった。じっくりと向き合うのは久しぶりだった。あの頃をどのように過ごし、いまをどのように生きているのか……。彼と別れてから、ボイスレコーダーを聞き直した。ふと脳裏をよぎったのは、かつて読んだ本の一節だった。 《人間はひとりひとりがそれぞれじぶんの時間をもっている。そしてこの時間は、ほんとうにじぶんのものであるあいだだけ、生きた時間でいられるのだよ。》(ミヒャエル・エンデ『モモ』岩波少年文庫、大島かおり訳) 翻訳家の朝は早い。彼とLINEでやり取りする時、メッセージが届くのはいつも午前4時である。海外と業務の打ち合わせをするために早起きするのだという。世の中が寝静まっている夜明け前に動きだすようになってから、ずいぶんの時が経つが、この
1990年代後半、バラエティー番組「進ぬ!電波少年」(日本テレビ系)の「電波少年的懸賞生活」に出演し、一躍有名に(撮影/平尾類) 英国で制作されたドキュメンタリー映画「ザ・コンテスタント」が話題になっている。題材となったのは、1990年代後半にバラエティー番組「進ぬ!電波少年」(日本テレビ系)の「電波少年的懸賞生活」だった。タレントのなすびさん(48)が、「人は懸賞だけで生きていけるか?」をテーマに目標金額を目指し、アパートの一室ではがきを書き続ける孤独な生活は日本、韓国編で計1年3カ月に及んだ。現在のテレビ番組では、人権侵害の観点から放送できないだろう。映画は昨年9月、第48回トロント国際映画祭(カナダ)でワールドプレミア上映され、3日間とも満員に。11月に米国・ニューヨークのドキュメンタリー映画祭「DOC NYC」で上映された際も大きな反響を呼び、定額制動画配信サービス「Hulu」で全
冷たい風が吹きすさぶ2月の早朝、大阪刑務所の前で“出待ち”を続ける男性がいた。松浦未来さん(37)。お目当ては、フルに刑期を終えて釈放された「満期出所者」たち。 【写真】刑務所を出て、蜂蜜を作る女性たち 松浦さんは、人影が現れるのを今か今かと待ち構え、刑務所の黒い正門の向こう側を凝視している。刑務所はいい顔をしないが、それでもやめるつもりはないという。松浦さんは何者なのか。そして何が松浦さんを駆り立てるのか。(共同通信=武田惇志) ▽終わりの日 松浦さんは、実は出所者だ。 中学3年の時から、大阪・ミナミのホストクラブで働いた。夜の街になじむにつれ、薬物の快感を覚え、密売人と知り合うようになった。「学も経験もない僕でも、これやったら稼げるなあと思いましてね」。洋画に出てくるようなギャングスターに憧れ、一獲千金を目指したという。 「日銭を稼ぐためにやってたわけじゃないんです。どんどんお金を稼ぎ
僕は2018年にPLEXという会社を立ち上げました。それから5年、メンバーは200人を超え、今期の売上は30億円を見込んでいます。資金調達は今のところしていませんが、新規事業への投資ができるぐらいの利益も出ています。 まだまだ「大成功!」とまではいえませんが、この先の大きな成長を見据えられるぐらいには、安定して伸びてきました。 ただ、僕自身は決してビジネスセンスがあるタイプではありません。実は学生時代も含めると4つほど、「なんとなくいけそう」と感覚で事業を作っては、伸びずに潰してしまったんです。 だからこそ、今回は事業を立ち上げる前に入念な「事前準備」をしました。徹底的にリサーチをして、ビジネスの成功パターンを学んで、仮説を検証する。そのうえで事業を立ち上げた。 その結果気づいたのが、 事業づくりにはちゃんと「やり方」があって、実は誰でもできるレベルまで落とし込める ということです。 起業
神戸市中央区の人工島ポートアイランド。その一角に、神戸学院大のキャンパスがある。昨年12月中旬、頭にバンダナを巻いた上脇博之教授が柔らかい笑顔で出迎えてくれた。バンダナ姿は学生時代から変わらないという。 この人が、東京地検特捜部がメスを入れた自民党派閥裏金事件のきっかけになったとは、すぐに結びつかない。事件は安倍派や二階派への家宅捜索、現職国会議員の逮捕・起訴にまで発展した。昨年末から政界を大きく揺るがし、いまだに派閥の解消を巡る議論が続いている。 第三者である上脇さんが刑事告発をするのは、これが初めてではない。およそ四半世紀もの間、「政治とカネ」について告発し続けてきた。口で言うのは簡単だが、実際は膨大な資料を読み込み、分析して疑惑を見つけ出すという地道な作業の繰り返し。大学での講義や自身の研究で多忙であるにもかかわらず、この作業を長年続けてきた。上脇さんを突き動かす原動力は何なのか。(
2024年2月3日の三段リーグの結果にて、勝ち越し延長の可能性が消え奨励会退会となりました。 日本将棋連盟の奨励会は、将棋のプロ棋士を目指す若者たちが訓練し、技術を磨くための組織です。奨励会のメンバーは厳しい選考を経て入会し、定期的に開催されるランキング戦に参加しながら、プロ棋士になるための段階を一つ一つ登っていきます。 奨励会は三段から6級までで構成されており、二段までは東西にわかれて行い、規定の成績を上げると昇級・昇段となります。三段になると東西をあわせてのリーグ戦を半年単位で行い、上位二名が四段に昇段し、正式に棋士となります。 https://www.shogi.or.jp/match/shoreikai/ より。 奨励会は将棋を学び、上達したいと願う若者たちにとって非常に価値のある場所であり、将棋界の未来を担う才能を育成するための重要な役割を果たしています。プロになることは非常に難
お得で気軽に参加できる将棋大会『第6回 将棋情報局最強戦オンライン』11月13日開催! エントリー受付中 皆さんこんにちは。このたびは「引き角女子」として将棋界で大きな話題となっている有馬佳奈さんのインタビューをお届けします。引き角戦法の創始者である飯島栄治八段もご同席くださって、大変楽しいインタビューになりました。 それでは、どうぞ! ======================= ――本日はお忙しい中インタビューを受けていただきありがとうございます。 「いえいえ、こちらこそありがとうございます」 ――改めて、このたびはミス日本「海の日」の受賞、誠におめでとうございます。 「ありがとうございます」 ――まず、ミス日本「海の日」について、簡単に教えていただけますでしょうか。 「島国日本になくてはならない海の恵みに感謝して、海洋業界への理解・関心を高める役割を担うのがミス日本「海の日」です」
2005年に人気ドラマ『野ブタ。をプロデュース』(日本テレビ系)で俳優デビューし、2008年2月から放送されたスーパー戦隊シリーズ『炎神戦隊ゴーオンジャー』(テレビ朝日系)で主演を務めた俳優の古原靖久さん(37)。 古原さんは、高校を卒業するまで児童養護施設で暮らしていた過去を持ち、YouTubeや講演会などで自身の経験を発信している。そんな彼に、児童養護施設に入所するまでの経緯や、当時の施設での生活状況などについて、話を聞いた。(全3回の1回目/2回目に続く) 「僕はお母さんが16歳のときに産んだ子ども」 ――古原さんは児童養護施設のご出身とのことですが、施設に入所するに至った経緯を教えてください。 古原靖久さん(以下、古原) 僕は、お母さんが16歳のときに産んだ子どもで、お父さんの年齢は忘れましたが、とにかく若い両親に育てられました。5歳くらいから児童養護施設に入ったんですけど、一番古
お笑いの世界でブレイクしたのち、エド・はるみさんは1つの道に留まりませんでした。「もっと人間や社会を知ろう」と大学院に入学。研究者の道に進んでいきます。(全4回中の3回) 艶やか!袴姿で現れた慶應大学大学院修士課程・修了式でのエドさん 20数年ぶりに役者仲間と対面「出川さんが…」 ── 40歳で入学したNSC(吉本総合芸能学院)で努力を重ね、トップクラスの成績で卒業したエドさん。20数年ぶりに役者時代の仲間とテレビの生放送で再会されたとか。 エドさん:2007年、ある番組で「これから来る若手」枠があり、そこでネタを披露したときに出川哲郎さんと再会しました。 どこかで私たちの関係をお知りになった品川庄司の品川さんが、私のネタの後に、「エドは出川さんと同期なんですよ!」と言ってくださって。そこで、私もちゃんとその返しができたので、その場がとても盛り上がりました。 そんな品川さんのおかげで、「来
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この記事は freee Designers Advent Calendar の 16 日目です! はじめまして! freee株式会社でUX ResearchOpsをしているkonと申します。 ResearchOpsってなに?っていう話もあるのですが(これはまたおいおい書いてみたい)、今回はじめてfreee Designers Advent Calendarに参加するにあたっては、30代半ばにして中途障がい者となった私個人のfreeeでの働き方を書いてみたいと思います! ベッドでしごと?現在私はこの記事を、自宅のリビングのベッドの上で書いています。 普段のfreeeでの業務スタイルも同じく、フルリモートで、しかもベッドに横になったまま仕事をしています。 もっと言えば、自宅への往診を利用して点滴をうけながら仕事する日もあったりします。 自宅のリビングで点滴を受けながらおしごとそれは決して無理を
長く厳しい“コロナ禍”が明け、街がかつてのにぎわいを取り戻した2023年。侍ジャパンのWBC制覇に胸を高鳴らせつつ、世界が新たな“戦争の時代”に突入したことを実感せざるを得ない一年だった。そんな今年も、数多くの著名人がこの世を去っている。「週刊新潮」の長寿連載「墓碑銘」では、旅立った方々が歩んだ人生の悲喜こもごもを余すことなく描いてきた。その波乱に満ちた歩みを振り返ることで、故人をしのびたい。 (「週刊新潮」2023年3月16日号掲載の内容です) *** 【写真を見る】絵沢萠子さん、ジェフ・ベックさん、のっぽさん……激動の2023年にこの世を去ったあの人この人を、在りし日の素敵な笑顔で振り返る 昨年50周年を迎えた沖縄返還を見届けるように2月、往年のスクープ記者が逝った。西山太吉(たきち)氏である。 沖縄返還交渉が日米間で行われていた1971年、返還協定では米国が支払うはずの400万ドルの
リニューアルした総合雑誌「世界」を手にする堀由貴子編集長=東京都千代田区で2023年12月6日、北山夏帆撮影 1945年12月創刊の雑誌「世界」(岩波書店)が、8日刊行の1月号で大幅にリニューアルした。硬派なオピニオン誌で、男性の寄稿が中心だった雑誌の何をどう、なぜ変えるのか。そして何を変えないのか。入社14年、38歳の若さで看板雑誌大改革の先頭に立つ堀由貴子編集長に聞いた。 2009年から17年まで8年間、「世界」編集部に所属していた堀編集長。しかし「『世界』をはっきり自分のものと感じたことがなく、すべて読み通したことはありませんでした」と明かす。同誌でたびたび取り上げられる憲法9条、安全保障などが重要なテーマであることは分かっていた。一方で「子育てや女性の人権、労働環境など自分を含めた読者に身近なテーマが時に二の次にされている印象もあった。執筆者の大半が男性だったことも、『自分のもの』
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