1995年、橋本龍太郎通産相に、冗談交じりに竹刀を当てる米通商代表部(USTR)のミッキー・カンター代表。日米貿易摩擦の激しさを象徴するかのようだった=ジュネーブ(ロイター) 公に目にする記者会見の裏で、ときには一歩も譲れぬ駆け引きも繰り広げられる外交の世界。その舞台裏が語られる機会は少ない。外務省のみならず国連でも事務総長特別代表を務めるなど国際舞台で活躍してきた山本忠通氏に、半世紀近くにわたった外交官生活を振り返ってもらった。 忸怩たる思い、今も…《1988年、外務省経済局でサービス室長に任じられ、サービス貿易交渉の首席交渉官となった》 大蔵省(当時)や法務省、郵政省(当時)なども関係する分野です。私は、サービス貿易の一般協定策定交渉を担当しました。 交渉は、ジュネーブ(スイス)の関税および貿易に関する一般協定(GATT)本部で行われました。あるとき、タイ、フィリピン、インドネシア、シ