東日本大震災の半年後、山梨県内で宮城県警科学捜査研究所職員が遺体で見つかった。津波で亡くなった遺体のDNA鑑定作業で休みなく働いた土屋昌弘さん(当時46歳)。自殺とされ10代だった2人の息子は今もひきこもる。「こんな形で震災が降りかかってくるなんて想像もしなかった。なぜ、夫は死ななければならなかったのでしょうか」。妻千寿子さん(57)は超過勤務と死の関連を否定する県警に開示請求し、4年がかりで公務災害が認められた。 震災で同県警の科捜研のDNA鑑定機器は破損した。だが、次々と見つかる身元不明遺体を遺族に早く引き渡すため、他県の科捜研にも鑑定を依頼。それを統括したのが昌弘さんだった。歯や爪、歯ブラシなどを仕分けして送り、結果報告を受ける。その数、1万点以上。誤りは許されない神経を使う作業だった。