情報テクノロジーによる監視システムの普及によって、わたしたちの「自由」がおびやかされるのではないか? そんな言葉を耳にしたことはないだろうか。あるいは、実際にそんな感覚を抱いたことはないだろうか。 たとえば、東京新宿の歌舞伎町に足を踏み入れると、50基の監視カメラが設置されている。効率的に配置されたカメラ群を避けながら歌舞伎町のなかをウロウロすることは、至難の業ともいわれる。 こうした監視システムの多くは、安全快適な社会を実現しようという善意のもとにつくられている。しかし、わたしたちの行動を監視し、記録し、分析し、先取りしようとする監視技術の普及に不自由さを感じる人がいても不思議はない。 「わるいことさえしなけりゃ関係ないだろ。むしろ安心じゃないか。カメラを嫌がるのは、なにかうしろめたい事情でもあるからじゃないの?」 「いやいや、わるいことをしようがしまいが、勝手に自分の行動が記録されると