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佐々木俊尚に関するsarutoruのブックマーク (78)

  • 出でよ、新しき知識人  「KY」が突きつける日本的課題 - MIYADAI.com Blog

    MIYADAI.com Blog (Archive) > 出でよ、新しき知識人  「KY」が突きつける日的課題 « M2Jpop批評(TBSラジオ)のオンエアは1月4日。予告編的な文章を書きました | 小林よしのり&荻上チキ&富岡幸一郎の三氏と鼎談しました。テーマは「デマ合戦」。 » いよいよ自民党の支持率が2割台前半、民主党の支持率が3割台後半になってきました。 どこぞの馬鹿がどうして宮台は自民党にロビイ活動をしないのだなどとほざいていました。 90年代半ばからの絶対得票率趨勢分析をすれば自民党に未来がなかったのだから仕方ない。 自民党ごときにひきずられて沈没したくはありません。 自民党内は一挙に政界再編にむけて動きだしつつあります。 中川昭一と平沼赳夫が安倍晋三を引き込みんで麻生太郎を代表にした保守新党を作る動きがあります。 自民党が将来的に立ちゆかないことがやっと誰の目にも明白にな

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    sarutoru 2007/12/23
    そんな〈生活世界〉が空洞化してしまいました。共同体崩壊と呼ばれるものに当たります。背景は〈システム〉の全域化です。〈システム〉とは「役割&マニュアル」が優位なコミュニケーション領域のこと
  • 自己表現のプラットフォームは移り変わる:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点 - CNET Japan

    コンテナーの限界なのか、コンテンツの限界なのか ブログなんて、しょせんはひとつの表現コンテナー(メディア)に過ぎない。Web2.0の時代において最も大切なのはコンテナーではなく、コンテンツそのものだ。オピニオンや感情を外部に表出したいと思い、それを実行に移すというその行為こそに意味がある。パソコン通信のフォーラムが匿名掲示板に取って代わられ、さらにはブログが流行し、そしてまたSNSの日記やケータイ小説へとコンテナーはさまざまに移り変わっていく。 もちろんコンテナーの性質によって、書かれる内容は変わってくる。パソコン通信という閉鎖的で礼儀にうるさいメディアで書かれた言説と、2ちゃんねるで書かれる言説は異なる。ブログで書かれる内容と、SNSの日記で書かれる内容も異なる。マクルーハンが言ったように、「メディアはメッセージである」からだ。とはいえーーそこで自己を表現するという行為そのものの衝動には

    自己表現のプラットフォームは移り変わる:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点 - CNET Japan
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    sarutoru 2007/12/01
    ケータイのコミュニケーションが、2006年ごろからWeb2.0化が進んだ結果、「多対多」のコミュニティモデルへと移行してきた
  • ブログの「浸透と拡散」:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点

    11月23日、「ブログ限界論」をテーマにしたRTCカンファレンスに出席した。このテーマについてはご存じの通り、上原仁さんの事前アジェンダ設定がかなりの波紋を巻き起こし、さまざまなブログでさまざまな意見が書かれた。議論がどう広がっていったのかについては、徳力基彦さんのブログに詳しく書かれている。 当日、会場で話したことや話し足りなかったことなどを、この場で補足しておきたい。 昨年ごろから、ブログの世界に地殻変動が少しずつ起きてきているように思う。その地殻変動をシンボリックに体現しているのが、今年のアルファブロガー・アワードだ。アルファブロガーたちが選んだノミネートブログのリストを見ると、これまでのようなIT系や経済社会論壇系から外れて、より幅の広い分野に広がってきていることがわかる。たとえば、このノミネートリストの中でかなりの票を集めているらしい『会社法で遊ぼ。』。診療所勤務の医師の方が書か

    ブログの「浸透と拡散」:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点
  • なんか説明かったるくなってきたが今月の「諸君」は俺に騙されて買っとけ - finalventの日記

    ウヨとかなんだとかそういうこっちゃないから。こいつは損なし。 諸君 ! 2007年 12月号 [雑誌] 今月だけ有効リンク⇒諸君!_071201

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    sarutoru 2007/11/05
    2007年12月号、 田久保忠衛、高橋洋一、佐々木俊尚、特集◎新聞騒乱
  • マスコミはなぜコミュニケーションの中心から消えたのか インターネット - 最新ニュース : IT-PLUS

    学びに関する様々なデータを分析し、成績アップに役立てよう――。IT(情報技術)や人工知能AI)を活用した「学習解析(ラーニングアナリティクス)」が日教育現場でも広がり始めた。…続き 国立公園の外国人客 倍増目標 収益増と保全、両立課題

    マスコミはなぜコミュニケーションの中心から消えたのか インターネット - 最新ニュース : IT-PLUS
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    sarutoru 2007/10/27
    これからは代弁ではなく共感(共鳴)がキーに。近代の終焉というパラダイムの変化は組織に埋もれた顔の見えない記者が「我々」を代弁し国家に物申すといった従来のフレーム、ジャーナリズムのあり方そのものを問うて
  • 落ちゲーのように民主主義を作る:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点 - CNET Japan

    鈴木健さんを取材した お隣でブログ『天命反転生活日記』を書いている鈴木健さんというと、伝播投資貨幣PICSYやGLOCOMのプロジェクト「ised」(情報社会の倫理と設計についての学際的研究)などアカデミックな舞台での活動が印象的だ。その彼が最近、『究極の会議』というを出した。どうして「会議」なんだろう?と不思議に思い、月刊誌『サイゾー』の連載『日型ニューウェブ宣言』で取材した。 鈴木さんの話には、非常にインスパイアされた。記事の内容は10月18日発売のサイゾー11月号を読んでいただければと思うが、私が鈴木さんの話で最も印象的だったのは、「会議=コラボレーションであり、コラボレーションこそが今後の人間関係の枠組みを変える最も重要なキーワードである」という考え方だった。彼が語ったのは、おおむね次のような趣旨の物語である。(私が違約したものなので、鈴木さんの来の意図とは若干ずれてしまって

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    sarutoru 2007/10/16
    2つのアプローチをうまく接続させ、さらにそのプロセスを可視化できるようなコラボレーション・インターフェイスはないものだろうか
  • ネット考察のよきサプリメント - 書評 - ネット未来地図 : 404 Blog Not Found

    2007年10月18日00:05 カテゴリ書評/画評/品評Media ネット考察のよきサプリメント - 書評 - ネット未来地図 「いつもどおり」、佐々木さんより献。 ネット未来地図 佐々木俊尚 初出2007.10.16; 発売開始まで更新 Amazonの予約を待って書評。それにしても文春新書 はAmazon対策がなっていない。書も12日には届いていたのに、予約開始が日というのは遅すぎ。画像もまだないので、これは「『ネット未来地図』佐々木俊尚さんのスピードについていけてません!:[mi]みたいもん!」から拝借。 書「ネット未来地図」は、「3時間で「専門家」になる私の方法」や「グーグル Google」で、いまやblog界では知らぬものなしの佐々木俊尚の最新作。 『ネット未来地図』佐々木俊尚さんのスピードについていけてません!:[mi]みたいもん! ちょっと!佐々木さんの執筆スピードに

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    sarutoru 2007/10/16
    行動分析型広告は加熱し、ついに危うい局面へ
  • ブックメーカーが日本に上陸してきた:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点 - CNET Japan

    小学館『サブラ』で連載を再スタート 小学館の雑誌『Sabra(サブラ)』が月2回刊から月刊に変更されたのにともなって、連載していた『Generation Z〜ネクストヒルズな起業家たちの素顔』が完結した。ペーパーボーイの家入さんやチームラボの猪子さんといった新しいタイプの起業家たちががどのようにしてビジネスモデルを考え、仲間を募り、カネを集めて会社を興したのかというのを、ノンフィクション小説風に描いた連載だった。連載は1年半以上も続き、取り上げた人は20人近くにもなった。ちなみにこの連載の一部は11月末、小学館から単行として出る予定になっている。 ところで今回書こうと思っているのは、『Generation Z』の話ではない。『Sabra』月刊化で『WEB NOW』というネットの事件・できごとを追う新連載をスタートしたのだが、その第1回で日に上陸してきたヨーロッパのブックメーカーの話を書

  • ウィキスキャナーが生み出すもの:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点 - CNET Japan

    意図と内容の堂々めぐり 前回、ウィキペディアの課題は、編集という行為の「意図」と「内容」を切り分けられるかどうかである、と書いた。しかしながら「内容」は常に客観としてウィキペディアというメディアに表出しているのに対し、「意図」はプライベートな主観であって、第三者には把握できない。そうなると、ウィキペディアである人物によって編集された項目が、正当なものであるのかどうかという判断は、「内容」に即して考えるしかない。 では、その「内容」が、ある情報源(ソース)に基づいて、きちんとした論理(ロジック)によって書かれているのであれば、まったく問題はないのだろうか? 編集した人間が、どう見てもその項目と利害関係のある人物であると判断された場合、彼の隠された「意図」を考慮に入れる必要はないのだろうか? このあたりの判断は、前回の最後にも書いたように微妙で難しい。「意図」と「内容」の関係性に絞って議論を続

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    sarutoru 2007/09/25
    プロセスの可視化、情報発信の自己責任化
  • ウィキスキャナーで暴露された「情報操作」を考える:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点 - CNET Japan

    ウィキペディアへの情報操作は何が問題なのか ウィキペディアでの「情報操作」ととられかねない編集行為がウィキスキャナーによって暴露され、問題になっている。朝日新聞や産経新聞などに取り上げられ、特に注目を集めているのは政府官公庁内部から編集が行われていた問題だが、しかし大企業やマスメディアが自社に関係するテーマについて項目を書き換えていたケースも多数報告されており、まとめサイトも登場してきている。 省庁職員が情報操作まがいの編集行為を行っていたことに対する批判は、次の三つのポイントに大別される。 (1)ウィキペディアの編集に当事者である官僚が参加すると、ウィキペディアの公平性が損ねられるのではないか。 (2)官僚が自分の属する省庁に有利なことを書くことは倫理的に許されない。 (3)官僚が自分の職務時間にウィキペディアの編集に参加しているのは職務怠慢ではないか。 第一の公平性の問題。ウィキペ

  • Amazon.co.jp: 3時間で「専門家」になる私の方法: 佐々木俊尚: 本

    Amazon.co.jp: 3時間で「専門家」になる私の方法: 佐々木俊尚: 本
  • ブログの倫理規定はどうあるべき?

    先日、米国でブログの倫理規定が話題になりました。Read/WriteWebの記事によれば、発端は「webb alert」というブログが広告ネットワーク「Federated Media」との関係を明らかにしていないのではないか、と指摘されたことでした。こういったブロガーと広告主との利害関係についての話はたびたび論じられていますが、実際のところ、ブロガーにはどのような種類の情報開示が必要(あるいは不要)なのでしょうか。パネリストの皆さんのお考えを聞かせてください。またご自身で具体的に実践されていることがあれば教えてください。

    ブログの倫理規定はどうあるべき?
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    sarutoru 2007/09/05
    金銭や商品をもらって広告するということに対しては、紙の媒体よりも高い透明性が求められているのではないかとも思います。
  • スマートモブズはジャーナリストの夢をみるか - 雑種路線でいこう

    御礼.物書きを志しながらも筆一じゃえずにIT業界に転じた副業的文筆家 兼 ブロガーとして,マスコミやら論壇・文壇に対する微妙な嫉妬を抱きつつ「いずれ言論界もフラットになるんだぜ」とか怪気炎を上げたい気もするが,書はネット上での言論について実例を挙げて肯定的に捉えつつも,過大評価や公共性を巡る課題について的確に指摘している. 書では最後に「ことのは事件」を取り上げ,ネット上での言論が著者の属性ではなく言論そのものの中身を通じて評価され,匿名であっても討議過程の可視化を通じて一定の公共性が担保される「闘技的民主主義」が実現されていくのではないかと期待している. 言論界は氏の指摘のように着実にフラット化するとして,民主主義に於ける政治過程や政策形成過程,戦争や外交交渉・経済運営などの戦略・戦術を全て可視化することは,リップマンが『幻の公衆』で指摘したように,性質上かなり難しいのではな

    スマートモブズはジャーナリストの夢をみるか - 雑種路線でいこう
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    sarutoru 2007/08/15
    一方で,情報は須く開示されるべしという強い浸透圧を持つ社会が,逆に当事者による情報の囲い込みを促し,判断すべき為政者や有権者に対して適切な情報が渡らないことを懼れる
  • 湯川鶴章のIT潮流 powered by ココログ: フラット革命

    「言論は相対化する」「社会はフラットになる」・・・。佐々木俊尚さんと話をしていて、ときどき「?」となってしまったことがあるが、そうか、こういうことを言いたかったのね。  やはりさすがの文章力で、抽象的な話を分かりやすく、おもしろく、一気によませてしまうだ。  どこかに帰属し安心である一方で窮屈な社会。それが反対に、自由だけれど精神的に不安になる社会に移行しようとしている。その辺の感覚って、僕は実によく分かる。僕は人生の半分近くを米国で過ごしたんだけど、米国はまさに自由だけど精神的に不安になる社会だった。日もそんな不安定な社会になっていくんだろうなあ。  これまで国家のになってきた「公共性」を自律分散的なシステムによって再建する必要があるとのべているが、その見通しが立たないってことなんだけど、米国ってまさに「公共性」を自律分散的なシステムで担ってるんだよね。要は、人々の意識は自律分散的な

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    sarutoru 2007/08/09
    米国はまさに自由だけど精神的に不安になる社会だった。日本もそんな不安定な社会になっていくんだろうなあ
  • フラット革命 - 池田信夫 blog

    毎日新聞が、今年の正月から始めた「ネット君臨」という連載は、インターネットを既存メディアの立場から一方的に断罪するものだった。著者(佐々木俊尚氏)は毎日新聞の記者出身だが、こうした姿勢に疑問をもち、取材の過程を取材する。そこから浮かび上がってくるのは、インターネットの登場におびえ、「格上」のメディアとしての新聞の地位を何とかして正当化しようとする姿勢だ。 社会の中心に政府や大企業やマスメディアがあり、そこで管理された画一的な情報が社会に大量に流通する、というのが20世紀型の大衆社会だった。しかしインターネットでは、こうした階層秩序は崩壊し、政治家も新聞記者も匿名のネットイナゴも同格になる「フラット化」が進行している。この変化は、おそらく不可逆だろう。 マックス・ヴェーバーの言葉でいえば、政府も企業も含めた「官僚制」による合理的支配の時代が終わろうとしているのだろう。官僚制を必要としたの

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    sarutoru 2007/08/09
    マックス・ヴェーバーの言葉でいえば、政府も企業も含めた「官僚制」による合理的支配の時代が終わろうとしているのだろう
  • 書評 - フラット革命 : 404 Blog Not Found

    2007年08月07日00:00 カテゴリ書評/画評/品評Value 2.0 書評 - フラット革命 献ありがとうございます。 フラット革命 佐々木俊尚 初掲載2007.08.05;販売開始まで更新 と同時に書評がおくれてごめんなさい。 添え状より 弾さんにまず一番目に読んで欲しい!と思ってお送りします。 ここからは「である調」、敬称略で。 書「フラット革命」は、佐々木俊尚の最高傑作にして、佐々木俊尚の初心表明(誤字にあらず)。「ジャーナリスト佐々木俊尚」ではなくて、佐々木俊尚、の。 個人的にハードカバーというのは最も嫌いな版型なのだけど、もしハードカバーが著書の品質保証を兼ねているのだとしたら、書は間違いなくそれを満たしている。というより、他のハードカバーの品質が低すぎるのだ。書はハードカバー嫌いの私が、それでも買わねばならないと言い切れる数少ない一冊だ。書の品質を考えれば、

    書評 - フラット革命 : 404 Blog Not Found
  • CNET Japan Blog - 佐々木俊尚 ジャーナリストの視点:新聞が背負う「われわれ」はいったい誰なのか

    新聞の<われわれ>とはいったい誰か ジャーナリストの玉木明氏は、オウム真理教事件の直後に刊行された「ニュース報道の言語論」というで、新聞記事の主語は、実は文面にはいっさい出てこない「われわれ」であると書いている。たとえば、次のような記事の文例を見てみよう。「強引とも言える捜査は、小さな山村の集落の住民を相互不信に陥らせ、人のつながりを壊した。警察への憤りも広がっている」(二月二十三日、鹿児島県議選買収無罪判決の記事から)。この記事で警察に憤っているのは、誰なのか。ここで憤っているのは、実は書いた記者個人という「わたし」なのだが、しかし記事の文脈では「私が憤った」とは書かれていない。あくまでも社会全体の「われわれ」であるというスタンスを取って書かれているのだ。玉木氏は前掲の書籍で、以下のように書いている。 ある特定の観点を<われわれ>の観点とみなすこと、特定の主張を<われわれ>の名において

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    sarutoru 2007/02/24
    いまや<われわれ>の統一性は社会から失われてしまっていて、どこにも存在しない<われわれ>を主語にして記事を書くこと自体が、不可能になってきている