米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の返還に米側と合意した故橋本龍太郎元首相の下で沖縄問題を担当した故梶山静六元官房長官が1998年、本土(沖縄県外)の基地反対運動を理由に、同県名護市への移設以外にないと記した直筆の書簡が残されていることが分かった。政府はこれまでほぼ一貫して沖縄の地理的優位性や米軍の抑止力を名護への移設理由と説明しているが、当時の政権中枢が「本音」とも言える見方を示していたことで、名護移設の是非を巡り改めて論議を呼びそうだ。【鈴木美穂】 書簡は縦書き便箋3枚。欄外に「衆議院議員 梶山静六 用箋」と印刷されている。普天間返還と名護市辺野古のキャンプ・シュワブ沖への機能移設を巡っては97年12月、名護市の住民投票で反対多数となりながら、当時の比嘉鉄也名護市長が受け入れと辞任を表明し、翌98年2月に行われた市長選で比嘉氏後継の岸本建男氏が当選。書簡はそれから間もなく書かれたとみら