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任天堂に関するisrcのブックマーク (75)

  • 任天堂が「人材に対する考え方」公開 世界的エンタメ企業が求める人材像とは?

    任天堂は3月27日、Webサイト「任天堂の人材に対する考え方」を公開した。同社の経営方針や、商品・サービスを開発する際の考え方などを記載。また、人材育成に関する取り組み内容も明かしている。 任天堂の経営方針では「『娯楽を通じて人々を笑顔にする会社』として、誰でも直感的に楽しめる『任天堂独自の遊び』の提供を目指している」と説明。「ハード・ソフト一体型のゲーム専用機ビジネスを経営の中核に置き、どのような娯楽でも『いつかは必ず飽きられてしまう」』という考えのもと、人々を笑顔にするために独創的な商品やサービスを世界中の人々に届けていく」と続けた。 また、独創的な商品・サービスを作る能力は数値では計れないとして、独自指標「任天堂DNA」を採用していると説明。独創性と柔軟性、誠実さの3つからなる指標であるという。また、ゲームを開発してユーザーに届けることは1人の力では完結できないとして、チームでの協働

    任天堂が「人材に対する考え方」公開 世界的エンタメ企業が求める人材像とは?
  • 第12回 ふつうの人たちで違うことを | なにもできないからプロデューサーになった | ほぼ日刊イトイ新聞

    『マリオ』や『ゼルダ』や『ピクミン』をつくり、 世界中で尊敬されているゲームクリエイター‥‥ と書くと、正しいんですけど、なんだかちょっと 宮茂さんのことを言い切れてない気がします。 クリエイティブでアイディアにあふれているけど、 どこかでふつうの私たちと地続きな人、 任天堂の宮茂さんが久々にほぼ日に登場です! 糸井重里とはずいぶん古くからおつき合いがあり、 いまもときどき会って話す関係なんですが、 人前で話すことはほとんどないんです。 今回は「ほぼ日の學校」の収録も兼ねて、 ほぼ日の乗組員の前でたっぷり話してもらいました。 ゲームづくりから組織論、貴重な思い出話まで、 最後までずっとおもしろい対談でした。 え? 宮さんがつけた仮のタイトルが、 『なにもできないからプロデューサーになった』? そんなわけないでしょう、宮さん! 糸井 「大ヒットを飛ばしてやれ!」 っていう気持ちがつね

    第12回 ふつうの人たちで違うことを | なにもできないからプロデューサーになった | ほぼ日刊イトイ新聞
    isrc
    isrc 2024/01/12
    「えらいこと」をたのしもうと思ってると「ならこうしたら?」ってなって片づいていくから。ふつうの人たちで、人と違うことをやろう、というのがいいんです。うちは、大会議室に「独創」って書いてありますから。
  • 第11回 3000万本 | なにもできないからプロデューサーになった | ほぼ日刊イトイ新聞

    『マリオ』や『ゼルダ』や『ピクミン』をつくり、 世界中で尊敬されているゲームクリエイター‥‥ と書くと、正しいんですけど、なんだかちょっと 宮茂さんのことを言い切れてない気がします。 クリエイティブでアイディアにあふれているけど、 どこかでふつうの私たちと地続きな人、 任天堂の宮茂さんが久々にほぼ日に登場です! 糸井重里とはずいぶん古くからおつき合いがあり、 いまもときどき会って話す関係なんですが、 人前で話すことはほとんどないんです。 今回は「ほぼ日の學校」の収録も兼ねて、 ほぼ日の乗組員の前でたっぷり話してもらいました。 ゲームづくりから組織論、貴重な思い出話まで、 最後までずっとおもしろい対談でした。 え? 宮さんがつけた仮のタイトルが、 『なにもできないからプロデューサーになった』? そんなわけないでしょう、宮さん! 宮 ぼく、新入社員セミナーで毎年しゃべるんですけど、

    第11回 3000万本 | なにもできないからプロデューサーになった | ほぼ日刊イトイ新聞
    isrc
    isrc 2024/01/12
    準備をしているなかで「あれ?こいつは化けるかも?」って アンテナに引っかかるものって、すごく初期から感じるんですよ。 でも、それを、欲だけで考えてたり、 収益を安定させようとか思ってると見落とすんです。
  • 第10回 得意冷然、失意泰然 | なにもできないからプロデューサーになった | ほぼ日刊イトイ新聞

    『マリオ』や『ゼルダ』や『ピクミン』をつくり、 世界中で尊敬されているゲームクリエイター‥‥ と書くと、正しいんですけど、なんだかちょっと 宮茂さんのことを言い切れてない気がします。 クリエイティブでアイディアにあふれているけど、 どこかでふつうの私たちと地続きな人、 任天堂の宮茂さんが久々にほぼ日に登場です! 糸井重里とはずいぶん古くからおつき合いがあり、 いまもときどき会って話す関係なんですが、 人前で話すことはほとんどないんです。 今回は「ほぼ日の學校」の収録も兼ねて、 ほぼ日の乗組員の前でたっぷり話してもらいました。 ゲームづくりから組織論、貴重な思い出話まで、 最後までずっとおもしろい対談でした。 え? 宮さんがつけた仮のタイトルが、 『なにもできないからプロデューサーになった』? そんなわけないでしょう、宮さん! 糸井 任天堂という会社は、 「会社のあり方」みたいなもの

    第10回 得意冷然、失意泰然 | なにもできないからプロデューサーになった | ほぼ日刊イトイ新聞
    isrc
    isrc 2024/01/12
    「ケンカ弱いんやから、 まともにケンカしたらあかんぞ」って。 だから、まあ、ケンカが弱いんだから、 新しい土俵と新しいルールをつくろうっていう。 そのほうがケンカするより、ずっとラクですから。
  • 第9回 マリオをつくるときは | なにもできないからプロデューサーになった | ほぼ日刊イトイ新聞

    『マリオ』や『ゼルダ』や『ピクミン』をつくり、 世界中で尊敬されているゲームクリエイター‥‥ と書くと、正しいんですけど、なんだかちょっと 宮茂さんのことを言い切れてない気がします。 クリエイティブでアイディアにあふれているけど、 どこかでふつうの私たちと地続きな人、 任天堂の宮茂さんが久々にほぼ日に登場です! 糸井重里とはずいぶん古くからおつき合いがあり、 いまもときどき会って話す関係なんですが、 人前で話すことはほとんどないんです。 今回は「ほぼ日の學校」の収録も兼ねて、 ほぼ日の乗組員の前でたっぷり話してもらいました。 ゲームづくりから組織論、貴重な思い出話まで、 最後までずっとおもしろい対談でした。 え? 宮さんがつけた仮のタイトルが、 『なにもできないからプロデューサーになった』? そんなわけないでしょう、宮さん! 糸井 宮さんはピクミンをはじめとして、 いろんなキャラ

    第9回 マリオをつくるときは | なにもできないからプロデューサーになった | ほぼ日刊イトイ新聞
    isrc
    isrc 2024/01/12
    一度やったことを「継ぐ」のは、みんな得意なんです。そもそも得意なことで、そこを継ぐのはそんなに難しくないし、つくったチームも満足するし。けど、そこにずっといるとだんだんつぎがなくなっていくんですよ。
  • 第8回 ピクミンというアイディア | なにもできないからプロデューサーになった | ほぼ日刊イトイ新聞

    『マリオ』や『ゼルダ』や『ピクミン』をつくり、 世界中で尊敬されているゲームクリエイター‥‥ と書くと、正しいんですけど、なんだかちょっと 宮茂さんのことを言い切れてない気がします。 クリエイティブでアイディアにあふれているけど、 どこかでふつうの私たちと地続きな人、 任天堂の宮茂さんが久々にほぼ日に登場です! 糸井重里とはずいぶん古くからおつき合いがあり、 いまもときどき会って話す関係なんですが、 人前で話すことはほとんどないんです。 今回は「ほぼ日の學校」の収録も兼ねて、 ほぼ日の乗組員の前でたっぷり話してもらいました。 ゲームづくりから組織論、貴重な思い出話まで、 最後までずっとおもしろい対談でした。 え? 宮さんがつけた仮のタイトルが、 『なにもできないからプロデューサーになった』? そんなわけないでしょう、宮さん! 糸井 昔から宮さんは、 1ゲームは何千円もするんだ

    第8回 ピクミンというアイディア | なにもできないからプロデューサーになった | ほぼ日刊イトイ新聞
    isrc
    isrc 2024/01/08
    ロジックだけで仕様を固めていったら、どこのチームもだいたいみんなどんどん似た答えになっていくわけだけど、任天堂はそれを求めてないんですよね。もし出たとしたら「そこに任天堂はあるのか」みたいな話になる
  • 第7回 宮本茂の誇り | なにもできないからプロデューサーになった | ほぼ日刊イトイ新聞

    『マリオ』や『ゼルダ』や『ピクミン』をつくり、 世界中で尊敬されているゲームクリエイター‥‥ と書くと、正しいんですけど、なんだかちょっと 宮茂さんのことを言い切れてない気がします。 クリエイティブでアイディアにあふれているけど、 どこかでふつうの私たちと地続きな人、 任天堂の宮茂さんが久々にほぼ日に登場です! 糸井重里とはずいぶん古くからおつき合いがあり、 いまもときどき会って話す関係なんですが、 人前で話すことはほとんどないんです。 今回は「ほぼ日の學校」の収録も兼ねて、 ほぼ日の乗組員の前でたっぷり話してもらいました。 ゲームづくりから組織論、貴重な思い出話まで、 最後までずっとおもしろい対談でした。 え? 宮さんがつけた仮のタイトルが、 『なにもできないからプロデューサーになった』? そんなわけないでしょう、宮さん! 糸井 当時のファミコンの枠組みのなかで、 「ここまでつく

    第7回 宮本茂の誇り | なにもできないからプロデューサーになった | ほぼ日刊イトイ新聞
    isrc
    isrc 2024/01/07
    当時のメンバーが、ほとんどみんな任天堂で仕事してる。もちろん同じチームじゃなくて、ほかのチームをそれぞれがまとめてたりして。全員がいまも現役でやってるってことは、時代の変化にもみんなついていってる。
  • 任天堂元社長・岩田聡氏への「幻のインタビュー」を海外記者が公開。ニンテンドーDSにタッチパネル採用の理由など貴重な証言が続々発掘 - AUTOMATON

    任天堂の第4代代表取締役社長を務めた故・岩田聡氏に向けて、約20年前にインタビューをおこなったジャーナリストがその未公開だった内容を公開し注目を集めている。ニンテンドーDSが発表されたゲームイベントE3におけるインタビューであり、任天堂のハード開発における戦略やエピソードが語られている興味深い内容だ。 岩田聡氏は約13年間にわたり、任天堂の第4代代表取締役社長を務めた人物だ。『星のカービィ』『大乱闘スマッシュブラザーズ』シリーズなどの開発元として知られるハル研究所の創業メンバーであり、後に同社代表取締役社長に就任。2000年に任天堂に入社し、2002年から同社の代表取締役社長を務めていた。2013年からは任天堂の米国法人のCEOも兼任するなど、任天堂の顔として国内外で活躍。しかし2015年に胆管腫瘍のためこの世を去った。 2004年の「E3」にて 今回、約20年前におこなわれた、岩田氏への

    任天堂元社長・岩田聡氏への「幻のインタビュー」を海外記者が公開。ニンテンドーDSにタッチパネル採用の理由など貴重な証言が続々発掘 - AUTOMATON
  • 第6回 コンピューターとファミコン | なにもできないからプロデューサーになった | ほぼ日刊イトイ新聞

    『マリオ』や『ゼルダ』や『ピクミン』をつくり、 世界中で尊敬されているゲームクリエイター‥‥ と書くと、正しいんですけど、なんだかちょっと 宮茂さんのことを言い切れてない気がします。 クリエイティブでアイディアにあふれているけど、 どこかでふつうの私たちと地続きな人、 任天堂の宮茂さんが久々にほぼ日に登場です! 糸井重里とはずいぶん古くからおつき合いがあり、 いまもときどき会って話す関係なんですが、 人前で話すことはほとんどないんです。 今回は「ほぼ日の學校」の収録も兼ねて、 ほぼ日の乗組員の前でたっぷり話してもらいました。 ゲームづくりから組織論、貴重な思い出話まで、 最後までずっとおもしろい対談でした。 え? 宮さんがつけた仮のタイトルが、 『なにもできないからプロデューサーになった』? そんなわけないでしょう、宮さん! 糸井 宮さんは、コンピューターを 専門的に勉強していた

    第6回 コンピューターとファミコン | なにもできないからプロデューサーになった | ほぼ日刊イトイ新聞
    isrc
    isrc 2024/01/06
    つれてこられた人たちは「できる人」として呼ばれているので、とにかく自分ができることを足していくんですね。そういうふうにまとまらないままつくるので、「できました」っていうものを見ても、隙間だらけなんです
  • 第5回 操作したときの手応え | なにもできないからプロデューサーになった | ほぼ日刊イトイ新聞

    『マリオ』や『ゼルダ』や『ピクミン』をつくり、 世界中で尊敬されているゲームクリエイター‥‥ と書くと、正しいんですけど、なんだかちょっと 宮茂さんのことを言い切れてない気がします。 クリエイティブでアイディアにあふれているけど、 どこかでふつうの私たちと地続きな人、 任天堂の宮茂さんが久々にほぼ日に登場です! 糸井重里とはずいぶん古くからおつき合いがあり、 いまもときどき会って話す関係なんですが、 人前で話すことはほとんどないんです。 今回は「ほぼ日の學校」の収録も兼ねて、 ほぼ日の乗組員の前でたっぷり話してもらいました。 ゲームづくりから組織論、貴重な思い出話まで、 最後までずっとおもしろい対談でした。 え? 宮さんがつけた仮のタイトルが、 『なにもできないからプロデューサーになった』? そんなわけないでしょう、宮さん! 糸井 『MOTHER』をつくったとき、 宮さんがチーム

    第5回 操作したときの手応え | なにもできないからプロデューサーになった | ほぼ日刊イトイ新聞
    isrc
    isrc 2024/01/05
    インタラクティブなものを つくっているわけですから、どんな効果音をつかうと気持ちいいかということをわかってはじめて ゲームのサウンドデザイナーなんです。 それを表現とか芸術みたいにとらえると濁ってしまう。
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 樹の上の秘密基地 - (第5回の6)「 特別座談会・今だから言えること」〜 ものをつくるとは何か 後編 〜

    この春に発売され50万を超えるヒット となった、話題のNINTENDO64ソフト 「ポケモンスナップ」を 制作した「ジャックアンドビーンズ」の 開発秘話を満載してお届けしている、 今回の「樹の上の秘密基地」。 連載はこれが最終回になりました。 宮さん、岩田さん、糸井による特別座談会の後編をお届けします。 (前編をまだ読んでないひとは、「第5回」から見てくださいね) ゲームに限らず、ものづくりに必要なことがこの座談会から見えてきます。 肩の荷をおろしたスタッフたちの声も、同時にお伝えしましょう。 糸井重里(以下糸井): あのレールを作ったのは? 岩田さん:(以下岩田): あれはね、ただ自由に歩き回れても、 っていう段階での、今の宮さんのお話が あった後の次のステップで、 2つくらい実験がなされてて、 そのうちのひとつだったんです。 宮茂さん(以下宮): 「もう、とことん、これで行け

    isrc
    isrc 2024/01/04
    ありとあらゆるもの作りの現場において、民主主義が常にいちばん正しい方法なんじゃない/民主主義って「神様はそれを良しとしますか?」という支柱があって/「ほどほどに」にはコンセプトがないやろ、と思う
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 樹の上の秘密基地

    NINTENDO64ソフト 「ポケモンスナップ」を 制作した「ジャックアンドビーンズ」の 開発秘話を満載してお届けしている、 今回の「樹の上の秘密基地」です。 ソフトが完成して、ようやくスタッフも 3年半の開発の苦しみから解き放たれる時がきました。 彼らの喜びの声を聞いてください。 また、今回は「ジャックの豆の木プロジェクト」生みの親である 宮さん、岩田さん、糸井による特別座談会をお届けします。 ゲームは出来た、さて、あらためて問われる 「ものを作るとは何か?」必読です! 糸井重里(以下糸井): 「ものを解決する喜び」って、 人間のホルモンとまでは言わないけど、 一番の楽しみじゃないですかね。 つまり、矢で的を射る喜びだったり、 女の子をくどいてパンツを脱がせる喜び だったり、さ。 いたいものを手にする喜びだったり。 それって、一度味わっちゃうと、もう 抜けられないよね。 宮茂さん(

    isrc
    isrc 2024/01/04
    今の若いひとたちだけでものを作っていくって、難しいと思う/チームに核があって「この人の言うことを聞きなさい」っていうふうにすべきだったと、反省してます/もう、すごい、自分にとっての敗北感があることだ
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 樹の上の秘密基地 (第5回の4)「 結果を出すことが大事だったんです。」

    NINTENDO64ソフト 「ポケモンスナップ」を 制作した「ジャックアンドビーンズ」の 開発秘話を満載してお届けしている、 今回の「樹の上の秘密基地」です。 連載第4回は、空中分解の危機を乗り越えてスタッフが 結束していき、チームが完成への手応えを掴んだ 最終段階のお話と、見届けた宮さんと岩田さんの胸中を、 同時にお伝えしていきます。 岩田聡さん:(以下岩田) 実はわたし、途中4回くらいかな、 「これをやってダメだったら、 いよいよプロジェクトをたたむしか ないかな」って思ったことがあった んですよ。 今までさまざまなソフトを開発してきたけど 「ほんとうにダメかもしれない」って 思ったことは、これまでほとんど なかったんですが。 編集部: どんなときにそう思われたのですか? 岩田: チームのなかでも、非常に重要な キーマンとなっていたメンバーが 途中で脱退してしまったり、 チームのメン

    isrc
    isrc 2024/01/04
    商品にして、売って、売れて、売れることで癒される傷って、あるじゃないですか/僕らが球を投げたんだけれども、誰も受けてくれなかったら、誰も球を投げ返してはくれなかったら、次へのエネルギーって出ませんから
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 樹の上の秘密基地

    ポケモンスナップ」を 開発したのは、業界初の公募による 完全自立型プロジェクトチーム 「ジャックアンドビーンズ」でした。 「樹の上の秘密基地」第5弾は、 今回もここでしか読めない秘話が満載の 超ロングインタビューを、5回にわたって お伝えしていきます。 第3回は、日毎に重苦しく煮詰まっていった開発者たちを プロジェクトの生みの親である岩田さん、宮さんが、 どう叱咤激励し、どう立て直していったのか。 もちろん、スタッフにも同時に語っていただいていますよ。 宮さん:(以下宮) 誰もしていなかったことをやるんだ! って集まったはずなのに、 「当にこれでゲームは出来上がるので しょうか?」とか、 「完成したときに面白いですか?」とか、 作ってるあいだに何度も聞かれたのは、 正直いってちょっと驚きました。 岩田さん:(以下岩田) 宮さんが東京に来られるたびに、 「宮さんがかつて成功させ

    isrc
    isrc 2024/01/04
    企画の選択というのは、企画そのものの優劣だけじゃなくて、チームの特徴や構成に合った企画であるかどうかも重要
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 樹の上の秘密基地

    「樹の上の秘密基地」第5弾は 「ポケモンスナップ」 の開発チーム「ジャックアンドビーンズ」の話 をお伝えしています。 新しいゲームソフト開発チームのメンバー全員 を広告によって一般公募するという試みは、 どこから生まれたものだったのか? 応募し、採用されたスタッフたちには、 どのような苦難が待ち受けていたのか? プロジェクトの生みの親である宮さん、岩田さんと、 スタッフたちそれぞれに、同時に語っていただきました。 第2回目は、ソフトの開発がいざスタート!というところで あれ?なんかおかしいぞ、と、みんなが思い始めて・・・。 ( ハル研究所代表取締役社長 岩田 聡さん 以下岩田) チームの運営をどうするか、については、 募集広告を出した時点では、まだ決まって いなかったのです。 場合によっては、これは無責任と批判される かも知れないんですが。 どんな人がどのように集まってくるのか、 何人の

    ほぼ日刊イトイ新聞 - 樹の上の秘密基地
    isrc
    isrc 2024/01/04
    個人の自由度が高いのは、管理されないことは、いいことばかりじゃない。糸井さんも、「みんなを一緒にしておけば、そのうち自然にリーダーは現われるよ」とおっしゃっていたんだけれども、そのやり方は乱暴すぎた
  • 第3回 最少人数のチームで | なにもできないからプロデューサーになった | ほぼ日刊イトイ新聞

    『マリオ』や『ゼルダ』や『ピクミン』をつくり、 世界中で尊敬されているゲームクリエイター‥‥ と書くと、正しいんですけど、なんだかちょっと 宮茂さんのことを言い切れてない気がします。 クリエイティブでアイディアにあふれているけど、 どこかでふつうの私たちと地続きな人、 任天堂の宮茂さんが久々にほぼ日に登場です! 糸井重里とはずいぶん古くからおつき合いがあり、 いまもときどき会って話す関係なんですが、 人前で話すことはほとんどないんです。 今回は「ほぼ日の學校」の収録も兼ねて、 ほぼ日の乗組員の前でたっぷり話してもらいました。 ゲームづくりから組織論、貴重な思い出話まで、 最後までずっとおもしろい対談でした。 え? 宮さんがつけた仮のタイトルが、 『なにもできないからプロデューサーになった』? そんなわけないでしょう、宮さん! 糸井 宮さんが入社したばかりのころは、 ある意味、任天

    第3回 最少人数のチームで | なにもできないからプロデューサーになった | ほぼ日刊イトイ新聞
    isrc
    isrc 2024/01/04
    漠然とみんなでちょっとずつ ものをつくっていくのってとても難しくて、間違っててもいいから、はっきりしたイメージを責任者が持ったほうがいいんです。そのために、まず最少人数でやるのはすごくいいことなんです
  • なにもできないからプロデューサーになった | ほぼ日刊イトイ新聞

    『マリオ』や『ゼルダ』や『ピクミン』をつくり、 世界中で尊敬されているゲームクリエイター‥‥ と書くと、正しいんですけど、なんだかちょっと 宮茂さんのことを言い切れてない気がします。 クリエイティブでアイディアにあふれているけど、 どこかでふつうの私たちと地続きな人、 任天堂の宮茂さんが久々にほぼ日に登場です! 糸井重里とはずいぶん古くからおつき合いがあり、 いまもときどき会って話す関係なんですが、 人前で話すことはほとんどないんです。 今回は「ほぼ日の學校」の収録も兼ねて、 ほぼ日の乗組員の前でたっぷり話してもらいました。 ゲームづくりから組織論、貴重な思い出話まで、 最後までずっとおもしろい対談でした。 え? 宮さんがつけた仮のタイトルが、 『なにもできないからプロデューサーになった』? そんなわけないでしょう、宮さん!

    なにもできないからプロデューサーになった | ほぼ日刊イトイ新聞
  • 任天堂、新入社員の定着率がほぼ100%らしい→元任天堂の人が語る会社の方針がすごい

    リンク ビジネスジャーナル/Business Journal | ビジネスの音に迫る 任天堂、驚異の新入社員定着率「ほぼ100%」…なぜ社員が辞めないのか 世界累計販売台数が1億台を超えた「Nintendo Switch」と共に、さまざまな大ヒットソフトを送り出し続け、ゲーム業界をリードし続ける任天堂。日でも屈指の人気を誇る大企業だが、その新入社員定着率が“ほぼ100%”であることが注目を集めている。ゲーム業界の待遇が良く人気が高いのは確かだが、任天堂の定着率は驚異的だ。なぜ任天堂は社員が辞めないのだろうか。 154 users 178 今村孝矢 / Takaya Imamura @ima_1966 社是社訓が無い。最大限の努力をして後は運を天に任せる。独創の精神を尊重する 。これらが社員に浸透している事が居心地の良い環境を生み出してるんだと思います。 私が入社した頃なんて定年退職制度

    任天堂、新入社員の定着率がほぼ100%らしい→元任天堂の人が語る会社の方針がすごい
  • 任天堂社長・岩田さんの新入社員時代にいっしょに作ったDTMソフト|藤本健の"DTMステーション"

    今や世界でも有数の経営者として注目を集めている任天堂社長の岩田聡さん。その岩田さんはプログラマ・エンジニアであったということをご存知ですか?しかも超がつく天才級のエンジニアであったということを。1982~1983年、その岩田さんが新入社員だった時代、当時高校2年生だった私、藤健といっしょに開発したDTMソフト、およびハードというものがあるんです。 先日、実家の大掃除をしていたら、その当時のものがいろいろと出てきました。HAL研究所という会社にいた岩田さんと私で書いたプログラムのソースリストや、その後製品として発売されたハードウェアに、パンフレット……。今や貴重な資料かもしれないので、少し紹介してみましょう。 岩田さんが新入社員当時の製品パンフレット 任天堂社長の岩田さんの経歴については、いろいろな書物で紹介されているので、そちらに譲りますが、最初から任天堂の社員だったわけではありません。

    任天堂社長・岩田さんの新入社員時代にいっしょに作ったDTMソフト|藤本健の"DTMステーション"
  • 「ファミコンの父」上村雅之さんと「ファミコンが生まれた時代」の話 - いつか電池がきれるまで

    news.denfaminicogamer.jp 「ファミコンの父」上村雅之さん逝去。 近年は、僕が子どもの頃にお世話になった、というか、生きていく支えでもあったテレビゲームをつくってきた人たちの訃報に接することが多くなりました。つい先日、三遊亭円丈さんのことを書いたばかりだったのに。 fujipon.hatenablog.com 2018年に、上村さんについての、こんな記事がありました。 bunshun.jp ゲーム業界では、宮茂さんや横井軍平さんという「ゲームをつくってくれたソフト開発側の人たち」のほうがユーザー、プレイヤーに注目されがちなのですが、上村さんは、僕たちが熱中したゲームを生み出す「器」であったハード(『ファミリーコンピュータ』という機械)を生み出した人だったのです。 fujipon.hatenadiary.com ファミコンとその時代 作者:上村 雅之,細井 浩一,中村

    「ファミコンの父」上村雅之さんと「ファミコンが生まれた時代」の話 - いつか電池がきれるまで