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ウォルトンに関するsakstyleのブックマーク (7)

  • ウォルトン『フィクションとは何か』読書会記録其ノ四・第1章5節まで(復習編) - 曇りなき眼で見定めブログ

    ウォルトン『フィクションとは何か』読書会記録其ノ参・第1章5節まで(予習編) - 曇りなき眼で見定めブログの復習 解釈を伴う鑑賞と二次創作は、想像活動という観点からは明確には分けられない。表象体が想像活動を促したりオブジェクトとなったり規則を定めたりする際に、それをもとにした解釈もその解釈から発展した創作も程度の差こそあれ同じなんじゃないかと思う。ちょっとこのへんの理屈はうまく書けない…。 とにかく、これによって二次創作の態度を表象体の鑑賞体験と同じようにメイク・ビリーブ説を適用できるのではないかと思う。 公式の世界線ではAと結婚した主人公が、Bと結婚するifストーリーを二次創作するとしよう。このとき二次創作の作者は主人公とBが結婚するという想像をしているのではなく、Aと結婚したはずの主人公がBと結婚していると想像する。これは俳優と演劇作品の関係と同じだと思う。なのでキャラクターは想像活動

    ウォルトン『フィクションとは何か』読書会記録其ノ四・第1章5節まで(復習編) - 曇りなき眼で見定めブログ
    sakstyle
    sakstyle 2024/01/12
    「キャラクターは想像活動のオブジェクトとなりうる。これが私のメイク・ビリーブ的二次創作論である」
  • 『フィクションとは何か』- ケンダル・ウォルトン(中間まとめ) - 青色3号

    第2部までをまとめてみよう、というエントリ。前半だけでも二段組300ページあってそれなりに分厚いのは、ウォルトンの理論自体が思ったより複雑なのもあるが、それよりもとにかく例示が豊富なことが原因のように思いました。それらを読むのはとても楽しいものの、論なんだっけ?ともなりやすそうなので、とにかく手掛りを残しておくにしくはないということで。 それにあたり、まずは以下にこれまでの章のメモを挙げておきます。こうした自分の理解(かなりあやしい)およびいくつかの追加的な文献を参考にして1、書のなかでどんなことが言われているのかを、せめてもうちょっと短くまとめてみたいというのが記事です。 序章および第1部「表象体」 序章・第1章「表象体とごっこ遊び」 第2章「フィクションとノンフィクション」 第3章「表象の対象」 第4章「生成の機構」 第2部「表象体の鑑賞経験」 第5章「謎と問題点」 第6章「参加

    『フィクションとは何か』- ケンダル・ウォルトン(中間まとめ) - 青色3号
    sakstyle
    sakstyle 2022/05/06
    このまとめすごい!
  • David Velleman「信念の目的について」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    Velleman, David (2000). On the aim of belief. In The Possibility of Practical Reason. Oxford University Press 244--81. すでに正月って感じでもないですが、おめでとうございます。新年なので信念の目的について考えていました。 序 真理志向性を研究する理由 真理志向性とは何か? 真理志向性は何ではないか: 真と信じる 真理志向性は何ではないか: 真と見なす 真理志向性とは何か 目的はどのように実現されるか 信念を動機づけ役割で定義できないか? 想像に動機づけられた行動: メイクビリーブ 想像に動機づけられた行動: ひとりごと 想像に動機づけられた行動: 精神分析の例 想像に動機づけられた行動: 表出行為 想像と信念の動機づけのちがい なぜ動機づけによる説明が正しく見えるのか なぜ

    David Velleman「信念の目的について」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
    sakstyle
    sakstyle 2018/11/07
    「真理を目的とする態度という形で、信念を定義することもできそうだ」「ベルマンはウォルトンをかなり詳細に引きながら想像と信念の比較をやっており」
  • フィクションのパラドックス/The Paradox of Fiction【インターネット哲学百科事典】 - 水槽脳の栓を抜け

    http://www.iep.utm.edu/fict-par/ 我々はフィクション作品を鑑賞するとき、しばしば情動が揺さぶられたと主張する。しかし、情動の質について考えると、この事象はパラドックスを引き起こす。 フィクションのパラドックスは、正しそうに見える以下の三つの命題が互いに矛盾していることである。 (1)フィクションの鑑賞者は、フィクションの登場人物などに対して情動を抱いている。 (2)何らかの対象に対して情動を抱くとき、その対象が実在していることを信じていなければならない。 (3)フィクションの鑑賞者は、フィクションの登場人物などが実在していることを信じてはいない。 パラドックスの提案者、ラドフォードは三つの命題をすべて受け入れ、情動とは非合理的なものだと結論付けたが、その解決法は十分なものではない。 代表的な戦略は三つである。(1)を否定するフリ説。(2)を否定する思考説。

    フィクションのパラドックス/The Paradox of Fiction【インターネット哲学百科事典】 - 水槽脳の栓を抜け
  • Kendall Walton, 「なんて素晴しい!」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    Kendall L. Walton, How marvelous! Toward a theory of aesthetic value - PhilPapers Walton, Kendall L. (1993). How marvelous! Toward a theory of aesthetic value. Journal of Aesthetics and Art Criticism 51 (3):499-510. Marvelous Images: On Values and the Arts 作者: Kendall L. Walton出版社/メーカー: Oxford University Press, U.S.A.発売日: 2008/04/23メディア: ペーパーバック クリック: 1回この商品を含むブログを見る ウォルトンの美的価値論。この論文では「美的価値」という語を使

    Kendall Walton, 「なんて素晴しい!」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
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    sakstyle 2017/06/07
    美的価値とは「評価による快」
  • ウォルトン・リターンズ - 9bit

    ウォルトンの「想像/表象の対象」話の続きです。これまでの流れは以下の通り。 ウォルトンにおける想像の対象 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ 田村均「事物と私たちの想像論的なかかわりについて : ケンダル・ウォルトンの「想像活動のオブジェクト」の概念をめぐって」『名古屋大学哲学論集』13: 1–21 (2017). ウォルトンの「想像の対象」と「表象の対象」 – 9bit ウォルトンにおける想像のobjectについて - logical cypher scape 訳者@Mimesis_as_MakeB(@MimesisasMakeB1)さん | Twitter 「想像の対象」と「表象の対象」再訪 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ 一番下の高田さんの記事には基的に同意している。論点の定式化(K1~W4)についても、田村さんや私の主張の定式化についても異論はない*。とても明快で的確

    ウォルトン・リターンズ - 9bit
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    sakstyle 2017/05/14
    “「ケヴィン・コスナーは馬に乗る」と「ワイアット・アープは馬に乗る」は別々の虚構的真理ではない。”
  • ウォルトンとグッドマン - Kendall Walton, 表象は記号か - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    2017-05-09追記: 後半を中心に大きく書き直した。 芸術の言語 作者: ネルソン・グッドマン,Nelson Goodman,戸澤義夫,松永伸司出版社/メーカー: 慶應義塾大学出版会発売日: 2017/02/22メディア: 単行この商品を含むブログ (7件) を見る ネルソン・グッドマンの『芸術の言語』には、文学・絵画・建築・音楽といったさまざまな表象芸術のカテゴリーを、体系的に位置づけ・比較するという側面がある。 この点で、グッドマンとウォルトンの体系的な比較ができないかということをぼんやり考えている。なぜ両者を比較する必要があるかというと、話は簡単で、上記のようなこと(各芸術形式の体系的な位置づけ)をやっている人が、そもそもこの二人くらいしかいないからだ。 しかし、そもそも枠組が全然違う上、両者とも常識とは乖離した異様な発想をしているので比較もかなり難しい。ところが、実は都合よ

    ウォルトンとグッドマン - Kendall Walton, 表象は記号か - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
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    sakstyle 2017/05/09
    “両者とも常識とは乖離した異様な発想をしている”表象にとって指示は必須か否か
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