昨年物故したアメリカの哲学者リチャード・ローティが、1994年『ニューヨーク・タイムズ』に発表した「非愛国的なアカデミー」を、ざっとですが訳してみました。原文はネットで全文読めます。 The Unpatriotic Academy - New York Times 非愛国的なアカデミー 大半の人は、政府の臆病さや堕落ぶりに憤りを感じるであろうにも関わらず、また、もっとも弱きもの貧しきものに対して現になされつつあることに対する絶望感にも関わらず、それでも、自分達の国に一体感を持っている。自分達で創り出し、自分達で改良し、長く持続している立憲民主政治の市民であることに、誇りを持っている。アメリカ合衆国は、輝ける──たとえ色あせつつあるにしても──国民的伝統をもっているのだ、と思っている。 こういった原則に対する例外の多くは、大学でみられる。大学の中の学科は、左翼の政治的見地にとって、聖域とな
HOME リチャード・ローティを脱構築する 『理戦』no.74, 2003 Autumn, pp.66-87. 橋本努 0.はじめに 「それを言っちゃぁ、おしまいよ」――世の中には、聞いてしまったら身も蓋もない答えが返ってくるような問いがある。哲学者リチャード・ローティが執拗にたずねまわるのは、そんな問いだ。とりわけ彼は、自身が身を置くアカデミックな正統哲学を無用であると告発し、哲学にルサンチマンを抱く人たちの生を肯定する。その魅力は、共倒れを覚悟で相手に最大のパンチをかますという、アイロニーの手法にあるだろう。相手を倒すが、自分もいずれ倒れる覚悟を決めておく。哲学に対する彼のアプローチは、そうした捨て身戦法にかける「意気込み」にある。 だが一方で、ローティの痛快さを嫌う人も多い。批判者たちによれば、「ローティのいうアイロニストの語彙では、民主主義を支持する理由を次の世代へ伝えていくことは
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