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宇野常寛に関するsakstyleのブックマーク (6)

  • 『リトル・ピープルの時代』と『ゴーストの条件』を読み比べる - ピアノ・ファイア

    リトル・ピープルの時代 宇野 常寛 幻冬舎 2011-07-28 売り上げランキング : 585 Amazonで詳しく見る by G-Tools ゴーストの条件 クラウドを巡礼する想像力 (講談社BOX) 村上 裕一 講談社 2011-09-02 売り上げランキング : 1469 Amazonで詳しく見る by G-Tools 8月を挟んで、ごく近い時期に出た二冊の評論書があります。 前者『リトル・ピープルの時代』(著者は宇野常寛)は社会反映論、後者『ゴーストの条件』(著者は村上裕一)はサブカル評論に寄って書かれたと言えるでしょうか。 しかし、どちらも「キャラクター論」に大きく紙幅を割いているという共通点があります。そしてそれは、『ゴーストの条件』においてより顕著です。 そんな二冊ですが、奇しくも両者の中に、字面の点では共通する術語、しかしその意味するところでは異なる術語が登場しているこ

    『リトル・ピープルの時代』と『ゴーストの条件』を読み比べる - ピアノ・ファイア
    sakstyle
    sakstyle 2011/10/03
    『リトル・ピープルの時代』「非現実と現実」という二分法、『ゴーストの条件』「ローカルとクラウド」という二分法/伊藤キャラクター論を、「風景」や世界観のレベルに拡張させて総合的に語れるようにする
  • 浅田彰+磯崎新+宇野常寛+濱野智史+宮台真司+東浩紀(司会)「アーキテクチャと思考の場所」 - 東京工業大学 世界文明センター

    講演内容: 建築、社会設計、そしてコンピュータ・システムの3つの意味をあわせもつ言葉「アーキテクチャ」。それは、現代社会で、多様なニーズに答え、人間を無意識のうちに管理する工学的で匿名的な権力の総称になりつつある。では人文的な知は、そのような権力の台頭にどう対峙すればよいのか。 建築家の磯崎新、社会学者の宮台真司、経済学者の浅田彰を招き、新世代の論客が論戦を挑む。 1957年生まれ。京都大学経済学部卒業。京都大学人文科学研究所助手、京都大学経済研究所助(准)教授。2008年より京都造形芸術大学大学院大学院長。1983年、『構造と力』(勁草書房)を発表し、翌年の『逃走論』(筑摩書房)で提示した「スキゾ/パラノ」のパラダイムとともに、「浅田彰現象」とも呼ばれる「ニューアカデミズム・ブーム」を生む。その後、哲学・思想史のみならず、美術、建築、音楽、舞踊、映画、文学ほか多種多様な分野におい

  • 『ゼロ年代の想像力』読みました。 - 感情レヴュー

    ゼロ年代の想像力 作者: 宇野常寛出版社/メーカー: 早川書房発売日: 2008/07/25メディア: ハードカバー購入: 41人 クリック: 1,089回この商品を含むブログ (263件) を見る宇野常寛氏が『ゼロ年代の想像力』でテーマにしたのは、価値観の流動化・多様化を背景にした、内向的なロマン主義から暴力的な決断主義への歴史的以降、あるいはその両者の、コインの裏表的カップリングという問題系である。これは、ナチスの近傍にいた法哲学者カール・シュミットとそれを批判的に問題にしたカール・レーヴィット以来、近代の古典的なテーマであることは、ここで改めて確認しておきたい。 もちろん日でも直接間接にしばしば問題にされてきた。とくにポストモダンとか「近代の超克」が取り上げられた1990年代には、現代思想周辺で盛んにクローズアップされている。その関係でデリダ(『法の力』)、ベンヤミン、ハイデガー、

    『ゼロ年代の想像力』読みました。 - 感情レヴュー
    sakstyle
    sakstyle 2008/09/14
    ロマン主義と決断主義の対立について(20世紀初頭)/キャラクター消費とプロット消費という対立軸はどうなのか/ロマン主義と決断主義の両方を踏まえたものとしての、谷崎、川端
  • 宇野常寛『ゼロ年代の想像力』と山形・稲葉の新教養主義 - 韓流好きなtanakaの過疎日記

    何度もアマゾンのおすすめに出てきたのでたまたま書店で手に取る。毎回思うが、「時代」を語る上で必修である経済問題に対する想像力というか理解というか知識というかが、この種の論者には決定的に不足していることだ。 それは単純に不勉強だからだろう。どんなに取り繕ってもこの不勉強は今後この若い論者の可能性の足枷になる。人が「時代」と格闘しようとすればするだけこの取り繕いが彼の論説の限界を設定していく。それは高原基彰氏にも感じたことだ。それは残念なことだ。いや、むしろ僕はその不勉強ぶりを少し怒ってもいる。 例えば、その想像力、理解、知識の不足をなんとか補っても、話はよくあるパターン(小泉政権がもたらした構造なんとかのなんとか変化というベタなストーリー)に落ち込むのがせきのやまだろう。 以下に引用するように、「想像力、理解、知識の不足」は、例えば書の基的な認識を奇妙なものにするのに十分である。 「こ

    宇野常寛『ゼロ年代の想像力』と山形・稲葉の新教養主義 - 韓流好きなtanakaの過疎日記
  • ナルシシズムの変質? - 仮想算術の世界(福嶋亮大)

    宇野常寛さんの『ゼロ年代の想像力』の書評などいろいろ書いてました。書評は来月掲載される予定です。 宇野さんのは、連載で読んでいたときとはだいぶ印象が違って、いろんな意味で面白かったし刺激になりました。「雑誌で読んだし、買おうかどうしよう」と思っている方は、一度書店で手に取られることをおすすめしておきます。決して社交ではなく(笑)これは読まれるべき力作です。 ただ、書評を書くのはかなり大変でした。発売前からこんなにネットで「書評」が出てるは他にないし、一応最初はネット上の言論をチェックしようと思っていたのですが、とても把握しきれないので諦めたというのが実情です。というか、そういう新しい言論空間こそが宇野現象の質だと思うので(ちなみにニコ動と初音ミクとらき☆すたと宇野常寛は同じ何かを共有しているというのがぼくの考えなんですが)、書評もそのあたりに触れつつ書いています。 * それで

    sakstyle
    sakstyle 2008/08/02
    ↑やっぱり、ウエルベックなのか(読んだことないけど)
  • 宇野常寛(善良な市民)さんの歴史 - かむかむごっくん

    今私が非常に面白がっている人物で宇野常寛さんという人がいます。この人はネット上でサブカルチャーへの評論を展開し、その文章を買われて(?)ライターとしての活動を開始、現在はSFマガジンという雑誌で評論「ゼロ年代の想像力」を連載しており、オタク評論の新たな地平を切り開いた巨人・東浩紀と敵対したり、一緒に酒を飲んだりしています。要は上の世代にもある程度期待されている新進気鋭の評論家さんです。その主張は苛烈で痛快です。「評論の世界は十年遅れている」と言い放ち、その十年を取り戻す作業が自分の仕事だと宣言しています。上の世代の評論家はすべて「現状認識できていないノスタルジー中年でもはや害悪」、萌えに耽溺するオタクは「『酸っぱい葡萄』状態のどうしようもない奴ら」と無手勝流の撫で斬りで片っ端から斬り捨てます。この人の活動の遍歴をまとめてみると面白いのでは? と思いこの記事を書いてみました。 高校生時代北海

    sakstyle
    sakstyle 2008/04/12
    確かに、佐藤心にカムバックしてもらいたい。
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