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認識論に関するsakstyleのブックマーク (28)

  • 読書メモ:統計学を哲学する(大塚淳 著) - 重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)

    統計学を哲学する 作者:大塚 淳 発売日: 2020/10/26 メディア: 単行(ソフトカバー) 発売後すぐに入手し、夢中になって読んだ『統計学を哲学する』。とても大事なだと感じ、Twitterで次のような(押しつけがましい)投稿もした。 大げさに聞こえるかもしれないことを言います。大塚淳『統計学を哲学する』は、自然科学・情報科学に従事する日語圏のすべての学生や研究者が、まる一週間手元の勉強や研究を止めてでも読む価値のあるだと思います。https://t.co/DHQ1SwnuKb — R. Maruyama (@rmaruy) 2020年10月28日 ところがその後、書店で『統計学を哲学する』を眺めたという知り合いから、次のようなことを言われた。 「哲学者が統計学を語る意味がよくわかりません。」 「数ページ読んでみたけど、哲学用語が頭に入ってこず、やめてしまいました。」 これに

    読書メモ:統計学を哲学する(大塚淳 著) - 重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)
  • AI-and-knowledge.pdf

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    AI-and-knowledge.pdf
    sakstyle
    sakstyle 2019/04/30
    「拡張された心」や「社会化された認識論」により知識概念は改訂されたが、それをもってしてもなおAIが知識をもつとは言い難い。なぜなら、知識概念位は規範的側面があるから、という話
  • 現代認識論のひとつの紹介 - mercbeinpのブログ

    (公開後、2018/3/25に日語文献を中心に何か所か加筆しました。) この記事は、学部後半から修士2年の現在に至るまで分析哲学における認識論を勉強/研究してきた私の視点と関心から、私が読んできた文献を紹介してみることによって、現代の認識論を紹介してみようというものです。私はこの四月で大学および研究から離れるので、これから認識論を勉強しようという方の参考になれば良いなと思っています。 私が読んできたものを軸に紹介しているため、認識論の紹介としての偏りは当然あります。また、感想を述べている箇所が多いです。文献情報が不正確な箇所が多いかもしれません。挙げている文献のうち「(未読)」と書いてあるものは未読ですが、それ以外は少なくとも流し読みくらいはしました。 記事が長くなったので、全体の内容を概観しておきます。1.1.では入門書・教科書についてコメントしています。1.2.では入門から少し進んだ

    現代認識論のひとつの紹介 - mercbeinpのブログ
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    sakstyle 2018/03/25
    “Knowledge-Firstは近年の認識論で大きく盛り上がっている話題の1つ”その他にも認識論哲学の近年のトピックスがいくつか紹介されている。徳認識論はもう下火になりつつあるのか……
  • 宝くじのパラドクス - mercbeinpのブログ

    (注:2016/06/03ごろに多少手を加えました。) twitterで以下のようなアンケートをやってみたこともあって、これが引き起こすいわゆる「宝くじのパラドクス[lottery paradox]」という問題について簡単に解説しようと思います。急いで書いたので間違っている箇所があるかもしれません。そのような場合は指摘してくださるとうれしいです。 1万分の1の確率で当たるくじが1枚だけ手元にあるとき、あなたは「この宝くじは外れる」と知っているといえる?(当選番号は既に発表されているが、あなたはまだ確認していないという状況だとしよう) — ラス子 (@mercbeinp) 2015, 11月 7 twitter.com 宝くじのパラドクス[lottery paradox]は、命題の合理的受け入れ[rational acceptance]や知識(あるいは正当化)概念が、確率と複雑な関係を持って

    宝くじのパラドクス - mercbeinpのブログ
  • Williamson『知識とその限界』三章「素であること」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    Knowledge and Its Limits Knowledge and Its Limits三章まで読んだ。 三章がおもしろかったのでまとめる。すいませんが難しいです。 信念と真理とあと何か 書、特にその前半で、ウィリアムソンは「知識は心の状態である」という立場を擁護している。 古典的な「知っている」の分析は、何かを知っているという状態を、「何かを信じている」という内在的な条件と、「真である」という外在的な条件と、そこにあと何かを付け加えることで成り立つものと見なす。知識は、内在的な条件と外在的な条件の混合で、その内在的なファクターは信念であるとされてきた。しかし認識論の歴史のなかで、その「何か」が何なのか、答えを見つけた者はいなかった。 『知識とその限界』は、その「何か」は永遠に見つからないよ、探すのはもうやめようよ、という。 知識とは心 ウィリアムソンの立場は、信念に何かを付

    Williamson『知識とその限界』三章「素であること」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
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    sakstyle 2015/03/15
    “ウィリアムソンの立場は、信念に何かを付け加えて知識を分析するのは不可能だというもの”
  • ErkenntnistheorieとEpistemologyと認識論についての大雑把な歴史 - fin de siècle

    リチャード・ローティは『哲学と自然の鏡』の中で、「認識論(Erkenntnistheorie)」の起源について次のようなことを言って、その系譜をうまくまとめている。 「カントの崇拝者たちの最初の世代は「カントが行ったこと」を言い表す便利な標語として理性批判(Vernunftkritik)という言葉を使った。認識論(ErkenntnislehreおよびErkenntnistheorie)という言葉が作られたのは少しあとになってからのことである(それぞれ一八〇八年と一八三二年)。しかし、そのときまでに「哲学の他の諸学に対する関係はどのようなものか」という問題は、ヘーゲルと観念論的な体系構築が介入してきたことによって、すでに曖昧なものになってしまっていた。ヘーゲル主義は、他の諸学を*基礎づける*というよりは、むしろ何らかの仕方でそれらを完成させ、かつ飲み込んでしまうような学としての哲学というイメ

    ErkenntnistheorieとEpistemologyと認識論についての大雑把な歴史 - fin de siècle
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    sakstyle 2015/01/29
    新カント学派のツェラーがErkenntnistheorieという語を再び盛り上げる/同時期、スコットランド常識学派のフェリアがEpistemologyという語を作る。この二つは、それぞれ独立だったが、訳語として使われるようになる
  • Jaegwon Kim「説明的知識と形而上学的依存」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    説明と理解について勉強するコーナー。これは比較的わかりやすかった。 http://philpapers.org/rec/KIMEKA Kim, Jaegwon (1994). Explanatory knowledge and metaphysical dependence. Philosophical Issues 5:51-69. ある出来事eが起きた時、説明はそれがなぜ起きたかを理解可能にする。 説明が与えるものは通常の知識ではない。説明は理解や説明的知識(なぜについての知識)を与える。 ところが、説明に関する哲学の文献では、説明についての認識論の問題はあまり扱われてこなかった。説明のモデルを与える者はいるが、それがどのような認識に結びつくのかはよくわからない。 キムは以下の二つの問いをかかげている。 認識論的問い pについての説明を持つ時、われわれが知るものは何なのか。 形而上学的

    Jaegwon Kim「説明的知識と形而上学的依存」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
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    sakstyle 2014/12/01
    説明は何故理解を与えるか、ということと、それに対応する存在論的なモデル
  • フィッシュ『知覚の哲学入門』のクオリア説のあたり - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    知覚の哲学入門 待望の知覚の哲学の教科書が翻訳された。 とりあえず読んだんだけど、思ったより難しく、流し読みだけでは未消化だった。 とりあえず最初読んでよくわからなかったあたりを整理していこう。 3章副詞説のところで、クオリア説に親和的な副詞説と、そうではない副詞説があるという話が出てくる。ここは結構難しく、最初読んだときはちんぷんかんぷんだった。まず、クオリア説自体がどういう立場かわかりにくい上に、現象的性格と現前的性格の区別も難しい。 なんでこの箇所が難しいかというと、普通クオリアは「赤さの感じ」みたいなものだと説明されるけど、このの説明では赤さの感じという言葉が出てこないのもある。 まず、以下の二つが区別されている(pp. 26-27)。 現前的性格[presentational character] 知覚ないし内観において私たちが気づく[aware]もの。クオリア説の支持者が「ク

    フィッシュ『知覚の哲学入門』のクオリア説のあたり - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
  • ウィリアム・フィッシュ 『知覚の哲学入門』 - Tohru Genka / 源河 亨

    この知覚についての哲学が心の哲学や分析形而上学 認識論、認知科学の成果を踏まえることで、 あらためて注目を集めている。 大陸ヨーロッパの現象学とも交流しつつ、 大きな成果をあげつつある知覚の哲学の 議論状況を丁寧かつわかりやすく説明する。 邦初の入門書、遂に刊行! 2014年8月発売。 体価格 3000円。 勁草書房。 各章紹介 第1章 序論 —— 鍵となる三つの原理 Introduction: Three key principles 1 章では手始め二つの帽子を導入する。それは知覚に関する哲学的理論の適切さを判定する二つの「試金石」である。一つは認識論の帽子でありここでは外界の情報を伝えるという知覚の役割に焦点が合わせられる。そしてもう一つは現象学の帽子であり、ここでは視覚経験の意識的な側面に焦点が合わせられる。 章の残りの部では三つの重要な原理を考察する。この三つの原理に応

    ウィリアム・フィッシュ 『知覚の哲学入門』 - Tohru Genka / 源河 亨
  • Davia Davies「芸術と科学におけるフィクションの物語から学ぶこと」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    http://link.springer.com/chapter/10.1007/978-90-481-3851-7_4 節タイトルは勝手につけました。 1. 思考実験の認識論的問題 2. 文学についての認知説 3. 思考実験から認知説を擁護する諸説 4. 思考実験における弱いインフレ説を文学に適用する 思考実験との比較から、フィクションから新しい知識を得られるという見解(認知説)を擁護する論文。先行研究がわりとまとまってるので良かった。 トマト・クーンは自然科学における思考実験(ガリレオの塔の思考実験やマクスウェルの悪魔)について、思考実験の認識論的問題というものを提起しているらしい。問題になっているのは、思考実験では新しいデータが得られそうにないにもかかわらず、思考実験によって、新しい知識を手に入れられるところにある。 (元々問題になっていたのは自然科学における思考実験だが、同じ問題は

    Davia Davies「芸術と科学におけるフィクションの物語から学ぶこと」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
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    sakstyle 2014/05/26
    思考実験やフィクションによって新しい知識を得ることができるか
  • Timothy Williamson『哲学の哲学』5章 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    The Philosophy of Philosophy (The Blackwell / Brown Lectures in Philosophy) 5章「形而上学的様相の知識」 Williamsonの『哲学の哲学』の主要な主張のひとつは、哲学の主題や方法は、他の諸分野と質的に異なるわけではないというものである。これは一方では哲学の特権的方法があるという主張へのカウンターでもあるし、哲学の方法に対する全面的な懐疑への批判でもある。Williamsonによれば、安楽椅子哲学は特別なものではないし、そこまで悪いものでもないということになる。 この章でも「形而上学的様相」という、いかにも典型的に哲学的な対象が、日常的な認識能力に基づいていることが議論される。 以下わりと簡単にまとめているが、実際は様相論理の細かいテクニカルな話が多くて大変だった。 感想: わりと納得したが、ここででてくるのは

    Timothy Williamson『哲学の哲学』5章 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
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    sakstyle 2014/03/31
    形而上学的様相のの認識論。「日常的な反事実条件法の判断能力の副産物として生まれた認知能力」
  • 植原亮『実在論と知識の自然化 自然種の一般理論とその応用』 - Repeat The Ending

    21:49 | 実在論と知識の自然化: 自然種の一般理論とその応用作者: 植原亮出版社/メーカー: 勁草書房発売日: 2013/12/19メディア: 単行この商品を含むブログ (3件) を見るこれまでも哲学的自然主義の議論を扱ったはいくつか出てましたが、心の哲学や認識論に特化していたものが多く、自然種の議論や存在論/認識論的な自然主義についてここまで包括的に扱った日語の一冊のはおそらくなかったので、その意味では書は非常に意義があるのではないでしょうか。叙述が明晰に展開されているうえ言及される議論も慣れ親しんだものが多かったので、割とすらすら面白く読めました。自然種の系譜や人工物の存在論などはまだ日でほとんど紹介されておらず、私もほとんど知らなかったので勉強になりました。今後認識論や形而上学の専門家や自然科学者などから有意義なコメントが出てくることだと思いますが、自分だったらこう

    植原亮『実在論と知識の自然化 自然種の一般理論とその応用』 - Repeat The Ending
    sakstyle
    sakstyle 2014/01/30
    “自然種の議論や存在論/認識論的な自然主義についてここまで包括的に扱った日本語の一冊の本はおそらくなかった”
  • 2013年の認識論を振り返る: NO NAME

    さてさて、このブログもさっぱり更新しなくなってしまいましたが、毎年こーれーのこれだけはせめても、ということで、「2013年の認識論を振り返る」です。しかしながら、今年は僕にとっても激動の年でした。2005年7月からカナダに在住していたのですが、7年9ヶ月ぶりに帰国して、日で某大学で1年間勤務することになったからです。その仕事に加え、今年は自分の勉強、研究にも認識論以外の分野が占める比重がかなり増えて、正直なところ最近の認識論の動向を去年までに比べるとあまりフォローできていません。しかし、以下僕に目に付いた限りで、今年の動向を簡単に紹介します。 1、哲学方法論についての研究が相次いで出版される 実験哲学の台頭以降、哲学の方法論を巡ってさまざまなことが論じられるようになったのですが、ようやくそれらが書籍という形で目につくようになりました。その中には、認識論、あるいは分析哲学よりももっと広い観

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    sakstyle 2013/12/29
    哲学の方法論について(「直感とは何か」)、「哲学的な知識はアプリオリなものか」、認識論的な価値や規範性、徳認識論ブームなど
  • 戸田山和久『知識の哲学』 - ぐだぐだ日記

    読書, 哲学知識の哲学 (哲学教科書シリーズ)作者: 戸田山和久出版社/メーカー: 産業図書発売日: 2002/06/20メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 2人 クリック: 74回この商品を含むブログ (60件) を見る戸田山『知識の哲学』を読んだ。戸田山さんらしいだ。教科書的なトピックを扱いつつも後半はしっかりと自身の見解を強く打ち出す。その意味ではたしかに中立的な書き方ではないが、代わりに論旨はとても分かりやすくなっている。簡単なまとめ第一部伝統的には知識とは「正当化された真なる信念」とされる。じゃあ「正当化」ってなに?ということを説明。ここで内在主義・外在主義、信念的・非信念的などの立場が紹介される。第二部そもそもなんで知識の条件に正当化なんて求めるのさ?それは懐疑論に対抗するためである。懐疑論はデカルトの時代まで遡る。デカルトの時代はまだ科学への信頼がなかった。だから方法

  • 2012年の認識論を振り返る: NO NAME

    さて、またもや全然更新しないうちに年末になってしまった。というわけで、今年も唐突にこの1年の認識論を振り返ってみる。今年は認識論関係の新刊、アンソロジーが数多く公刊されて、認識論にとっては豊穣な一年だった。 1、認識論的選言主義が台頭する。知覚の哲学における選言主義とは、知覚や見えがどのような心的態度なのかという点に関わる立場だが、認識論的選言主義とは、認識主体がどのような理由、ないし証拠を持っているのかという点に関する立場である。選言主義の始祖の一人マクダウェルの立場には両者が混在している(彼の立場を純粋に認識論的選言主義と見なす人もいるが、明確に知覚の哲学における選言主義を支持している論文もある)が、そこからインスパイアを得た立場を論じる人が現れてきた。Duncan PritchardとRam Netaで、共著論文もある。Netaは、積極的に認識論敵選言主義に対するアーギュメントを提示

  • 内在主義とは何か: NO NAME

    内在主義とは何かという問いに答えることはなかなか難しい。というのは、この言葉自体に幾つか意味があり、認識論で内在主義と呼ばれる立場全てが、同じ意味で内在主義というわけではないからである。そして外在主義は内在主義の否定であると定義できるが、同じ理由で、外在主義と呼ばれる立場すべてが、同じ意味で外在主義であるわけではない。 まず、内在主義・外在主義という立場は、知識に関わるものか、その必要条件に関わるかで意味が違う。それ故、例えば、知識に関する内在主義と正当化に関する内在主義というのは異なる立場であり、正当化を知識の必要条件とすれば、前者は後者を含意するが、その逆は成立しない。 知識に関する内在主義とは、真理を除く知識の必要条件のすべてが、何らかの意味で主体に内在するファクターのみによって成否が決まる条件であるという立場である。 正当化に関する内在主義とは、正当化条件が、主体に内在するファクタ

  • Beebe「懐疑論の仮説の制約」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    読書会のレジメをおきます。 元論文はドラフトがWebで公開されてます。 http://www.acsu.buffalo.edu/~jbeebe2/Constraints%20on%20Skeptical%20Hypotheses.pdf Beebe "Constraints on Skeptical Hypotheses" The Philosophical Quarterly Vol.60 No.240 *懐疑論に関する関心の移り変わり 伝統的な懐疑論の問題設定 -知識の基礎付け -カント的問題(認識はなぜリアリティと接触を持てるのか) 最近の懐疑論の問題設定 -知識のパズル --いくつかの常識的な仮定から、馬鹿げた結論が出てきてしまうという意味での哲学的パズル --知識に関する理解が問題 *問題意識 -過小決定underdeterminationの問題 過小決定: 経験だけからは1つの

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    sakstyle 2011/08/29
    様々な懐疑論のパターンを分類(?)したもの。多すぎて途中で読むの諦めたw これだから認識論はw
  • セルジュ・モスコヴィッシ(1984)「社会的表象という現象」(杉万俊夫研究室)

    Serge Moscovici(1984) “The Phenomenon of Social Representation" in Farr & Moscovici (Eds.), Social Representations. セルジュ・モスコヴィッシ 「社会的表象という現象」 訳: 八ツ塚 一郎 (熊大学教育学部) I.環境としての思考 (1) 科学以前の思考・科学的思考・ありふれた思考  科学以前の思考(あるいは、そう言ってよければ、科学以前の素朴(primitive)な思考)は、ひとつの信念と結びついている。それは、「精神には、はかり知れない力がある」という信念である。科学以前の思考には、「精神のはかり知れない力」が、世界をつくり出す、という前提がある。はかり知れない精神の力は、世界中に行き渡って、世界を生命力で満たし、さらには、万物の生成流転をも司る。  一方、近

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    sakstyle 2008/12/14
    セルジュ・モスコヴィッシ 「社会的表象という現象」
  • Is Justified True Belief Knowledge?

    S accepts P, S has adequate evidence for P, and P is true. Ayer has stated the necessary and sufficient conditions for knowledge as follows:3 P is true, S is sure that P is true, and S has the right to be sure that P is true. I shall argue that (a) is false in that the conditions stated therein do not constitute a sufficient condition for the truth of the proposition that S knows that P. The same

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    sakstyle 2008/12/08
    ゲティアの論文
  • エイヤー『知識の哲学』 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    『知識の哲学(The Probrem of Knowledge)』 A.J.エイヤー(著), 神野 慧一郎(訳) 白水社、1981 目次 1哲学と知識 哲学の方法 知識に共有の諸特色 知っているとは心が特別な状態にあることなのか 方法の論議―哲学と言語 知っているとは確信する権利をもつことである 2懐疑論と確実性 哲学的懐疑論 確実性の探究 「われ思う、ゆえにわれあり」 疑いに対して免疫のある言明は存在するか 公的な言語使用と私的な言語使用 自分自身の直接経験についての誤りは言葉のうえのものにすぎないのか いかにしてわれわれは知るのか 事実推理についての懐疑―帰納の問題 懐疑論の基型 懐疑論者に応じるさまざまな方法に関するいくつかの所見 3知覚 物理的対象は直接に知覚されるか 錯覚からの議論 感覚所与を導入する一つの方法 感覚所与の合法性に関して 素朴実在論と知覚の因果説 現象論 物理的

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    sakstyle 2008/12/08
    懐疑主義を解きほぐす本。面白そう。/懐疑主義的に思える主張をする人の多くは、よく話を聞いてみると、実はもっと穏当な主張をしたがっているということがよくある。