140か国以上の人々のワクチンに対する態度を分析したところ、ワクチンに対して中立的な態度をとる人々は、ワクチン支持派の見解よりもワクチン反対派の見解に同調する可能性があることが明らかになった。この知見を報告する論文が、Scientific Reports に掲載される。 ワクチンについては、その安全性と有効性が報告されているが、接種率が低下したために、これまで十分に管理されていた疾患(麻疹など)が流行し、世界保健機関(WHO)は、ワクチン忌避が公衆衛生に対する大きな脅威だと宣言した。 今回、Dino Carpentrasたちは、科学と健康に対する人々の態度に関する年次調査「ウェルカム・グローバル・モニター2018」によって収集された、144か国の14万9014人の人々のワクチンに対する態度に関するデータを分析した。Carpentrasたちは、この調査の回答者がワクチンを肯定的に受け止めてい
Thank you for visiting nature.com. You are using a browser version with limited support for CSS. To obtain the best experience, we recommend you use a more up to date browser (or turn off compatibility mode in Internet Explorer). In the meantime, to ensure continued support, we are displaying the site without styles and JavaScript.
外来種問題は突然に 2014年7月某日、札幌市の円山原始林で私が出会ったのは、体長15cmもの巨大な豹柄のナメクジ、マダラコウラナメクジでした。私はそれを知っていました。過去に一度だけ、ドイツ・ドレスデンの森の中で見たことがあったからです。北欧原産のナメクジがどうしてここに? 慣れ親しんだ円山の森に現れた、不似合いな新参者との突然の出会いに、目眩がしました。私の知る北海道の生態系は、これからいったいどうなってしまうのか? 我々ヒトの生活への影響は? 体長15 cmほどのマダラコウラナメクジ 市民のブログが教えてくれた 予期せぬ出会いに衝撃を受けた私は、研究室に戻るや否や、飛びつくように現状を調べ始めました。わかったことは、マダラコウラナメクジが2006年に茨城県で最初に侵入・定着が確認されたということ、さらに2010年には福島県、2012年には長野県にも侵入し勢力を拡大しているということで
中編からの続きです。 量子力学の解釈問題について、いまの専門家たちは何と言っているか(続き) ●「うまくいっているのだから、認めよう」派 筆者は、大学2年生のときに、はじめて量子力学の講義を受けました。 その講義の先生は「量子力学にはいろいろと不思議なことがあるけれども、慣れるしかありません」ということを言っていたように記憶しています。私の周りの友人たちは、この言葉に忠実に、量子力学に「慣れる」ことを競うようになりました。自然と、「解釈問題を気にするのは未熟」という空気が醸成されていました。 こうした態度は、もっと明け透けに「Shut up and calculate!(黙って計算せよ!)」と表現されたりもします。量子力学が正しいのは間違いない。解釈問題など気にせず先へ進もうよ、ということです。 ところで、リチャード・ファインマンの有名な言葉に、 “It is safe to say, n
「空間に満ちたヒッグス粒子が水飴のように粒子が進むのを邪魔し,素粒子は光速で飛び回れなくなった。これが質量を与えたということ」。テレビや新聞でよく見かける例え話は,物理学者にはとかく評判が悪いです。一方で「それなりにいいところもある」という声が専門家の中から上がり,議論になりました。
@popeetheclown さんが「自然科学における命名」の妙について述べたところ, @nennpa, @thinkeroid @kikumaco, @ALICE_VISCONTI, @tricken 各氏が集って,科学コミュニケーションの問題を考えてゆく流れへ.福岡伸一をどう評価するか,ゲノム解読以降の生物学研究の現状を新書でまとめるにはどうすればよいか,若手研究者自身による科学雑誌はどのように可能か,など,さまざまなテーマが検討されました./(091216_Wed_1343改訂)「誰でも編集」にしたところ,編集の衝突その他の影響で全文が二度消えるということがありました.バージョンを差し戻した後,「誰でも編集可」を一度凍結しているところです.
一昨日は日本図書館情報学会第57回研究大会で発表、昨日は同じく図書館情報学会で他の方の発表とシンポジウムを聞いており、本来であればそちらのエントリを先にまとめるべきなのですが。 そちらはまだ記事をまとめきっていないので、先に今日参加してきたサイエンスアゴラ2009でのシンポジウムについてアップします。 ってことで「野家啓一×長尾真×李明喜×折田明子×江渡浩一郎×長神風二×内田麻理香×岡本真」と言う、冗談のような豪華メンバーによるシンポジウム、「"ツタエルコト"はどこにある!? 科学コミュニケーションと学術コミュニケーション」に参加してきました! Science Communication: シンポジウム “ツタエルコト”はどこにある!? -科学コミュニケーションと学術コミュニケーション 2009-10-13(Tue): 11月2日(月)は野家啓一×長尾真×李明喜×折田明子×江渡浩一郎×長神
5号館さんからTBをいただいた科学批評家の話題について少々。 もっともっとたくさんの科学批評家が必要だ 『批評とはなにか』ってことを考えていたら、なんだかちょうどいくつかの記事が目に留まったのでとりあえず紹介します。、 finalventさんが小林秀雄の批評論を紹介した 批評トハ 某イースト氏が自らの批評?について語った 批評について どちらも批評を「作品」として捉えていて、むろん表現には全て作品としての側面が(科学論文ですら!)あるわけですから、それ自体は結構なことだと思います。 ただイースト氏においては対象や正確さはどうでもいい、というところまでイってしまっているようで、まあエンタメ分野においてはありなのかもしれませんが、科学や社会をあつかう際にこれではもはや批評と呼ぶに値しないでしょう。 わたしなりに批評というものを定義するなら、「対象を文脈の中に位置づけること」だと考えます。 世の
CoSTEPの修了式のコメンテーターのおひとりである松田さんから受けた刺激に対して、それが新鮮なうちに書いてしまおうと思っていささか(というか、かなり)未熟な考えを書いてしまったために、多くの方を混乱に陥れてしまったことを反省しております。 科学技術コミュニケーション: 解説から批評へ (stochinai) その結果、あちこちで不必要な反発や議論を巻き起こしてしまったという責任も感じているのですが、まあこういうことは議論されないよりは、多少の誤解や間違いを出発点としていたとしても、議論があること自体が良いことだと自分に言い聞かせております(^^;)。 そんな中で、はななだ未熟な私のエントリーに対して、ktatchyさんとhiroichiさんが非常に誠実なご意見を書いてくださり、とても感謝しています。また、関連した有益なコメントもあちこちでたくさん頂きました。 コミュニケーターブームが科学
4日前のエントリで最後に述べた一言について。 半世紀議論が遅い>『日本語が亡びるとき』 - かたつむりは電子図書館の夢をみるか 「英語ばっか見てると足元すくわれるぞ」・・・って話は、余裕があったらこの次くらいに。 図書館総合展を明日に控えて余裕は全然ないわけですが(爆)、言いっぱなしで放置と言うのも決まりが悪いので二言、三言。 なお、これは『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』を読んだあとの一連のエントリ*1と同じく『日本語が亡びるとき』を読んだあとに感じたことを書いたものですが、今回は同書の内容とは全然関係ないのであしからず。 「英語ばっか見てると足元すくわれる」と言うよりはむしろ、「分野のトップジャーナルばっか見てると足元すくわれるぞ」という話。 あるいは、(一部例外を除き)研究の最先端は雑誌になんか載ってないという話。 さて。 Twitterで自分をフォローしている人の中ではすでに
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く