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現象学に関するsakstyleのブックマーク (17)

  • 【アニメ哲学その2】これがアニメ現象学だ(現代現象学の手法でアニメを分析する試み) - 曇りなき眼で見定めブログ

    その1はこちら 【アニメ哲学その1】アニメの質は絵か? 動きか?(あるいは声か?)玉川真吾『PUPARIA』など - 曇りなき眼で見定めブログ アニメを通して社会とか文化を考える言説は多いが、アニメそのものについて考えるものは驚くほど少ない。これほどアニメ文化・アニメ産業が隆盛を極める日だが、実は日人の多くが好きなのは「アニメ」そのものではないのではないかと私は睨んでいる。どちらかというとアイドル声優とかアニソンとかグッズ集めとかコスプレとか二次創作とか、アニメ周辺の文化が好きなのではないか、と。だからこそ私はアニメそれ自体について考えたいんすわ。 現象学とは 『現代現象学』の音楽論を見てみよう 「音楽作品の存在論」の要約 アニメーションの現象学 アニメーション作品は何でないか アニメーション作品の特徴 アニメーション作品の同一性条件 アニメーション作品の存在依存 作者は誰か アニメ

    【アニメ哲学その2】これがアニメ現象学だ(現代現象学の手法でアニメを分析する試み) - 曇りなき眼で見定めブログ
    sakstyle
    sakstyle 2024/01/12
    「出﨑演出はこのアニメ的な像意識をうまく利用している」
  • ギャラガー, ザハヴィ “現象学的な心:心の哲学と認知科学入門” - three million cheers.

    現象学的な心: 心の哲学と認知科学入門 作者:ショーン・ギャラガー,ダン・ザハヴィ勁草書房Amazon 書籍紹介やブックフェアでよく見かけていたをようやく読んだ。 現代現象学の観点から「心の哲学」に対して分析哲学とも認知科学とも異なるアプローチで迫る。 これまで分析哲学が「心の哲学」を展開し認知科学の成果へも積極的に関係を結んでいったのに対して、現象学ではこの分野への関心が乏しく、分析哲学と現象学は対話もないまま長く対立・無関心の状態にあった。 だが「心の哲学」が扱うテーマはもともと現象学の研究対象の中心と重なっている。そして1990年代から状況が変化し、現象学と分析哲学の心の哲学との関係に関する研究が現れるようになる。また認知科学も「意識」や認知における身体といったものを取り上げ始め、fMRIなどを用いた実験でも被験者の経験に関する報告が扱われるようになって、認知科学での現象学の役割

    ギャラガー, ザハヴィ “現象学的な心:心の哲学と認知科学入門” - three million cheers.
    sakstyle
    sakstyle 2023/05/08
    現代現象学から、分析哲学や認知科学的な心の哲学へのアプローチ。「現象学は還元主義にも表象主義にもよらない」「「心の理論」に対する理論説とシミュレーション説の双方へ反駁」
  • フッサール入門のための短い読書案内 - 研究日誌

    この記事のPDF版をこちらからダウンロードすることができます。 はじめに 読書案内 まずは人の書いたものをちょっと読んでみる やたら細かい知覚の分析をよりよく理解し、壮大な構想との接点を垣間見る さらに先に進みたい人のためのヒント はじめに この文書は「フッサールの現象学に興味があるけど、難しそうだしどこから手をつけていいのかわからない」という人のための読書案内です。この読書案内に特徴があるとすれば、それはまずもって次の2点です。 フッサール自身の著作を少しでも自力で読めるようになることを最終目標として、まずはそのための土台を作ることを目指す。 を一冊ずつ読破していくのではなく、複数のをつまみい的に読むことで次のステップに進むように設計されている。 そのため、フッサールの著作を読むことに関心のない人や、つまみい的な読み散らかしをしたくない人には、以下の案内はあまり向いていないかも

    フッサール入門のための短い読書案内 - 研究日誌
  • ウィリアム・フィッシュ 『知覚の哲学入門』 - Tohru Genka / 源河 亨

    この知覚についての哲学が心の哲学や分析形而上学 認識論、認知科学の成果を踏まえることで、 あらためて注目を集めている。 大陸ヨーロッパの現象学とも交流しつつ、 大きな成果をあげつつある知覚の哲学の 議論状況を丁寧かつわかりやすく説明する。 邦初の入門書、遂に刊行! 2014年8月発売。 体価格 3000円。 勁草書房。 各章紹介 第1章 序論 —— 鍵となる三つの原理 Introduction: Three key principles 1 章では手始め二つの帽子を導入する。それは知覚に関する哲学的理論の適切さを判定する二つの「試金石」である。一つは認識論の帽子でありここでは外界の情報を伝えるという知覚の役割に焦点が合わせられる。そしてもう一つは現象学の帽子であり、ここでは視覚経験の意識的な側面に焦点が合わせられる。 章の残りの部では三つの重要な原理を考察する。この三つの原理に応

    ウィリアム・フィッシュ 『知覚の哲学入門』 - Tohru Genka / 源河 亨
  • Amie Thomasson「現象学と日常言語の哲学における概念分析」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    Thomassonがこんな論文を書いていたので読んでみた。 http://philpapers.org/rec/THOCAI Thomasson, Amie L. (2007). 15 Conceptual analysis in phenomenology and ordinary language philosophy. In Micahel Beaney (ed.), The Analytic Turn. Routledge. 270. http://www.amiethomasson.org/papers%20to%20link/Conceptual%20Analysis%20in%20Phenomenology%20and%20Ordinary%20Language%20Philosophy.doc 以下のに入っているらしい。 The Analytic Turn: Analys

    Amie Thomasson「現象学と日常言語の哲学における概念分析」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
    sakstyle
    sakstyle 2014/07/31
    “現象学と分析哲学の間に大きな違いがあるという誤解を解く。”“概念分析は存在論である”
  • ショーン・ギャラガー,ダン・ザハヴィ『現象学的な心―心の哲学と認知科学入門』 - Repeat The Ending

    読書 | 02:28 | 現象学と聞いてどんな反応が返ってくるかは人によって大きく分かれるところでありましょう。ある人はカルナップ、ウィーン学団によって形而上学として葬り去られた学とみなすだろうし、またある人はミシェル・フーコーやレヴィ=ストロースによる批判、もしくはデリダによって「現前の形而上学」として過去のものにされたとみる人もいるだろう。最近の認知科学周辺の事情に詳しい人なら興味深いものとして受け入れてくれるかもしれない。書は最後の立場から現象学と認知科学の架橋を試みる。もっとも最近では分析哲学内でも形而上学は当たり前になってきているし(「分析系」がつくが)、現象学以降の大陸哲学についても、元々デリダ研究をしていた批評家・小説家の東浩紀氏が、2010年の8月に瀬名秀明氏、ブレイン・マシン・インターフェース(BMI)研究の牛場潤一氏、iPS細胞研究の岡野栄之氏と4名で幹細胞医学につい

  • ギルバート・ライルによる『存在と時間』書評 - Repeat The Ending

    自分がコレ読んだのはけっこう前ですけど、大陸系と分析系といいますか、日常言語学派の哲学者が現象学的伝統に言及しているのは割とレアかなと思い、紹介してみます。ライル先生、このとき28歳ですけど、現象学のほうの事情もかなりお詳しいです。 つーわけで、マイケル・ダメットの表現を借りれば、「ライン川とドナウ川」が分かれようとしているまさにその時代、1929年までさかのぼることにしよう。 1929年の英国では、フッサールやブレンターノの翻訳や解説がまだまだ進められておらず、それらの流れの先にある『存在と時間』は、英語圏の読者には手に余るだろう、ということでライルはまず現象学の発生とこれまでの歴史についてコンテクストの素描から始める。流れ的にはブレンターノ→フッサール→ハイデガーとゆう感じ。 ロック、バークリー、ヒュームなどによってすでに問題が設定されていたブレンターノはロックの基的立場、「観念」と

    ギルバート・ライルによる『存在と時間』書評 - Repeat The Ending
  • 倉田剛(2009)「オーストリア哲学における命題的対象・モメント・非存在者―現代オントロジーの観点から」 - 東京大学文学部・大学院人文社会系研究科 博士論文データベース

    「オーストリア」という国の名前から、われわれは何を連想するであろうか。おそらく真っ先に思い浮かべるのは、モーツァルトやシュトラウスをはじめとする作曲家たちであろう。オーストリアの首都ウィーンは今なお「音楽の都」として世界中の人々を惹きつけてやまない。音楽以外にも、クリムトやシーレに代表される世紀末美術、ムージルやツヴァイクらの文学を連想する人も多いだろう。学問の分野においても、ボルツマンやマッハらの自然科学、ゲーデルの数学などが挙がるに違いない。また、あのフロイトが精神分析学を創始した地はオーストリアであったことをわれわれは鮮明に記憶している。 哲学に関して言えば、シュリックやカルナップらに代表されるウィーン学団のイメージがあまりにも強く、オーストリアと言えば、もっぱら「論理実証主義」が栄えた地ということになってしまう。しかしながら、オーストリアにはもう一つの哲学的伝統があったことを忘れて

    sakstyle
    sakstyle 2010/11/18
    本論文は、B.ボルツァーノ(1781-1848)の影響のもと、F.ブレンターノ(1838-1917)を祖として19世紀後半から20世紀初頭にかけて、広い意味でのオーストリアの地に誕生した哲学理論の総体を「オーストリア哲学」と名づけ、
  •  人文会  

    1 心身問題と心の哲学 「心の哲学」とは、「心と身体はどのように関係しているのか」「心はどこにあるのか」「心は因果的効力をもちうるか」「心の科学はどのような方法論に則ればよいか」「そもそも心とは何か」といった心身関係や心の定義、心の科学(実験心理学・臨床心理学・応用心理学・認知科学・コンピュータ科学・脳科学など心を扱う科学の総称)の基礎や方法論を問う哲学の総称である。 「心の哲学」という呼び名は一般の読者にはいまだに馴染みがないかもしれないが、内容的に言えば、心身問題から発展してきた分野であり、最終的には、「死後の生はありうるか」「自分とは何者か」といった人間にとって根源的な問いから発している。しかし、古い地層に根ざしているとは言え、心の哲学の議論の多くは、近代科学の発展とともに展開してきたものである。近代科学は、中世までの目的論的自然観を退け、自然とは必然的な法則によって運動するだけの一

    sakstyle
    sakstyle 2007/03/01
    メルロ=ポンティの『行動の構造』、ライルの『心の概念』。この二人はそれぞれ現象学と分析哲学という現代哲学の二大潮流を代表、「行動」という概念に着目して心身問題を克服しようとする。
  • 宮坂和男『哲学と言語 フッサール現象学と現代の言語哲学』 - 生きてみた感想

    哲学と言語―フッサール現象学と現代の言語哲学 (広島修道大学学術選書) 作者: 宮坂和男出版社/メーカー: ナカニシヤ出版発売日: 2006/12メディア: 単行 クリック: 15回この商品を含むブログ (4件) を見る 大まかに言えば、このでは三つの作業がなされています。 1、フッサールの現象学の核心部分を検証していくことで、その限界地点を探り当てていく。 2、その限界地点を引き受けて新たな領域を切り拓いていった存在としてデリダを見出していく。 3、デリダの問題点を指摘し、今後の課題と思われるものをおずおずと提示する。 と、こういった議論の流れは明らかに「デリダの可能性の中心」的なところに焦点を当たてているわけなんですが、このがとても興味深いのは、宮坂氏が明らかにフッサーリアンとして、フッサーリアン的な議論の手順から出発することでこのような議論を行なっている、という点です。普通、そ

    宮坂和男『哲学と言語 フッサール現象学と現代の言語哲学』 - 生きてみた感想
  • 認知科学への身体や環境の二つの導入のされ方 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    UTCPワークショップ「身体の思考・感覚の論理」http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/tbls.html 身体や環境が認知科学に導入され始めたのは第二派の始まった1980年代以降だ。どうも日の文系の学者は分析哲学関連はよくフォローするけれど、来の認知科学はあまりフォローしない人が結構いる。しょうがないので私が分かる限りで説明します。 認知科学への身体や環境の導入にも強い導入と弱い導入とがある。例えばノーマンのアフォーダンス概念はギブソンのものとは違うことを人が認めている。ノーマンのアフォーダンス概念はそれまでの認知科学で標準的だった情報処理アプローチとそれほどは矛盾していない(道具をどう使うかの処理がある)。しかし、ギブソンの生態学的アプローチはそうではなかった。ノーマンのアフォーダンス概念は認知科学への身体や環境の弱い導入でしかない。同様にして、進化心理学や文化

    認知科学への身体や環境の二つの導入のされ方 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
  • マインド・クエストASIN:4062137305 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    このの大半を占めるのは意識の現象学を素材にしたミステリー仕立ての小説なのだが、小説としての出来はそんなに悪くないとはいえ途中でちょっと読むのに飽きたので、第二部の哲学的解説編を先に読んでしまった。私は認知科学も哲学もどちらもそれなりに分かるので面白く読んでしまった。第一部と第二部はそれぞれ独立しているのだから、初めからこっちから読んでもよかったようだ。 第二部の「物の蛍──意識の科学についての考察」は四つの章から成っており、前半の二章は現象学による意識の話、後半の二章はコネクショニズムや脳画像研究を用いた具体的な科学的考察になっている。第一章の「間違った道具箱」では、脳を探索局と考える、つまり単なる特徴の検出器の集まりと見る機能局在論からは意識は分からないことが説明される。ヒルの神経系や水槽の中の脳が例に出されて、外界との関係は意識にとって関係ないことが説明される。第二章の「当の生─

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  • フランス認識論(エピステモロジー)覚え書き - 雑記帳

    タイトルで嫌な予感がされた方もおられるかと思いますが、今日は突然、内輪ネタ、というかフランス思想ネタです。しかも長いです。関心のない方はスルーしてくださいませ。 * * ドミニク・ルクールのクセジュ『科学哲学』が翻訳されたらしい。 『科学哲学』 ドミニック・ルクール(1944-)著 沢崎壮宏(1971-)+竹中利彦(1971-)+三宅岳史(1972-)訳 文庫クセジュ(白水社) 2005年8月刊 体951円 新書判164+19頁 ISBN4-560-50891-7 フランス認識論からいわゆる「フランス現代思想」(ex. フーコー、デリダ、ドゥルーズなど)への流れを見通す糸口をも与えてくれる良書とか。 そういえば、バシュラールに詳しい友達も「トマス・クーンとフランス認識論の関係について考えるなら、ルクール読んでみるのも手だよ」とか言ってたような。それが日語になった。楽だ! 買うかな、どう

    フランス認識論(エピステモロジー)覚え書き - 雑記帳
  • エロフィギュア&エロ漫画 レビュー 【乳之書 】

  • Hiroaki Suzuki's Blog: 長滝編「現象学と二十一世紀の知」について

  • http://wwwsoc.nii.ac.jp/paj2/taikai_resume/snoe.htm

    sakstyle
    sakstyle 2006/10/22
    現象学の自然化/心の哲学からの自然化(バリー・スミス)vsポンティ・ヴァレラ的自然化(身体から考える)
  • 認知科学に現象学は何を寄与しうるか

    認知科学に現象学は何を寄与しうるか                         柴田正良(金沢大学) 1. 現象学とは何をする哲学なのか? 何が売りなのか?  ということは、だれに聞いても多分、「絶対これだ」という自信たっぷりの答えが返ってきそうもないので、正面から問わないことにしよう。その代わりに、「事象そのものへ」とか、「質直観」とか、「現象学的還元」とか、「客観的世界の手前にある生きられた世界に立ち帰る」といったスローガンを頭に思い浮かべながら、認知科学における一つの具体例に即して、現象学という思考方法(?)が心の科学に何を貢献しうるのかを少し考えてみたい。要するに、目指すところは現象学の可能的ケース・スタディであり、そのケースとは、コネクショニズムによる素朴心理学消去の主張である。 2. 素朴心理学に対するコネクショニズムからの攻撃  素朴心理学(folk psyc

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