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映像に関するsakstyleのブックマーク (3)

  • ミュージックビデオの身体論⑥ サイボーグ的身体——「ONE TAKE STAGE」のトランス・ダンス|佐々木友輔

    6. サイボーグ的身体——「ONE TAKE STAGE」のトランス・ダンスイラスト:湖海すず 6-1. サイボーグ的身体これまでに取り上げてきた「ダンス」に関連するMVは、視覚効果や撮影・編集技術を重視する「映像のダンス」(③映像そのものがダンスする/④カメラレス・ダンス)と、生身の身体のパフォーマンスを重視する「ダンスの映像」(⑤ダンスそのものを映し出す)とに大別することができる。 ただし、これらはあくまで便宜的な区分であり、それほど明確に分けられるものではない。あらゆるMVには「映像のダンス」と「ダンスの映像」双方の要素が含まれており、両者が重なり合い、グラデーションを成しているのだと捉えるほうが、実態に即しているだろう。 前回「ダンスの映像」を代表する存在として紹介したマイケル・ジャクソンがMVで披露するダンスも、アーティスト自身の身体能力だけで成立しているわけではない。例えば『ス

    ミュージックビデオの身体論⑥ サイボーグ的身体——「ONE TAKE STAGE」のトランス・ダンス|佐々木友輔
    sakstyle
    sakstyle 2024/03/04
    「映像のダンス」と「ダンスの映像」の融合/編集によるダンス/超個体的身体(多数のダンサーの同期)/CG映像の指標性(モーションキャプチャ)/ステディカムによるダンサーへの接近(トランス・ダンス)
  • ミュージックビデオの身体論④ カメラレス・ダンス|佐々木友輔

    4. カメラレス・ダンス(目次) イラスト:湖海すず4-1. 絶対映画と視覚音楽連載の前回(ミュージックビデオの身体論③ 映像そのものがダンスする)は、ハービー・ハンコック『Rockit』(1983)やコールドカット&ヘスタスティック『Timber』(1997)など、身体としての映像そのものがダンスを踊っているかのような作品群を「映像のダンス」と名づけることで、アーティスト自身がダンスを踊る姿を直接的に撮影・記録した「ダンスの映像」と区別することを提案した。 「映像のダンス」はそもそも生身で踊る身体を必要としないし、カメラで撮られた実写映像であることを必須の条件としているわけではない。そのように考えるなら、私たちは「映像のダンス」の源流を、例えばハンス・リヒター『リズム21』(1921)やヴァルター・ルットマン『オパス1』(1921)、ヴィギング・エッゲリング『対角線交響楽』(1924)な

    ミュージックビデオの身体論④ カメラレス・ダンス|佐々木友輔
    sakstyle
    sakstyle 2024/02/01
    「フィッシンガーの視覚音楽」「(抽象アニメーション)マクラレン」とそのオマージュのトクマルシューゴ『Poker』、CGによる映像と音声の同期オウテカ『Gantz Graf』「モーション・グラフィックス」「リリックビデオ」
  • ミュージックビデオの身体論③ 映像そのものがダンスする|佐々木友輔

    3. 映像そのものがダンスする(目次) イラスト:湖湖すず3-1. 1981年、MTVの開局とダンスの不在1981年8月、MTV(ミュージックテレヴィジョン)が開局した。毎日24時間MVを放映し続ける新たなケーブルテレビ局の登場によって、MVは急速に存在感を増し、一般家庭に浸透していく。象徴的なエピソードとして繰り返し語られるように、開局1曲目として放映されたのは、バグルス『ラジオ・スターの悲劇』(1979)だった。2年前に発表された曲ではあるが、オールドメディア(ラジオ)の死を高らかに宣言するその歌詞は、MTVという新たなメディアプラットフォームの誕生にふさわしいものだった。 MTV 1981 logo with yellow on the front side of the M, blue on "TV" and purple on the outside.Wikipedia英語版)

    ミュージックビデオの身体論③ 映像そのものがダンスする|佐々木友輔
    sakstyle
    sakstyle 2024/02/01
    「MVと前衛映画・実験映画との結びつき」「編集のリズムがそのままMVの身体であり、またその身体のダンスでもあるような映像表現」「「映像のダンス」は必ずしも生身で踊る身体を必要としない」
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