The city was built 2,500 years ago but may have been abandoned after a volcanic eruption.
鄭州商都遺跡書院街墓地から出土した金のマスク(2023年12月25日提供)。(c)CGTN Japanese 【12月25日 CGTN Japanese】このほど開かれた2023年度河南考古学作業成果交流会で、中国中部の河南省鄭州市にある商(紀元前17世紀ごろ~紀元前1046年。日本では殷の国名が使われることが多い)の都の遺跡で、考古学者が中国でこれまでに確認された中で最も古い貴族の墓地を発見したことが明らかにされました。中国古代の墓地の起源及び帝王陵の発展の研究のための新たな材料とのことです。 考古学発掘現場の責任者を務める鄭州市文物考古研究院の黄富成研究員によると、考古学研究者は2021年から2023年にかけての鄭州商都遺跡書院街エリアでの作業で、殷中期の高級貴族墓地を発見しました。 この大型墓地は今から約3400年前のものとのことです。現存する面積は約2万平方メートルで、堀や墓地への
もやがかかったホープウェル文化国立歴史公園。(PHOTOGRAPH BY TOM ENGBERG, THE NATIONAL PARK SERVICE) 2023年、米オハイオ州にあるホープウェルの儀式用土塁群がユネスコの世界遺産に登録された。州の中央部から南部にかけて8カ所に点在する土塁(マウンド)群は、幾何学的な形をした土の構造物としては世界最大級だ。米国で25番目となる世界遺産登録で、オハイオ州からは初めて。 ホープウェル文化は、オハイオ州南部を流れる川の渓谷で紀元前200年~西暦500年に栄えた。以前は、このホープウェル文化を含む複数の北米先住民族をまとめて「マウンド・ビルダー」と考古学者たちは呼んでいた。そのなかでも、ホープウェル文化の数学、土木工学、天文学は北米で最も進んでいたと考える専門家もいる(ホープウェルとは、1890年代にこの土塁群が発見された土地の所有者の名に由来して
ザンビアのカランボフォールズで発見され、約47万6000年前のものと年代決定された木製の人工遺物は、建造物の構造部位に木材が使用されたことを示す初めての証拠である可能性がある。このことを報告する論文が、Natureに掲載される。この知見によって、アフリカで木工が行われた時代の範囲が広がり、初期のヒト族が木の幹を整形して大型の構造物を組み立てていたという技術力に関する理解が深まる可能性がある。 旧石器時代の木製人工遺物は、よほど保存に恵まれた条件下にあったものでない限り、現代まで残らない。そのため、ヒト族が木材という基本的な原材料をいつから、どのように使用していたかや、更新世の人類が生活環境をどのように構築していたかといった点に関する情報は限られている。 今回、Lawrence Barhamらは、カランボ川流域の更新世遺跡(約47万6000年前のものと年代決定された)から古代の木製の構造物が
写真はペルーのパンパ・ラ・クルス遺跡で発見された600年前の生贄(いけにえ)の子どもの頭蓋骨。コンゴウインコの羽でできた頭飾りをかぶっている。今回の研究同様、プロテオミクスによってこの遺跡の主な生贄が男児だったことが突き止められた。プロテオミクスは考古学に革命を起こす技術と期待されている。(PHOTOGRAPH BY BECKY HALE, NATIONAL GEOGRAPHIC) スペインの古代の墳墓に埋葬されていた権力者の遺骨を分析したところ、この人物が女性だったことが明らかになり、初期のヨーロッパ社会における女性の役割についての定説を覆す重要な発見となった。論文は2023年7月6日付けで学術誌「Scientific Reports」に発表された。 この発見は、タンパク質を利用する考古学の新しい手法によって得られた革新的な成果の一例だ。 科学者たちは近年、分析可能なDNAが残っていない
ドイツ、ライプツィヒにあるマックス・プランク進化人類学研究所のクリーンルームで作業する遺伝学者のマティアス・マイヤー氏。マイヤー氏は動物の骨製の遺物からヒトのDNAを抽出する技術を開発したチームのひとりだ。(PHOTOGRAPH BY MAX PLANCK INSTITUTE FOR EVOLUTIONARY ANTHROPOLOGY) 古代のDNAは考古学を変えた。遺体に残る遺伝物質を増やすことで、古代人の性別や祖先を特定することが可能になった。今や数十万年前のDNAまで研究できるようになり、米大陸に初めて到達した人類や、ネアンデルタール人の行方など、遠い昔の出来事について新たな理解をもたらしている。 このほど約2万年前の女性が身に着けていたと思われるシカの歯のペンダントからヒトのDNAが抽出され、2023年5月3日付けで学術誌「Nature」に論文が発表された。ほかの動物を材料にした遺
ロシアのデニソワ洞窟で発見された約2万年前のシカの歯のペンダントは、北ユーラシア系民族の女性が身に着けていた可能性のあることが、このペンダントから回収された古代DNAによって示された。この知見は、非破壊的にDNAを抽出する革新的な方法を用いて得られたものであり、当時、このペンダントを取り扱ったヒト個体の身元を示す直接的な遺伝的証拠をもたらした。このことを報告する論文が、今週、Natureに掲載される。 石、骨や歯でできた人工遺物は、旧石器時代のヒトの行動や文化に関する知見をもたらす。特に有望なのは、動物の骨や歯から作られた人工物で、多孔質の骨や歯には、DNAを含む体液(汗、血液、唾液など)が浸透するため、そのDNAを使用して、人工物の製作者や使用者を推測することができる。しかし、古代の骨格材料からDNAを抽出する場合、この古代の試料が破壊されたり変質したりする可能性がある他、抽出緩衝液に浸
古代エジプトでさまざまな人体部位の防腐処置に使用された化学混合物の具体的な配合を示した論文が、今週、Natureに掲載される。この知見は、古代エジプトの防腐処置作業場の分析に基づいており、古代エジプトのミイラ製作に関係する数々のプロセスに関する我々の知識を深めるものといえる。 古代エジプトのミイラ製作は、長期間を要する複雑な過程で、さまざまな防腐処理物質が用いられた。防腐材料に関する現在の我々の知識は、主に古代の文献とエジプトのミイラの残留有機物分析から得られている。これまでの分析で、防腐処置に使用されるさまざまな物質が特定されたが、それぞれの構成要素がミイラ製作過程において果たす役割と手順の全体像については、ほとんど解明されていない。 今回、Maxime Rageot、Philipp Stockhammerたちは、エジプトのサッカラにあるエジプト第26王朝時代(紀元前664~525年)の
ヨーロッパ各地の洞窟で発見されている2万年前、旧石器時代の動物の壁画には、「線・点・Y字」といった抽象的な記号のようなマークが描かれている。 新しい研究によれば、こうしたマークは彼らが狩っていた動物の季節ごとの行動を記したもので、「人類史上最初の文字」である可能性があるという。 『Cambridge Archaeology Journal』(2023年1月5日付)に掲載された研究によると、一見したところ抽象的に見える点や線は、じつは高度な文字であり、当時の人類がその地域に生息する動物の交尾や出産の季節を理解していたことを物語っているという。 広告 旧石器時代の洞窟壁画に描かれた謎の図形 狩猟採集生活を営んでいた旧石器時代、ヨーロッパの初期人類は、馬・鹿・バイソンなどを狩って食べていた。 そうした動物が移動・交配・出産する時期は、後期旧石器時代を生きた彼らにとって大きな関心事だったはずだ。
先史時代のヨーロッパの人々は、乳糖を消化する酵素の遺伝子を持つようになるまでの数千年間にわたって家畜の乳を飲んでいた可能性のあることを示唆した論文が、Nature に掲載される。この知見は、動物の乳の消費と乳糖耐性の進化を解明する新たな手掛かりとなる。 ラクターゼは、乳に含まれる乳糖を消化する酵素で、古代人が動物の乳を消費したことは、成人におけるラクターゼ活性の持続性の進化に重要な役割を果たしたと考えられている。しかし、動物の乳の消費量は、地域や時代によって大きく異なるため、この点に関しては、かなり不確かな点が残っている。今回、Richard Evershedたちは、酪農業とラクターゼ活性の持続性の共進化をさらに詳しく調べるため、554か所の考古学的遺跡から採取した陶器の破片1万3181個から得られた動物性脂肪の残渣(6899点)を分析して、先史時代の動物の乳の消費に関する包括的な地図を作
◆青山 和夫 (アオヤマ カズオ) 茨城大学 人文社会科学部 人間文化学科 教授 1962年京都市生まれ。 東北大学文学部史学科考古学専攻卒業。 ピッツバーグ大学人類学部大学院博士課程修了,Ph. D.(人類学)。 茨城大学人文社会科学部教授(マヤ文明学)。 1986年からホンジュラス,グアテマラとメキシコでマヤ文明を調査。 「古典期マヤ人の日常生活と政治経済組織の研究」で日本学術振興会賞,日本学士院学術奨励賞受賞。 著書に『マヤ文明』(岩波新書),『古代マヤ 石器の都市文明 増補版』(京都大学学術出版会), 『マヤ文明を知る事典』(東京堂出版)など。 昨年6月,メキシコ・タバスコ州のアグアダ・フェニックス遺跡において,マヤ文明最古かつ最大の公共建築を発見したという論文がNatureに掲載された。その大きさは実に南北1413m,東西399m,高さ15mにおよび,周辺には最長6.3kmになる
アグアダ・フェニックスの巨大基壇(暗褐色)の3D画像。この構造は、3000年ほど前に作られたもので、航空機からLiDARと呼ばれるレーザー技術で検出した。(PHOTOGRAPH BY TAKESHI INOMATA) 中米メキシコで、マヤ文明が栄えた地域としては最古かつ最大の構造物が発見された。南北1400メートル、東西400メートルにわたって広がる土の基壇(上に建物を建てるための基礎部分)で、今から3000年前に造られたものという。6月3日付の学術誌「Nature」に論文が発表された。 マヤ文明の最盛期は「古典期(西暦250年〜900年)」とされるが、近年の研究では、その1000年以上前により大きな構造物が造られていたとする見方が広がりつつある。今回の発見は、この考えを支持するものだ。 発見場所は、メキシコの首都メキシコシティーから東に約850キロ、タバスコ州にあるアグアダ・フェニックス
南アメリカ・ボリビアの熱帯雨林に覆われた「古代都市」の存在が、ヘリコプターに搭載したレーザースキャナーを用いたLight Detection and Ranging(光検出と測距/LIDAR)による調査で明らかになりました。古代都市を建設した人々はかなり高い文明を持っており、巨大なピラミッドを中心に道路や運河のネットワークを築き、農耕や魚の養殖を行っていたとみられています。 Lidar reveals pre-Hispanic low-density urbanism in the Bolivian Amazon | Nature https://doi.org/10.1038/s41586-022-04780-4 Large-scale early urban settlements in Amazonia https://doi.org/10.1038/d41586-022-01367
推定62万立方メートル分の土から作られた高さ約30メートルのモンクス・マウンド。米国のカホキア墳丘群州立史跡で最も高い建造物だ。(IRA BLOCK/NATIONAL GEOGRAPHIC IMAGE COLLECTION) 米国イリノイ州、ミシシッピ川の東に、先住民が築いた大都市の遺跡がある。カホキアだ。西暦1000年から1200年代の最盛期には、この都市は面積約16平方キロメートルに達し、住民たちは墳墓や公共建造物、さらには「ウッドヘンジ」と呼ばれる天文観測所を建設した。 なかでも大きな存在感を放っていたのは、メキシコ以北最大の土塁であるモンクス・マウンドだ。複数の段からなるこの墳丘は、約30メートルもの高さにそびえていた。 カホキアの墳丘群は、その昔、メキシコの砂漠と北極圏に挟まれた地域において最大規模をほこった「ミシシッピ文化」の核となる遺跡だ。農業文明であるミシシッピ文化は、西暦
20世紀初頭にチリのアタカマ砂漠で発見されたチンチョーロのミイラとその関連遺跡が今年、ユネスコの世界遺産に登録された。ミイラとそのほかの考古学的発見を保存するため、新しい博物館の建設が進められている。(PHOTOGRAPH BY MARTHA SAXTON, NATIONAL GEOGRAPHIC IMAGE COLLECTION) ドイツの考古学者マックス・ウーレは1917年、世界で最も乾燥した砂漠であるアタカマ砂漠で、太陽が照り付ける海岸を調査中に奇妙な遺体を大量に発見した。カーキ色の土を掘り進めると、木の枝やアシを使って形を変えられた遺体が出てきた。頭部は精巧なかつらと、何かを語りかけてくるような赤や黒の粘土の仮面で装飾されていた。 「多くの遺体に死後損傷が見られる。頭部が偽物に取り替えられていたり、砕けた頭部が修復されていたり、わらの腕や脚が本物の代わりに付いていたりする」とウーレ
中米エルサルバドルにあるマヤ文明のピラミッド(写真手前)。発掘調査により、1500年前のイロパンゴ火山噴火との驚くべき関係が明らかになった。(COURTESY OF AKIRA ICHIKAWA) 今からおよそ1500年前、現在の中米エルサルバドルにあるイロパンゴ火山が史上最大級の噴火を起こし、膨大な量の火山灰や軽石を噴出させた。これらは麓の谷を覆い尽くしただけでなく、広範囲に広がり、北半球の寒冷化を引き起こしたとみられる。 この大噴火によって噴出した火山灰は「ティエラ・ブランカ・ホーベン(若い白土)」と呼ばれ、古代マヤ文明の一時的な衰退を促したと考えられてきた。しかし、9月21日付けで学術誌「Antiquity」に発表された論文は、一概にそうは言えないことを示唆している。噴火後、火口からわずか40キロほど離れた地域で、これまで考えられていたより早い時期に、大型のピラミッドが建設されたとい
1908年6月30日、シベリア上空に小天体が飛来し空中で爆発し、一帯の針葉樹林をなぎ倒し70キロメートル離れた農村でも死者が出るなどの被害があった。毎年6月に開催される、小惑星衝突のリスクを考える国際天文イベント「アステロイド・デイ」はこの「ツングースカ爆発」にちなんでいる。 直径50メートル程度の小天体(小惑星または彗星)が爆発したツングースカ爆発は、人の住んでいない地域で発生したため人的被害があったとはいえそこまで大きくなかった。だがこれが都市の上空であればどのようなことが起きるのか、約3600年前の遺跡の発掘から明らかになりつつある。 トール・エル・ハマムと死海の位置。出典:Scientific Reports volume 11, Article number: 18632 (2021) 米カリフォルニア州立大学サンタバーバラ校の研究者らは、ヨルダン渓谷南部の都市「トール・エル・ハ
中国、河南省の官荘遺跡から出土した鋤(すき)型の青銅の硬貨「布銭(ふせん)」。中国最古の硬貨で、世界最古の硬貨の可能性もある。(PHOTOGRAPH BY HAO ZHAO) 中国東部の河南省にある官荘遺跡を発掘していた考古学者たちが、世界最古の貨幣鋳造所を発見した。約2600年前、農具である鋤(すき)の形を模した青銅の硬貨「布銭(ふせん)」を量産していたという。8月6日付で学術誌「Antiquity」に論文が発表された。 世界で最初に鋳造貨幣がつくられた場所は、現在のトルコとインドと中国の3カ所のいずれかと考えられている。しかし、はっきりと年代が確認された鋳造所は見つかっていなかった。「現時点で、官荘の鋳造所が、確実に年代を特定できるもっとも古い貨幣鋳造所です」と、中国、鄭州大学の考古学者で、論文の筆頭著者である趙昊(ジャオ・ハオ)氏は話す。 論文によると、城壁と堀を備えた城郭都市の官荘
考古学:ヒトが早くから北米大陸に到達していたことを示す証拠 Nature 2020年7月23日 Archaeology: Evidence for the early arrival of humans in North America ヒトが3万年前から北米に住んでいたことを明らかにした2編の論文が、今週、Nature に掲載される。これら2つの研究は、アメリカ大陸への居住というかなり議論のある論点を解明するための手掛かりをもたらしており、アメリカ大陸でのヒトの歴史が、これまで考えられていたよりもずっと以前までさかのぼることを暗示している。 ヒトがアメリカ大陸に到達したことは、地球上でヒトの居住域が大きく広がったことを意味する。従来の学説では、ヒトが初めてアメリカ大陸に到達したのは約1万3000年前で、特徴的な石器で知られるクローヴィス文化に関連していたとされる。しかし、アメリカ大陸への
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