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fictionに関するsakstyleのブックマーク (214)

  • ウォルトン『フィクションとは何か』読書会記録其ノ拾九・第Ⅲ部第8章3節まで(予習編)アニメの美学・現象学へ - 曇りなき眼で見定めブログ

    メイク・ビリーブだ! フィクションとは何か―ごっこ遊びと芸術― 作者:ケンダル・ウォルトン 名古屋大学出版会 Amazon 第8章のテーマは「描出体(depiction)」である。絵画を中心とした視覚的な表象体のことだが、しかし書ならではの特徴づけで言語的な表象体との違いを探っている。 描出体とは 書では水車小屋のある風景を描いた風景画が例として出てくる。この絵画を見るとき人は、水車小屋やその後ろにいる人などを見ているということも想像している。水車小屋の絵を見るとき、虚構的に水車小屋を見るということも成立しているのである。絵画作品、特に風景画は容易に反射的小道具となる。対して例えば小説内の風景描写は、その文章を読んで想像はしているが、その文章そのものが風景であるとはふつう考えない。 絵を見るという行為はいろいろな点で現実の物や景色を見ることと似ている。景色を見ながら何かを見つけるという

    ウォルトン『フィクションとは何か』読書会記録其ノ拾九・第Ⅲ部第8章3節まで(予習編)アニメの美学・現象学へ - 曇りなき眼で見定めブログ
    sakstyle
    sakstyle 2024/01/12
    「アニメでは逆にコマを落すことで生き生きとして見えることが」「この現象学的な比較を是非やるべき」「アニメを見る際の探索は一般的な映像を見るときや物や出来事を見ることとはかなり仕組みが異なっていると思」
  • ウォルトン『フィクションとは何か』読書会記録其ノ弐拾壱・第8章4節から終りまで(予習編)モビルスーツやエヴァンゲリオンといった現実にありえないものの描写に"リアリティ"を感じるのは何故だろう? - 曇りなき眼で見定めブログ

    メイク・ビリーブ、はじまるザマスよ! フィクションとは何か―ごっこ遊びと芸術― 作者:ケンダル・ウォルトン 名古屋大学出版会 Amazon 描出体の続きであるよ。 写実性 写実性(realism)についてはちょっと言いたい事例がある。ちょうど『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』を観てきたので(【何やってるの!】ガンダムにわかの私が『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』を観た感想!【バカにするぅ!】 - 曇りなき眼で見定めブログ)。書では『指輪物語』の描写を例にとり「最大限に空想的な作品でも、もう一つの種類の並外れた「写実性」をもつことが可能なのは明らかである」ということを論じている(324ページ)。モビルスーツみないな現実には今のところ実現が難しそうと思われているものでも、うまく作画をすると動きにリアリティが出ることがある。以下の磯光雄作画MADを見てほしい(2021年にアップされた最

    ウォルトン『フィクションとは何か』読書会記録其ノ弐拾壱・第8章4節から終りまで(予習編)モビルスーツやエヴァンゲリオンといった現実にありえないものの描写に"リアリティ"を感じるのは何故だろう? - 曇りなき眼で見定めブログ
    sakstyle
    sakstyle 2024/01/12
    「アニメではとにかく図とか抽象的なモデルみたいなのとかを使った演出が多い(...)マンガの影響だろうか。(...)実はマンガは「描出的」度合いが小さいジャンルなのかもしれない。それがアニメにも浸透しつつあるとか」
  • ウォルトン『フィクションとは何か』読書会記録其ノ拾四・第6章(復習編) - 曇りなき眼で見定めブログ

    こちらの復習編。 フィクションとは何か―ごっこ遊びと芸術― 作者:ケンダル・ウォルトン 名古屋大学出版会 Amazon ままごと ごっこ遊び 耳 女子高生設定の飲酒 朝のガスパール インタラクティブ・ライブ 小道具が小道具を生み出す。虚構が虚構をどんどん再生産していく。 VTuber論 物語が変っていく インタラクション 引退、転生 サザエさん以外にもいろいろと例はあるが、虚構世界とは別のキャラクター世界がある気がするのである。『サザエさん』でもサザエさんが提供を言ったり予告を言ったり(なぜ先の展開を知っているのか)。あと『名探偵コナン』の「Next Conan's Hint」とかどうだろう。もうちょっと凝った例だと『クレヨンしんちゃん』でキャラクターが別の設定と世界観でやる特殊な回とか。手塚治虫の漫画にはスターシステムというのがあるが、これは極端な例だろう。そこまで行かなくてもいろいろ

    ウォルトン『フィクションとは何か』読書会記録其ノ拾四・第6章(復習編) - 曇りなき眼で見定めブログ
    sakstyle
    sakstyle 2024/01/12
    「虚構世界とは別のキャラクター世界がある気がする」
  • ウォルトン『フィクションとは何か』読書会記録其ノ伍・第1章6節から2章終りまで(予習編) - 曇りなき眼で見定めブログ

    ケンダル・ウォルトン先生の『フィクションとは何か*1』(田村均訳)の読書会の記録でござる。「メイク・ビリーブ」というカテゴリーをクリックすると他の回も見られますよ。 受容則(想像しているという事実が想像を命令する) 1章6節の夢や白昼夢の分析は書においてそれほど質的ではなさそうだが、ここで出てくる受容則という考え方に私は痺れた。 夢というのは小道具のない虚構である。虚構と言えるのは虚構的真理を決める、命令する規則があるからである。前回ちょっと書いただけだったが、小道具は虚構の規則を提供するという重要な役割がある。では夢には規則がないのかというとそうではない。「夢において〇〇が想像された」という事実が、夢の虚構性を決める規則を提供するのである。書の例では、ある人が夢のなかでA地点にいる状態とB地点にいる状態を経験した。これは想像である(夢が想像なのかというのもいろいろ議論があろうけど)

    ウォルトン『フィクションとは何か』読書会記録其ノ伍・第1章6節から2章終りまで(予習編) - 曇りなき眼で見定めブログ
    sakstyle
    sakstyle 2024/01/12
    「二次創作は夢の延長なのではないか」「Aさんのさらなる想像の規則を与えるのは先ほどのAさんの想像なのである。作品にとって非標準的な想像をしているというより、新たな規則による想像に転じたと」
  • ウォルトン『フィクションとは何か』読書会記録其ノ四・第1章5節まで(復習編) - 曇りなき眼で見定めブログ

    ウォルトン『フィクションとは何か』読書会記録其ノ参・第1章5節まで(予習編) - 曇りなき眼で見定めブログの復習 解釈を伴う鑑賞と二次創作は、想像活動という観点からは明確には分けられない。表象体が想像活動を促したりオブジェクトとなったり規則を定めたりする際に、それをもとにした解釈もその解釈から発展した創作も程度の差こそあれ同じなんじゃないかと思う。ちょっとこのへんの理屈はうまく書けない…。 とにかく、これによって二次創作の態度を表象体の鑑賞体験と同じようにメイク・ビリーブ説を適用できるのではないかと思う。 公式の世界線ではAと結婚した主人公が、Bと結婚するifストーリーを二次創作するとしよう。このとき二次創作の作者は主人公とBが結婚するという想像をしているのではなく、Aと結婚したはずの主人公がBと結婚していると想像する。これは俳優と演劇作品の関係と同じだと思う。なのでキャラクターは想像活動

    ウォルトン『フィクションとは何か』読書会記録其ノ四・第1章5節まで(復習編) - 曇りなき眼で見定めブログ
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    sakstyle 2024/01/12
    「キャラクターは想像活動のオブジェクトとなりうる。これが私のメイク・ビリーブ的二次創作論である」
  • 『ビデオゲームの美学』の「シミュレーション」について - 9bit

    murashitさんによる以下の『ビデオゲームの美学』紹介記事への反応です。 わたしたちが『ビデオゲームの美学』を読むこと - 青色3号 Twitterで書いたように、書評も含めてこれまで見たものの中でもっとも正確かつ詳細に、それも著者の意図を十分に汲みつつ、当のをまとめている文章だと思う。大変ありがたいです。 記事の最後で第12章の「シミュレーション」についていまいちわからない点があるという指摘がされている。自分でもきちんと書けていなかったところだという自覚があるので、こういうつもりで書いたというのを少し補足しておきたい。正直あまり自信がないので、補足を踏まえてもやっぱりちょっとおかしいんじゃないかというつっこみはあるかもしれない。 前提 murashitさんの記事を読めばポイントはおおむねわかるが、あらためて第12章の前半で「シミュレーション」がどんな概念として導入され、特徴づけられ

    『ビデオゲームの美学』の「シミュレーション」について - 9bit
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    sakstyle 2023/12/28
    murashitさんへの応答記事。対象システムとモデルの表象内容は、指示と述定を想定
  • 「ビデオゲームのフィクションを分割する」反省会 - フィクションを哲学する

    発表スライド:https://drive.google.com/file/d/1eceT5cVtBM7bu-VQoKyNiME4HXC8GMND/view?usp=sharing 発表原稿*1:https://drive.google.com/file/d/1Mx5xcOr_R3dxP10denRaBz1Mp1TbdFKl/view?usp=sharing 0. はじめに 11/17に立命館で行った発表会の反省会。 発表自体は修士論文と今年の『REPLAYING JAPAN』の内容をまとめて多少追加しましたくらいのもので、新規性はそんなにない。ただ、対面で実際に意見を交わす中で、自分の直感がどこまで共有可能なのか、自分の理論がどこまで説明できるのかがある程度はっきりしたので、発表して良かったと思う。 あと、参加者の方からいただいた質問やコメントもどれも的確で、聞いていてすごく嬉しかった*2

    「ビデオゲームのフィクションを分割する」反省会 - フィクションを哲学する
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    sakstyle 2023/11/28
    レイヤー型・舞台型の区別面白い。舞台型で区別が難しいというのは確かに。「基準間で食い違いが起きた時により強い基準が採用される」あまり意識してなかったがその通り。役割の違い・経験の質の違いは当然ある
  • Richard Moran 「想像における感情(feeling)の表現」(1994) レジュメ - 夏ふようのメモ

    Moran, Richard. “The Expression of Feeling in Imagination.” The Philosophical Review 103, no. 1 (1994): 75–106. https://doi.org/10.2307/2185873. https://www.jstor.org/stable/2185873 ウォルトンのごっこ遊び理論を想像力概念の観点から批判する論文。Blackwellの美学アンソロジー*1にも収録されているので重要論文と言えそう。また「想像的抵抗imaginative resistance」という言葉を用いた初めての論文でもあります。レジュメを作ったのが4年くらい前で今見ると意味不明なところが多いですが、ひとまず公開してあとで直します。 1. フィクションにおける情動の理論は、ウォルトンの「ごっこ遊び理論」が中心的で

    Richard Moran 「想像における感情(feeling)の表現」(1994) レジュメ - 夏ふようのメモ
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    sakstyle 2023/11/20
    「「想像的抵抗」という言葉を用いた初めての論文」/虚構的情動は、虚構的真理(命題)ではなくて方法(manner)・特定の様態(mode)への参与。「鮮やかさ」も後者である、と。重要論文だなー
  • 「アニメーションに見られる 時間の非整合性について」反省会 - フィクションを哲学する

    0. はじめに 美学会で僕がした発表の紹介と反省会 スライド:https://drive.google.com/file/d/1gBr3uGFamesHXdtqixPk5pGpQKgzFPgf/view 原稿:https://drive.google.com/file/d/1XqEHEC260llH14aHI8T5dYZrgHqzKP3I/view 発表についてはスライドと原稿を並べて読んでください。 発表の時に流したのは、『ジョジョの奇妙な冒険 スターダストクルセイダース』第42話「ディオの世界 その2」の16:35-1840あたり。 1. 発表で言いたかったこと 発表で直接問題としていたことは非整合的な内容がある種両立していたことだが、今思えば気になっていたのは、映像が表している時間と物語内容の時間が一致していないことそのものだったのかもしれない*1。例えば、スローモーションとディオの

    「アニメーションに見られる 時間の非整合性について」反省会 - フィクションを哲学する
  • 『劇場版アイドリッシュセブン』から“推し”文化を考える ライブアニメが持つ演劇性

    『劇場版アイナナ』から「推し」について改めて考える ここ10年ほどの間、ポップカルチャーに関する批評や教育に携わっていると、いわゆる「推し(活)」について考えを巡らさないわけにはいかない。 もはや説明するまでもないだろうが、「推し」とは自分が応援したい対象を指す言葉である。また、そうした「推し」を応援することが「推す」という行為である。もともとはAKB48などのアイドルグループのファンがお気に入りのメンバーを呼ぶために使っていた「推しメン」(推しメンバー)という言葉に由来する。しかしその後、2010年代を通じて、より一般的な文脈にも広がっていった。その言葉の持つ意義は2020年代以降も変わらず、いまや現代人の感性や文化表現、行動様式を象徴するキーワードとして、さまざまな場面で注目を集めている。宇佐見りんの芥川賞受賞作『推し、燃ゆ』(2020年)や平尾アウリのマンガ『推しが武道館いってくれた

    『劇場版アイドリッシュセブン』から“推し”文化を考える ライブアニメが持つ演劇性
  • いま虚構や批評にとって陰謀論とは何か(前編)——全体性の思考と陰謀論化した世界|文学+WEB版

    フィクションの感触を求めて(第四回) 勝田悠紀 0.はじめに この連載もついに四回目になった。ほぼ同時期にスタートし勝手に同級生のつもりだったなかむらあゆみさん「地方文学賞の賞金で文芸同人誌をつくる」、韻踏み夫さん「耳ヲ貸スベキ!」が相次いで全六回を完走し、荒木優太さんの「干さオレ」にいたってはまさかの二周目である(と書いていたら先日ついになかむらさんも二周目に入った)。一人あるまじき進度の遅さにオレもいつ干されてもおかしくないと内心恐々だが、なんとかゴールラインを切れるよう歩みを進めていきたい。 この連載のテーマはフィクションである。折り返しなので簡潔にまとめておくと、ここまで時事的なトピックにも触れながら、フィクションをめぐるテーゼを各回ひとつ提案してきた。 ・第1回 フィクションとは書くことである。 ・第2回 フィクションとは二重性である。 ・第3回 フィクションとは(今日)ギミック

    いま虚構や批評にとって陰謀論とは何か(前編)——全体性の思考と陰謀論化した世界|文学+WEB版
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    sakstyle 2022/10/12
    「フィクションの感触を求めて(第四回) 勝田悠紀」「陰謀論の流行を、単純に虚構の氾濫とみなすことはできない。むしろそれもまた、虚構の衰退という趨勢のなかに位置づけられるべき」/「考察」もその一つだ、と
  • 『フィクションとは何か』- ケンダル・ウォルトン(中間まとめ) - 青色3号

    第2部までをまとめてみよう、というエントリ。前半だけでも二段組300ページあってそれなりに分厚いのは、ウォルトンの理論自体が思ったより複雑なのもあるが、それよりもとにかく例示が豊富なことが原因のように思いました。それらを読むのはとても楽しいものの、論なんだっけ?ともなりやすそうなので、とにかく手掛りを残しておくにしくはないということで。 それにあたり、まずは以下にこれまでの章のメモを挙げておきます。こうした自分の理解(かなりあやしい)およびいくつかの追加的な文献を参考にして1、書のなかでどんなことが言われているのかを、せめてもうちょっと短くまとめてみたいというのが記事です。 序章および第1部「表象体」 序章・第1章「表象体とごっこ遊び」 第2章「フィクションとノンフィクション」 第3章「表象の対象」 第4章「生成の機構」 第2部「表象体の鑑賞経験」 第5章「謎と問題点」 第6章「参加

    『フィクションとは何か』- ケンダル・ウォルトン(中間まとめ) - 青色3号
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    sakstyle 2022/05/06
    このまとめすごい!
  • フィクションにおいて想像はいかにして伝達されるのか キャサリン・エイベル『フィクション 哲学的分析』書評

    フィクション作品の内容はいかにして決まるのか。鑑賞者はフィクションの内容にどうアクセスするのか。フィクションとノンフィクションの違いはなにか。虚構的存在者(キャラクター)とはどのような存在者か。書は、フィクションにまつわる広範な問いに一貫した答えを与えようとする野心的な試みである。 フィクションではない言明(例えば、信じていることの報告)を理解することは難しくない。会話の聞き手は、文字通りに伝えられる内容だけでなく、より深いところで話し手が暗に伝えようとしている内容でさえ特定できる。というのも、(1)現実世界のあり方に関する知識と、(2)話し手がそこから大きく逸脱しているわけではないという仮定があれば、相手の意図した内容を(平たく言えば)察することができるからだ。フィクションではそうはいかない。作品内の世界と現実世界のあり方はしばしば根的に異なり、鑑賞者もそのことを踏まえている。現実世

    フィクションにおいて想像はいかにして伝達されるのか キャサリン・エイベル『フィクション 哲学的分析』書評
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    sakstyle 2022/03/09
    銭さんの書評。「エイベルはフィクションの目的を、「想像の伝達」という協調を要するゲーム理論的課題として理解」問題点の指摘とエイベルのこれまでの仕事(描写や芸術の定義)との関連性について
  • 『物語の外の虚構へ』リリース! - logical cypher scape2

    (追記2023年6月) sakstyle.hatenadiary.jp Kindle版について(Amazon) 一番手に取りやすい形式ではあるかと思います。 ただ、エゴサをしていて、レイアウトの崩れなどがあるというツイートを見かけています。 これ、発行者がちゃんとメンテナンスしろやって話ではあるのですが、自分の端末では確認できていないのと、現在これを修正するための作業環境を失ってしまったという理由で、未対応です。 ですので、来、kindle版があってアクセスしやすい、っていう状況を作りたかったのですが、閲覧環境によっては読みにくくなっているかもしれないです。申し訳ないです。 pdf版について(BOOTH) ペーパーバック版と同じレイアウトのpdfです。 固定レイアウトなので電子書籍のメリットのいくつかが失われますが、kindle版のようなレイアウト崩れのリスクはないです。 また、価格はk

    『物語の外の虚構へ』リリース! - logical cypher scape2
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    sakstyle 2021/12/21
    分析美学とアニメ・マンガ批評に聖地巡礼などの2.5次元論、MAD動画論にボカロ批評etc……シノハラユウキが2010年代に書いてきたものを集めました。
  • M. Donnelly「文学における視点の認知的価値」(2019)論文紹介 - 夏ふようのメモ

    https://academic.oup.com/jaac/article/77/1/11/5981458 はじめに 文 Ⅰ.イントロダクションINTRODUCTION Ⅱ.芸術と主観性ART AND SUBJECTIVITY Ⅲ.経験と視点EXPERIENCE AND PERSPECTIVE Ⅳ.概念的豊饒化の基礎としての文学LITERATURE AS A BASIS FOR CONCEPTUAL ENRICHMENT Ⅴ.行為の動機の理解UNDERSTANDING MOTIVES FOR ACTION Ⅵ.文学と共感LITERATURE AND EMPATHY Ⅶ.結論CONCLUSION はじめに 書誌情報:DONNELLY, M. (2019), The Cognitive Value of Literary Perspectives. The Journal of Aesthe

    M. Donnelly「文学における視点の認知的価値」(2019)論文紹介 - 夏ふようのメモ
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    sakstyle 2021/12/20
    (1)読書によって私たちが探求するのは「別の主観的視点」(2)文学が認知的に与えてくれるのは「知識」ではなく、「自分自身や他人をより良く理解するために必要な道具や技術」
  • ゲームにおける3つの「フィクション」 - 9bit

    「フィクション」という語には複数の使われ方があるという話。よく聞かれることなので、整理もかねてまとめておきます(以下の内容は『ビデオゲームの美学』におおむね書いていますが、読むのが大変だと思うので)。以下「ゲーム」は、ビデオゲームとそれ以外のゲームの両方を含みます。 A. 虚構世界を表すもの いわゆるフィクション作品のこと。映画、演劇、小説、マンガといった芸術形式の作品の大半はこの意味でのフィクション(以下フィクション(A))であり、フィクションの哲学が論じているのもこれである。 フィクション(A)は、「虚構世界を表すもの」として特徴づけてもいいかもしれない。この特徴づけはあまり正確ではないと思うが(たとえば、世界を持たないフィクション(A)はどうするのか、虚構世界とは何か、フィクショナルキャラクターの指示の話はまた別なのか、といった疑問がありえる)、だいたいの意味と外延は伝わるという意味

    ゲームにおける3つの「フィクション」 - 9bit
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    sakstyle 2021/10/28
    虚構世界、制度、日常世界からの分離
  • 21/9/23 「白上フブキは存在し、かつ、狐であるのか」延長戦 - LWのサイゼリヤ

    「白上フブキは存在し、かつ、狐であるのか」延長戦 saize-lw.hatenablog.com ありがたいことにこの前書いた記事(『フブかつ』)へのレスポンスとそれに触発された記事を貰ったのでそれについて書きます。 ちなみにキーラ氏は友人の師匠(?)で、稀にdiscordでコミュニケーションすることもある知り合いの知り合いくらいの方です。僕が今まであまり一貫性なくバラ撒いてきた文書も読んで頂いて発展的な御指摘を頂けるのは非常に嬉しいです。ありがとうございます。 文中でたまに引用される『Vだけど、Vじゃない!』(『VV』)というのは僕が以前に書いたVtuberを題材にした短編のことです。 kakuyomu.jp こうして使うつもりで書いたわけではないですが、確かに言われてみれば僕のVtuberの設定に対するスタンスと認識がよく滲み出ていて、他でもVtuberの話をするときに「それVVじゃん

    21/9/23 「白上フブキは存在し、かつ、狐であるのか」延長戦 - LWのサイゼリヤ
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    sakstyle 2021/10/26
    再反論。この長さ、この内容でブログ上で議論の応酬があってすごい。
  • 絶えず自壊する泥の反論集:インタラクティヴィティと論理的(不)完全性 - 両替機観測所

    saize-lw.hatenablog.com この記事では、LW氏の論考『白上フブキは存在し、かつ、狐であるのか』について、とくに、この論考のなかの「Vtuberにある程度独特なものとして見られるインタラクティヴィティによって、Vtuberには論理的完全性がもたらされる」というアイデアについて、以下の4つの疑問を提示し、考えていきます。 ①LW氏は、「正典に依拠する情報かどうか」と「公式設定かどうか」とを混同しているのではないか ②LW氏は、発言の信頼性と正しさとを混同しているのではないか ③LW氏は、フィクションがもつ時間と我々が持つ時間とを混同しているのではないか ④LW氏は、キャラクターが世界に所属するものという前提をとっているが、果たしてこの前提は我々にとって有益だろうか この4つの疑問は、表面的にはLW氏のアイデアに対する反論というニュアンスを含みます。「LWさん、論理展開がち

    絶えず自壊する泥の反論集:インタラクティヴィティと論理的(不)完全性 - 両替機観測所
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    sakstyle 2021/10/26
    さっきの記事への反論
  • 21/9/5 白上フブキは存在し、かつ、狐であるのか:Vtuberの存在論と意味論 - LWのサイゼリヤ

    前置き これはもともとVtuber批評同人誌への寄稿を依頼されて書いたのですが、ちょうど書き上げたあたりで主催者と連絡が取れなくなって死蔵されていた文章です。音信不通から半年経ったので「まあもういいか」ということでブログにそのまま掲載します。 4万字以上あってクソ長いですが、要するに「Vtuberから演者を取り払って自律した美少女キャラクターとして見る可能性」について分析哲学の知見を援用して延々と語っています。僕はVtuberの演者にはほとんど興味が無くてVtuber批評で主流(?)の「ペルソナ」「魂とガワ」「ロールプレイ」みたいな演者を前提としたジャーゴンにあまりノれず、むしろそういうものを完全にオミットしたキャラクター論を立てたかったというモチベーションがあります。 内容はそこそこ哲学的ですが知らない人でも読めるように結構丁寧に解説を書いているので普通に読めると思います。白上フブキにつ

    21/9/5 白上フブキは存在し、かつ、狐であるのか:Vtuberの存在論と意味論 - LWのサイゼリヤ
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    sakstyle 2021/10/26
    ゴリゴリとフィクションの存在論やってる人がいた。
  • http://www.bigakukai.jp/wakate/papers2020/2020_02.pdf

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    sakstyle 2021/10/25
    美学会若手研究者フォーラム発表報告。想像的抵抗について、初期の議論と「第二波」の議論がサーベイされてる。