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デイヴィドソンに関するsakstyleのブックマーク (6)

  • Joel Isaac「ドナルド・デイヴィドソンとアメリカにおける分析的革命、1940-1970」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    先日朝日カルチャーセンターの以下の講義に参加した。 朝日カルチャーセンター新宿:酒井泰斗「独学者のための社会学入門」(全2回) - 日曜社会学>社会学的告知 - 日曜社会学>社会学的告知 内容はネットに書いてはいけないことになっているので特に触れないが、行動科学の遺産というものがあると。 比喩的に言うと、世界各地に超古代文明の遺産が散らばっているのだが、文明が消え去ってしまったため、それらがかつてひとつの文明に属していたことは忘れ去られてしまった。そんな感じで、行動科学の遺産は、人文学のいろいろなところに散らばっている。 で、個人的に分析哲学における行動科学の影響が気になっていたので、これを読んだ。大変におもしろかった。 Donald Davidson and the Analytic Revolution in American Philosophy, 1940-1970 | Joel

    Joel Isaac「ドナルド・デイヴィドソンとアメリカにおける分析的革命、1940-1970」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
    sakstyle
    sakstyle 2014/12/10
    アメリカ分析哲学への行動科学の影響。スタンフォード大学がデイヴィドソンに与えた影響。帰納的推論の研究からORへの流れなど
  • サイモン・エヴニン『デイヴィドソン 行為と言語の哲学』 - Repeat The Ending

    最近デイヴィドソンが気になってて、前の記事で紹介した森浩一氏や戸田山和久氏なども推薦している格的なデイヴィドソンの解説書に手を出してみた。 森氏の入門書は言語哲学を中心に扱っていたけど、デイヴィドソンは行為や心についての哲学、形而上学などを彼独自の体系的な哲学から関連づけて論じたのであって、書はそのデイヴィドソン哲学の包括的な解説書。著者のサイモン・エヴニンはイギリスの分析系の哲学者である。 森氏も書いていたが、難解といわれるデイヴィドソンを格的に論じているだけあって解説書とはいえかなり難しい。分析哲学の知識0で挑むのは無謀なのでデイヴィドソンに興味持った方はせめて森氏から入ったほうがよさげ…って人事みたいに書いてるが実は僕自身、半分も理解できないだろうなーと思っていた。けど読む前に思ってたよりは手ごたえがありました。そしてすごーい面白かった。 エヴニンはデイヴィドソンを誠実

    サイモン・エヴニン『デイヴィドソン 行為と言語の哲学』 - Repeat The Ending
  • 『社会学入門』付録以来の宿題(続) - shinichiroinaba's blog

    前回の続きです。相変わらずいい加減。 リチャード・ジェフリーのベイジアン意思決定論というのは The Logic of Decision 作者: Richard C. Jeffrey出版社/メーカー: University Of Chicago Press発売日: 1990/07/15メディア: ペーパーバック クリック: 12回この商品を含むブログ (1件) を見る 更に原点たるラムジー論文は言うまでもなくラムジー哲学論文集 (双書プロブレーマタII10) 作者: F.P.ラムジー,D.H.メラー,伊藤邦武,橋康二出版社/メーカー: 勁草書房発売日: 1996/05/15メディア: 単行 クリック: 3回この商品を含むブログ (5件) を見る所収。 ところでこの「寛容の原理」に導かれた意味と信念の全体論という構想を提示する際にデイヴィドソンは、そのインスピレーションの源泉としてベイズ

    『社会学入門』付録以来の宿題(続) - shinichiroinaba's blog
    sakstyle
    sakstyle 2010/12/13
    信念と欲求の全体論、客観主義的実在論的な真理の社会性
  • 主観的、間主観的、客観的 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    主観的、間主観的、客観的 (現代哲学への招待Great Works) 上のを読んで取っていたメモ。 ■ ヤマアラシ 日語の「ヤマアラシ」という語には、「ハリモグラ」や「ハリネズミ」は含まれない。 Wikipediaによれば、 ハリネズミはハリモグラやヤマアラシと混同されやすいが、ハリモグラは単孔目(カモノハシ目)、ヤマアラシは齧歯目(ネズミ目)であり、いずれも系統分類的にはハリネズミとは無関係である。 http://ja.wikipedia.org/wiki/ハリネズミ さて今、わたしがそのことを知らず、ヤマアラシを前にして、「ハリネズミがいる」とつぶやく。 わたしは「ヤマアラシ」と「ハリネズミ」の区別を知らず、ハリのある哺乳類は皆「ハリネズミ」と呼ばれるのだと思っている。つまりわたしは、この言葉は、「ハリのある哺乳類」というくらいの意味だと思っている。 私は、「ハリネズミがいる」と思

    sakstyle
    sakstyle 2009/12/14
    そして心の科学者にとっては、同一性よりずっと弱い因果関係や相関関係で十分なのではないかと思う。
  • その発想はなかった! 新しいデイヴィドソン - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    タイトルは再びホッテントリメーカーから。 だいぶ間が空きましたが、先日の記事について、はてなブックマークのコメント欄でやりとりがあったので稿を改めてここに書きます。間に引越しを挟んだのでずいぶん時間が経ってしまった。 まずid:contractioさんから「暮らしの中で解釈が必要となるのはかなり特殊な場面だけではないか」という質問がありました。 (またこれに関連し、Twitter上でいくつかやりとりがありました。以下の記事はこの辺りのやりとりを踏まえたものです)。 それに対し、私は以下のように答えました。 「日常的に意識的な解釈の必要がないのは、すでに言語理解が完了しているからだ」という理屈になるのではないかと。>id:contractio http://b.hatena.ne.jp/at_akada/20090130#bookmark-11885983 これに対し、以下のようなお返事があ

  • デイヴィドソンを最大限活用するためのFirefoxプラグイン3つ - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    さて、科学の多くは「見えるもの」を観察し、「見えないもの」について明らかにしようとするものである。 デイヴィドソンが「根源的解釈」という状況設定を通じて提案した「デイヴィドソンのプログラム」にも見えるものと見えないものが仮定されている。 わたしの書いた図は上半分と下半分に分かれるが、上半分に置かれた「信念」「欲求」および「言語の意味」が見えないもの、下半分に置かれた「文」と、人と文の関係である「真と見なす」「選好する」が見えるものである。 さしあたって人の頭の中、つまり「信念(事実として受け入れていること)」「欲求(価値付け)」はわからないものと仮定されている。その人が話す言葉もわからないものとして仮定されている。そういう風に状況を設定したのだから当り前だ。 一方、人が「どの文を真と見なしているか」「どの文を良いもの/悪いものと見なしているか」はわかるものと仮定されている。それは言葉の意味

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