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福嶋亮大に関するsakstyleのブックマーク (29)

  • 『神話が考える』は長門有希のトリセツである。 | FERMAT

    『神話が考える』は長門有希のトリセツである。 April 01, 2010 op-ed / commentary authorjunichi ikeda share tweet 福嶋亮大の新著『神話が考える』を読んだ。 ユリイカ連載時のものとは大きく異なり、福嶋自身言うようにマニュアル的な装いになった。マニュアルといっても実用書のようなお手軽なものという意味ではない。簡単にいうと、前から順番に読んでいけば一通り福嶋の言いたいことは素直に読めてしまう、という意味だ。 裏返すと、これは筆者である福嶋が最初に想定読者を頭に描きながら全体の内容構成の組み替えに試行錯誤した後書かれた、ということ。つまり、デザインが行き届いた。あえていえば建築物のような。住む人がどんな人で、その人達の生活様式はこんな風で、だから、使い勝手はこうした方がいい、というようなことを予め想定し(あるいは読者と対話し

    『神話が考える』は長門有希のトリセツである。 | FERMAT
  • モノとしての記号 - 仮想算術の世界

    知り合いに放映中の『ハルヒ』のエピソード「エンドレスエイト」がいいと聞いて、選挙速報の傍ら、録画をまとめて見てみました(そういえば最近あんまりアニメ見てなかった)。4回連続で同じ話をループしているというやつ。 ご覧になった方はわかると思いますが(詳しい説明は面倒なのでしません)、このループは明らかに、長門視点から見た世界を示している。で、僕はそこがかなり批評的でいいと思いました。長門はもともと、他のキャラとはまったく別の時間性を持って動いているキャラです。特に今回はハルヒと対比されていてそこが面白い。 ハルヒは定期的にイベント(祭り)を欲するキャラです。夏休みのお決まりのイベントをこなしていく今回のハルヒは、特にそういう欲望を全面化させている。それに対して、長門はそういう「ハレ」の時間性を持たない。彼女は、人間社会の祭式の時間性とは全然違うロジックで動いている。今回にしても、何の変化も

  • 1Q84のことなど - 仮想算術の世界

    (若干ネタバレ注意>『1Q84』) こんにちは。東さんのブログにつられて『スタートレック』見に行ってきたのですが、これは面白かった…。まぁ僕はスタートレックには詳しくなくて(むかしTVで『ヴォイジャー』を何話か見て「リベラルでメタフィクションなのだなぁ」と思ったくらい)、何かを語る資格はまったくないのですが、とりあえず「偽史」の話とモロに絡んでいるのは明らかだったので、その意味では今号の『思想地図』の論文(「ホモ・エコノミクスの書く偽史」)はけっこういいテーマ選択だったのかもしれません。 しかしまぁ、J・J・エイブラムズって毎度毎度技巧的な作品撮っててすごいですね。実は僕は、『思想地図』のvol.2にエイブラムズに言及した論文を送って落とされた経験があるのですが(笑)、もう一回書き直してみようかな…。『LOST』のシーズン4も良かったし。 * 一応僕の議論の前提を言えば、今日の作家

    sakstyle
    sakstyle 2009/06/01
    現実をハッキングして、少し文字化けを起こして、神話=偽史を作り上げる
  • 神話が考える - 仮想算術の世界

    こんにちは。年もよろしくお願いいたします。 当はこのブログももう少し更新頻度を上げたいのですが、いまいちエンジンがかかってこないので、当面は去年の後半のようなペースでぼちぼち書いていくことになりそうです。気長にお付き合いいただければ幸いです。 さて、もはやネットでは旧聞に属する話で恐縮ですが、年明けはakinator.comというキャラ当てサイトでちまちま遊んでいました。各所で話題なので説明は要らないかもしれませんが、要はあらかじめ好きなキャラをひとり思い浮かべ、そのキャラについて髪の色や長さ、男女の別、超能力の有無その他の設問に20問ほど答えると、かなりの確率でそのキャラを当ててくれるというものです(ちなみに実在の人物も登録されています。試しにやってみたら、王心凌やら王力宏やら台湾アイドルも網羅されていて、それもけっこうすごい)。有限の質問でここまでキャラを正確に識別できるとい

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    sakstyle 2009/01/15
    キャラクラウドとかキャラの一回性とか
  • 今月の原稿&スカイ・クロラ - 仮想算術の世界

    ■「「人生」化する批評」(宇野常寛『ゼロ年代の想像力』の書評)『新潮』10月号 ■「神話社会学 第三回」『ユリイカ』10月号 宇野書評は、できるだけネットで言われてなさそうな論点から書いた…つもりです。他方『ユリイカ』のほうはニコ動のMADの話など。濱野理論にはタダ乗りしまくってます(笑)。ちなみに、当はアニメ声優とエロゲー声優(具体的には青山ゆかり)を比較した「プチ声優の声論」をねじ込むつもりだったのですが、主に字数の問題であきらめました。どっかのタイミングでやれればいいのですが… * あと、東さんのブログに引っ張られて『スカイ・クロラ』は見てきました。いや、これは当に劇場で見てよかったです。見に行かない可能性はけっこうあったので、危ないところでした。けどまぁ何というか、いまの若手批評家というのは(当然僕も含めて)事実上「キルドレ」と立場として大差はないので、あんまりメ

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    sakstyle 2008/09/10
    メタデータの付加によって簡単に一回性を偽装できるほどに、情報処理システムがパワーアップした現在。キルドレの閉塞感みたいなものはキャンセルできるけど、必ずしもハッピーじゃない?
  • 東浩紀のゼロアカ道場 「福嶋亮大さんインタビュー(聞き手:やずや)」 - 生活のためのマーク

    やずやです。 先日、京都まで、批評家の福嶋亮大さんのお話を伺いにいってまいりました。 同人誌上にインタビューを掲載しますが、その一部をyoutubeにアップしました。 ご覧ください。 >福嶋さん、ありがとうございました!

    東浩紀のゼロアカ道場 「福嶋亮大さんインタビュー(聞き手:やずや)」 - 生活のためのマーク
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    sakstyle 2008/08/24
    この映像とこのインタビュー、いいなあ。内容も興味深かった
  • ナルシシズムの変質? - 仮想算術の世界(福嶋亮大)

    宇野常寛さんの『ゼロ年代の想像力』の書評などいろいろ書いてました。書評は来月掲載される予定です。 宇野さんのは、連載で読んでいたときとはだいぶ印象が違って、いろんな意味で面白かったし刺激になりました。「雑誌で読んだし、買おうかどうしよう」と思っている方は、一度書店で手に取られることをおすすめしておきます。決して社交ではなく(笑)これは読まれるべき力作です。 ただ、書評を書くのはかなり大変でした。発売前からこんなにネットで「書評」が出てるは他にないし、一応最初はネット上の言論をチェックしようと思っていたのですが、とても把握しきれないので諦めたというのが実情です。というか、そういう新しい言論空間こそが宇野現象の質だと思うので(ちなみにニコ動と初音ミクとらき☆すたと宇野常寛は同じ何かを共有しているというのがぼくの考えなんですが)、書評もそのあたりに触れつつ書いています。 * それで

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    sakstyle 2008/08/02
    ↑やっぱり、ウエルベックなのか(読んだことないけど)
  • 今月の原稿&ロザリンド・クラウス - 仮想算術の世界

    こんにちは。暑気で電脳ともども壊れかけている今日この頃です。 前も書いたかもしれませんが、ぼくは逆・宮沢賢治みたいな男なので、暑いのとか寒いのとか痛いのとか気持ち悪いのとか、ホント耐えられない。絶対軍隊とか入れない。今月の電気代も怖い。パソコンが熱くて原稿も書きたくない。主はいまやそうめんだし、間は(主に経済的理由で←ぼくはケチなので)100円のわらびもちしかわない。健康ランドに行きたいのに、いろいろ邪魔が入る。もうマジで勘弁してほしい。 勘弁してほしいといえば、最近ある評論家の方と初めて2、3回メールをやり取りする機会があったのですが、ぼくが「ロラン・バルトは『S/Z』や『モードの体系』でマッドサイエンティストみたいにガチで記号論をやろうとしていたと思う」という意味のことを書いたら「それはバルトからすると全部暇つぶしでポーズだから、マッドサイエンティストなんかじゃない。きみには

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    sakstyle 2008/07/26
    この評論はかなり本気で『コードギアス』みたいなつくりにしたいと思っていて/そのうち中華連邦編もやりたいなぁ…
  • 藤田直哉さんへ - 仮想算術の世界

    レスいただきありがとうございます。>藤田さん うーむ。これはガチで返答せねばなるまいと思うので、ガチでやります。正直、この話に深入りするのは僕にとってすごくリスキーだと思うのですが、もう仕方がないですね。 * ドラッグ化については、藤田さんもそう考えているようにこれからどんどん進んでいくだろうと思います。ただ僕は、ハイカルチャーとジャンクカルチャーで二層化していくとは思わなくて、基的には、文化はトータルとして素朴に「動物化」し「ドラッグ化」していくと思う。藤田さんは評論はハイカルチャーと思ってるっぽいけど、評論だって変なドラッグみたいなもんですよ(笑)。僕らが共通して読んでいる東さんのパラダイムで言えば、当然文化はドラッグになっていくし、それは止まらない。 だから、逆に僕はそれについて語っても仕方がないと思う。これは評論家が何を言おうとそうなる。しんどい奴らはゲーセンで憂さを晴ら

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    sakstyle 2008/07/02
    文化的コンテンツもロスジェネ言説もあるいは批評も、確かにドラッグだが、ある種の流通システム(例えば「神話」)によって制御されている。そのシステムは、変更可能なのか、どのようにして、あるいはその影響は?
  • 続・ゆるい宗教国家 - 仮想算術の世界

    藤田直哉氏がブログで、前回のエントリ「ゆるい宗教国家」を引いてくれてます。ただ、藤田氏と僕とでは「宗教」についてだいぶ考え方が違うので、これは確認しておいたほうがいいと思いました。結論から言えば、彼が言うのが「物語としての宗教」であるのに対して、僕が言うのは「神話=メタ物語としての宗教」であり、後者の力学を踏まえておかないと、前者の議論そのものがいちばん素朴な宗教に陥りかねないということです。なお、以下の記述は前回のエントリの延長なので、説明が多少不親切なところもあるかもしれませんが悪しからず。 僕が前回書いたのは、スピリチュアルのように宗教なのか宗教でないのかもはや判然としないものが(たとえば、島薗進氏はスピリチュアルを「新霊性文化」と呼んでいます。つまり、島薗氏にとっては宗教というより文化なわけです)、これからの先進各国ではますます強くなるだろうということです。それが「ゆるい」という

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    sakstyle 2008/06/30
    ミシェル・ウエルベックの『ある島の可能性』が、そういう新しいタイプの宗教を描いていました/<帝国>と「左翼」の関係/細木や江原を宮台的「エリート」と呼ぶことも可能では(壺からスピリチュアル)
  • ゆるい宗教国家 - 仮想算術の世界

    こんにちは。先週のコードギアスはぶっちゃけ天子様目当てで3周しました。 そんなどうでもいい話はさておき、今度『ユリイカ』で連載を始めることになりました。タイトル、掲載月その他は追って告知しますが、このブログの読者はよくご存じの「神話社会」についての考察が主題になります。第一回はプラトンと神話の関係について。経験上、たぶんネットでの反応は限りなく無に近いと思いますが(笑)、ともあれお楽しみに! * ところで、「神話社会」と聞くと、ふつうは何か宗教国家のようなものを思い浮かべると思います。これは別に間違いではない――というか、むしろ僕は2010年代以降の先進各国は「ゆるい宗教国家」のようなものになると思っているのですね。たとえば、『思想地図』の論文で「現在の台湾は、十年後の日かもしれない」という意味のことを書きましたが、これはレトリックでも何でもなく、けっこう気でそう思ってます。台湾

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    sakstyle 2008/06/23
    科学と神話はまったく異なるシステムで動いています。カッシーラーはそれを「モダリティ」が違うと言ったわけですが(『シンボル形式の哲学』)/例えばスピリチュアルのような神話的思考の是非(?)について
  • CLAMP論の準備 - 仮想算術の世界

    前回の投稿はどうも不必要に細かく読まれるような気がするので、改めて書いておきますが、最大のテーマはアニメの論理とゲーム/MADの論理は違うということです。そして、ただそれだけです(笑)。 さて『レイアース』にふと言及したせいで勝手にスイッチが入ってしまって(笑)アニメ版を十年ぶりに見直したりしてたのですが、やっぱりCLAMPは重要だと改めて思いました。そもそも(日に限らず)東アジアという広がりで見ても、CLAMPはたぶん90年代にいちばんよく読まれた漫画家です。なので、日にまともなCLAMP論がないのは(いや、僕が知らないだけかもしれませんが)非常に良くない。当は『ユリイカ』の原稿でもCLAMP論をやりたかったのですが、準備ができなくて断念したんですね。しばらく前に「個別の漫画家にはあまり興味がない」と書きましたが、CLAMPだけは別格。 たとえば、舞城王太郎や佐藤友哉が出てきた

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    sakstyle 2008/05/27
    佐藤・舞城は、中上・荒木よりもCLAMPと接続した方がよいのではないか→CLAMP論/黒瀬論文に運動性への言及がないという批判に対する反論
  • 『ナディア』とMAD的なもの - 仮想算術の世界

    黒瀬さんのブログで、アニメのOPの話が語られています。いま気付きましたが、彼と会ったのは今年の3月のことなので、まだほんの2、3ヶ月くらいしか経っていないわけですが、それから随分と物の見方は変わりました。美術評論も気で読むようになったし、この作品は黒瀬さんならこう読むんじゃないか、という類推もよく働くようになった。僕にとっては、すでに得難い友人です。 ただ、黒瀬さんとしゃべっていると、自分の趣味がとても子どもっぽいということはすごく感じます(笑)。やっぱり彼は美術家らしく学生時代からいいイメージをたくさん見てきたひとで、その体験が自然に思考に流れ込んでいる。逆に『To Loveる』だのMUGENだの言ってる俺ってどんだけ厨房やねん……、と時々我ながら情けなくなる瞬間があります。 とはいえ、たぶんそこにも理由があるはずなんですね。黒瀬さんに便乗して語り始めるなら、僕にとってアニメのOP

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    sakstyle 2008/05/23
    キャラの同一性、アニメOPの論理
  • 中国文学の二つの歴史 - 仮想算術の世界

    今月はずっと体調が悪くて、原稿は一応気合いで書いているものの、ブログは放置気味でした。申し訳ないです。 ところで「福嶋ってどんなアニメ見るの?」みたいなことをたまに友人に聞かれるのですが、僕は根的に厨房的なやつなので、ぶっちゃけ『コードギアス』と『To Loveる』しか見てません。いや、あのサービス精神の旺盛さは書き手として見習いたい…これはマジで。ついでに言うと、ネットについては、いまはニコ動とハム速しか見てませんね。2ちゃんはもう見るのも面倒くさい。総合的に考えて、どうも人間としての性根が腐ってきてるっぽいです。 というわけで、せめてブログはガチで。 * 中国文学というのは、詩を中心にして見るか、それとも小説を中心にして見るかでまったく風景が変わってしまう。平たく言えば、前者は文学を「美」の歴史として眺めることだ。中国の古典詩文というのは、厳密に統制され、様式化された言葉の世

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    sakstyle 2008/04/25
    「美」としての詩、「機能」としての小説/中国における視覚的な装置の発展(思想、神話、毛沢東)/「ソフトウェア・フィクション」との関係
  • http://www.hirokiazuma.com/archives/000391.html

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    sakstyle 2008/04/16
    と本棚の写真
  • システム/時間 - 仮想算術の世界

    このブログでは僕はアニメやゲームの話ばかりしているので、ひょっとすると一部の読者に“遅れてきたオタク”のように見られているかもしれない。しかし、僕のやっていることは、別にオタクの真似をすることではない。じじつ僕は、ACGをオタク的に情報処理しているのではなく、「オタク・ソフト」とはおおむね別の仕方でACG的イメージや物語を読解し、そしてそこから彼らとは別の情報を取得している。実際これからは、別に僕のやり方に限らず、いろいろな文化解読ソフトウェアがどんどん世の中に出てきて、勝手にACGの文化を解読していくことだろう。というか、そういうソフトウェアがどんどん出てくれば面白いし、それを後押しするように批評も機能したほうがいい、というのが僕の一貫した主張なのだ。『ユリイカ』の郭敬明論はその主張を具体的にカタチにしたものだし、『思想地図』の論文でも基的には同じ話をしている。Science Fict

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    sakstyle 2008/03/19
    主体の理論や多様な価値観のカタログではなく「そのちょっとした動き方の変化にこそ、われわれの欲望のエコノミーの構造的変化を見て取るべきなのではないか」
  • 脊髄反射について - 仮想算術の世界

    …さっきブログを更新してから、濱野さんのはてなを覗いたら、この記事へのリアクションいただいてました。ありがとうございます! いや、濱野さんの恋空論は当に励みになったんですね。「あぁ、俺の方向性もそんなに悪いもんじゃないのかもな」って、これはもう強烈に思いました。実はそれまで、なかなか自分の考えには自信が持てなかったんですが、同じようなことを考えているひとが同世代にいるというのは(しかも、出自はぜんぜん違うのに)マジでうれしかった。こういう「同期」がないとやってられんというか、やっぱりひとりだと何も続きません。 これは僕の個人的な印象ですけど、どうも最近の社会学系の言説はあまりに主観主義的というか、心理主義的というか、そういう方向に行きすぎてるような気がする。もっと平たく言うと「生き方」系。ポストモダン化し、後期近代化したこの砂漠のような世界でどうやって生きていくか、みたいな。あるいは

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    sakstyle 2008/03/07
    脊髄反射=「省略」的情報処理
  • ロゴスとミュトス/神話とは何か3 - 仮想算術の世界

    4Gamer.netで濱野智史さんのインタビュー記事が公開されてますが、これは抜群に面白かったです。ニコ動を中心にしながら、現在のウェブ上のサービスの性質がとても精密に論じられているわけですが、こういう一筋の通った俯瞰的なパースペクティヴはこれまでそうそうなかったのではないか。まさにこういう記事を読みたかった、という感じです。 来ならば、それぞれのトピックの面白さについて語るべきかもしれませんが、ここではひとつだけ「確かにニコニコ動画は,「Wikipedia」のように何かの役に立つ「知」を生み出すようには見えないし,単に暇つぶしのための娯楽のようにしか見えない。しかし,それにしてはあまりに異様なサービスであることは間違いない。そこから学べるものはもっとあるはずです」というところに、それこそニコ動的にコメントを書き込んでおきたいと思います。というか、僕自身も実はWikipediaとニコ

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    sakstyle 2008/03/07
    2つの知/ロゴス(形而上学的、プログラム的、分析哲学的)とミュトス(部分的な理解、水平的な調和)/ロゴスとミュトスが結託したものとしてのウェブ
  • ケータイ小説の環境/神話とは何か2 - 仮想算術の世界

    東浩紀さんのブログの記事に引っ張られて、濱野智史氏の「恋空」論(3)を読んできました。このブログの読者ならおわかりのとおり、僕は現代文化を「神話的操作」のシステムとして読むことをずっと提案しているわけですが、濱野さんのエントリーはまさに『恋空』をケータイ的な「操作ログ」の集合として扱っている。共感するところ大でした。 ところで、濱野さんは後半で、東浩紀さんの言う「ゲーム的リアリズム」とケータイ小説の「操作ログ的リアリズム」を分けています。ただ、僕の印象だと、ゲームとケータイというのは必ずしも対立するものではない。むしろゲームもケータイも、同じ現象の二つの枝分かれとして読める側面があります。それはまさに、前回のエントリーで説明した「神話」の問題です。 いきなり些末な世代論になるかもしれませんが、たぶん濱野さんや僕の世代(80年前後生まれ)は、物心ついた段階で「遊ぶこと≒テレビゲームするこ

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    sakstyle 2008/02/21
    ゲーム、ケータイ小説、萌えキャラ、MADなどから、「規則」を抽出する。規則の集合=「環境」。様々な環境が様々な出力を計算する=神話化。神話的動物(オタクもケータイ小説読者も神話的動物の中の一種)
  • 神話とは何か - 仮想算術の世界

    宇波彰さんのブログからトラバをもらいました。僕は実はフランス語がまったく読めないので、フランス現代思想についてはもっぱら日語訳(あるいは英訳)に頼るしかなく、『意味の論理学』も『分裂分析的地図作成法』も宇波さんの翻訳で読んだクチです。そういう意味で、たいへんお世話になっています。 それはともかく、「私はこの『ミトロジー』は現代の文化を考えて行くためには不可欠の文献のひとつであり、また読むことそれ自体が楽しみとなるような種類の、数少ない書物の一冊であると考える」。あるいは「しかしながら、バルトが『ミトロジー』を発表してからすでに四分の一世紀がすぎようとしている。その間に、大衆文化と集団表象のあり方はかなり変化したと言わなくてはならないだろう。大衆や集団そのものが極度に変質しつつあるからである」という記述は、僕もまったく同感なので驚きました。このブログでも度々書いているように、ウェブ上のサ

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    sakstyle 2008/02/18
    コメントやアンダーラインによって隠れた構造を発見/発明すること。またその構造を他の作品にも見いだしていくこと。