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早文十時間シンポに関するsakstyleのブックマーク (4)

  • 2008-10-18 - ENDING ENDLESS 雑記帖-■[YC]あまりにも『おそ松くん』なゼロアカ

    (“評論”レヴュー/“レヴュー”評論 5) 19日に行われる「早稲田文学」主催の10時間連続公開シンポジウムを、自分も見物しに行くつもり。 【プログラム】(予定) 10:30-12:15 ポッド1「文芸メディアの現在――批評的メディアはどうありうるか」パネリスト:東浩紀、宇野常寛、佐々木敦、中森明夫、山充、前田塁+ 12:30-14:15 ポッド2「日小説の現在――現在時の日小説をめぐって」パネリスト:東浩紀、渡部直己、池田雄一、新城カズマ、大森望、前田塁+ 14:25-15:00 休憩(エクストラ・プログラムの場合あり) 15:10-16:55 ポッド3「文芸批評の今日的役割について」パネリスト:東浩紀、宇野常寛、福田和也(予定)、前田塁+ 17:10-18:55 ポッド4「読者と小説――批評と書評、文学賞」パネリスト:東浩紀、千野帽子、豊崎由美、芳川泰久、中森明夫、前田塁+ 19

    2008-10-18 - ENDING ENDLESS 雑記帖-■[YC]あまりにも『おそ松くん』なゼロアカ
    sakstyle
    sakstyle 2008/10/23
    書評と批評の関係について/「お笑い」としてのゼロアカ
  • 早稲田文学主催10時間連続公開シンポジウム。: Little-RGB!

    早稲田文学主催の10時間連続シンポジウム 「文芸批評と小説 あるいはメディアの現在から未来をめぐって」 に参加してきました。 さすがに10時間通しでいると疲れますね。 頭にほとんど残ってない気がするのですが、垣間見えたのは 東浩紀は実は当に頭がいいんじゃないかということと 前田塁=市川真人は回しがものすごくうまいということと 文学やら小説やら批評やらは、どうやら俺が考えている以上に シリアスらしいとひしひし感じたことでしょうか。 批評家なんて需要がないんだから、一世代に一人いればいい という福田和也に同調しつつ、自分に続く批評家を育てなければ 批評というチャンネル自体が死滅する可能性を見据えていた東浩紀が ゼロアカ道場でどういう成果を示すのか 若い才能に絶望した挙句、福田和也に完全に同調してほっぽり出すのか 今後を見定める必要があるよな、とも思います。

  • 2008-10-19

    ポッド2「日小説の現在――現在時の日小説をめぐって」 パネリスト:東浩紀、渡部直己、池田雄一、新城カズマ、大森望、前田塁+ これはひどいメモ。拾えていない。 前田「今、どうして批評をやっているのかという事について渡部直己さんから、どうですか」 渡部直己「理由は簡単で、高橋源一郎を殺すためです。高橋源一郎は書けない時期から日の近代作家に沿って回復していき、作家というものをキャラクター化していった。作家という自然的なイメージに頼って書くというのは許しがたい。イメージとして文学を消費している」 渡部「今日は佐藤友哉の『1000の小説とバックベアード』という最低なものを読んでしまったのでそれ以外は褒めようと思って来た。昔はライトノベルというものを全否定していましたが、東さんと話して可能性のないものにも可能性を探っていくという所に惹かれて読んでみようと思った」 前田「描写がなくなっていくという

    2008-10-19
  • 「批評と小説をめぐる十時間連続公開シンポジウム」感想 - the deconstruKction of right

    徹夜で夜勤してそのまま行ったので、むやみに眠く、最近風邪気味で若干思考に「すいませんモード」が入ってきており、多大な迷惑をかけている方々や、力を貸してくださった方々とお会いし、「生まれてきてすいません」という感じになる。そんな感じで言ったので、多少解釈バイアスがかかっているかもです。こんな豪華な面子が集まっていて、それを集めた早稲田文学の方々の苦労も多少は理解しているうえで、僕は僕なりの正直な感想を書こうと思う。 なんか、僕は、微妙に、見ていて歯噛みしたというか、歯がゆかったというか、「これなら東スレのガチの論争の方が面白くね」とか思ってしまった。それはガチとスピードに慣れているからだと思う。出版、批評、書評、全ての論争の裏に、前田氏と東氏は「ニコニコ動画」や「ブログ」や「アマゾン」の話をしていたが、僕には自明の後者を、いまだ遅れている、遠い、前者の世界に言葉を届けるという儀式だった、とい

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