最近フーコーについて気がついたこと 〜概念の哲学の中の科学哲学と政治哲学の区別について〜 今まで、『知の考古学』以後のフーコーの方針転換をどのように理解するべきかでだいぶ迷ってきたが、次のように考えると筋が通る。 1.『知の考古学』までは、エピステモロジーの哲学および方法論に対して強くこだわっていたし、その範囲の中での拡張(特に人間科学への適用)を考えていたが、それ以後においては、このこだわりはある意味で捨てられているように見える。 2.この「ある意味で」というのをどのように理解するかということをこれまでかなり迷ってきた。今まで検討してきたのは、1.エピステモロジーを捨てて、ある別の哲学へと進んでいった。2.あくまでエピステモロジーの範囲にとどまって仕事をしていた。しかしこのいずれの選択肢も、事実との整合性が取れない。前者の場合、方法論があくまで言説分析であり、考古学的手法が否定さ
エピステモロジーの本質が何なのか、ということについて、僕はかれこれ7年近く考えてきたが、最近になって、ようやくそのポイントを一般的な仕方で表現するポイントをつかんだように思う。 よく言われるように、20世紀のフランス哲学にとって、陰に陽にエピステモロジーは中心的な役割を担ってきた。このことは、すでに日本においても一般的に知られている事実であるといってもよいだろう(まだ言いすぎかもしれないが)。少なくとも、バシュラール、カンギレム、フーコーという名とともに、エピステモロジーという軸が実際に存在するということは、既知としてよいだろう。 しかし、さらにもう少しエピステモロジーについて知るようになると、そのあまりの多様性のために、一貫した思想運動のような統一性をそこにみいだすことが困難な印象を受けるようになる。そして、特に、欧米の科学哲学と比較する場合、その本質の規定と差異の明示化が非常に困難
科学認識論といっても、そういった言い方をするのは、大方フランス系で、それ以外では科学哲学という言い方が一般的なのだろう。だけど、科学哲学と科学認識論の性質の違いを考えてしまうと、やはりそれらを同じ枠で語るのは気が引ける。 それはおいておいて。 科学認識論(ここでは科学哲学・科学論・科学社会学を含む広い意味で用いる)の歴史というものを書いた人は、実はまだいないのではないだろうか?もちろん、哲学史の文脈で、科学哲学史を書いている人はいるが、僕が問題にしているのは、18世紀以降の科学哲学の動向であり、その動向と現在の科学論全盛期との連続性と分断を明らかにすることなので、とりあえず、アリストテレスの自然学とか、スコラ神学とか、ルネサンス期の話は置いておこう。 実際、科学史研究においても、科学史研究の歴史のようなものは書かれていないように思う。同様に哲学史の歴史というのにも興味があるが、これら
シリーズ:エピステモロジー入門 第二回:エピステモロジーと哲学 「狭義のエピステモロジー」の概念規定 前回の予告ではエピステモロジーの歴史について簡単に紹介しようかと思ったのですが、それは次回ということにして、今回はエピステモロジーとそのほかの哲学との関係について説明していこうと思います。 そのために、前回の続きとして、エピステモロジーの規定をもう少し狭く行う必要があります。本来であればそれをエピステモロジーの歴史を通じてやるつもりだったのですが、それは次回に先延ばしをして、今回は『エピステモロジーの現在』の序文の中で金森先生が採用している「広義のエピステモロジー」と「狭義のエピステモロジー」の二つの区別をもってその代わりとしましょう。 「広義のエピステモロジー」とは、第一回のときに述べたように、「科学史的な哲学」あるいは「科学哲学的な科学史」という標語の下に家族的類似性をなすよ
シリーズ:エピステモロジー入門 第一回:はじまりの三つの疑問 エピステモロジーとは何か? 数年前から「エピステモロジー入門」なるものを書こうと考えていましたが、そろそろころ合いかと思ったので、ためしに書き始めてみようと思います。なんでころ合いかというと、単純に今日この本が発売になったからです。 この本の「序論」で金森先生が、エピステモロジーの概略をまとめてくれています。そこでは、ある意味で最も重要なエピステモロジーの特徴が述べられます。 「西洋の正統的思想の枢軸を形成する合理主義は、この知性と理性と呼ばれる特殊な審級の成り立ちや特徴、可能性や限界についての考察をその主要な任務にとしてきた。……合理主義を一般的に扱うのではなく、ある特徴の下に少なくとも緩やかには包接可能な一種の合理主義、あるいは一種の主知主義に目を向けてみる。それは《エピステモロジー》である。エピステモロジーは全世
アウシュヴィッツの残りのもの―アルシーヴと証人 人権の彼方に―政治哲学ノート 残りの時 パウロ講義 ホモ・サケル 主権権力と剥き出しの生 例外状態 涜神 アウシュヴィッツは終わらない―あるイタリア人生存者の考察 (朝日選書) 死と愛――実存分析入門 厚生省の誕生―医療はファシズムをいかに推進したか 健康帝国ナチス 現代思想2006年6月号 特集=アガンベン 剥き出しの生 出版社/メーカー: 青土社発売日: 2006/05メディア: ムック クリック: 7回この商品を含むブログ (16件) を見る知への意志 (性の歴史) 臨床医学の誕生 精神疾患とパーソナリティ (ちくま学芸文庫) 生命の認識 (叢書・ウニベルシタス) 正常と病理 (叢書・ウニベルシタス) 生命科学の歴史―イデオロギーと合理性 (叢書・ウニベルシタス) 結晶と煙のあいだ―生物体の組織化について (叢書・ウニベルシタス) 科学
タイトルで嫌な予感がされた方もおられるかと思いますが、今日は突然、内輪ネタ、というかフランス思想ネタです。しかも長いです。関心のない方はスルーしてくださいませ。 * * ドミニク・ルクールのクセジュ『科学哲学』が翻訳されたらしい。 『科学哲学』 ドミニック・ルクール(1944-)著 沢崎壮宏(1971-)+竹中利彦(1971-)+三宅岳史(1972-)訳 文庫クセジュ(白水社) 2005年8月刊 本体951円 新書判164+19頁 ISBN4-560-50891-7 フランス認識論からいわゆる「フランス現代思想」(ex. フーコー、デリダ、ドゥルーズなど)への流れを見通す糸口をも与えてくれる良書とか。 そういえば、バシュラールに詳しい友達も「トマス・クーンとフランス認識論の関係について考えるなら、ルクール読んでみるのも手だよ」とか言ってたような。それが日本語になった。楽だ! 買うかな、どう
(平成14年6月29日に行われた愛知県立大学公開講座「フランス―伝統と革新」第3回の要約です。)
金森 修のホームページ Osamu Kanamori's Home Page English version 論文要旨 分担執筆論文要旨 参考論文・エッセイ他 学会発表・講演一覧 書評データ一覧 書評集 1 書評集 2 書評集 3 小文集 1 小文集 2 連絡先 〒113-0033 東京都文京区本郷7-3-1 東京大学大学院教育学研究科 教育学部棟407 tel & fax: +81-3-5841-3963(電話よりもファックスをお使い下さい、またはメールをお使い下さい) kanamori@educhan.p.u-tokyo.ac.jp 専攻 フランス科学認識論(epistemologie francaise): 最近、また本腰を入れて取り組み始めています 一種の医学哲学、医学思想史 認識論の枠組みを超えた、科学と文化の交錯を分析する科学文化論
フランス現代思想に興味を持っている編集者や読者、また、大書店の哲学思想書の担当者にとって必読書となる新刊が文庫クセジュの一冊として刊行されました。文庫といってもクセジュの場合、新書ですけれども。 科学哲学 ドミニック・ルクール(1944-)著 沢崎壮宏(1971-)+竹中利彦(1971-)+三宅岳史(1972-)訳 文庫クセジュ(白水社) 2005年8月刊 本体951円 新書判164+19頁 ISBN4-560-50891-7 ■カバーの紹介文より:ウィーン学団やバシュラールを経てクワインやハッキングへと至る科学哲学は、サイエンスの目的と方法をめぐる探求である。本書は、学説史を詳しく解説しながら、ヨーロッパや英米の伝統が合流する将来を展望してゆく。フランス科学哲学界を代表するルクールによる、わかりやすい入門書。 ■原書:"La philosophie des sciences" par D
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