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伊勢田哲治に関するsakstyleのブックマーク (9)

  • Daily Life:戸田山和久『科学的実在論を擁護する』書評

    March 27, 2016 戸田山和久『科学的実在論を擁護する』書評 戸田山和久『科学的実在論を擁護する』名古屋大学出版会 2015 http://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN978-4-8158-0801-3.html 書は戸田山氏による格的な科学的実在論の研究書である。 まず、日語でよめる実在論論争史の紹介として、現時点で書がもっとも充実したものだということは間違いない。20世紀における論争の紹介内容は、シロスのScientific Realism: How Science Tracks Truth (Psillos 1999)という定評ある研究書を下敷きにしていることもあり(これについてはあとで触れる)、信頼性は非常に高い。また、21世紀になってからの動きとして、チャクラバティの「半実在論」(semi-realism)やスタンフォードの「新しい帰納法」など

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    sakstyle 2016/04/02
    “まあわれわれの共著は戸田山それほど気乗りのしない仕事だったのだろうなと今になって思う。”
  • 「科学の方法」の発見 | 大栗博司のブログ

    昨日WEBRONZAから配信した論考「現在の基準で過去を裁くことの是非」について、京都大学で科学哲学や倫理学を研究されている伊勢田哲治さんから、@PlanckScale ややこしいのですが、ワインバーグに厳しい書評を書いたシェイピン自身は社会構成主義者ですが、彼のコメントの内容はいわゆる「ウィッグ史観」批判で、社会構成主義以前からある考え方です。 http://t.co/V2fTzXfEM5 — 伊勢田哲治 (@tiseda) 2015, 4月 6また、学習院大学の理論物理学者の田崎晴明さんから、大栗さんの記事しか読んでいないのですが、「現代から見た『進歩』を切り口にした歴史記述への批判」から「社会構成主義的科学観への批判」に移るのはいささか唐突に感じました。 @tiseda @PlanckScale — Hal Tasaki (@Hal_Tasaki) 2015, 4月 6とのご指摘を受

    「科学の方法」の発見 | 大栗博司のブログ
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    sakstyle 2015/04/07
    伊勢田さんらと大栗さんのやりとり。社会構成主義と反ホイッグ史観は独立だということ。/「科学的事実の発見」の歴史ではなく「科学的方法の発見」の歴史がホイッグ史観という反論
  • 『パンクなパンダのパンクチュエーション』 『ジャズで学ぶ英語の発音』 『英和翻訳表現辞典』 『職業としての学問』 『科学を語るとはどういうことか』 - Jablogy

    最近読んだのメモ。英語が3冊、メタ学問が2冊。 リン・トラス『パンクなパンダのパンクチュエーション』 パンクなパンダのパンクチュエーション―無敵の英語句読法ガイド― 作者: リン・トラス,今井邦彦出版社/メーカー: 大修館書店発売日: 2005/06/01メディア: 単行 クリック: 7回この商品を含むブログ (2件) を見る 英語の句読法にあるよくある間違いや過剰なこだわりについて(ブラック)ユーモアたっぷりに綴ったエッセイ。 「正しい日語」をめぐってよく人々のあいだで議論がかわされるように、英語のネイティブたちも記号を使い間違えたり、使わないことにこだわったり、逆に気軽に使いすぎてしまったりといった問題があるのだ、ということがわかって親近感がわいた。 アポストロフィ、カンマ、(セミ)コロンについてもネイティブたちの捉え方、コンセプトがよく見えてきた。 全体的に面白く読めたが、

    『パンクなパンダのパンクチュエーション』 『ジャズで学ぶ英語の発音』 『英和翻訳表現辞典』 『職業としての学問』 『科学を語るとはどういうことか』 - Jablogy
  • Daily Life:『神は妄想である』書評(昔書いたもの)

    May 15, 2014 『神は妄想である』書評(昔書いたもの) (リクエストがあったので、かつて『日経サイエンス』に掲載したドーキンス『神は妄想である』書評の長いバージョンを以下に再掲します。途中[  ] でくくってあるところは字数制限のため掲載バージョンではカットした部分です。初出:『日経サイエンス』2007年9月号、110ページ) 神は妄想である―宗教との決別 [単行]リチャード・ドーキンス早川書房2007-05-25 神について聞かれた科学者の多くは「神がいるかどうかは科学の扱う領域ではない」と答えるだろう。実際、宗教との軋轢をさけるにはうまい答え方だ。しかし当に神は科学で扱えない問題なのだろうか。 書でリチャード・ドーキンスはあえて一歩を踏み出し、科学的な仮説としての「神仮説」を検討する。この宇宙の事実についての主張である以上、神仮説からも 予測できることがいろいろある。そ

    Daily Life:『神は妄想である』書評(昔書いたもの)
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    sakstyle 2014/05/15
    文脈主義からの批判
  • Daily Life:『哲学入門』(2)

    April 26, 2014 『哲学入門』(2) 前項 http://blog.livedoor.jp/iseda503/archives/1805752.html のつづき。 第四章 第四章は、このの中で一番、何をめざして何が行われているのかがよくわからない章だった。第三章の最後のところ(p.190)で、第四章の作業は「心も表象も意味もない世界を前提して、そこに表象がどんな風に湧いて出てくるのかのシナリオを描く作業」だとまとめられている。しかし第四章がどういう意味で「どんな風に湧いて出てくるのか」についての議論なのか。これをもう少し言い換えて、p.199では「志向性モドキから正真正銘の志向性を持った私たちの表象(志向的表象)がどのようにして出現したのか、あるいは出現できるのかを考える」というのがこの章の仕事だという。「どのようにして出現したか」と「どのように出現できるか」は全然違う問い

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    sakstyle 2014/04/26
    伊勢田さんによるツッコミその2
  • Daily Life:『哲学入門』(1)

    April 26, 2014 『哲学入門』(1) 哲学入門 (ちくま新書) [新書]戸田山 和久筑摩書房2014-03-05 戸田山和久『哲学入門』。いただいてから読み終わるのにずいぶん時間がかかってしまった。 すでに多くの人が指摘していることだが、『哲学入門』というタイトルではあるものの、一般に言われるところの哲学の全体像をつかみたいという人が読むように書かれたではない。しかし、戸田山さんが哲学だと思うものの全体像をできるだけまんべんなく描き出そうとしているという意味では、まさに戸田山さんによる「哲学入門」以外のなにものでもないという言い方もできる。 書は哲学があつかってきたもの、その中でもとりわけ自然科学にのりそうにない「意味」とか「目的」とか「自由」とかを自然科学の枠組みの中におき直そうという試みで、『自然主義哲学入門』とでも呼ぶべきである。もう少し正確に言うなら、『認知科学に

    Daily Life:『哲学入門』(1)
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    sakstyle 2014/04/26
    伊勢田さんがツッコミいれまくっているw
  • Daily Life:「科学的思考」のレッスン

    November 28, 2011 「科学的思考」のレッスン 「科学的思考」のレッスン―学校で教えてくれないサイエンス (NHK出版新書) 著者からいただいた。ありがとうございます。 第一章から第六章までは科学哲学の紹介、第七章から終章にかけては科学技術社会論の紹介、という構成になっている。科学哲学的な内容としては、境界設定問題、科学的説明、検証理論などのオーソドックスなテーマを取り上げているのだが、「科学的思考」とは何かを考える、という問題設定の下に非常によく消化されていて、「無理に科学哲学にこじつけました」という感じはまったくない。特に、「科学的説明」という、科学哲学の定番の話題の中でもどちらかというと玄人好みの(言い換えれば哲学者以外にとってはどうでもいいような)話題をこの流れの中に自然に組み込んだ第三章は工夫が光る。第六章では「共通原因の原理」が(その言葉は使わずに)解説されている

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    sakstyle 2011/11/28
    「第一章から第六章までは科学哲学の紹介、第七章から終章にかけては科学技術社会論の紹介、という構成になっている。」「第六章全体が(略)実験の方法論や統計の読み方といった話題の解説」ICRPの話もあるらしい
  • 伊勢田哲冶(2010)「境界設定問題はどのように概念化されるべきか」 日本科学哲学会第43回年次大会 [pdf]

    10.12.2 1 1 境界設定問題はどのように
 概念化されるべきか 伊勢田哲治 tiseda@bun.kyoto-u.ac.jp 1 2 アウトライン •  境界設定問題とは •  ラウダンの批判と境界設定問題への現状 •  ラウダンへの応答とプラグマティックアプ ローチ •  (ここまでの話は『応用哲学を学ぶ人のために』(2011年4月刊行予 定)の「疑似科学」の章で詳述しているので今回は概観のみ) •  境界設定問題の概念化に関するメタベイ ズ主義的解決 2 3 境界設定問題とは •  当の科学と「科学のようだが科学でない もの」(疑似科学)をどのように区別するか という問題 •  ポパーによって科学哲学の基問題とし て設定された(Popper 1963) 3 4 古典的論争 •  ポパーは反証可能性基準を提唱:反証可 能でない主張は科学ではない。

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    sakstyle 2011/08/10
    ラウダンの批判(科学か疑似科学か問うのは疑似問題)に対して、メタベイズ主義で応答。曖昧述語は定義できないとしても無意味じゃない
  • 伊勢田哲治『認識論を社会化する』 - Repeat The Ending

    かつて藤野寛と伊勢田哲治は鶴見俊輔のインタビューで、鶴見がハーバードで哲学を学んでいたこと、その成果をかつては日仕事にしていたことを取り上げ「鶴見俊輔は哲学者か?という問いが立つと思う」と言っていたが、それに沿っていえば、「伊勢田哲治は社会学者か?」という問いが立つんじゃないか。*1 メリーランド大学時代のアドバイザーであるフレデリック・サッピに社会学をすすめられ、専門の一つにしていたそうなのだが、書では著者の科学哲学者としての性格の影になっている社会学的な側面が前面に出ていて、その社会学の知見に驚かされる。 また、伊勢田は社会学を(パーソンズ社会学やエスノメソドロジー等も含めて)科学として扱っている。物理学や生物学は「典型」科学だが社会学は「非典型」科学であるという考え方に対しては物理学中心主義的科学理解の危険性を指摘しておく必要があるだろう、なんてことまで書いている。社会学の歴史

    伊勢田哲治『認識論を社会化する』 - Repeat The Ending
    sakstyle
    sakstyle 2011/01/11
    そう、高いんだよね、この本。図書館で探してみる。
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