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論理学に関するsakstyleのブックマーク (29)

  • 「殺すことはない」 - shinichiroinaba's blog

    大昔に河出の『文藝』のアンケートに答えたことが触れられていた 「もっと明瞭な殺人否定論はないのですか?」 「たしか、いなば先生 @shinichiroinaba が大昔に少年向けに書いたものがあって、まず君には、殺されたくない大事な人たちがいる。ところで他の人たちも、同様の人たちを抱えている。だから人を殺してはいけない。記憶が朧げですが、かなり簡明です」 — 遠藤 with another view (@endoucom) 2023年2月15日 ので少し追記する。 「殺してはいけない」というルールは見ればわかる通りネガティヴな禁止の形をとっている。強い道徳的義務、いわゆる完全義務の多くはこのように「なになにしてはいけない」という形をとり、「なになにすべきだ(しなければならない)」というポジティヴな形をとらない。ポジティヴな義務は多くの場合「なになにしたほうがよい」という推奨の形をとる。そう

    「殺すことはない」 - shinichiroinaba's blog
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    sakstyle 2023/02/17
    ネガティブな禁止のルールよりポジティブな推奨のルールの方が望ましいとして、普遍的なルールとして「殺すことはない」(小泉義之)はどんな形になるか、義務論理を用いて定式化してみる、という記事
  • 論理が開く世界―京都新聞夕刊「人文知のフロンティア」寄稿 - 論理学FAQのブログ

    2020年3月25日京都新聞夕刊に寄稿させていただきました。「人文知のフロンティア」というシリーズの1回なので「論理学は人文学だ」というオチにしていますが、ともあれ中身を楽しんでいただければ幸いです。「論理が開く世界」は新聞社の方に付けていただいたタイトルです。 --- ケーニヒスベルクの街を流れるプレーゲル川に、中洲を経由して両岸を結ぶ7の橋がかかっていた。いまはロシア領でカリーニングラードと呼ばれているが、当時はまだプロシア領である。街の人たちが川沿いを散策しているうちにある問題を思いついた。この7の橋をすべて、重複なしに一度ずつ渡るような、ひとつづきの散策ルートは可能か。 この「一筆書き」問題が、天才数学者オイラーのもとに持ち込まれた。王道的な数学とは一見無関係なこの問題に、彼はなぜか興味を惹かれたようで、解決はほどなく、1735年の論文で発表された。答えは、一筆書きは不可能。7

    論理が開く世界―京都新聞夕刊「人文知のフロンティア」寄稿 - 論理学FAQのブログ
  • C.I.ルイスの厳密含意 (2) - 論理学FAQのブログ

    続きです。前回はこちら。 takuro-logic.hatenablog.com かんたんに復習すると、「実質含意のパラドクスを解決するため、C.I.ルイスは必然的な含意としての厳密含意を導入した」という教科書的なお話に対して、ではなんでルイスは様相 (必然性) を導入すると実質含意のパラドクスが解決すると思ったのだろうか、という疑問を、彼の1912年の論文 academic.oup.com を読んで考えよう、というものです。ただし、以下のまとめは、ルイスの論文をかなり大幅に再構成してますので、その点ご容赦を。 さて、議論を始めます。実質含意は (「 ならば 」 「 が偽または が真」) を満たす、あるいはこのように定義される含意です。 「ならば」が「または」を使って表される (ないし定義される) というのは一見おかしなように思われますが、ルイスはこのことには異論は唱えません。 じっさい、

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    sakstyle 2019/11/01
    「なんでルイスは様相 (必然性) を導入すると実質含意のパラドクスが解決すると思ったのだろうか」「哲学的論理学のお手本と言うべき、心が洗われるような議論でした」
  • C.I.ルイスの厳密含意 (1) - 論理学FAQのブログ

    今回はコメントへのリプライではなく、ひとつのまとまった話として。 古典論理の含意 は「 が偽であるかまたは が真であるときそのときにかぎり真」と定義されます。言い換えれば、 です。このようにして定義される含意を「実質含意」と呼びます。実質含意は、私たちの「ならば」についての理解とはかけ離れた、いろいろとおかしな帰結を導くということで批判されてきました。とくにもっとも初期から批判されてきたのは、次の2つの推論が妥当になるという点です。 1つめは「偽なる命題 は任意の命題 を含意する」、2つめは「真なる命題 は任意の命題 から含意される」です。 に何でもいいので偽なる命題 ( とか) を、 に何でもいいので真なる命題 (讃岐うどんはうまい、とか) を入れてみてください。なんだか変な含意命題が帰結するはずです。 この2つの、古典論理では妥当とされるのに、直観的にはおかしな推論を実質含意のパラドク

    C.I.ルイスの厳密含意 (1) - 論理学FAQのブログ
    sakstyle
    sakstyle 2019/11/01
    C.I.ルイスが実質含意に代わる厳密含意を提案したのが1912年(ちなみに『プリンキピア・マテマティカ』は1910年)/この試みは様相論理と関連性論理という二つの潮流へ
  • 2つの様相演算子、一緒に暮らしていくならどっち - 論理学FAQのブログ

    2019年5月27日のコメントペーパーより。レジュメは様相命題論理。 コメント: と は双対なので、どちらか一方があればもう一方を表せるということですが、使えるのが一生どちらかだけと言われたら、どちらかを選ぶ理由はありますか? 回答:愛着のようなものを聞かれているみたいでおもしろいですね。とはいえここでは、「 と 、どちらが概念的に根的か?」という質問として理解して答えます。 確認しておくと、古典論理上の様相論理では、任意の論理式 について、 は と同値なので、必然性は「 の否定が不可能であること」として定義でき、反対に、 は と同値なので、可能性は「必ずしも が否定されるわけではないこと」として定義できる、 のでした。そこで、一方を他方で定義するとして、どちらを定義項とし、どちらを被定義項と見なすか、ということですね。 「自分は古典論理の否定はろくでもないものだと思っているので、双対関

    2つの様相演算子、一緒に暮らしていくならどっち - 論理学FAQのブログ
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    sakstyle 2019/08/17
    “推論の妥当性と非妥当性のどちらを根本的と見なすかという問題”
  • ホントツキ文はホントウなのか

    お久しぶりです。このブログの更新も年に一回ペースとなってきましたが、日は真理理論についてです。先週末、大学院の研究科横断授業において、真理理論のミニコースをやったんですが、初日の土曜日の夕方に悪さをしない自己言及文である「ホントツキ文(truth teller)」の話になりました。これは、 この文はホントである という文です。この文を否定したらウソツキ文「この文はウソである」ですね。 ホントツキ文とウソツキ文の違いは、もちろん、ウソツキ文は存在を認めるだけで矛盾を導くけれど、ホントツキ文は認めても何も問題を起こさない、ということです。 ホントツキ文が真だとしましょう。この場合、ホントツキ文は真になります。だってホントツキ文が真であることが真だから…そりゃそうだ。 ホントツキ文が偽だとしましょう。この場合、ホントツキ文は偽になります。だってホントツキ文が偽であることが真だから…そうだね、偽

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    sakstyle 2016/01/28
    ホントツキ文へのアンケートから、真理についての3つの考え方
  • Daily Life:演繹と帰納についてのノート

    July 09, 2015 演繹と帰納についてのノート 以前他の分野の研究者の方と仕事をしていて、演繹というのを「普遍命題から個別命題を導く推論」と理解している方がいて、現代ではその意味で演繹を使うことはまずないです、とコメントしたことがある。しかしそういえば、演繹と帰納という言葉の用法はどのように変遷してきているのか、調べたことはなかった。今後綿密な調査は必要になると思うがとりあえず目立つものをならべておく。(数学的帰納法についてベインとサモンの項及び結論部分に追記しました。誤記をいくつか修正しました) (1) Mill, J.S.  Systems of Logic (1843) 英米の科学方法論の教科書として19世紀には非常に大きな影響力を持った。ただし、演繹と帰納の関係についてのミルの解釈は独特で、あらゆる推論は帰納であると主張して論争をまきおこした。「演繹」と「帰納」という言葉

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    sakstyle 2015/07/09
    演繹と帰納について、19世紀から20世紀にかけての定義の変遷。19世紀:個別と一般についての推論、20世紀:演繹=「前提が正しければ結論も正しい推論」
  • 倉田剛(2009)「オーストリア哲学における命題的対象・モメント・非存在者―現代オントロジーの観点から」 - 東京大学文学部・大学院人文社会系研究科 博士論文データベース

    「オーストリア」という国の名前から、われわれは何を連想するであろうか。おそらく真っ先に思い浮かべるのは、モーツァルトやシュトラウスをはじめとする作曲家たちであろう。オーストリアの首都ウィーンは今なお「音楽の都」として世界中の人々を惹きつけてやまない。音楽以外にも、クリムトやシーレに代表される世紀末美術、ムージルやツヴァイクらの文学を連想する人も多いだろう。学問の分野においても、ボルツマンやマッハらの自然科学、ゲーデルの数学などが挙がるに違いない。また、あのフロイトが精神分析学を創始した地はオーストリアであったことをわれわれは鮮明に記憶している。 哲学に関して言えば、シュリックやカルナップらに代表されるウィーン学団のイメージがあまりにも強く、オーストリアと言えば、もっぱら「論理実証主義」が栄えた地ということになってしまう。しかしながら、オーストリアにはもう一つの哲学的伝統があったことを忘れて

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    sakstyle 2010/11/18
    本論文は、B.ボルツァーノ(1781-1848)の影響のもと、F.ブレンターノ(1838-1917)を祖として19世紀後半から20世紀初頭にかけて、広い意味でのオーストリアの地に誕生した哲学理論の総体を「オーストリア哲学」と名づけ、
  • http://hblo.blog.shinobi.jp/Entry/1962/

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    sakstyle 2009/06/17
    うちの大学だと、分析系の先生がやっている論理学の授業で、不完全性定理までいきつかない。
  • 非古典的論理学#1 Dialetheism - 知識の積み木 - 楽天ブログ(Blog)

  • モハンティ『フッサールとフレーゲ』流し読み - 2007-04-01 - 呂律 / a mode distinction

    【( ´∀`)著者さんと】【語ろう(°∀°)】シリーズ。 ※モハンティさんと語るわけではありません。仕方がないのでもういちどこっち。 フッサールとフレーゲ 作者: J.N.モハンティ,貫成人出版社/メーカー: 勁草書房発売日: 1991/02/01メディア: 単行購入: 1人 クリック: 14回この商品を含むブログ (8件) を見る 何度読んでも途中で訳語のお約束を忘れてしまいわけわかんなくなりがちなのでまとめておく。 ■訳者まえがき。 英訳(固有名)(概念語、文)(作用、ノエマ) フッサールSinn, Bedeutungsense (meaning)意味意義意味 Gegenstandreference / referent指示対象指示対象指示対象 フレーゲSinnsence (meaning)意義意義 Bedeutungreference / referent意味意味 ■モハンティ自身

    モハンティ『フッサールとフレーゲ』流し読み - 2007-04-01 - 呂律 / a mode distinction
    sakstyle
    sakstyle 2008/11/19
    フッサールとフレーゲの意味と意義
  • [哲学っぽいメモ] 論理の立場と反論理の立場 - mzsmsの雑記

    法学方法論には、論理(ないしは論理学)を敵視するような議論もある。 しかし、「論理」の概念をどのくらい広く取るかにもよるが、「論理」の概念を十分に広くとれば、論理や論理学に反対する理由はよく分からない。現代論理学は、古典論理にこだわっているわけではなく、直観主義論理も認めるし、古典論理と直観主義論理の異同、性質などに基づいて、どちらの論理がどのような議論においてよりふさわしい論理か、という議論も論理学の範疇に含まれる。 排中立は必ずしも真ではない? よろしい、直観主義論理を使おう。 一つの理論から矛盾する命題がでることがある? よろしい、矛盾許容論理を使おう。 義務や権利、可能性や必然性の概念が必要? 様相論理だ。 種や型の概念が必要? 型論理。 こういう議論を続けている限り、どの論理を使うか、また「論理」の範疇をどこまで広げることができるか、という話でしかない。もちろん、論理が論理である

    [哲学っぽいメモ] 論理の立場と反論理の立場 - mzsmsの雑記
    sakstyle
    sakstyle 2008/11/18
    証明の美しさ、あるいは推論の妥当性の程度を、(どのように)評価することができるか
  • [哲学っぽいメモ] 論理とは何か? と、論理のほかに必要なもの - mzsmsの雑記

    論理とは何か? という前に、「それは非論理的だ!」という非難について考えてみよう。 何らかの主張に対して、それが非論理的だという非難は頻繁に行われるが*1、非論理的だという非難の正当だと思える使い方には二つある。一つは、ある主張が矛盾を起こしているとき、その矛盾を指摘して、それは非論理的だと非難することは正当だろう。もう一つが、ある主張が論理的に妥当な推論を行っていない場合、それは非論理的だと非難することは正しくはある。 後者、つまり、ある主張が論理的に妥当な推論を行っていないことを非論理的と非難する場合、これは前述のとおり正しくはあるが、極めて限定された場合以外は、あまり役に立つ非難ではない。というのは、全面的に論理的に妥当な推論など論理学の演習問題以外では求められていないだろうし、論理学の演習問題以外ではほとんど役に立たないだろうからだ。 もちろん、どのような分野であっても、部分的に論

    [哲学っぽいメモ] 論理とは何か? と、論理のほかに必要なもの - mzsmsの雑記
    sakstyle
    sakstyle 2008/11/18
    「非論理的」という非難について/「視野の適切な広さ」
  • 米盛裕二「アブダクション」 - モナドの方へ

    アブダクションと言っても宇宙人にさらわれるアレではないですハイ。推論のための論理操作のことだ。 三段論法の推論には三種類あり、演繹、帰納、そしてアブダクションだ。簡単に説明すると以下のようになる。 ・演繹法 AならばBである Aである よってBである ・帰納法 Aである Bである (上記のような例がたくさん見られる) よってAならばBである ・アブダクション Bである AならばBであると仮定する よってAであるらしい この例を見ていただくとわかるが、演繹法は論理的に間違いがない。しかし帰納法とアブダクションは当然誤っている場合がある。 アブダクションで言うと、オレオレ詐欺はわかりやすい誤謬の例だ。 電話主が「オレオレ」と言う 息子は「オレオレ」とよく言っている よって電話主は息子であるらしい と同時に、これがコミュニケーションにおいて重要な役割を果たしていることもわかるだろう。もしも電話の

    米盛裕二「アブダクション」 - モナドの方へ
  • 貴金属を買ったのでとうぶん無一文です。 - あなたのkugyoを埋葬する

    最近買った。 読むための理論―文学・思想・批評 作者: 石原千秋,木股知史,小森陽一,島村輝,高橋修,高橋世織出版社/メーカー: 世織書房発売日: 1991/06/15メディア: 単行購入: 2人 クリック: 16回この商品を含むブログ (10件) を見る 最近借りた。作品の哲学 作者: 佐々木健一出版社/メーカー: 東京大学出版会発売日: 1985/01メディア: ハードカバー クリック: 5回この商品を含むブログ (11件) を見る 三浦俊彦の新著『戦争論理学 あの原爆投下を考える62問』って、パラドクス・シリーズの第4弾だったのか。構想をちらりとお伺いしたときにはぜんぜん気づかなんだ。ということは、あれか、例の占いも付いてんのかな。 三浦俊彦のパラドクス・シリーズは、未訳の哲学論文からネタをがんがん拾ってきているので、文献リストとして非常に役立ちます(検索性は少し悪いけど)。こ

    貴金属を買ったのでとうぶん無一文です。 - あなたのkugyoを埋葬する
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    sakstyle 2008/08/29
    三浦俊彦のパラドックスシリーズについて/佐々木健一『作品の哲学』
  • C.S.パースというシャーロック・ホームズ - 殺シ屋鬼司令II

    ホームズはぜんぜん読んでいないけれど、このはとても面白かった。紹介してくれたid:leibniz(@monado)に感謝。 アブダクション: シャーロック・ホームズの推理は、C.S.パースの言うところのアブダクションである。因果関係を把握するために、結果を見てその原因を仮説する。 パース自身も捕り物的な逸話がある。豪華客船で黒人の船員に上着と時計を盗まれたので取り戻した、という話である。話のクライマックスで単身強硬手段に出て「きっかり12分で戻って来る」くだりは最高に爽快。ここだけでも是非読むべき。 ドイルがポオの影響下にある一方で、パースもポオの読者だったらしい 「要するにホームズは、パースと同じで、方法が適用される個々の対象よりも、方法そのものの方に関心があるということだ。」p.65 科学: パースは科学者でありエンジニアでもあった。ホームズも化学実験をたしなんで、仮説形成の精度を維

    C.S.パースというシャーロック・ホームズ - 殺シ屋鬼司令II
  • 気になる本たち - ぐだぐだ日記−読書と食の秋−

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    sakstyle 2008/08/22
    様相論理の本とか
  • 科学基礎論学会に行ってきた - あなたのkugyoを埋葬する

    先輩に紹介していただいた、科学基礎論学会2008年度講演会に行ってきた。東京電機大学で開催されていたのだけど、地図がわかりづらくて神田駅を出てから20分ぐらいうろうろしてしまった。もっと明確な地図を用意してくればよかった。 哲学者ってみんな似たような顔をしているなあ、と思ったら、先日見たその同じ哲学者を今日も見たのだった、ということが何度もあった。こういうことはよくあって、このサンダルははやってるのか? と思ったら、同じ女の子が同じサンダルをしょっちゅうはいていただけだった、という例もある。 当日の発表内容については、下記の公式ページをご覧いただきたい。 科学基礎論学会 私が観覧した発表は次の7つ。 D・ルイスの慣習概念と高階の予測(筒井晴香) ルイス流の可能世界を還元する(小山虎) 現象的意識の準一階説の提案(佐藤亮司) 知覚についての選言主義(横山幹子) 「知るは指標詞だろうか(神山和

    科学基礎論学会に行ってきた - あなたのkugyoを埋葬する
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    sakstyle 2008/06/23
    「ルイス流の可能世界を還元する」「現象的意識の準一階説の提案」「統計的モデル選択の問題」など/コメ欄で、「メタ」「高階」を巡っての話。ハイレベルですごい……
  • 憧れの超準解析 - hiroyukikojima’s blog

    このところずっと、数学基礎論の勉強をしている。取り組んでいるのは、田中一之『数の体系と超準モデル』 数の体系と超準モデル 作者: 田中一之出版社/メーカー: 裳華房発売日: 2002/04メディア: 単行 クリック: 300回この商品を含むブログ (10件) を見る主に、出勤と帰宅の電車の中でちょっとずつ読んでいるので、なかなか進まず、もうかれこれ2ヶ月は読んでいるだろうか。 なぜ数学基礎論を勉強しているか、というと、隠れて物理を勉強する - hiroyukikojimaの日記で書いた物理の勉強と同じく、趣味経済学研究の両面で、である。 そもそも、基礎論には少年期から憧れがあった。ゲーデルの「不完全性定理」は、中高生のときにナーゲル&ニューマン『数学から超数学へ』を読んで以来、理解したい、と焦がれる定理の一つになったし、超準解析は、たぶん、数学セミナーかなんかで知って、どうしても緻密に

    憧れの超準解析 - hiroyukikojima’s blog
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    sakstyle 2008/06/06
    じゃなくて数学基礎論の話だが。「正しいこと」と「証明できること」の違いについて、完全性定理とゲーム理論から考える/超準解析の方はよくわからない
  • クリティカルシンキングの作法@伊勢田哲治『哲学思考トレーニング』 - 死に舞

    哲学思考トレーニング (ちくま新書 (545)) 伊勢田 哲治 前回読書メモは取ったこのだが、論文執筆や議論の際に非常に有用だし、http://d.hatena.ne.jp/terracao/20080316/1205667545のような記事が非常にブクマを集めているから、需要はあると思って、ここでまとめることとする。しかしながら、思うにあのような妥当ではない論証パターンを九九のように覚えてもたぶん一般の人にはそれほど有用ではないと思う。というのは、語学を勉強するのと同じように、論証の妥当性を検討する能力を鍛えるには、実際の議論において前提と結論を形式化して、その妥当性を問うという実地での訓練がどうしても必要なものだ。後件肯定や前件否定が非妥当な推論で、肯定式や否定式が妥当な推論だと、話の上で分かっていても、日常での議論のどれがそれらの推論にあたるかどうか、形式化できなくては意味がない。