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美学に関するsakstyleのブックマーク (420)

  • ミュージックビデオの身体論⑥ サイボーグ的身体——「ONE TAKE STAGE」のトランス・ダンス|佐々木友輔

    6. サイボーグ的身体——「ONE TAKE STAGE」のトランス・ダンスイラスト:湖海すず 6-1. サイボーグ的身体これまでに取り上げてきた「ダンス」に関連するMVは、視覚効果や撮影・編集技術を重視する「映像のダンス」(③映像そのものがダンスする/④カメラレス・ダンス)と、生身の身体のパフォーマンスを重視する「ダンスの映像」(⑤ダンスそのものを映し出す)とに大別することができる。 ただし、これらはあくまで便宜的な区分であり、それほど明確に分けられるものではない。あらゆるMVには「映像のダンス」と「ダンスの映像」双方の要素が含まれており、両者が重なり合い、グラデーションを成しているのだと捉えるほうが、実態に即しているだろう。 前回「ダンスの映像」を代表する存在として紹介したマイケル・ジャクソンがMVで披露するダンスも、アーティスト自身の身体能力だけで成立しているわけではない。例えば『ス

    ミュージックビデオの身体論⑥ サイボーグ的身体——「ONE TAKE STAGE」のトランス・ダンス|佐々木友輔
    sakstyle
    sakstyle 2024/03/04
    「映像のダンス」と「ダンスの映像」の融合/編集によるダンス/超個体的身体(多数のダンサーの同期)/CG映像の指標性(モーションキャプチャ)/ステディカムによるダンサーへの接近(トランス・ダンス)
  • 美しいもの、もっと美しいもの - obakeweb

    美的理由についての前置き 快楽主義 エンゲージメント理論 共同体主義理論 ネットワーク理論 ✂ コメント 参照文献 美的価値についての議論は引き続きたいへん盛り上がっているが、次の事実は意外なほどに無視されている。すなわち、美しさや優美さは比較・ランクづけ可能である。絵の下手な私が模写した《真珠の耳飾りの少女》は、フェルメールによるオリジナルほどには美的価値がない。 「趣味については議論できない」「美は見る人の目の中にある」を真に受けている人は、美的価値に上下があるという観察自体を否定したくなるだろう。「みんな違ってみんな良い」というわけだ。しかし、仮になんらかの観点から私の模写がフェルメールのオリジナルを凌いでいるのだとしても、それと同時に、前者が後者に比べて稚拙であり、覇気がなく、ごくふつうの意味において劣っていることを否定できるわけではない。芸術家やパフォーマーですら創作や上演に際し

    美しいもの、もっと美しいもの - obakeweb
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    sakstyle 2024/03/01
    ロビー・クバラ「Non-Monotonic Theories of Aesthetic Value」/美的価値はランク付けが可能でより価値が高いほどより強い理由になるという単調性原理があるが、反快楽主義理論の多くがこれに違反する、と/「対象由来の」理由
  • ミュージックビデオの身体論④ カメラレス・ダンス|佐々木友輔

    4. カメラレス・ダンス(目次) イラスト:湖海すず4-1. 絶対映画と視覚音楽連載の前回(ミュージックビデオの身体論③ 映像そのものがダンスする)は、ハービー・ハンコック『Rockit』(1983)やコールドカット&ヘスタスティック『Timber』(1997)など、身体としての映像そのものがダンスを踊っているかのような作品群を「映像のダンス」と名づけることで、アーティスト自身がダンスを踊る姿を直接的に撮影・記録した「ダンスの映像」と区別することを提案した。 「映像のダンス」はそもそも生身で踊る身体を必要としないし、カメラで撮られた実写映像であることを必須の条件としているわけではない。そのように考えるなら、私たちは「映像のダンス」の源流を、例えばハンス・リヒター『リズム21』(1921)やヴァルター・ルットマン『オパス1』(1921)、ヴィギング・エッゲリング『対角線交響楽』(1924)な

    ミュージックビデオの身体論④ カメラレス・ダンス|佐々木友輔
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    sakstyle 2024/02/01
    「フィッシンガーの視覚音楽」「(抽象アニメーション)マクラレン」とそのオマージュのトクマルシューゴ『Poker』、CGによる映像と音声の同期オウテカ『Gantz Graf』「モーション・グラフィックス」「リリックビデオ」
  • ミュージックビデオの身体論③ 映像そのものがダンスする|佐々木友輔

    3. 映像そのものがダンスする(目次) イラスト:湖湖すず3-1. 1981年、MTVの開局とダンスの不在1981年8月、MTV(ミュージックテレヴィジョン)が開局した。毎日24時間MVを放映し続ける新たなケーブルテレビ局の登場によって、MVは急速に存在感を増し、一般家庭に浸透していく。象徴的なエピソードとして繰り返し語られるように、開局1曲目として放映されたのは、バグルス『ラジオ・スターの悲劇』(1979)だった。2年前に発表された曲ではあるが、オールドメディア(ラジオ)の死を高らかに宣言するその歌詞は、MTVという新たなメディアプラットフォームの誕生にふさわしいものだった。 MTV 1981 logo with yellow on the front side of the M, blue on "TV" and purple on the outside.Wikipedia英語版)

    ミュージックビデオの身体論③ 映像そのものがダンスする|佐々木友輔
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    sakstyle 2024/02/01
    「MVと前衛映画・実験映画との結びつき」「編集のリズムがそのままMVの身体であり、またその身体のダンスでもあるような映像表現」「「映像のダンス」は必ずしも生身で踊る身体を必要としない」
  • 地方映画史研究のための方法論(2)ジョナサン・クレーリー『観察者の系譜』|佐々木友輔

    見る場所を見る——鳥取の映画文化リサーチプロジェクト「見る場所を見る——鳥取の映画文化リサーチプロジェクト」は2021年にスタートした。新聞記事や記録写真、当時を知る人へのインタビュー等をもとにして、鳥取市内にかつてあった映画館およびレンタル店を調査し、Claraさんによるイラストを通じた記憶の復元(イラストレーション・ドキュメンタリー)を試みている。2022年に第1弾の展覧会(鳥取市内編)、翌年に共同企画者の杵島和泉さんが加わって、第2弾の展覧会(米子・境港市内編)を開催した。今のところ三ヵ年計画で、2023年12月開催予定の第3弾展覧会(倉吉・郡部編)で東中西部のリサーチが一段落する予定。鳥取で自主上映活動を行う団体・個人にインタビューしたドキュメンタリー『映画愛の現在』三部作(2020)と併せて、多面的に「鳥取の地方映画史」を浮かび上がらせていけたらと考えている。 調査・研究に協力し

    地方映画史研究のための方法論(2)ジョナサン・クレーリー『観察者の系譜』|佐々木友輔
  • SFの7つの美:魅力的なSFのレシピのために - Lichtung

    イスタヴァン・チチェリー-ロナイ・ジュニア(Istvan Csicsery-Ronay JR.)による『SFの7つの美(The Seven Beauties of Science Fiction)』は、SFジャンルに特徴的な7つの魅力を星座を辿るように論じていくSFスタディーズの重要書である。 SFを好んで書き、読んでいるならチェックして損はないだ。 とはいえ、原著も英語でアクセスしにくい。そこで、7つの項目を簡単に紹介しよう*1。 以下は「SF性」=サイエンス・フィクショナリティを形成し、魅力を与えている7つのカテゴリだ。 The Seven Beauties of Science Fiction 作者:Csicsery-ronay, Istvan, Jr. Wesleyan University Press Amazon Beauty 01. 虚構的新語 Beauty 02. 虚構的

    SFの7つの美:魅力的なSFのレシピのために - Lichtung
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    sakstyle 2024/01/17
    この記事見逃してた。Beauty 01. 虚構的新語、Beauty 02. 虚構的ノーヴム、Beauty 03. 未来史、Beauty 04. イマジナリー・サイエンス、Beauty 05. SF的崇高、Beauty 06. SF的グロテスク、Beauty 07. テクノロジャイド
  • 【アニメ哲学その2】これがアニメ現象学だ(現代現象学の手法でアニメを分析する試み) - 曇りなき眼で見定めブログ

    その1はこちら 【アニメ哲学その1】アニメの質は絵か? 動きか?(あるいは声か?)玉川真吾『PUPARIA』など - 曇りなき眼で見定めブログ アニメを通して社会とか文化を考える言説は多いが、アニメそのものについて考えるものは驚くほど少ない。これほどアニメ文化・アニメ産業が隆盛を極める日だが、実は日人の多くが好きなのは「アニメ」そのものではないのではないかと私は睨んでいる。どちらかというとアイドル声優とかアニソンとかグッズ集めとかコスプレとか二次創作とか、アニメ周辺の文化が好きなのではないか、と。だからこそ私はアニメそれ自体について考えたいんすわ。 現象学とは 『現代現象学』の音楽論を見てみよう 「音楽作品の存在論」の要約 アニメーションの現象学 アニメーション作品は何でないか アニメーション作品の特徴 アニメーション作品の同一性条件 アニメーション作品の存在依存 作者は誰か アニメ

    【アニメ哲学その2】これがアニメ現象学だ(現代現象学の手法でアニメを分析する試み) - 曇りなき眼で見定めブログ
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    sakstyle 2024/01/12
    「出﨑演出はこのアニメ的な像意識をうまく利用している」
  • 【アニメ哲学その1】アニメの本質は絵か? 動きか?(あるいは声か?)玉川真吾『PUPARIA』など - 曇りなき眼で見定めブログ

    どこで止めても絵として成立させる、というのが今回の目標の一つでした。 アニメは映像である前に絵だと思っているので、その強さを失いたくないと思って作りました。 pic.twitter.com/DvcLl9m3fU — 玉川 真吾 Shingo Tamagawa (@ShingoTamagawa) 2020年11月20日 これは聴き捨てならん。私はアニメは絵である前に動き、すなわち映像だと思っている。 アニメの質は絵ではなく動きである、と。「どこで止めても絵として成立している」というのはアニメに対する褒め言葉として不適切であると私は思う。ちょっとこのへんを題材に私のアニメ哲学を書きますよ。 「作画」とは何か? アニメの質は絵ではなく「作画」である、と思いたい アニメの質ってもしかして絵なのか? 羅小黒戦記を観よ (声の重要性) 問題の『PUPARIA』の感想 結論 「作画」とは何か? 作

    【アニメ哲学その1】アニメの本質は絵か? 動きか?(あるいは声か?)玉川真吾『PUPARIA』など - 曇りなき眼で見定めブログ
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    sakstyle 2024/01/12
    「アニメーションは動きを本質とし、アニメは動きに加えて演出上で静止画を巧みに利用するもの、と分けて定義してしまえばよいのではないか」
  • 「絵画の解放」書評 モダニズムと米文化の折衝関係|好書好日

    絵画の解放 カラーフィールド絵画と20世紀アメリカ文化 著者:加治屋 健司 出版社:東京大学出版会 ジャンル:芸術・アート 「絵画の解放」 [著]加治屋健司 20世紀アメリカ美術で重要な一角を占める「カラーフィールド絵画」をめぐる一冊。抽象絵画ではあるが難解ではなく、文字通り色の面が持つ力が最大限に発揮されている。左上の書影でも片鱗(へんりん)は伝わるはずだ。それにしてもなぜ「解放」なのか。鍵は副題にある。「~と20世紀アメリカ美術(史)」にはせず「~と20世紀アメリカ文化」としたところに著者のもくろみがある。つまり解放とは該当する絵画群の美術ないし美術史からの解放なのだ。 そのために著者はまずカラーフィールド絵画を拘束していたモダニズムの美術批評がいかなるものであったかについて精緻(せいち)に論ずる。次いで、そのモダニズムの美術批評そのものが実は一枚岩でなかったことを検証し、両者を足場に

    「絵画の解放」書評 モダニズムと米文化の折衝関係|好書好日
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    sakstyle 2024/01/06
    “とりわけインテリアデザインのなかで、これらの絵画がいかに擬態(ぎたい)され「協働」したか” 美術ないし美術史からの解放
  • 『ビデオゲームの美学』の「シミュレーション」について - 9bit

    murashitさんによる以下の『ビデオゲームの美学』紹介記事への反応です。 わたしたちが『ビデオゲームの美学』を読むこと - 青色3号 Twitterで書いたように、書評も含めてこれまで見たものの中でもっとも正確かつ詳細に、それも著者の意図を十分に汲みつつ、当のをまとめている文章だと思う。大変ありがたいです。 記事の最後で第12章の「シミュレーション」についていまいちわからない点があるという指摘がされている。自分でもきちんと書けていなかったところだという自覚があるので、こういうつもりで書いたというのを少し補足しておきたい。正直あまり自信がないので、補足を踏まえてもやっぱりちょっとおかしいんじゃないかというつっこみはあるかもしれない。 前提 murashitさんの記事を読めばポイントはおおむねわかるが、あらためて第12章の前半で「シミュレーション」がどんな概念として導入され、特徴づけられ

    『ビデオゲームの美学』の「シミュレーション」について - 9bit
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    sakstyle 2023/12/28
    murashitさんへの応答記事。対象システムとモデルの表象内容は、指示と述定を想定
  • 「ビデオゲームのフィクションを分割する」反省会 - フィクションを哲学する

    発表スライド:https://drive.google.com/file/d/1eceT5cVtBM7bu-VQoKyNiME4HXC8GMND/view?usp=sharing 発表原稿*1:https://drive.google.com/file/d/1Mx5xcOr_R3dxP10denRaBz1Mp1TbdFKl/view?usp=sharing 0. はじめに 11/17に立命館で行った発表会の反省会。 発表自体は修士論文と今年の『REPLAYING JAPAN』の内容をまとめて多少追加しましたくらいのもので、新規性はそんなにない。ただ、対面で実際に意見を交わす中で、自分の直感がどこまで共有可能なのか、自分の理論がどこまで説明できるのかがある程度はっきりしたので、発表して良かったと思う。 あと、参加者の方からいただいた質問やコメントもどれも的確で、聞いていてすごく嬉しかった*2

    「ビデオゲームのフィクションを分割する」反省会 - フィクションを哲学する
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    sakstyle 2023/11/28
    レイヤー型・舞台型の区別面白い。舞台型で区別が難しいというのは確かに。「基準間で食い違いが起きた時により強い基準が採用される」あまり意識してなかったがその通り。役割の違い・経験の質の違いは当然ある
  • Richard Moran 「想像における感情(feeling)の表現」(1994) レジュメ - 夏ふようのメモ

    Moran, Richard. “The Expression of Feeling in Imagination.” The Philosophical Review 103, no. 1 (1994): 75–106. https://doi.org/10.2307/2185873. https://www.jstor.org/stable/2185873 ウォルトンのごっこ遊び理論を想像力概念の観点から批判する論文。Blackwellの美学アンソロジー*1にも収録されているので重要論文と言えそう。また「想像的抵抗imaginative resistance」という言葉を用いた初めての論文でもあります。レジュメを作ったのが4年くらい前で今見ると意味不明なところが多いですが、ひとまず公開してあとで直します。 1. フィクションにおける情動の理論は、ウォルトンの「ごっこ遊び理論」が中心的で

    Richard Moran 「想像における感情(feeling)の表現」(1994) レジュメ - 夏ふようのメモ
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    sakstyle 2023/11/20
    「「想像的抵抗」という言葉を用いた初めての論文」/虚構的情動は、虚構的真理(命題)ではなくて方法(manner)・特定の様態(mode)への参与。「鮮やかさ」も後者である、と。重要論文だなー
  • 初期分析美学における芸術創造論 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    ヴィンセント・トマスの"Creativity in art"および周辺の文献をちょっと調べたので備忘録的に残しておく。 Tomas, Vincent (1958). Creativity in art. Philosophical Review 67 (1):1-15. ヴィンセント・トマスのこの文献に関しては、少し前に出た村山正碩「意図を明確化するとはどういうことか: 作者の意図の現象学」が詳しい。 村山はトマスの論文を、以下の「トマスのパズル」を提示するものとしてまとめている(p.105)。 芸術制作は芸術家によってコントロールされている。 行為者が自分の行為をコントロールする典型的ケースでは、生み出したい結果を意識し、目の前の現実がその結果と一致するように作業を進める。 しかし、芸術制作では、芸術家は生み出したい結果を(現実がそれに一致すれば、作品が完成するほど)十分に意識しているわ

    初期分析美学における芸術創造論 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
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    sakstyle 2023/11/15
    村山さんが紹介していた作品制作がいかにコントロールされるかの議論。1958年にトマスが発表し、当時結構議論になったらしい。関わった美学者のほとんどは今では名前を知られていないが、ビアズリーも関わっている
  • 読書メモ:『なぜ美を気にかけるのか :感性的生活からの哲学入門』&『近代美学入門』 - 道徳的動物日記

    なぜ美を気にかけるのか: 感性的生活からの哲学入門 作者:ドミニク・マカイヴァー・ロペス,ベンス・ナナイ,ニック・リグル 勁草書房 Amazon 『なぜ美を気にかけるのか』は美学の入門書でもあるが、そのなかでも「美的価値」や「美的感性」「美的生活」の問題を扱っており、「優れた芸術の定義とは何か」といったトピックではなくタイトル通り「なぜ美を気にかけるのか」という問題……なぜわたしたちは服や髪型のお洒落さ/ダサさや事の美味しさ/不味さを気にしたり、聴く音楽や視聴する動画について自分なりの選択を行おうとしたりしているか、といったトピックを扱っている。ここでいう「美」はかなり広い範囲の物事を指していること……「 "美"といえるのは素晴らしい芸術のみである」といったエリート主義を排して、どんな人でも日常的に様々なタイミングで様々な領域の「美」を気にかけている、というスタンスで各人が論じていること

    読書メモ:『なぜ美を気にかけるのか :感性的生活からの哲学入門』&『近代美学入門』 - 道徳的動物日記
  • マイケル・フリードとジョナサン・エドワーズ——『アメリカ哲学史』翻訳余滴|入江哲朗

    みなさまこんにちは。私はアメリカ思想史が専門の研究者で、映画批評もときどき書いています。だいぶまえにnoteのアカウントを作ったものの放置していたのですが、せっかくなので試しに記事を書いてみることにしました。みなさまが自宅でまったり過ごされる際の暇つぶしとしてご笑覧いただけましたら幸いです。 去る2月に、私も共訳しているブルース・ククリック『アメリカ哲学史——一七二〇年から二〇〇〇年まで』(勁草書房)というが出版されました。私は同書第1–3章の訳と訳者解説の執筆を担当しています。今回は、『アメリカ哲学史』を翻訳しながらつらつら考えていたことのひとつを、とりとめもなく綴ってみようと思います。 ◇ 私が担当した『アメリカ哲学史』第1章は、「カルヴィニズムとジョナサン・エドワーズ」と題されています。ジョナサン・エドワーズは、1703年から58年まで北米植民地で生きたプロテスタントの牧師です。「

    マイケル・フリードとジョナサン・エドワーズ——『アメリカ哲学史』翻訳余滴|入江哲朗
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    sakstyle 2023/11/11
    フリード「芸術と客体性」のエピグラフ(エドワーズについての文章からの引用)と末尾の「現在性は恩寵である」について
  • 「アニメーションに見られる 時間の非整合性について」反省会 - フィクションを哲学する

    0. はじめに 美学会で僕がした発表の紹介と反省会 スライド:https://drive.google.com/file/d/1gBr3uGFamesHXdtqixPk5pGpQKgzFPgf/view 原稿:https://drive.google.com/file/d/1XqEHEC260llH14aHI8T5dYZrgHqzKP3I/view 発表についてはスライドと原稿を並べて読んでください。 発表の時に流したのは、『ジョジョの奇妙な冒険 スターダストクルセイダース』第42話「ディオの世界 その2」の16:35-1840あたり。 1. 発表で言いたかったこと 発表で直接問題としていたことは非整合的な内容がある種両立していたことだが、今思えば気になっていたのは、映像が表している時間と物語内容の時間が一致していないことそのものだったのかもしれない*1。例えば、スローモーションとディオの

    「アニメーションに見られる 時間の非整合性について」反省会 - フィクションを哲学する
  • 後期シブリーの美学 - obakeweb

    フランク・シブリー[Frank Sibley]の名前と結びつけられた仕事として、真っ先に思いつくのは「Aesthetic Concepts」(1959)と、その実質的な続編にあたる「Aesthetic and Nonaesthetic」(1965)だろう。前者は、美学者としてのキャリアの最初期に書かれた論文であり、20世紀美学において最も盛んに検討された論文のひとつとなった。 美的なものの議論においてシブリーの果たした貢献は改めて確認するまでもなく、絶大である。しかし、注目は上のふたつの論文に集中しており、その他の仕事はあまり引用されていない。このふたつは『Philosophical Review』という大手も大手の哲学ジャーナルに掲載されたことからも美学にとどまらない関心を集めたわけだが、その後シブリーは新設されたばかりのコーネル大学哲学科の運営に忙殺されたようで、いくつかのProcee

    後期シブリーの美学 - obakeweb
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    sakstyle 2023/10/25
    ギーチが提案した形容詞の述定的/限定的の区別(ギーチはこれを「良い」の分析に使った)。シブリーはこれを「美しい」「醜い」に応用。ところでこれは、美的判断の伝統的対立(非推論性が成り立つか)に関わる
  • 「趣味のニーチェ的基準について」資料公開 - #EBF6F7

    美学会で「趣味のニーチェ的基準について」という発表を行いました。 趣味(センス)の良し悪しが問われる際の基準にはどんなものがあるんだろう、という問いを探究しています。 こちらで発表資料を公開しておきます。 タイトルにもあるように、今回の発表では、フリードリヒ・ニーチェとその二次文献を参照しました(議論の枠組み自体は分析美学のそれですが)。 私の研究をある程度知っている人からすると、分析美学とコリングウッドについて研究していた人が、いきなりニーチェを扱いだしたということで、唐突に映ってもおかしくないはずです。 そこで、以下では、その経緯について記すことにします(実際に発表を聴いているか、発表資料に目を通している方に向けた裏話です)。 簡単に言うと、二つの流れがあります。 一つは、アレクサンダー・ネハマスの影響です。 ネハマスは今回の発表でも盛んに参照しましたが、彼は哲学史研究と美学研究の両方

    「趣味のニーチェ的基準について」資料公開 - #EBF6F7
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    sakstyle 2023/10/19
    「ネハマスの悪夢」に対して、良き趣味とは「スタイル」が構築されていることだとする(自己のプロジェクトを通じて自己を有機的統一体とする。マイケル・フリードの例/村山さんがこの研究に至った経緯
  • 井奥『近代美学入門』の感想 - 9bit

    井奥陽子『近代美学入門』筑摩書房、2023年 ご恵投いただいたもの。いいなので宣伝も兼ねてレビューする。 全体の感想 当の初学者(たとえば学部一年生)でも十分に理解できる程度の易しさで書かれている。構成がわかりやすく、言葉づかいや文体もするっと読めて、それでいて重要なポイントがどこかがはっきりわかるようになっている。出てくる例もわかりやすい。 概して帯文はオーバーだったり嘘をついていたりするものだが、このの「難しいと思っていた美学が、よくわかる」は偽りのない宣伝文句だと思う。 書には、「読者はこういう理解をしているかもしれないけど、そうじゃなくてこうだよ」というかたちで、想定される誤読をあらかじめていねいに防いでいる箇所がけっこう多い。これはたとえば佐々木『美学への招待』などと比べたときの、書の際立った美点のように思う。 美学(あるいは哲学全般)は、問題意識や議論の内容が初学者に

    井奥『近代美学入門』の感想 - 9bit
  • 美と芸術の進化について

    なぜ人は風景を見て感情が動かされるのか? なぜ人は芸術活動を行うのか? これらは難問に違いないが、進化という観点から考えてみることで、答えのヒントが得られるかもしれない。 芸術や感性の進化についての論文(Nadal & Gómez-Puerto, 2014)がこの分野の状況を幅広くまとめてくれていて勉強になったので、概要をまとめてみた。基的には論文の展開に沿って要約しているが、一部で話の順序や言い回しを再構成したり、筋から外れる内容は除外したり、文中で参照された論文の内容を加えたりしている。 Nadal, M., & Gomez-Puerto, G. (2014). Evolutionary approaches to art and aesthetics. In P. Tinio & J. Smith (Eds.), The Cambridge Handbook of the ps

    美と芸術の進化について
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    sakstyle 2023/10/06
    芸術や感性の進化についての論文(Nadal & Gómez-Puerto, 2014)の要約/7つの進化的な説明や神経科学、考古学等からの知見などのまとめ。